別れ話をするはずが
奴は、周貴妃だけはこれから先も絶対に捨てないのだろうと私は感じていた。
常に気を配り、機嫌を伺い、けっして完全にないがしろにはしない。
そんな相手は周貴妃だけなのだから。
だったらあの人はもう、周貴妃と、前の人生のようにちゃんと添い遂げるべきなのではないだろうか。
今のままでは奴は正妻を顧みず、なのに離婚もしないまま、ただ毎日愛人宅に入り浸っているようにしか見えない。
そしてその愛人というのが私なのだ。
とっても不本意。
ならば私は身を引いて、ちゃんと新しい幸せを探すべきだろう。
この一年、奴が昔のような笑顔で一緒にいてくれたことに感謝して。
「そろそろこの事業をあなたに譲渡しようと思うのよね」
ある日、相も変わらずやってきては慣れた態度で一緒に夕食を食べている白龍に私は切り出した。
最近は、私はこの男のことを白龍と、この現世での名前で呼ぶようになっていた。
まあ昔の名前で呼ばれても困るだろうし、周りの人にもわかりやすい名前で呼ぶ方が親切というものだろうから。
白龍は、箸を持つ手を止めて、驚いた顔をして言った。
「お前がせっかくここまで育てた事業なのに、いいのか?」
どうも白龍にとっては、とても意外だったらしい。
でも私は散々考えた上で提案をしていた。
「もちろんタダでとは言わないよ? まあ、それでもお安くお譲りしてもいいかなって」
「……何を考えている?」
なんだか白龍が、私を信用していない気がするのはなぜなのか。
「別にたいしたことは何も? この一年、頑張って大きくはしたんだけれどさ。でもそろそろこの後宮から出ないで全部を動かすのにも無理が出てきてね。父さまたちのサポートだけじゃあ、どうにも限界なのよ。だからここであなたにお得に譲渡して、思いっきり恩を売っておくのもいいかなって。そうしたら私のお願いも聞いてくれそうだし」
「人手ならいくらでも手配してやるぞ」
「そういう話じゃあないのよ。やっぱり本来は私が行って、見て、話して進めないといけないことがたくさんあるの。でも今はそういうことが全然出来ないでしょ」
「あの王嵐黎に頼んでも無理か」
「これは私の仕事だから。父さまには父さまの仕事があるでしょう。なのに私の代理ばかりもしていられないのよ。ま、だからあなたがこの事業を私から引き継いで、個人でなり国でなりもっと大きく運営して、事業収入を増やせばいいんじゃないかなって思ったの。この後宮の運営費の足しくらいにはなるでしょ。あ、今一番急ぐべき原料の増産については栽培地の候補をいくつかピックアップしておいたから」
そう言って、私はまとめておいた書類を白龍に渡した。
後宮を維持するのにも莫大なお金がかかるのだ。その費用の一部を妃嬪が助けてもいいじゃない?
「春麗が下地を作ってくれたから、あとは拡大するだけなのは助かるな。それに皇帝が金のために事業を始めたとなると外聞が悪いが、妃嬪が趣味で始めたものを引き取るという形なら体裁もいい」
「でしょ? 寒い季節は下着も上着も同じ素材で沢山重ね着するのも流行ったから、まだしばらくは儲かるわよ。廉価版の方も少しずつ品質向上させているし、肌触りも今までの服よりはまだ少しいいから需要が落ちてなくて値段も下げなくてすんでる。このまま安売りはしないで大きく出来れば安定した収入になると思う。実績とだいたいの今後の見込みも入れといたから」
すると書類をしばらく眺めた後、白龍は言った。
「……これはお前が思っているより助かるぞ。すごいなお前、この金額を一年でか。そしてまだまだ伸びそうだ。これならあの頭の固い楊太師も黙るだろう。今皇宮の官吏でこの成果を出せる奴はそういない。では俺もこの功績には報いなければな。春麗、明日、淑妃宮へ引っ越しな」
「は?」
なにを言い出した? 淑妃宮? 引っ越し?
あ、なんだかちょっと嫌な予感が……。
「今回の功により、お前もとうとう明日からは四夫人の仲間入りだ」
「は? いやそんなこと望んではいないんだけど!? 淑妃ってそれ、呉徳妃より上じゃないか! 周貴妃のすぐ下!? いや! 全然いらないそんな地位なんて! 何言い出してるのよ! やめて!」
「明日の朝議で承認させる。知らせが来たらすぐに引っ越せるようにしとけよ?」
ちょっと! なんでそんなに嬉しそうに笑ってやがる!
「だから! 嫌だって言ってんでしょうが!」
私はあんたに恩を売りたいのよ!
その恩の見返りでここを出ていくつもりだったの!
それを私の出世でチャラにするんじゃない!
それじゃあ私が金で地位を買ったみたいじゃないか……!
「さすがに四夫人にするにはじじいたちの承認が必要だったからな! だがこれならいける。任せとけ!」
って、満足そうにするんじゃないー!
…………淑妃宮というところは、それはそれは広くて豪華な場所でした……しくしくしく……。