表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法世界の回復役  作者: Se(セレン)
1章 勇者と魔法使い
18/20

1-18 剣の舞

 ひたすらに強まっていく雨の中、その二人の耳にはただ鋼の鳴き声だけが木霊していた。


 集中。それは誰しもが出来る様で、最も難しい到達点とも言える。


 そして今、二人はその域に『到達』していると言えた。


 「ふ───!」


 息を吹き出し、鼓動に合わせて剣を突く。確かに急所を狙った打突はその巨体に見合わぬ軽い動きで躱され、代わりに図太い切っ先が身体を叩き付けようと薙がれた。それを細身の剣で受け止め、火花を散らしながら衝撃を流す。そのままの勢いで相手の背後に回り込み、低い姿勢から身体を捻ってその太い脹脛の辺りを斬り付ける。

 だが、既の所でその脚が掻き消える。狙いを見失った斬撃は空を撫で、地面に転げる身体の鳩尾に、回された踵が突き刺さった。


 「か、ふ」


 蹴飛ばされた身体は何度か地面に打たれ、背中に鈍い痛みが伝わってくる。口の端から血が垂れていたが、それに本人さえ気付きもしない。

 拭いもせずに吐血を垂れ流し、立ち上がって剣を構え直す。それに満足した様に、相手も重量のある剣を軽い素振りで持ち直した。


 「らぁ──!」


 巨体を活かした大振りで剣を振り翳し、叩き付ける様な一撃にはその風貌と見合わず隙が無い。一見構えの穴に見える部分にも、筋肉の動きが、視線の流れがそこを弱点にならないと示していた。

 ごう、と剣舞から生じるとは思えない音を奏で、骨をも砕く一撃が降り注ぐ。受けるか、避けるか。その判断を強いる、絶対の一振り。


 ──しかしそれは、凡庸な使い手であれば、だ。


 巨人の一拳にも錯覚する様な大振りの剣、それに対して一直に、細身一つで間合いを詰めていく。極限まで姿勢を低め、大剣が通る既の所を潜る。相手との距離を完全に詰め切っていた。

 互いの息も、鼓動すらも聞こえそうな間合いの中、相手の胸板に靴の裏を当てて、全力で弾き飛ばす。屈強とはとても言い難い脚から放たれる蹴りは、しかし巨体を動かすだけの力があった。


 「が……っ」


 倒れる程ではないにしろ、数歩足がよろけ、地面と僅かに離れる。その数歩を些細事と取る者は、この場にはいなかった。

 風の切る様な音を喉で鳴らして、先程同様呼吸に合わせた突きの姿勢に入る。十数秒も前には防がれた技だが、今回はその暇すらも与えない。


 不安定な足場のまま地面を強く蹴り付け、その突きの描く軌道から逃れようと身を捩る。寸前、致命傷になるかならないか、その境を掻い潜った。

 一度、相手の間合いから離れて体勢を立て直す。──そう考え、実行に移そうとした時、左肩に一閃の赤筋が走った。

 突きを、避け切れなかった。辛うじて心臓を避けた一突きが、皮の一枚を引き裂いて走る。鮮血が噴出し、同時に左腕が使い物にならなくなったと理解。血を撒き散らしながら右の手で剣を握り直す。


 「づ、あああ──っ!」


 右肩の力を全力で振るい、反撃の一太刀が放たれた。その一撃に、突きの姿勢から素早く身を捻らせて受け止める。刃と刃を合わせ、顔を睨み合わせ、その一瞬だけ互いの動きが静止した。鋼同士が擦れ、雨中に火花が散る。


