第二十二話 意思
詩織と二人、すっかりオセロに没頭していると、進路相談を終えた本多という男子が由真を呼びに来た。
ミチハルはと言うと、教室に戻るや否や珍しく勉強していた。滑り止めの高校の為かも知れない。
教室を横切りながら、暗い気持ちになっていくのが分かった。出廷する容疑者の心境を、もう少しソフトにしたらこんな感じだろう。罪状は無いが、夢も希望も無いし。
「失礼します」
窓に掛ったカーテンが、ドアを開けるとバサッと音を立てた。今日は風が強いみたいだ。
「水澤ね・・・まぁ、座って」
薄く埃を被った生徒用の机を挟んで、目の前の椅子に座る様に促された。机の上にはたくさんの書類と名簿、ファイル、赤ペンが点在している。
由真と先生の間に、何とも言えない緊張感が漂う。お互い、どうにもならない状況だという事は理解しているのだ。
「・・・あのね、水澤」
非常に言いにくそうに続けた。
「そのぉー・・福祉施設の先生から・・・お話は聞いた?」
「お話?」
何も言われた覚えはない。強いて言われたことといえば、先週千裕と下水管に爆竹を入れるのは止めろと怒られたくらいだ。
首を傾げて、わかりませんと言った。
「中学校を卒業したら・・またお母さんと住まわれるのよね?」
今先生が何を言ったのか、理解する事が出来なかった。
しかし坂内先生は構わず喋っていた。
「それで先生考えたんだけど、高校ってどうしてもお金掛るし・・・ね?」
俯く事も出来ないまま、由真はただ黙っていた。
やめてほしい。
もう、何を言いたいのかは判ってしまった。
「働くって選択肢もあるんじゃない?ほら」
坂内先生は静かに、同情するような笑みを浮かべて由真の顔を覗き込んだ。由真が頷くのを待っているに違いない。
おもむろに、由真の目の前に1冊のファイルが出された。学校でよく見かけるあの厚紙製のピンク色のファイルに、太字マジックで”就職斡旋先(今年度)”と書かれていた。
死刑宣告を受けたようだった。
「持って行って、ゆっくり考えなさい」
言いたい事は山ほどある。しかし由真は受け取ってそのまま黙って席を立った。
打ちのめされないように、涙が出ないように、感情を殺した。
一番安くてバカな高校でもいい。進学先を教えてくれるとばかり思っていた由真は、世界中で誰よりもバカで貧乏になった気がした。
気持ちとは裏腹にしっかりした足取りで教材室を出ると、貰ったファイルを文字が見えないように胸に抱えて教室に戻ってきた。
ドアを開けるなり、背の高い女子にぶつかりそうになる。
なっちゃんがちょっと驚いたような表情で由真を見た。が、由真は目を合わせることも無く通り過ぎた。怒ったなっちゃんに腕を掴まれる。
「何黙ってんのよ。もう終わったんでしょ?」
やっと目を合わせた由真に、表情は無かった。
まるで肖像画のようにピクリとも動かないのだ。
「なに・・・?どうしたのアンタ?」
肩を揺すると、その衝撃で固く閉じていた口が開いて、やっと乾いた声が聞こえた。
「・・・頭痛いから保健室行って来る」
「何よ・・どうしたの?」
「先生に言っといて・・・・・ごめん」
そのまま由真は教室を飛び出し、早足で保健室とは逆の方向に向かった。
しんと静まり返った廊下に、授業をする先生の声がかすかに聞こえる。国語の時間だろうか、何かの話を朗読しているようだ。
千裕のいるA組の教室は誰も居ない。移動教室なのだろう。
そのまま階段を下りて、人気のない西門から学校を抜け出した。
確かめなくてはならない。
今すぐ、阿部先生たちに問い詰めたい事がある。
このまま流されてはいけない。
私が無力な保護下の人間だという事は認めざるを得ないけれど、いったい私が何をした?
誰かに支配され、行きたい所にも行けないのはもう嫌だ。
高校に行きたい。
どんな高校でも構わないから、自分のやりたい事を探す時間が欲しい。
気がつくと由真は、上履きのまま駆け足でくすのき厚生館に向かっていた。