皇女
「ふーん、二回も結婚するなんて、それほど好きな人がいてよかったじゃない。じゃあこのままお幸せに」
こいつはまた、別の人を選んでいた。
私を探していたのも本当なのだろうけれど、それでも後宮にはすでに妃が複数いて、それはこいつが承諾したからだ。
しかもその内の一人が前の奥さんでもあるのなら、もうその人は私よりも強い縁で結ばれた人と言えるのではないか。
ならば私は昔からの良き友人として、こいつを祝福するべきだろう。
そう思っていたら。
「ちげえよ。立場上断れないだけだ。桜花は先代皇帝の娘で、こっちは皇族といっても三代前の皇帝の孫。随分端っこのギリギリ皇族っていう立場だったんだよ。だから皇帝になるには桜花を娶るのが条件だったんだ。それが先代皇帝の遺言であり勅命でもある」
奴はちょっと苦々しそうな顔をして言った。
「あ、そういえば皇女」
うっかり忘れていた。周貴妃といえば、やんごとない身分の方だった。
「そう。そして先代皇帝の血を引くほぼ唯一の存在。なにしろ前皇帝の子供たちが他はみんな死んでしまっているのは知っているだろう」
「うわなにそれ物騒な話?」
「まあ昔から特に皇子は死にやすいんだよ。元々子供は死にやすい上に権力争いに巻き込まれたりするからな。そして先代の皇子はもともとが少ない上に、桜花以外はみんな病気や事故で死んでしまった。今は先代が死ぬときにはまだ胎児で性別もわからなかった幼い皇子が一人しか残っていない。それで先代皇帝が次に指名したのがほぼ遠縁みたいな俺だったんだ。昔から傍流が次代に指名されることはあったが、それだと皇宮の頭の固いじじいどもの中には納得しないやつもいる」
「あー、まあいるだろうね。皇帝なんて血筋がものを言う世界じゃないか」
「特に太師で皇族でもある楊太師というじじいが厄介でな。先代の遺志がどうの血筋がどうの家柄がどうのってとにかく煩いんだ。表だってひいきはしないが、実は楊太師の姪の娘が桜花なもんだから、それ以外の女を上にすることにはとにかく猛烈に反対してきやがる」
「太師って、一番上の官職じゃないか。あー、で、その皇女と結婚すると丸く収まるのね」
「そういうこと」
「ならお幸せに。いいじゃない、全部丸く収まって。なのに周りの反対を押し切ってまで私をどうこうしなくてもいいよ。私だって正妻に遠慮して生きるような人生なんてごめんだし。実家に帰るわ」
どうせ元々平和主義だったこいつが、周りを全て敵に回して仕事にも弊害が出まくるようなことはきっと出来ないだろうし、私もさせたくはない。
だったらどう考えても私は身を引くのが一番いいじゃないか。状況的に。
というのに。
「させるか! 俺はお前を探すために皇帝になったと言っているだろうが!」
奴が叫んだ。
「でも私、二番目の女とか死んでも嫌だし」
「一番ならいいのか」
「一番じゃあ、いつ二番になるかわからないじゃないの。私は唯一じゃないと嫌なのよ」
「俺はお前さえいればあとはどうでもいい。それは唯一じゃあないのか?」
「もう百人以上の女を娶っておいてどの口が言っているの。それに昨日も何やら楽しそうに周貴妃とお茶をしていたでしょうが」
そしてにらみ合いの後、しばしの沈黙。
奴はちょっと気まずそうに、視線をそらして小声で言った。
「……あれはしつこく呼ばれたんだよ。だから形だけ行っただけだ。実はちょっと弱みを握られているから断り切れないんだ。だが本当に手は出していない。もうあいつはこのまま放っておけばいいだろう」
「いや女の一生をなんだと思っているのよ」
そこでまた会話は止まったのだった。
こいつの弱みが何かは知らないが、そんなの握られていてずっと放っておくことなんて出来ないだろうに。
何言ってんだ。
しばらくして、とうとう静寂に耐えかねたらしい皇帝さまは、深い深いため息をついてから言った。
「……寝るぞ。これでも仕事が忙しくて疲れているんだ」
「なら帰って自分の部屋で寝ればいいでしょう」
「そうしたらお前が今頃は俺が他の宮に行っているんじゃないかって気にするだろうが。俺が見えるところにいた方がお前も安心して眠れるだろう? それに俺はお前と一緒がいい」
「なにそれ。自意識過剰」
そんな私の返しを聞いているのか聞いていないのか、奴はあっという間に布団に潜り込んで眠ってしまった。
本当に疲れていたらしい。
でも私が前回の人生で見た二人は、お互いに想い合っているように見えた。
ということは、周貴妃はこの男のことが好きなのではないの?
だとしたら私が後宮に入って、もし本当に皇帝が私にばかりかまけて周貴妃を放ったままにしてしまったら、周貴妃の恨みを買うのは必至。それに。
向こうは前皇帝の皇女さまで、こっちはただの商人の娘。
向こうは前の人生でも奥さんで、こっちは前の人生では出会いもしていなかった関係ない人。
向こうはもう皇宮のお偉方に認められた四夫人の貴妃という今最上位の奥さんで、私はお偉方に四夫人を却下された元女官。
そして先代皇帝が指名したあいつの妻は、あっち。
どう見てもあっちが「正しい」じゃあないか……。
どう見ても私が愛人ポジションにしか見えない。
今こいつが何を言おうとも、いつかは周貴妃が皇后になると思う。
なのにその正妻に気を遣いながら逢い引きのように会うとか、まっぴらごめんだ。
だったらもうこいつのことは諦めて、とっとと私は新しい幸せを探すべき。
頭ではそうはっきりと結論が出ているのに。
なぜ私は身動きがとれないのか。
私は奴の寝顔を眺めながら、長い間悩んでいた。
そういえばこんなに近くでしみじみとこいつの寝顔を見たことはなかったな。
こんな顔して眠るんだね。
――俺が他の宮に行っているんじゃないかって気にするだろうが。
あの時、とっさに否定できなかった自分に驚く。
私は布団の端っこに潜り込んでみたはいいけれど、その後もなかなか寝付くことができなかった。
なのに奴は、よく寝たとさっぱりした顔をして、翌朝表の世界へ帰っていった。
そして奴はその後も、やたらと足繁く通ってくるようになったのだ。