 鍔迫り合い。剣と剣、振るう剣士の腕のみが勝利を決める。


 細剣と大剣が、互いの隙を伺いながら擦れ合う。その硬直は永く続き、力量は拮抗し両者とも動かなかった。──もしも勝利が、真に腕の善し悪しだけで決められるのであれば。


 「──お前さん、疲れてきたな?」


 数秒の鍔迫り合いの後、そう言い放ってから大剣を力だけで打ち落とす。それだけで互角に思えた戦況が大きく傾いた。


 「ちぃ──!」


 「あー、面白くねぇ。さっきの突きでもう果ててんだろ。思ったより持たねぇじゃねぇか、カタストロ。」


 不満気に言う男──ギニルの一撃で、ベルクロスが持っていた剣が音を立てて砕け散る。


 「それも、血族の命運ってか。全く、勿体な──」


 「まだ、終わっていない。ふざけるな。」


 折れた剣をギニルの喉元に突き付け、欠けた断面が喉仏の下辺りに触れる。だが、それでこちらを見下ろす巨躯が動じる事はない。


 「──やっぱ、面白くねぇよ、お前さん。息も切れぎれで、何が出来る。」


 「殺す。貴様を──魔人を!」


 剣を構えたまま、ギニルの首に突き立てる様に一歩出る。しかしその軌道は容易く曲げられ、すかさず二撃目を放とうとした。



 瞬間、遠くで鋭い爆音が鳴り響いた。ひび割れ、砕ける様な音だった。



 「向こうも始まるみたいだぜ。──ローグに勝って見せろや、『賢者』。」


 「勝つに、決まっているだろう。ヨミはそう弱くはない。」


 「あー、解ってら。この左目が、知ってんだ。」


 深く刃の跡が付いた左目に触れ、それを付けた男を思い起こす。剣を持った事も無さそうな男に深手を負うなど、考えてもいなかった。


 「あー、こっちも決着といくかよ。」


 「貴様は俺が殺す。それは譲らん。」


 両の足で地を踏み締め、新しい剣を『顕現』する。力の入らなかった手足が、不意に軽くなっていた。


 「……お前のやる事だ、それなりの策があるんだろう、ヨミ。」


 それどころか、身体の内から生まれる沸々とした感覚が、剣を握る手に力を入れてくれる。否、これはベルクロス自身から溢れる力ではない。


 「あの『賢者』、何考えてやがんだ?」


 「ヨミは、ヨミの敵を倒す為に動いている筈だ。──貴様は、俺と剣に集中していれば良い。」


 「あー、そうかよ。……ま、そうだな。」


 再び剣を構えて、間も無く衝突する。剣線はこれまでを凌駕して美しく流れ、雨の中で鋼色の舞が再演された。




 ──都市全体に、『雨』と『光』が広がる。






 ─────






 激しい雨、それが床にぶつかると同時に太鼓を叩いているかの様な音が鳴る。それにここは二階。下の階にも轟音が響いているだろう。雨漏りなんかもしてしまっているんじゃないかと、状況に反してやけに現実的な心配が頭をよぎった。

 だが、これは想定内。むしろまだ良い方だ。最悪、もっと危険になるのではないだろうかと考えていただけに軽く安堵さえしていた。

 しかし、それで重荷が降りる訳では決してない。ここからが本番なのだ。


 「随分と雑なご来院だな、ローグ。窓代、払ってけよ?」


 「あんたこそ、やけに冷静だ。俺はもうあんたの掌の上とでも?」


 二階、中央棟。朝も訪れたこの場所で、ヨミは今ローグと相対していた。

 大きく張られたガラスは盛大に割られ、横風に乗せられた雨滴が次々と建物の中に入ってくる。風までもを操って雨を持ち込み、ローグの有利に動ける範囲を広げようとしているのだろう。しかしそれも、想定内。


 「ああ、そりゃあもう。なんてったって、お前は自分の領域を出ちまってんだからな。」


 「屋内に入ったからって、俺が弱くなるとでも思っているのか? なら、甘いな。」


 ローグは雨を一滴、空から掬い取ってヨミに放つ。小さな水滴だが喰らえば命一つは簡単に奪えるだろう。だが、ヨミは避ける動作も見せない。それだけの自信か、或いは迫る危機に気付いていないのではという程だ。杖も持たず、一点にローグを見詰めていた。


 「──それはどっちだか、な。」


 途端、ヨミの体内から魔力が噴出する。それも魔法の一発や二発ではなく、ただ『聖魔力』という根底の力のみが辺りに広がっていた。

 室内は瞬く間に魔力で満ち、その波は病院の外まで広がっていく。周囲を魔力で満たすというだけで規格外の行為だが、驚くべきはその濃度が決して薄くない事だった。


 迫る水滴を、ヨミは軽く手であしらう。当たれば皮膚を裂き肉を抉るであろう一撃を、弾き返した。何をしたのか、ローグの目には追い付かない。小手調べの一滴は簡単に防がれた、それだけが解る。



