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第十二話 葡萄

※本編関係ないです。高宮と亜紀のお話です。

高宮佑介は、すぐ向かいの森下さん家に向かっていた。


今年の6月は、雨が少ない。

昨日も今日も梅雨入りしたのがウソのように空が青く澄み切っている。時折涼しい風が吹いて、佑介の決意を後押しした。


向かいには幼馴染の女の子が住んでいる。

昔は(と言っても2、3年前だ)互いの家を行き来していたのだが、中学1年の秋の出来事があってから二人とも何となく気まずくなってしまった。


銅板に”MORISHITA”とローマ字で掘られた、お洒落な表札を目の前に見据える。

英国の田舎町に建っていそうな、美しく威厳に満ちたレンガ造りの家を改めて眺める。おじさんの趣味の小さな葡萄畑が裏庭に見えた。

今は葉ばかりだけど、夏の終わる頃には今年も甘い実が生るはずだ。毎年ウチにも届いていたが、去年だけは亜紀じゃなくおばさんが来た。

今年は・・・どうか亜紀に届けて欲しい。

佑介はぐっと息を止めて呼び鈴を押した。


「・・・ああ、佑ちゃんか。相変わらずチビだな」


ドアが開き、おじさんが悪びれずに言い放った。苦笑いして会釈する。

亜紀の父は、あしながおじさんがそのまま現実に出てきたような、のっぽでハンサムな中年男性だ。

年頃の亜紀には最近嫌われているらしいが、実際本人に聞いた訳ではないのでおじさんの思い過ごしかもしれない。


「おじさん、亜紀居る?宿題の事でちょっと」


わざわざ亜紀に何の用事かなんて今まで言った事無かったが、何故か口が勝手にそう動いた。

全身の血がざわめく。


「亜紀なら2階(うえ)だよ。修学旅行に来て行く服で悩んでるんだ。笑えるだろ」


そう言うと、にんまり笑って佑介を招き入れた。ドアが閉まり、背後でドアチャイムの美しい音色が響いた。

相変わらずこの家は気持ち良いくらい片付いている。とても女子中学生と小学生の男の子が住んで居るとは思えないような生活感の無さだ。絨毯に髪の毛一つ落ちていない。


「母さんが留守で、大したもんは出せんが」


そう言いながら、台所からジュースのペットボトルを2本持って来た。


「亜紀にも持って行ってやれ。菓子は食わせるなよ。最近ちょっと太ったんだ」


おじさんが歯を見せて笑う。

だんだん昔のようなノリが戻って来た佑介は、冗談を言いながらペットボトルを受け取った。


「それで洋服選び直してんの?どれ着ても変わんないよ」


背中を小突かれながら、ワックスの効いた重厚な木製階段を上る。

一人になった途端、佑介は亜紀の家(ここ)に何をしに来たのか思い出して胸がざわつき始めた。

亜紀の部屋の前に立つ。両手に持ったペットボトルは手が痺れるほど冷たくて、小さな水滴が満遍なく付いていた。


「亜紀」


入るぞ、と言いかけて佑介は黙った。


着替え中だったらヤバいな。

何がヤバいって、俺の気持ちが。

いやいや気持ちだけじゃない、いろんなものがヤバい。



「・・・佑介?何??」


驚いたような声が部屋から聞こえた。佑介は余計に緊張してきた。


「服着てるか?入るぞ」


「あ、うん。大丈夫・・・いや、待って!!ちょっと散らかってるの!」


「んなもん良いよ、別に」


亜紀の制止を無視してガチャリと扉を開けた。

品の良い柔軟剤の、いつも亜紀から漂う香りがした。佑介は亜紀を直接抱きしめているような錯覚に陥り、一瞬ぼうっとしてしまった。

慌ただしく部屋を片付ける亜紀を見つめる。後ろ手で扉を閉めた。二人きりになるなんて、何か月振りだろう。


「そこに座って。どうしたの?一体」


洋服をクローゼットに乱暴に押し込めながら、亜紀は質問した。


「まぁ、お前も座れ」


亜紀の勉強机に腰かけて、窓の外を見た。自分の生まれ育った家が見える。

お前、たぶん将来あそこに住むことになるぞ。お前さえ良ければだけど。


