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第十九話 フォルテ

太陽が西に傾き、美術室に向かう途中の渡り廊下は橙に染まっていた。


文化部の生徒は、大体が地味である。

西部中の美術部は男子生徒が一人もいない女の園だが、その割には華やかさが無くやはり地味な女子が目白押しだった。

やや目立つのは転校してきた由真と、完全に美人の類である詩織と、部長でクラスメイトの河田緑里かわだみどりだろうか。

ともかく、今日も4時半から美術室には独特の気だるい雰囲気が漂い始めるのである。

由真は絵が特別上手い訳でも無かったが、運動部に今更入るのも白々しい気がしたし、詩織に強く勧められもしたので入部したのである。

ちょっと不謹慎な気もしたが、下手でも無いので別段浮いてもいない訳で。



「あ・・・緑里さん」


すりガラスのついた重い引き戸を開けると、大きなカンバスに筆を振るう華奢な背中が見えた。

3年生も後輩も、皆何故か彼女のことをさん付けで呼ぶ。

独特の雰囲気のせいなのか、それとも美術顧問に絶賛される程の腕前のせいなのかはわからない。

いつも教室に一番に来る緑里さんは、涼しげな表情を少しも変えず、カンバスに向かったまま左手をひょいと挙げた。

よく見ると、スカートを捲り上げて椅子の上にあぐらをかいている。蒸し暑いからだろうか?

普通の人がやるとだらしなく見えるけれど、彼女くらい貫禄があると妙にアーティストっぽく見えてしまう。何だか羨ましい能力だ。

真似る様に、由真も何となくセーラー服のファスナーを開けてパタパタと仰いでみた。

相変わらず真剣に何かを描く緑里さんを横目に、由真は準備室へ絵具を取りに行った。


――私にも何か夢中になれるものが有れば良いのに。

絵でもいい、楽器でもいい。何か他人に誇れるものが自分に在るだろうか?

このまま何もかもを環境や親のせいにして、青春時代を棒に振って良いのだろうか??


心のモヤモヤを、しんとした美術準備室から見える黄昏と重ね合わせた。

窓を開けると、少しだけひんやりとした風が入る。

由真はここから見下ろせる全ての風景を眺めて、ただ、考えていた。

この先どんな高校へ行き、どんな道を選び、どんな人と結婚するのだろう。

・・ミチハルのような人が良い。ミチハルと結婚できたらどんなに―――。


校舎脇のプールを見る。

活気あふれる水泳部の中に、今日はミチハルの姿が無かった。

元来気まぐれな所のあるミチハルは、結構サボり魔でもあった。おそらくはもう帰宅してピアノでも弾いているのだろう。それともテレビか。

何となくがっかりして美術室に引き返すが、まだ緑里さん以外に誰も来ていなかった。顧問の先生もまだ来ていない。

張り詰めた空気に追われるように、行く宛ても無くふらりと廊下に出た。

白く冷たい壁を伝いながら、自然と足は音楽室へ向かっていた。何をしに行くのでも無いけれど、何となくミチハルが居れば良いと思った。

吹奏楽部はこの学校には無い為、放課後の音楽室には鍵が掛っている。

しかしほとんどの生徒が知っているように、廊下側の一番左の窓には鍵が掛らない。つまり、実質解放されているようなものだった。

それを勿論、ミチハルも由真も知っている。

3階に上がると、廊下の彼方からピアノの音色が聞こえてきた。


  


”summer”ミチハルがいつも弾いている曲だ。



小走りで音楽室の窓に駆け寄ると、思った通り窓が開いている。覗き込むとミチハルが中でピアノを弾いていた。

譜面立ての向こうからミチハルの真剣な表情が見える。

と、気配に気づいたのか、演奏を止めてこちらを向いた。

急に目が合い、嬉しいやら緊張するやらで由真ははにかんだ。ミチハルの口元にも、微笑みが浮かぶ。


「先生に見付かったかと思った。由真・・部活は?」


「ミチハルと同じ」


「へへ。それを言われたらねぇ〜」


教室に入るタイミングを逃し、けれどまだ話がしたくて窓枠に手を掛けて喋りつづけた。


「ミチハル、高校どこにするの?」


沈黙を避けるための、何気ない質問の筈だった。

彼の返事を聞くまでは。


「・・・由真、バカにしたりしないでね?」


「しないよ。どうして?」


「・・・・・・東京の・・音大付属高校」

ちょっと緊張気味に、もったいぶってそう言った。

そう、確かにそう言った。



「・・・・へ??!」


思わず眸がこぼれ落ちそうになった。

鈍器で後頭部を殴られたような衝撃が走り、全身の力が抜けてしまった。


「・・ピアニストになりたいんだ。夢みたいな話だけど」


真剣な眼差しが、痛いほどに由真の気持ちを揺るがす。

けれど、気持ちと真逆の言葉を贈らなくてはならない。

大袈裟なほどに、両手を振るって満面の笑みを造った。


「大丈夫だよ!ミチハル、ピアノすごく上手だよ!」


それに応えたのはミチハルの、心から嬉しそうな笑顔だった。


「ありがとう由真!ホントにすごい嬉しいよ!」


「練習頑張りなよ。凄く難しいんでしょう?」


縋る様に、確認してみた。

難しいよね?そして滑り止めは近くの高校にするよね??お願い――――


「うん・・・でも、俺にはピアノしか無いから」





「・・・」


これ程までに、ミチハルとの間に壁を感じたのは初めてだった。

涙がじわり、じわりと滲んできて、もう少しでバレてしまう。



「あ・・・そろそろ先生来たかも」


「え?部活?なんだ〜!サボりじゃ無いんじゃん」


「はは、真面目だからね。誰かと違って」


「はいはい。行った行った」


顔を合わせられず、逃げるように廊下を駆け抜けた。

足が縺れて、階段の踊り場で思わずしゃがみ込む。

自分の顔が歪んでいくのが、はっきりと分かった。気がつくと、唇が痺れるほどきつく噛み締めていた。


―――誰も此処へ来ないで・・立ち上がれるまで・・・・


両手を組んで胸に固く引き寄せ、顔を伏せた。

廊下の向こうから再びピアノの音が聞こえてきて、それが余計に由真を悲しくさせた。

優しくて、穏やかで、きれいな思い出のような曲。

まるでミチハルの人格を音符にしたような、そんな曲だと思っていた。



”summer”



この曲が好きなわけを訊こうと思っていた。

いつか、ずっと先に。

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