 「ここはもう、俺の領域だ。俺は死なねぇし、お前を死なせてもやんねぇよ!」



 ヨミが両手を広げ、敵を前に宣言する。それは死ではなく、生の宣告だった。しかし、それは容赦を持った意思表示ではない。

 指を鳴らす。それと同時にヨミの姿がローグの視界に大きく映った。瞬間にヨミが距離を詰めて来たのだ。


 「うらぁ!」


 ヨミが腕を振り抜く。ローグが咄嗟に水の壁を作って防ぐが、その盾は刃物で斬られた様に割れていた。


 「カッコ良く決まりそうだったのに、そう簡単じゃねぇか!」


 「魔力をばら蒔くって、何を考えてんだ? 本気で俺を死なせずに終わらそうなんて思ってないだろうな。」


 「別にお前を舐めてるんじゃねぇよ? ただ俺がそうしたいだけ。」


 ローグが水で作った剣で横薙ぎするが、またもヨミは高速移動し剣先の範囲から逃れる。


 「転移魔法か? 聖魔法製の──いや、短距離転移を連発するだけの技術があるとは思えない。」


 「そんなんあんのか、へぇ。ラーズさん辺りに聞いたら教えてくれたかな。」


 十メートル程離れたヨミに向けて、ローグが水を塊にして射出する。しかしヨミの元まで届いたかと思うと、やはり滑らかな断面を見せて真っ二つになった。


 「ラーズ……あのじいさんか。そういえば、あんた一人しかいないのか?」


 「不満かよ? 一応負けるつもりはねぇからな。」


 「いいや、やりやすくて助かる。」


 再度水を放ち、ヨミの命を狙う。正面から迫る水球に手刀を下ろし斬り裂いて防いだが、何度も同じ手で通用する筈も無い。細かく分けられた水滴が弧状の軌道を描いてヨミを襲う。

 腕や背中を水が流れ、肌の表面から血が零れる。紙で指を切った様な痛みを増幅させた感覚があり、一瞬顔を歪めるがその傷はすぐに塞がった。


 「やっぱ、先手必勝か。負けてくれよ、雨男。」


 ヨミが姿勢を低める。と同時に指を鳴らしてローグの目の前に移動した。その勢いのまま拳を飛ばし、ローグの顔面を撃ち抜く。すかさず水の盾で拳を防ごうとするが、真の狙いはそちらではない。

