第一話 春休み
ごたごたが過ぎると、直ぐに三月になってしまった。
由真の最初の登校は、明日という事になった。
前の学校にはめったに行かなかったので、(理由なんて皆と同じよ!)
ほとんど由真には中学校という所に縁がない。
とは言え、元々したたかな性格である由真は新たな −−しかも未知なる 学校生活という物に、
いろいろな期待をしていた。
無論、良い事ばかりある訳ないけど。
早速問題の一つと直面したのは、十日前に施設の四人部屋に案内された時だった。
八帖ほどの部屋の両隅に二段ベッドが二つ、真ん中には折りたたみの机が一つ、
そしてキティちゃん柄の座布団が四枚、散らばっていた。
いや、部屋のセンスなんてどうだっていいのよ。
問題は、ドアから見て右下のベッドだ。
枕元にはスタンドミラー、分厚いプリクラ帳、ペンケース・・
それら全てがラインストーンで装飾されている。
更に由真の不安を決定的にしたのは、壁に掛けられた薄汚いリュックにマジックで太く書かれた
” 愛 羅 武 勇 2−D浦野 ”
の文字だった。
あぁ・・なんてこった・・・。
別にギャルだからと言って神経質に避けるつもりもないけど、
ギャルと不良はかなり苦手だった。
「それは千裕ちゃんのリュックよ。可笑しいでしょう」
ここの職員で一番若い、安倍先生は言った。
「この子、ギャルなんですか?」
「ギャル・・ではないかな。普通の女の子よ。ちょっと男の子っぽいけど」
「もう一つのベッドは?布団がないけど」
「ああ。そこは高校生の子が一人居たんだけど、神奈川のご親戚に引き取られたのよ。
だから由真ちゃんと歩美ちゃんと、その千裕ちゃんの三人部屋ってことかな」
「はぁ、そうですね」
「千裕ちゃんいい子だから大丈夫よ。歩美ちゃんにも心配いらないって言っておいてね」
・・・安倍先生の言うギャルが、どの程度のそれか由真には判らなかった。
しかし夕方六時半ごろに帰ってきたこのリュックの主である千裕ちゃんは、完全にギャルでも不良でもある外見だった。
きちんと部活には行っているようで、テニスラケットをむき出しで担いでいる。
部屋に入るなり、”千裕ちゃん”は目が点になった。
「あ」
「あ・・はじめまして水澤由真です」
「あ、いや、はじめまして。加藤千裕です」
「・・・」
「・・・」
聞きたいことは山ほどある筈なのだが、どんな言葉を選んでも喉につっかえて出てこなかった。
この雰囲気のまま過ごすのに耐えられなかったのだろう、”千裕ちゃん”はとりあえず口を開いてくれた。
「っつーか、なんで敬語なんだろうね。超笑える」
「そうだね」
「どっから来たの?幾つ?中二?アタシ2−A」
「マジで!あたしも二年。南館中学から来た」
「南中かあ。え?兄弟は?」
「妹だけ。あいつは小六だよ」
「えー大変じゃん」
思ったよりもずっと好人物だったため、由真はもう少し突っ込んだ話をしてみた。
「千裕ちゃん、ここには何年ぐらい?」
「え。千裕でいいよ。アタシは小二ン時から」
「うっそぉ!長くない?!」
「なげーよ!筋金入りだし!!つーか由真も虐待?」
「うん。マジ無理だった」
「えー。仲間じゃん。
ねえねえ、今度一緒にガッコ行かない?」
「行く行く」
由真の心配は、杞憂に終わった。
なんだかんだで十日も経つうちに、お互いの違和感は薄れていった。
春休みの今も、千裕に付いて行ってはテニスだの釣りだのとあちこちで遊んでいる。
そして今日は施設の先生の好意で、児童みんなでお好み焼きを食べに行ったのだが、
千裕は憮然として鉄板に生地を延ばしながら、しみじみと呟いたのだった。
「D組のさあ」
「うん?!」
完全に生地に集中していた由真は、不意に話しかけられてドキッとした。
「浦野康人って知ってる?」
「え・・ああ、千裕の好きな人?」
「そう」
千裕はヘラを皿に置き、目を伏せたまま言った
「どうしたの?ふられた?」
「・・・」
「告白したんだ?」
「してないよ」
「あれ?じゃ、なんで??」
「彼女居たっぽい」
「えーっ!!マジでか!」
―あの人カッコイイからねぇ、とうっかり言いそうになったが、止めた。
「・・さいあく」
こういう時に何と慰めたらいいのか。
ピンとこなかったが、由真はとりあえずよく聞く言葉を使うことにした。
ふっくらと盛り上がった生地をヘラで裏返す。
いい色に焼けていた。
「まぁ、しょうがないよ。他にもいい男子はいっぱい居るじゃん」
「えー・・たとえばぁ?」
「えっ。例えば・・千裕さぁ、男子の友達も多いんでしょ?高宮くんとか」
「高宮チビじゃん!!あいつ身長いまだに154センチなんだよ!!」
「うーん・・じゃあミッチーって人は?会ったことないけど」
「あいつも無理。なんかオカマっぽいし」
「そうなの?」
「由真どうなの?誰か居るの??」
「えぇっ?!」
急に水を向けられた由真は返答に困った。
視線が鉄板に戻り、頭がフル回転し始めた。
好きな人なら、いた。
お母さんとお父さんが離婚する前に、私がいた居た小学校に。
転校して、たぶん忘れられちゃったけど。
でもそんなの千裕に話しても、もう昔の話だしなあ・・
第一、今はそんな事より”いかに普通の女の子と変わりなく生きられるか”
という雲を掴むようなテーマを追求しなければならなかった。
親からまともな教育を受けなかった分、自分自身がしっかりしなければならない。
チャラチャラした男なんて嫌いだし。
でも、そんな事言って独身のままオバサンになるのはもっと嫌だな・・
愛する人と結婚して、まともな家庭を築くなんて、そんなドラマみたいなことあるのかしら。
「焼けてるよ由真。食べようよ」
「・・ああ!そうだね」
空腹も手伝って、千裕の悩みも雲散霧消したようだった。
由真も考えるのを止めて、ひたすら食べることにした。
春休みが明けて三年生になったら、イヤでも将来のことは考えなければならない。
だったら今はやりたい事をやるべきだと由真は思った。
宿題も無いし、お母さんも居ない。こんな素敵な環境、二度と無いかも知れないんだから。
・・・由真のこれまでの人生で一番楽しい春休みは、あっという間に過ぎて行き、
四月の初頭、目前に迫った始業式をまちわびて市の支給品の制服をハンガーに掛けた。
千春にもらったヘアピンも胸ポケットに入れた。
”いいひと”が見つかった時のために。