第二話 始業式
四月八日、木曜日。
桜が咲き乱れる”くすのき厚生館”の中庭は、降り注ぐ太陽光で眩しいほどだった。
カーテンを開け放して眠っていたようで、由真は
東向きの窓から容赦ない日差しを受けて否応なく目覚めた。
上のベッドで眠っていた筈の歩美は、どうやらとっくに朝食を食べに行ったようだった。
「由真?なにそれ眼の下。クマ??」
すでに制服を着てメイクの途中だった千裕は、目が合うなり眉をひそめた。
「うそっ」
「嘘じゃねーよ。見てごらん、ほら」
千裕からスタンドミラーを受け取って覗き込む。
なるほど、隈もあるしちょっと充血している。
鏡を返してありがとう、と言った。
「寝れなかった」
「遠足かよ!!ファンデ貸そうか?」
「ほんと?お願い」
「マスカラは?」
「いらないよ!遊ばないでよ?」
その後もチークは、アイシャドウは、と面白がって勧める千裕に断固断り続けるうちに、
安倍先生が二人を急かしに来た。
急いで制服に着替えた由真は朝食代わりにおにぎりを持たされ、むしゃむしゃと頬張りながら
千裕とともに学校へ向かった。こんなにも、朝は平和だったのか。
汗ばむほどの陽気にすっかり心躍らされた由真は、走り出したい気持ちを抑えつつ校門を通り
抜け、下駄箱に貼り出されたクラス編成表を見に行った。
かなりの人混みだった。
「キミ、転校生の子でしょ?」
急に、隣にいたツインテールの女の子が由真に声を掛けた
左胸に着けられた名札には”二矢内”とある。目鼻立ちのはっきりした、美少女だ。
「そう。水澤由真」
「あんま喋んなそうだよね?」
「え?そう??」
自分に関してそんなイメージがあるとは、初耳だった。
今は眠気と緊張で、気配りする余裕が無いだけだ。
「ねーねー、なんで髪伸ばしてるの?暗く見えちゃうよぉ」
「え・・な、なんとなくかな・・」
「詩織、一緒のクラスだよ!D組!ゴムで縛ってあげるから行こうよ!!」
そう言うと、天然そうな二矢内(ふたやうち?)さんは有無を言わさず由真の手を引っ張って
校舎二階の3年D組へツカツカと歩いた。
しまった、千裕置いて来ちゃった。
教室に着くと、その天然美少女は黒板側のドアを勢いよく開け、意気揚々と由真を近くの空いている席に座らせた。
ざわめいていた教室が一瞬静まり、生徒たちが遠巻きにこちらを見つめていた。
物珍しそうな視線が由真にたっぷりと注がれる。
緊張で全身がふわふわしてきた。
すかさず、 この状況を察した?二矢内さんが不満そうに言った。
「なんだよぉー皆!詩織のこと見るなよぉー」
由真は思わず吹き出し、それと同時に教室の空気は少し和んだ。
男子数人が、お前じゃねーよ!とツッコミを入れた。
窓辺で固まって話していた女子たちが、こっちへ来た。
「二矢内、もう仲良しになったの?」
「水澤さんでしょ?どっから来たの?」
「千裕と仲良いんだって?」
まるでマンガみたいだ。
典型的な転校生への質問攻めに、由真は心の底から善意の興味をうれしく思った。
少し前まで、独りで生きてる気になっていたのに。私、ちょっと単純かもしれない。
ともかく、クラスメイトがいい人ばかりで良かった。
―――由真は完全に浮かれていた。
いつ何時でも、自分の味方だけが周りにいる筈がない事を、由真は忘れていた。
不意に、伸ばしていた脚に トンッ と衝撃が伝わった。
ドアの前の席だったので、邪魔だったかも知れない。
教室に入って来た天然パーマの男子(名札には里峰とあった)が、ちらりとこっちを見た。
ガッツリと目が合ってしまい、由真が謝ろうとした時に、先に男子が口を開いた。
「転校生?」
「あ、うん水澤・・」
「興味ねえよ。気持ちわりぃ」
二矢内とその他の女子達は、一斉に目を丸くした。
天然パーマは、女子達の非難の視線をむしろ得意そうに受けつつ、満足気に
ここから一番遠い席に座った。
その声音は、好きな女子をからかう時に使われるような歓迎の気持ちではなく、
明らかに言葉通りの気持ちから発せられたようだった。
由真は自分自身がゴキブリか何かになった様な気がした。
何なの?!話しかけたのはそっちのくせに!!石にでも躓いたと思えばいいじゃん!
好きになった訳でも、告白した訳でもない(しかもそんなにカッコ良くもない)男子に、
筋合いも無いのに過剰に嫌われるほど不愉快なことはない。
千裕風に言うなら、こうだ。
お前が言うな!!!気持悪ぃ!
由真は心中で激昂していた。
必死にフォローする女の子たちの言葉も焼け石に水だ。
一方で、自分の容姿への自信のなさが何より情けなかった。
注目するほど不細工でもないが、真後ろに立つ二矢内に比べたらそりゃあ・・・
考えるうちに、怒りがしゅるしゅると消えてく。
周りを見渡せば、ほとんどの生徒が席に着いていた。
始業のチャイムが鳴る。
「じゃあ、後でね」
「ホントに気にしちゃダメだよ」
「じゃーねー由真ぁ。ゴム、取るなよー」
皆もそれぞれ適当な席に着く。
今日、帰ったら千裕に眉整えてもらおう。
そう思って、一応この事に関してはケリを付けた。