 左脚が、ローグの腰辺りを打ち据える。しかし、その衝撃に生き物を蹴った様な生々しい感触は無く、全く手応えを感じなかった。


 「やっぱり、な──!」


 ヨミの脚が通った場所にはローグの姿は無く、その質量分だけの水が代わって生じる。ローグが液体へと姿を変えたのだ。


 「物理も魔法も無効、おまけに一滴で即死の水操作。理不尽ったらねぇ!」


 「解ったなら諦めても良いんだぜ? どうせあんたに俺は殺せない。──まして、殺す気も無い奴に。」


 水となったローグは雨に濡れた床を辿り、ヨミの後ろに出来た水溜りから姿を現す。その身体には当然傷も無く、ヨミの攻撃はやはり届いていない。


 「それと、さっきの。転移じゃなくて、ただ速く動いてるだけだな。水の流れを見れば解る。あとはタネだ。」


 「──思ったより早くバレちまったな。だからどうするって話だけど。止めれるもんなら止めてみろよ。」


 指を構え、そして鳴らす。瞬きの隙に高速で移動し、また無謀にも殴り掛かっていく──


 「なんつって、って言おうとしたけど、これも防がれるのかよ。」


 「……今のは、危なかったな。」


 指を鳴らしたヨミの姿は元の位置にあり、ローグとの間には水で作られた盾が出されている。ヨミが直線に近付いて来たのであれば、その盾を浴びて身体を刻まれていただろう。

 だが、そうはならない。指を鳴らしたのがダミーだったのか、違う。確かにヨミの魔法は発動していた。


 ローグは姿勢も変えずに、その場に悠々と立っていた。その背後には折れた剣と、それが突き刺さった魔法陣が浮かんでいた。


 「オート防御とか、また面倒くせぇもんを……!」


 「成程、転移でも身体強化でもない。聖魔法本来の──修繕。」


 「そ、考えたと思わねぇ? 剣の欠片と欠片がくっつく時の引っ張る力、それに俺が着いてってた訳だ。」


 ヨミが手を開く。何度も鳴らしていた指の内側には、剣の一欠片が握られていた。この欠片が本来の姿に戻ろうとする引力によって、ヨミは走るよりも速く移動していたのだ。


 「あんたの領域──そう言う事か。」


 ローグは水を持ち上げ、床に叩き付ける。剥がれた床板の下からは、何本もの折れた剣が入っていた。


 「これが無ければ、もうさっきの動きは出来ないんだろ? それとも、まだ何かあるのか。」


 床下や壁に水を張り巡らせ、既に折れた剣を粉々に砕いていく。この場所を囲う形に置かれた剣は幾十もあったが、どれもが水によって容易く破壊された。


 「どちらにせよ、俺は殺せない。」


 「でも、お前にも俺は倒せないぜ。死なねぇってのが専売特許なもんでな!」


 ローグが水を操り、何発にも渡って刃を放つ。それをヨミは手で払うが、次々に襲う刃に追い付かず切り傷が身体に増えていく。


 「いくら聖魔導師と言えど、いつまでも受けてられないだろ。」


 水が幾本もの弧を描き、ヨミの全身を狙って宙を進む。全方位から何連撃にも及んで相手を刻む、必殺の波だ。


 「──あんまやりたくなかったけど、しょうがねぇ。」


 だが、その技の前にしてヨミは薄く笑い、そして辺りに散った魔力を強引に引き寄せる。──光に囲まれたヨミは、忽然と姿を消した。そのまま流れる水は、誰もいない空間を裂いてローグの手に戻る。


 「消えた──どこに?」


 「ここだ、バーカ。」


 背後から声が聞こえ、咄嗟に身体を液化して逃げる。ひゅう、と脚で薙ぐ音が聞こえ、あと一瞬回避が遅れれば頭から蹴り飛ばされていただろう。

 再び姿を戻し声のする方を見やり、そしてその異様な光景にローグは息を呑んだ。


 そこにいた男は、左の上半身が無かったのだ。しかし肉体は再生しているらしく、身体はすぐに元通りになっていく。


 「この緊急脱出は諸刃なやつだったんだけど……これ、R-15な感じになってない?」


 「今、何を──」


 全身の三割近くを失った姿で、平然と話すヨミ。そこに痛みなどを感じた様子は無く、新しく生えた左腕の感触を確かめる様に拳を開閉する。


 「まさか、アンデッド、か? だとしても、いや、だとしたら、自分に聖魔法を掛けるなんて、有り得ない。」


 「だから、諸刃っつってんじゃん。それより、お前──一回溶けたな?」


 「──っ!?」


 ヨミが、指を鳴らす。その動作は何度も見てきたもので、魔法を発動する合図だ。そして、今この瞬間の指の弾く音が、これまでと比べ物にならないくらいの悪寒としてローグの背筋を伝う。

 魔法の、発動。何が起こるか解らない。ただ、逃げなければと、ローグは確信していた。しかし、逃げられない。既にローグは、ヨミの術中だ。


 

 ──ローグの体内から、鋼の刃が伸びる。



 「ぐ、ううううううう!」


 「なんだ、剣でもちゃんと効くんじゃねぇか。流石に内側までは対策してなかったみたいだな。」


 ローグが膝を付いて、口からポタポタと血を垂らす。胸元の切り口からも大量に滴っていた。


 「水を形を変えて身体にしてるっぽかったから、剣を粉々にして混ぜといた。そんなので出来た身体なんて、毒を飲んでるのと一緒だぜ。」


 「あ、くふ」


 「ここは俺の領域だ。死にやしねぇし、死なせねぇよ。」


 「が、は……っ」


 本来であれば致命傷にもなりうる一撃だが、意識も感覚もしっかりしている。死に至る程の傷を与えて尚、ヨミ領域は死を許さなかった。


 「痛そうなとこ悪いんだけど、俺の領域もそろそろ限界っぽいな。お前が来るまでずっと魔力練ってたんだけど、あんまり持たなかった。」


 ヨミの内から溢れ続けていた光の魔力が、段々と薄まっていく。微かに明るく輝いていた空間が、雲の陰に落ちて暗く淀む。


 「……外道が。」


 「──あ?」


 殆ど傷も塞がり、ローグは身体に刺さった剣を自らを液化する事で振り落とす。剣は留まる所を失い、水に流れて床に落ちた。水となった身体は新しく再構築され、傷も消えている。だが、その顔に先程までの余裕は失われ、そこには憎悪の感情が渦巻いていた。


