1-8 奇術師
「ふむふむ、やはり、君が今代の賢者役なんだ、ネ。」
「は、はぁ──」
一つの小さなテーブルを挟み、ずずいと白塗りの顔を近付けて訊く声に、少し椅子を引いて応える。
「そぅかそぅか、君程の魔力があれば、勇者様も安心だろう、ネ。」
「そりゃまた、どうも……」
薄く微笑みながら、顎から唇にかけて手を軽く添えてテーブルに肘をつく。
「いや、なんでこんな怪しい人と二人に──?」
口の中だけで小さく呟く。その疑問の始まりは、それは、朝の話で───
「なにか、怪しい人なんて言葉が聞こえた気がするケ、ド?」
「耳良いとかのレベルじゃねぇな!」
─────
「今日は自由行動?」
「ああ、昨日は大変だったからな。それに、ヨミはあまり世間に慣れていないと見える。この都市は中々広い。少し出歩くのも良いだろう。」
「なるほど、こいつどこから来たのか知りませんけど、勇者様も知らなかったとはとてもとても人間とは思えませんから。」
「種族まで否定されんの?! いや俺もう人間半分辞めたとこだけど!」
「取り敢えず、多少は金も渡しておこう。この世界で生きていた限りそこまで変わった事もないだろうが、ここらのことにも慣れた方がいい。」
「ほほう、ここの通貨か……」
この世界の金は見たことがない。やはり銀貨や金貨なのだろうか。世間慣れしていない人テンプレの様に人前で大金見せびらかしてチンピラに追われる、なんて失敗はしまいと心に留める。
そんな、未知の通貨に思いを馳せて手を差し伸べる。手に乗ったのは、重たい硬貨の感触ではなく、紙幣に近い感じだ。
「へぇこれがここの──」
うっすら目を開けて、手に乗せられた紙幣を見──
千円、と書かれた紙が5枚、そこにあった。
「ん"っ?」
「五千円、渡しておく。あまり多く渡しても危険なだけだろう。」
「ああ、それはもうそりゃあ……」
再び、自分の手元を見る。端に1000と描かれている。なんだろう、この親におこづかいを貰った感は。
紙幣を見回し、一つ、ヨミの知る千円札との違いを見付けた。
「この、描かれてる人は?」
「やっぱり、世間を全く知らない奴っすね。その人は初代の付き魔法使い『魔女』様ですよ。」
「五千円が賢者、壱万円が初代の勇者の絵柄になっている。」
「な、なるほど……」
どうやら、この世界の紙幣には『100年戦争』で戦った三人が描かれているらしい。
「流石に諭吉さん達は異世界進出しねぇか。」
「ユキチ…?」
「なんでも。ありがとよ、俺もこの辺の店は見てみたかったんだ。きっちり使い切ってやるぜ。」
「お釣を出してあたしに回してくれてもいいんですが。」
「何でお前に回るんだよ。」
朝食の合間、そんな会話をして手にいれた五千円を見る。
「なーんか、パッとしないというか、ファンタジー感に欠けるというか。」
龍護都市『オブザーブ』の街並みを見ながら、そんな事を思う。
街自体はまさしく、ファンタジーで良く見る中世ヨーロッパ味溢れる情景だ。その景色に並ぶ値札が、まんま日本である事を除けば。
「『120エンぽっきり』、なんて値札に書かれちゃテンションも下がるぜ。」
「なんだい、あんた。ウチのリンゴに文句でもあんのかい?」
「いぃえ、全く、そんな事は。」
「んじゃあ、何か買って行きなさいよ。わたしゃ冷やかしは御免だよ。」
「そ、そんじゃあ歩きながら食べれるやつを……」
「やっぱり観光客かい、見ない格好だね。持ちやすさならバナナが一番だろね。」
「そいつを一本、頂いてくよ……」
「まいどあり! 喉に詰めるんじゃないよ!」
「はぁ、どうも。」
どうしたものか、元々何ともな景観だったのだが、自分がバナナを手にした事によって余計に微妙な空気感だ。持ちやすいもの、なんて適当頼んでしまったからか。もう少し歩行者としてモブに馴染む持ち物が欲しい所だった。
「じろじろ見られるわ無駄に甘くて良いやつくれるわガキんちょに猿呼ばわりされるわゴミ箱ねぇわ、あの店に立ち止まったのは完全に失敗だよ。」
