プロローグ
中二の冬、母がまた離婚した。
何が原因かなんて知らないし、別に知りたくもなかった。
第一、もう二ケ月くらい自分の部屋とトイレと台所くらいしか行っていない。
学校にも行っていない。
だからとにかく----
私にとって重要なのは、ここを引っ越す際に恥ずかしいノート類をすべて処分する事くらいで、母に対してとか、ましてや養父に対してなんの感情も持てなかった。
当たり前でしょ?私の味方はここには居ないって体言してたのは貴女たちの方じゃない。
中二の子供の分際で人生を語るつもりは毛頭無いけど、だからと言って何にも学習しないで十四年間も生きてきた訳でもないし、自分に降りかかる火の粉は、極力自分の力でどうにかしてきた。
先生や親友さえ時には獣となって牙を剥くこの時代、むやみに人に甘えることもしなくなった。
つまりこの先も私は、信用できない人間にはついて行かないって事!
最近泣きそうになったら、そう考えることにしているのだった。
四日後、すっかり荷造りを終えたこの家に”T市役所”と銘打ったライトバンがきた。
エンジンをかけたまま、運転席から人の良さそうな中年女性が降りてきた。
「おはようございます。T市役所の藤田ですが」
「・・・母は買い物です。どうしたんですか?」
と、言うが早いか、女の人は怪訝な顔をした。
「買い物?お母さん、そう言ったの?」
「言ったっていうか、家に居ないから・・たぶん」
「妹さんは?」
「え?・・ああ、二階に居ますよ」
「あぁ・・!そうなの・・・」
話が見えない。引っ越し先の市営団地の事かな?
女の人は数秒間黙って、やがてため息交じりにこう続けた。
「あなたは中学生のようだし、しっかりしてそうだから本当のことを言うわね」
「実はこのお家の周りの人がね、あなた達の悲鳴や泣き声を聞いて半年前にこちらに連絡を下さったの。児童虐待という言葉、知ってる?」
そこまで聞くとようやく状況が呑み込めた。
先々月、学校へ行った最後の日、登校後そのまま担任に車で病院に連れて行かれて、下着姿で看護婦さんにいろいろ訊かれたりした事も此処で意味をなしたのだ。
「施設に行くんですか?妹は?・・あの人は?警察に捕まったんですか?」
「ええ・・まぁ・・妹さんもあなたも、とりあえずT市内の児童保護施設にお引越しすることになったのよ。ごめんなさいね、半年も掛ってしまって・・・。
詳しい話は市役所でするわね、いろいろと書いてほしい書類もあるの。とにかく荷物を持って妹さんと車に乗ってくれる?」
そこまで早口で言うと女の人は一度微笑んで、それからトランクを開けに車へ戻って行った。
「あゆみぃー!市役所の・・」
だめだった。声がこわばって二階まで届きそうにない。声を張り上げたら涙が出そうだ。
階段を上りながら、私は湧き上がる感情に呑まれていた。
安堵、戸惑い、羞恥・・・
泣きたかったが、しっかりしてそうと言われた手前、誰かの前では泣くに泣けない。
踊り場のガラス窓にうっすらと自分の顔が映る。ひどく腹立たしかった。
ナップサックに詰め込んだ大事な物と妹を連れて、車に乗り込んだ。
養父は仕事に出かけていたため留守になるのだが、この家の鍵は持っていない。その旨を伝えると藤田さんは苦笑いした。
「お母さんから鍵を預かろうと思ってね・・あ、今お母さん市役所に居るんだけど、それでお預かりしますって言ったら、『私が閉めます』って聞き入れないのよ。
仕方ないから役員が一人付き添って、もうすぐここへ来るそうよ」
心底恥ずかしくなり、そうですか、とだけ呟いてシートベルトを締めた。
あの人がここに戻るなら、長居は無用だ。
さようなら、長かった災難。どうか私が普通の大人になれますように
名残惜しくはなかったが、
自分の中でけじめを付けたくてそう願った。神様でも仏様でも、聞いてくれるならどっちでも良いから・・・
そうして、あの日の長い朝は過ぎて行った。