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第十七話 某日

愛知県豊橋市の、ただただ広い田んぼ道の一つを、一台の自転車が爽快に走り抜けて行く。


午前中に降った雨のせいで、あぜ道は泥濘ぬかるみと化していた。何処からかカエルの鳴き声が聞こえる。・・・田舎の証だ。

その緩んだ土の上に二本の細いわだちを描いて、黒いメタリックカラーのシンプルな自転車が小さな住宅街へと向かっていた。


その住宅街の中で、ひときわ目立つ緋色のレンガ壁と深緑の大きな屋根の付いたお屋敷(ここに連れて来た友人、高宮の弁によればそうらしい)

の前で、少年は自転車を降りた。背中に背負ったスクールバッグの中、油絵の道具セットがガラガラと音を立てる。

教科書は全て学校のロッカーに入れてあるので、持って行く物など筆記具と楽譜と絵画道具ぐらいなのだ。鞄が軽いワケである。

真黒い真鍮の門を開けて自転車をその辺に停めると、櫻井満晴は樫の木でできた大きなドアを自分の通れる幅だけ開けて、中に入った。


玄関先にまでピアノの音が聞こえる。今日はレッスンの日じゃないから、母が練習しているのだろう。

ここに通うレベルの生徒が、ラフマニノフをこんなに長く弾ける訳が無い。

邪魔をするのも悪いので、満晴は何も言わずにまっすぐ自分の部屋に向かった。途中、キッチンに置いてあるパンケーキを2、3切れ取って口に運ぶ。

何と言ったって、成長期はお腹が減るのだ。


自分の部屋の鍵を掛けると、スクールバッグを開いて楽譜を取り出した。由真が初めに見た、久石譲のsummerだ。

よく学校で楽譜を眺めている満晴だが、別に読んでいる訳では無い。

ただ、何も持たずに考え事をしていると周囲の人々に心配されるので(大きなお世話だと思うよ、僕は)間を持て余した時などは、よく取り出すのである。

ひとりの時もつい、その癖が出るようになった。手に持ってないと、何だか落ち着かない。



「満晴、帰ってたの?」


三つ上の姉が、ドア越しに話しかけた。


「ねぇ、パンケーキ食べた?勝手に食べたよね??」


「食べたよ。なんで?」


キッチンカウンターに置いてあるものは、彼は問答無用で食べる。それが好物と有らば、尚更だ。


「ちょっとぉー!皆で一緒にたべようってお母さん言ってたのにー」


「そういう集団に縛られる思考、ヤバいよ。個々で自由に楽しく・・・」


「さっさと宿題やりなさいよ。どうでもいいから」


捨て台詞を吐くと、パタパタと足音が遠ざかって行った。大学受験を控えて、ストレスが溜まっているのだろう。

ほぼ同じ境遇の、高校受験を控えた満晴は深く同情しながらベッドに身を投げた。


最近友人が増えた気がする。

以前まで千裕と佑介くらいしか、友人らしい友人は居なかった。集団生活と言うものが、どうにも苦手なのだ。

しかし最近になって同じクラスの水澤由真や二矢内詩織とよく喋るようになった。

皆が振り返る容姿の詩織は言うまでも無いが、水澤由真も満晴はそこそこ美人だと思っていた。

クラス替え初日に里峰が由真に因縁を付けたのは、何かしらの好意があったんじゃないかと踏んでいるくらいだ。


千裕とつるんで居る時に際立つのは、そんな由真の儚さだ。

人を求め、人に希望を見出そうとしているのに、彼女は絶望しているようにも見える。

由真と話すようになって思ったのだが、彼女は自分以外の誰かに過度の期待をしていない。

誰かを無理に自分の世界に引き込むことを、極端に恐れているように感じた。千裕や詩織にすら本当に心を開いているのか、満晴には判り兼ねた。


「お帰り満晴。ご飯できてるわよ」


少しまどろんでいた満晴だが、母の声で渋々ベッドから起き上がった。


近頃の満晴の考え事の多くは、その儚い孤独の影を抱えた少女についてだった。当の本人は、全く存じ上げないだろうが。

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