学生服にバナナの皮片手、客観的にも主観的にもクレイジーなファッションで道を進む。一応地図は貰っているのだが、行きたい所もないので『顕現』で自分の身体に仕舞っている。
「バナナの皮身体に入れるってのは……自分が生ゴミ捨て場になったみたいでやだな。」
その生ゴミを目線の高さに持ってきてじろじろ睨んでいると、拍子に先の張り紙が目に留まった。妙な予感に一歩、一歩と近付いていく。なんというか、見覚えのある顔が描かれている気がして──
『1000年目の勇者様、ついに二人目の付き魔法使いを決定!その名は───』
「俺の記事かよっっっっっっっ!!」
顔に手を尽く拍子にバナナの皮が顔にぺちりと当たり、そのまま道のど真ん中で叫んでしまう。先程まで猿で済んでいた人物像が、最早不審者の卵である。
その張り紙には、『魔王を倒す三人がついに確定』だの『けっこうすごい聖魔導士』だの『へんなふく』だの書かれていて。
「後半になるに連れてどんどん文章が雑になってんぞ。作文埋まらなかった小学生か。」
中身の薄まっていく文章を最後まで目でなぞり、その下にはヨミの顔の写真とライク、ユラを入れた三人の写真の味のある白黒絵二種類が載せられていた。
「なんだこれ、いつのまにこんなの撮ったのか。」
全くもって身に覚えがない。むしろこんな風に三人で並んだかも定かではない。全く気付かぬ内に撮られていた写真などと良くわからない所で異世界ファンタジーを感じ、鳥肌が立つ。
「いいや、この紙を見るのは、止めよう。」
背筋に伝う寒気に恐れて張り紙から目を背け、歩いていた道の上に身を戻す。遠くにベンチが見えた。今は少し休みたい気分だ。
「座る、か……」
力の抜けた足を動かして、ベンチに着くとどかっと座り込んだ。
周りを見渡す。こうして見てしまえば、想像に全く違わない異世界の風景だ。文字さえ見なければ、ヨミの知る街とは全然違う、新鮮な空気を味わえる。
「そういえば、普通に日本語に読めてるな……」
異世界ファンタジーでは、言葉は通じるが文字はアルファベットに近い別の言語である事が多い。というのがラノベやアニメを見てきたヨミの感想なのだが、現在普通に文字も読めている。そういう時は、転生時に神っぽい人から便利な翻訳パワーを貰ったりするのが定番なのだが、そんな人に会った覚えもない。
「この国、標準語が日本語だったり……?」
なんて、都合の良い仮説を立てながら、涼しい風に打たれている。ここにバナナの皮がなければ、なんと心地良い一時なのだろう。
「あのおばちゃん、罪はねぇが俺の全てを邪魔してきやがる……!」
恐るべし、八百屋のおばちゃん。
そんな視界の隅で、人だかりが出来ているのにようやく気付く。何かが始まるらしい。ざわざわと、始まる事に皆興味深々に見える。こういうのは、暇な時には行ってみるのが吉だ。
人混みにするりと近付き、適当な人に話しかける。
「兄さんや兄さんや、これは一体何の騒ぎだ?」
「初対面でそのノリの奴、嫌いじゃない。あの有名なマジシャン、オズさんが来てるんだよ。」
「へぇ、そんな有名人がこんな広場の隅でショーか?」
「お前、オズさんを知らねぇのか。世界中どこにいるのか常に謎まみれで、世界のどこかに急に現れては道端でマジックを披露して消えちまうんだ。出会えたら超ラッキー、ってな。」
「そいつは俺も運が良いな。折角だ、見ておくか。」
「そろそろ始めるらしいぞ。人生二度あるかわからんからな、良く見とこうぜ。」
「レディース、アーンド、ジェントルメーン! 本日ワタシ、オブザーブにて開演開幕、開始させて頂きまぁす、オズと申します、ヨ!」
そう名乗り上げた途端、周りから拍手と歓声が吹き荒れる。見る先には、少し高い場所で両手を挙げるシルクハットにマントの白化粧な男が浮かんでいた。少しでも多くの人に見える様にだろう。見えない台に登った位の適度な高度に滞空しながら話を続ける。
