第二十五話 迷い心
「お前・・・本気?マジで東京行くの?」
ジメジメとした男子更衣室に、高宮の独特のボイスが響いた。
何の事かと、体を拭いていた男子生徒が動きを止めて高宮を見た。
まだ濡れた髪から水滴を滴らせながら、ミチハルが力強く頷づく。表情は、満面の笑みだった。
「マジでかよ!ミチハル、本当にピアニストになるの?!」
「マジだよ」
語勢を強めた後、ちょっと照れくさそうに濡れた水着を大袈裟に振るって水を切った。
それを丁寧にタオルで包んで、スクールバッグに入れる。きちんと手入れがしてあるせいか、ミチハルのスイミングバッグは3年間使っているとは思えないほど使用感が無い。
中に顔を突っ込んだら、あの新品のビニールバッグ独特の匂いがしそうだ。
「すげえなお前」
「凄く無いよ。まだまだ練習が足りないし、落ちたらこの辺の高校行くよ」
「この辺?オレ、藤ヶ丘受けるけどお前は?」
「僕も」
「はは、やっぱりか!お前、成績は大して良くないもんな?」
うるさいな、と言って高宮の尻にひざ蹴りを入れると、ミチハルはバッグを持ってサッサと更衣室を出た。基本的に集団行動というものが苦手な為か、ミチハルは親友の高宮とさえあまりベタベタしない。
しかしそのある意味であっさりしている所が、高宮にとっては付き合いやすい所でもあった。
”孤高の一匹狼”とまでは言えないが、他のクラスメイトよりも静かで大人びている。
由真がミチハルを好きでいる理由は、高宮にも何となく理解できた。
「あ・・・」
それを思い出して、高宮はタオルと水着を手に持ったままミチハルを追いかけた。
由真と大して仲がいい訳でも無いのだけれど、やはり気掛かりと言えば気掛かりなのだ。
「おい、ミチハル」
早歩きで追いかけると、渡り廊下ですぐに追い着いた。
「何?」
「お前最近水澤と仲良いよな?」
幼稚園からの仲だが、こういう話をするのは初めてだ。どういう反応をするのか楽しみだったが、ミチハルは顔色ひとつ変えなかった。
「ああ、あいつは良い奴だよ。面白いし」
「東京の事、水澤には言ったのか?」
「言ったよ。一番最初に言ったかも」
「何か言ってた?」
「別に。頑張れって」
「・・・ふーん」
残念だったな水澤、まだ脈は無いみたいだ。
そう思いかけたが、何か言葉にし難い違和感を感じた。
・・・あれ?こいつ、歩くのこんなに速かったか?
いつもこちらが歩調を合わせないと置いて行きそうになるのだが、今日は違う。寧ろ高宮を置いて行きそうな速度だ。
もうすぐ授業も始まるし、まあ急いでるのかも知れないな。でも、それだけじゃない。何かおかしい。
何だ――――?
「なあ、ミチハル」
早足のままミチハルに付いて行った。
「何だよ?」
「・・・お前水澤どう思う?」
もはや核心を突いた質問だったが、ミチハルは前を向いたまま、立ち止まらずに答えた。
「どうって・・・良い奴だと思うけど・・俺は・・・」
ああ、そうだ。
違和感の原因が見つかった。ミチハルの一人称が”僕”じゃない時、大体あいつは緊張しているか他の事を考えているのだ。自分の言葉遣いに気を使う余裕が無いのだろう。今、何らかの原因で。
「俺は?」
「何なんだよ!今日はなんかしつこくないか?」
どうやらこれ以上の深追いは逆効果になりそうだった。
「別に~。でもオレはまあまあ可愛いと思うぞ~」
茶化すように言い逃げた。追い越して振り返ると、ミチハルは複雑な笑みを浮かべていた。
どうやらこの件に関しては明言するつもりは無さそうだった。
「可愛いよ。宮間よりは」
そんな事を言って、お茶を濁した。