第十六話 キリン
横浜中華街。修学旅行や観光旅行の定番スポットだ。
由真達は今まさに、その中華街の一角で班行動をしている訳である。
蒸篭から立ち昇る湯気、至る所にある天心の屋台、奇怪なお土産屋・・・。
取って付けたような中国の雰囲気の中、一人だけそわそわと落ち着きが無かった。
「オイ、たかみー。キョドってんじゃねーよ」
千裕の目は好奇に満ちていた。制すのも変な気がした由真は、取りあえず合わせてニヤニヤしておいた。高宮の心中は、痛いほど分かっているけれども。
「いや・・・」
歯切れの悪い返事をして、黙ってしまった。こんなに鬱々とした高宮を見るのは初めてだった。
そりゃあそうだ。昨夜見事に三人同室になってしまったのだから。
本人(高宮)にしては何かあったのか、若しくは無かったのか、気になって仕方ないのだろう。
由真には聞きたい事が2、3個ある筈だ。いや、もしかしたらもっと。
「そういやー由真、昨日何か有ったの?詩織たちがせっかくトランプ持ってったのにさ」
時々、詩織は何もかも知っているように絶妙な質問をする。何だかんだで一番空気読んでいるのはこの人かも知れない。
由真も約一名を安心させる為に、喜々として答えた。
「ううん、ちょっと亜紀と話込んじゃって・・・」
高宮をちらっと見やる。案の定、目が合った。
「森下ちゃん?いつも小説読んでるちっちゃい子?」
詩織は基より、大体のクラスメイトの印象はそんなものだろう。千裕など亜紀の存在すら知らなかったかも知れない。
「そう、なんか気が合ってさ。今日一緒にトランプしようよ」
「いいよ。人数多い方が楽しいし、森下ちゃんも一人じゃかわいそうだから」
そこまで聞くと、千裕が思い出したように口を挟んだ。
「つーか、由真大丈夫だったの?アイツ。アタシは無理だね、もう」
「え・・・ああ」
何と言ったら良いのか。できたら昨日の出来事を洗いざらい言ってしまいたい。
・・・でも
「何ともなかった。口も利きたく無いんじゃない?」
「ははっ!こっちのセリフだっつーのにな!!」
千裕の事は信用しているが、由真にだって言っていい事と悪い事ぐらいは判っている。コトが大きくなったら、最終的に困るのは亜紀と高宮だ。
自分のせいで揉め事が起こるのは、どんな事であれもうまっぴらだし。
「なぁ、飯にしようぜ。腹減った」
高宮がわざと大きな声で言う。その声に続いて、ミチハルも賛同した。
「僕も。ホテルの朝食、あまり食べてないし」
「オムレツとか美味しかったよ?ミチハル、好き嫌い多いの?」
「低血圧なのだよ。由真と違ってデリケートなんだよね、僕」
「なんだそりゃ」
ミチハルは、案外冗談を言う方だ。気配りなのか天然なのかは謎だが、口数は少ないのに話し掛け難くも無いのである。
ともあれ、こんな他愛もない会話がやっとできるようになった。
ありふれた日常の中の、ミチハルに関する部分だけをスチール写真に収めてとって置きたい。
・・・誰かビデオに撮って!この貴重な日常を!!
「詩織ギョウザ食いたい!!あと杏仁豆腐!」
「じゃあアタシは炒飯と肉が食いてーな」
「肉って何だよ!太るぞお前」
前を歩く三人を遠目にさり気なくミチハルの隣に陣取った由真は、できるだけミチハルと話をした。
修学旅行が終わっても、話がしたいから。
ミチハルは、ゆっくり歩く人だった。
背が高いし脚も長いので、歩くのも速いと思っていた由真は不意を衝かれた。
悠然と歩くその様子は、サバンナでのびのびと群を成す草食動物を彷彿とさせる。由真はちょっと首を傾げた後、的確な比喩を思い付いて一人で納得した。
あぁ、キリンだ。キリンに似てる。
「ミチハル、何が食べたい?」
「う〜〜〜ん・・・何でも食べるよ?肉も野菜も。由真は?」
「私も中華は全部好きだよ。油っこいけど」
「そう言えば、千裕と一緒に居ると絶対何か食べさせられるでしょ?菓子とかジュースとか」
「確かに!私も昨日からポテチばっか食べてる!!」
「絶対太るよね、千裕と居ると」
「多分本人もこれから太るよ」
クスクスと、二人で声を殺して笑った。
おどけて話す時のミチハルは、一番無邪気に見える。普段涼しい顔でピアノを弾いたり、しかめっ面で授業を受ける彼とは別人みたいだ。
家柄にしろ、仕草にしろ謎多き人物であることに変わりはないが、それでも由真は好きだった。
――夕方ホテルに戻ると、亜紀は両手にお土産を沢山提げていた。
両親、兄弟、近所の人・・・もしかして剣道部の後輩の分も買ったのかも知れない。とにかくすごい量だ。
「一日でこんなに買ったの?!」
「うん、一緒に回らなかった人も居るし」
「ああ・・・!なるほどね」
亜紀は一つの紙袋を開けると、小さな銀色の指輪を取り出した。見覚えがある。確か料金追加で名前を彫ってくれる、露店のシルバーリングだ。
亜紀の誇らしげな表情から、それが誰宛なのかは見なくてもピンと来た。
「・・羨ましい」
自然と、由真の口から洩れてきた。そんなプレゼントが出来るのは、恋人同士ならではだろう。
「いつか・・櫻井君と付き合えたらいいね」
「付き合えるかな・・・?」
「大丈夫だよ」
沈む夕日で真っ赤に染まった静かな部屋で、二人の声は宙に舞って、それからゆっくり絨毯に吸い込まれていった。