「ワタシを御存知おられる方々、多く見られて有難い限り。それなら皆様知っての通り、ワタシのショーには種も魔力もゴザイマセン。」
「魔法がある世界じゃそういう言い回しになるのか……」
「いーぃや種は、アナタの腕の中に、ト。」
オズは、高らかに指を弾く。その途端に、観客全員の手元には一輪の薔薇が出現した。
「その美しき紅の薔薇は、ワタシからのプレゼント。見て下さる皆様の、心に残る一輪を、ネ。」
オズを中心とした歓声が、一層大きさを増す。これにはヨミも驚かされた。
「こいつは、魔法の類いか……?」
「それが驚く事にね、魔法使いの人が見ても、全く魔力の流れは感じないんだと。本当に不思議な力でやってるらしいぜ?」
「魔法じゃなく、こんな事を……」
ヨミの知るマジシャンも、人間技とは思えない事を平気でやってのける。オズとやらもマジシャンだ。観客にはまるで真似出来ない技があるのだろう。
「ワタシの事が気になっちゃーう、何てボーイももっと知りたーい、何てガールもいるかもだケド、まずは最初のショーから始めちゃう、ネ。」
帽子を取って一礼し、その帽子をくるりと右手に納める。右手に乗る帽子の鍔を左の指で弾き、その中身を観客に回して見せる。中には何も入っていない。
「それじゃ早速、ワタシのキュートなオトモダチと一つ。見せてあげる、ヨ。」
シルクハットを高く放り投げ、すぽりと頭に被せる。被った帽子をもう一度持ち上げると、三羽、真っ白な鳥がオズの髪を啄んでいた。オズがおどけた様に「イテテ、テテテテ」と洩らし、周りでクスクスと笑い声が飛ぶ。
「えぇっと、こんな子等だケド、ワタシの素敵なオトモダチですヨ。これより始まるビックリ楽しいショーは、彼等彼女等にちょーっと手伝って貰おうか、ナ?」
オズの頭上でぱたぱたと羽を動かす。それが了承の合図らしい。
一羽、優雅に舞い上がり、差し出されたオズの手にすぽりと乗り込む。残った二羽は頭の上で並んで座っている。
「それじゃ、よーく見てて、ネ。この子をぎゅぎゅっ、ト。」
右手に乗った鳥の上に左手を覆い被せ、握り締める。外とは完全に遮断された形だ。手の内から『くるっぽー』と声が聞こえる。
「この子は今、ワタシの手からは逃げられない。その手を──」
一段声のトーンを下げ薄く微笑む姿に、つい息を呑んでしまう。何をしようとしているかと考えれてしまえば何となく察しもつく。こういう場面でも現実的な視点を止められないのはヨミの癖だが、オズの作るショーの空気感の中でやはり鼓動の速度は加速してしまっていた。
注目を集めるオズの手は、強く握られる。普通であれば中の鳥は潰れるが、転移系マジックというものか。そこからはひしゃげた鳴き声も滴る鮮血も無い。
いや──
「何か、声漏れてる……?」
僅かに、手の中から苦しみの声が聞こえる。と言っても、本当に苦しんでいる訳でもなく演技で掠れた声を出していると分かる程度だ。観客に嫌悪感を抱かせないが、ストーリー性が明確に伝わる。という所まで考え芸を教え込んでいるのだろう。
「おおっと、これではワタシのオトモダチがぺちゃんこになってしまう、ネ。でも、大丈夫。ここに、ひゅっと息を入れてあげると、ネ。」
手の隙間から、鳥に向けて息を吹き込む。すると、鳴く声がぴたりと止まった。
「こぉれで、ワタシのオトモダチは──」
声の止まった手を再度しっかりと握り締め、そしてゆっくりと開いていく。その手には、一つ。純白の羽が乗っていた。
「ワタシのオトモダチは、真っ白な羽になってしまいました、ネ。でもそれじゃ、この子はいなくなちゃった、ヨ。」
そう言うと、オズは観衆を見渡し始める。
「この子を戻すのを、誰かに手伝って貰おうか、ナ?」
羽を摘まみ、顔の前に持ち上げる。このショーは、ただ魅せるだけでなく、観客一体型だ。
羽を持たない方の手で、軽く指を弾く。すると、観客の手に渡った薔薇の話が淡く輝き始める。光を強めた全員の薔薇は、薄く明滅しながら静まっていく。そうしてほとんどの人の薔薇が光を失い、暗く、だが美しい紅へと戻った。