「どうしたの?改まって」


亜紀の顔が、少し曇る。きっと悪い事でも想像しているのだろう。

ぺったりと床に腰をおろした亜紀は、不安げな顔でまっすぐに佑介の瞳を見つめた。

佑介はジュースを置いて椅子から立ち上がり、ベッドの端を背もたれに亜紀の横に座った。

ちょっと間が開きすぎたが、別に変なことをする訳でもないのでそれで良い気がした。

ドギマギする二人の間に、数秒の沈黙が横たわる。

もどかしい。この場に千裕が居たらきっとこう言うだろう。


―――さっさとチューしろよ!!女々しいぞたかみー!


「亜紀」


鼓動は、一気に速くなった。

言ってやるぜ亜紀。もしも宮間がお前に何かしても、俺が必ず護ってやる。



「――――好きだ」



目を見ようとしたが、無理だった。

俯いたままだったが、しかしはっきりと亜紀は聞こえたに違いない。

佑介は目を閉じてもう一度言った。


「亜紀、付き合ってくれ」



・・・亜紀は微動だにしない。

ゆっくり隣を見ると、俯いてひたすらカーペットの模様を見つめていた。

肩まで伸びた髪が邪魔して、表情は判らない。

佑介が焦って何か言おうとしたその瞬間、亜紀が自分の右手を頬に当てているのが見えた。

泣いているかと思ったが、そうでは無かった。よく見ると耳が赤くなっている。


「・・・・・・佑介」


亜紀の声は掠れていた。声はやっぱり泣きそうだった。

髪をかき上げて、やっと視線を合わせた。笑顔だった。



「ありがとう・・・私も大好き」


その瞬間、亜紀がどんな女優よりも美しく見えた。

クラス内ではやや地味な雰囲気の読書少女で通っているが、佑介にとってはかけがえのない、

世界にただ一人しか居ない愛する人だ。

感極まって、佑介は思わず両腕を伸ばして亜紀を抱きしめた。目で見るより、ずっと華奢な気がした。

―――暖かくて、いつまでもこうして居たくなる。

しかし暫くして気持ちが落ち着くと、ゆっくり亜紀の両肩を自分から放して


「おじさん来たら殴られるな・・・コレは」


と笑いながら自らを律した。

何も急ぐことは無い、ゆっくりでいいんだ。亜紀が大切だから・・・

亜紀もクスクスと笑いながら言った。


「お父さんが居なくても放したんでしょ」


「まあな。意気地なしか?」


「ううん」


たった今の瞬間から恋人同士になった二人は、たわいもない話を続けた後一つの約束をした。

それは”一生別れない”じゃなく、”絶対浮気しない”でもなく―――


「いつか・・・こんなの大分先の話だけど」


「ん?」


「もしも俺達が結婚して、お前がこの家を出たら・・・」


「うん・・」


佑介は突然立ち上がって亜紀を窓辺に連れていき、小さなテラス付きの高宮家の中庭を指差した。

真白いペンキで塗られた真鍮のフェンス越しに、見せたい物があった。

亜紀が目を見開いている。気づいたようだ。


「ブドウだ!」


「おまえんちのだよ。去年埋めたんだ」


鉄製の白いアーチに、葡萄のツルが巻きついていた。隣には白いワイシャツが干してある。

まるで佑介の傍にいつも居られるようで、嬉しくなった。


「全然気付かなかった・・・ちゃんと世話してくれてるんだね」


「まだ実は付かねえけどな」


「そっか・・・」


さっきの言葉の続きを、亜紀は読み取った。


「きっと、私たちが結婚する頃には一緒に収穫できるよ」


「だろうな」



互いの未来予想図に存在するのは、ツルいっぱいに生った葡萄と成長した二人の笑顔だった。

不意に亜紀が、こんな事を訊いた。


「ねぇ、私の名前の由来知ってたっけ?」


佑介は、当然とばかりに即答した。




「葡萄の実が生る季節に生まれたから。おじさんも言ってた気がするぞ、ソレ」


「当たり。覚えてたんだ」



―――――亜紀はもう、満面の笑みだった。

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