そして、最後に。最後まで、光を失わなかった一輪は──
「あえ? 俺?」
ヨミの手元には、未だ輝きの衰えぬ眩い薔薇。それはそれは、美しく──観客の目はオズからヨミへと移っていた。正確には、ヨミの手元。輝く薔薇。否、更に正確に言うならば、
「なんでお前、バナナの皮なんかに挿してんだ?」
「いや、こんな洒落た使い方するとは思わねぇよ!」
薔薇の根本。切り口の傍から広がるは、黄色の葉──バナナの皮だ。
可憐に開いたバナナの皮に、真っ直ぐ薔薇が活けられている。
「おめでとう、君が薔薇に選ばれた、ネ。」
「おう──?」
空中を辿り、ヨミへ近づくと手を伸ばしてきた。その手を受け取ると、ヨミの体もふわりと浮く。あっと言う間にヨミは観客が囲う円の中心だ。
「さ、この羽を。さっきのワタシみたいに、手の中で息を吹き込んで、ネ。」
小声でそっと、バナナに挿した薔薇と羽を交換する。軽かった。どこかにタネがある様にも見えない。
そんな事をぼんやり考えていたが、ふと顔を羽から持ち上げる。感じる視線、この期待感に、嫌な予感が膨張する。
「この男の子が、ワタシのオトモダチを元に戻してくれます、ヨ!」
「いきなり!?」
観客の注目を、さらに強固に固めていく。勝手に選んで引っ張ってきてこれなのだから恐ろしい。
ヨミは諦めて羽に手を被せ、口に近付ける。そのまま、軽く吸った空気を流し込んだ。
何も、変化は感じない。手の中の感触は、羽のままだ。オズの失敗か演出か、そう思いつつも、もう一度暖かい息を吐いた。やはり、変わらない。
「これ、合ってるのか……?」
手の中の羽を確かめようと、手を開く。そこからは純白が、陽に照らされて輝いた。
それと同時に、ヨミの視界はその純白に埋め尽くされる。
「──お、おぉぉぉぉぉおお!?」
一つの羽だったものから、無数の小鳥が産まれ飛び立つ。その翼一つ一つが、いきいきと羽ばたいた。
大空へと舞い上がる小鳥達は、上空で大きく円を画いてヨミの元へと帰ってくる。
「おわ、ちょっ」
「はいはい。集合、ヨ。」
オズが手を叩くと、ヨミの体中に飛び付いた小鳥達は軽く持ち上がったシルクハットの中に吸い込まれる様に飛んでいった。
「それじゃ、お手伝いしてくれたこの男の子に、拍手、ネ!」
パチパチとオズが手を叩くと、観客達も続いて手を叩き始める。オズの手にあったはずの薔薇とバナナの皮は、気付くとヨミの手元にあった。
「ありがとう、ヨミ君。またあとで、ネ。」
「名乗った覚え、ねぇよ?」
さりげにゾッとする声をかけられたが、微笑みだけを返してヨミの背を押す。気付けば観客の間、元いた場所へと送り返されていた。
「お前、運がいいなぁ。オズさんのショーに参加出来るなんてよ。」
「まあ、そうそう出来はしない、よな……」
はは、と軽く笑い、手元の薔薇を見る。光は失われ、ただのバナナの皮の付いた薔薇となっている。
ふと、バナナの皮に文字が書かれているのに気付いた。
『このショーの後、お茶でもしないかな?』
「出会い厨かな!?」
何があるのやら分からない恐怖と飽きさせないマジックで、長くも短くも感じるショーは続いていった。
──その間、オズの頭上に残っていた二羽の出番が無かった事は少し気にかかったが。
─────
「それで、俺に何か用でも?」
「いやいや、ちょっと見覚えのある顔だったから、ネ。考えてみたら、付き魔法使いの人相書とぴったり一緒じゃない、ノ。」
「それは、そうでしょね……」
洒落た店で冷えたコップに挿されたストローに口をつけながら、この話の冒頭へと戻ってくる。
「で、そんな物珍しさで俺を巻き込んだんで?」
「あれは、薔薇が決めた事だ、ヨ。君は面白いって、会っといた方が楽しいって、ネ。」
「面白いって……あの鳥のやつで変な事した覚えもないし、すぐ終わったから誰でも良かったんじゃ……?」
「違う、違う違う。ショーを盛り上げる為じゃない、ヨ。きっと、君達勇者様方の戦いに素晴らしいドラマがあって、ワタシもその幕の一員に居られるんじゃあないか。なーんて、期待してるんだ、ヨ。」
「魔王との戦いで、こんなピエロがねぇ。」
「君のイメージのワタシはどんな人間なんだろう、ネ。」
からりと笑いながらグラスを傾ける。ヨミと同じものを頼んだ筈だが、頭を抱えてストローを啜ると静かに回しながら優雅に口に運ぶとでは中身まで違って見えてくる。
その優雅なドリンクに舌を濡らし、オズはまた話を持ち直す。
「でも、君の力が勇者様の助けになるのは事実だろう、ネ。君には十分を越えた魔力がある。そこにワタシの出る幕があるかと言えば、そんな事は無いだろうし、ネ。」
「そもそも、手品で魔王と戦おうってか?」
「それもそうだ、ネ。」
そう言ってまた笑う。歪めた口元から、変わらぬ口調で語り続ける。
「でも、あの勇者様……魔法に疎いライク君よりはきっと、戦えるんじゃないか、ナ。」
「魔法に、疎い……?」
「おぉや、君の様な魔法使いなら勿論知ってるだろうと思ったんだケド。彼、ぜーんぜん魔力ないよ、ネ。あの家系じゃ、珍しいんじゃないか、ナ。」
「そう、なのか? 確かにライクが魔法を使う所はあまり見ないけど……」
「そうだ、ヨ。その証拠に、彼、ずーっと剣を腰に掛けてるよ、ネ。」
「そう言われれば、だな。ユラなんかずっと手ぶらだし。」
「彼はあの剣を身体に仕舞えない位に魔法に関して弱いから、ネ。彼の『口』はどうにも狭い。あの剣もかぁなり魔力を持ってるから『顕現』が難しいのも分かるケド、出来ない勇者様もあまり聞かないのは確かだ、ネ。」
オズの言う『口』というのは、『顕現』で魔力を出し入れする扉の様なものらしい。ライクはその『口』が小さい為に、大きすぎる物は喉を通らない。魔力量の多い物質はライクの器には入れる事が出来ない、という話だ。
「そんで、あいつは魔法の扱いが上手くねぇと。」
「もともと持ってる魔力も少ないし、『口』の大きさは放出にも影響するから、ネ。入れるにしても出すにしても、彼はあまり上手には立ち回れない、ヨ。」
「ま、俺とユラがいりゃ大丈夫だろ。それにあいつは剣があるしな。」
「魔法が必要となる可能性も十分ありうる。……それに、剣も。何も足りていない。」
最後に、細い声で何かを語る。
「お? 剣? 結構やる方だと思ってるんだが……」
「いぃや、何でもない、ヨ? とにかく、君は勇者様にとって何より求めた人間だろうから、ネ。期待してる、ヨ。」
グラスに残った僅かな液を、一気に傾けて飲み干す。空になったグラスは高い音を立てて卓上に返された。
「勇者様がいるんなら挨拶でもして行こうか、ナ? 折角この近くにいるんだから、ネ。」
「まだ、付いてくんのかよ……」
「そんなに、ワタシが疑わしいか、ナ?」
「やっぱ地獄耳だ! コイツ!」
またも口の中だけで呟いたつもりの声が聞き取られる。そうも耳が良くて周りの雑音が嫌にはならないだろうか、なんて事すら思う。
それに、この男はどう足掻いても付いてくる様な気がして、しぶしぶ椅子を引くのだった。
─────
「おーっす。ただいま。」
「なんすか。随分と早かったっすね。まさか、この短時間で豪遊して使いきったとかないですよね?」
「ねーよ、使ったのはバナナ一本分だ。……あれ? 思ったより何もしてねぇな?」
薔薇の突き刺さったバナナの皮を見せびらかす。勿論、この謎の組み合わせは反応に困る代物ではある。
「は、良いとして。ライク、お前に客だよ。変人。」
「僕に……?」
「変人とはまた随分な紹介だ、ネ。」
ドアの合間から、ひょっこりと顔を見せる。
「え? あ、あれって、」
「まさか、オズさんか?」
「覚えて頂けたとは、実に幸いです、ヨ。お久しぶりです、ネ。」
驚き目を向ける二人──それに留まらずその場の全員がオズに集中する。その中でオズは深々と一礼した。
「おまいらもオズ知ってるの?」
「むしろ、知らない奴いるんですか? どっかの世間知らずは置いといて。」
「俺、殿堂入りしてね?!」
「彼は世界でも有名なマジシャンだ。彼のショーは誰もが観たがる、それ位のものだよ。以前に僕の故郷に来た時も、人が大勢集まっていたね。」
「本来、貴方に挨拶をするだけのつもりだったんですが、ネ。有難ぁい事にワタシのファンも沢山いるみたいですし、求められては応える他にないです、ヨ。」
話ながら手を叩く。叩く度にオズの掌の上にはコインが増えていき、話し終わる頃には5枚程になっていた。それが、手を逆さにするといつの間にやら消えて無くなる。
「さぁて、挨拶も出来たし、そろそろおいとましようか、ナ。もう少しここに居ても良いんだけど、ネ。」
「えー、もう行っちゃうんですか。」
「おうおう、行け行け。世界がお前を待ってるんだ。今日中であと2ヵ所くらい街回れんだろ。」
「急げば、10は行けるか、ナ?」
「どんな移動手段!?」
ヨミが叫ぶと、答えを言う様にオズはウインクをして手をぱたつかせる。『飛ぶ』という意味だろうか。
「でも、ヨミ君の言う通りだ、ネ。世界がワタシを待っている、中々良い響きじゃないか、ナ。」
「そうだそうだ、見せ付けてやれよ。シーユーアゲインスト。」
「別れの挨拶にしては、ちょっとニュアンスが違うんじゃないか、ナ?」
「気のせいだろ。行った行った。」
「はぁいはい。それじゃ、また、ネ。」
「また、っての何当然の様に言ってんだ。」
二人でふざけあった後、オズは扉に手をかけて再度ヨミに振り返る。
「さぁ、ネ。でも、そんな予感だけはするんだ、ヨ。良かれ悪かれ、ネ。」
片目を閉じ、そう言い残した。この男の予感に信憑性があるのかと考えれば、先程会ったばかりの人間だ。それでも、嫌に悪寒が走ったのはオズから感じるどことない風格、貫禄といったもののせいだろうか。
オズが去り、扉の閉められた宿の中では、未だ彼の残した空気に心奪われる人々が取り残されていた。一人、ヨミにだけは不吉な心残りを持たせて。
「良かれ悪かれ、ねぇ。あいつと会う時点で悪い気しかしねぇけど。」
そうは言ったが、オズの言葉はそんな軽い価値には聞き取れなかった。勘などと言うものに頭を悩ませるのもあまり好まないが、何故こんなにも気にかかるのか。
「あなた、オズと会ってたって事は、ショー観たんですか? そういうのはあたしを呼んでくれても良かったと思うんです。」
「ああ、ライクと二人きりできゃっきゃしてるだろうから邪魔しない様にと思ってな。優しいだろ?」
「うぐ……っ!」
「それで論破出来るんだ?!」
あの変人の何が良いかは分からないが、やはりかなりの有名人らしい。誰もが知る人気マジシャン、それに出会えた事は幸か不幸か、中々ない体験であった事は確かだ。
今はひとまずラッキーという事として、ヨミは呑み込んだ。
─────
「いぃや、面白い子だった。会いに行ってみて正解だった、ネ。」
この頃オズは既に、飛んでオブザーブから遠く離れた空を進んでいた。
「ヨミ君、あの子の魔力には、久々に驚かされた、ヨ。」
目を閉じて、今日出会った少年を思い描く。
「でも、不思議な子だ。生きる力と同じくらい、いぃや、もっとかもしれない、ネ。」
恐ろしい程に、聖魔法に関して強大な魔力を持っていた。でも、それ以上に──
「あの子には、なにより『死』の気配を感じた、ナ。」
『死』だ。
あの少年には常に『死』が見えた。
或いは、『死』を一度越えたのかもしれない。
「やっぱり、彼には何か起きる予感がする、ネ。良いのか悪いのか、それは分からないケド。」
新しい付き魔法使いの今後の活躍に、期待と言えば期待を寄せて、奇術師は自分を待つ世界を飛び回る。
あの少年と再び出会うのは、いつになるか。
前回と比べて随分平和な物語、8話です。
あまり重要な話でも無かった今回ですが、作中最大の分岐点もあったりなかったり。ちなみにライクさん説明回はまだ次回に続くつもりです。
それでは皆さん、おやすみなさい。