 「痛みを、死を何だと思っている。」


 「お前が言っちゃう? 俺腕斬られた時超痛かったんだけど。」


 「解らないのか。気付けないのか。──命を、弄ぶのか!」


 いきなり叫んだと同時、ローグの両脇から雨で出来た人形が生まれる。二体現れたそれは、各々が二メートル近くある。


 ローグが抱いている感情は憎悪だけではない。どこか、怯えている。刃が貫いたと同時にローグの思考は強く揺さぶられ、取り憑かれた様に小さく震えている。


 ──『ありゃあ極端に傷付く事を恐れた臆病者だからよ。』


 ギニルが言っていた言葉がヨミの頭を過った。──『臆病者』、それが彼の本質なのだろうか。魔の雨を降らせ、無慈悲な水刃を抜いた男が何を恐れている。


 「痛い、痛い痛い痛い……」


 既に傷も無く、とうに痛みも引いている筈だ。それなのに、記憶の中の何かが締め付ける様にローグは痛みを訴える。ライク達を簡単に負かし、ヨミと今まで戦っていた人物とはまるで別人だ。恐怖に震え、身を縮め、ただ己を護る為だけに動く──それ故に、強い。


 「は、ぁ──!?」


 二体の雨人形は、ずんぐりとした体躯と裏腹に、超速の刃を放ってくる。ヨミの内には底の無い程の魔力があるが、それを放つ為の装填には人並み以上に時間が掛かる。体内の魔力を絶えず放出し続けたヨミの手には、放てるだけの魔力が巡っていない。

 すかさず、予備で持っていた剣を両手に『顕現』して防ぐ。がしかし、それで護れる範囲はたかが知れていて、水の一閃がヨミの右足に滑り断裂させる。


 「あ、あああああああっ!」


 立つ為の点を一つ失い、均衡を保てなくなったヨミの身体が床に倒れる。右の腿辺りから血が抜けていくのを感じ、本能が警鐘を鳴らしている。


 「痛い、痛いだろ。消えたいだろ。今刹那の痛みから逃れる為なら、命すらも投げ出してみっともなく喚きたいだろ。」


 「は──」


 「なのに! てめぇは! 生かしてやろうと!? ふざけるな!」


 「───ふ」


 痛い、ひたすらに痛い。痛くて痛くて、脚を根本から消してしまいたい。痛みを感じる『モノ』が無ければ、痛い思いはしなくて済む。──痛い。


 「痛い、な──」


 なんで、今までこの感覚を忘れていたのだろう。岩に腕を抉られたのも、大剣で骨を砕かれたのも、痛くなかった? そんな訳がない。痛い。確かに痛かった。なのに、どうして今、こんなにも身体が重くなるのだろう。


 「ああ、痛い。ほんとに、な。」


 傷は数刻で塞がり、痛みが引いていく。なのに何故、こうも痛いのだろう。


 「──嘘だ。」


 「が、」


 倒れ込むヨミの背に、雨人形の脚が伸し掛かる。水の身体はかなり重く、腹の奥から何かが口に逆流する感覚があった。


 「てめぇ、痛がってないだろ。痛いの、解らないだろ。」


 そんな訳無い。こんなにも痛いのだ。今まで感じた事も無いくらい痛いのだ。ローグの分まで痛みを感じているんじゃないだろうか。なんて錯覚を受けたと同時に、悪い想像が浮かんでいく。


 痛みを押し付けられた。相手は見境の無い外道だ。俺を殺そうとする。恐ろしい事を平気でする。今も俺を嘲笑っているんだ。まともな人格とは思えない。気でも狂っているんだ。怖い。痛い。目の前の男が。何をしてくるか解らない。怖い。どかさなければ。無くさなければ。消さなければ。殺さなければ。


 「それが、てめぇだ、外道。」


 「違う。」


 雨人形の足が渠を抉り、肋骨を幾つも砕いて潜り込む。痛い。痛い。


 「それがてめぇの本心で、てめぇ自身だ。」


 「違う、お前だ。それを考えてるのは、ローグだ。」


 痛い。終わらない。終わらせるには、一つしかない。


 「死ねよ。死ね。てめぇ、歪だ。生きてちゃ駄目だ。」


 「違う、違う。本心じゃない。お前の悪い想像だ。」


 殺せ、殺せ、生きるために。


 「死ね、ってんだよ!」


 「やだね。──俺は、死なない。」


 力の入らない手を、残りの力全てで握り締める。その手には、新しく『顕現』した剣の欠片だ。剣先が掌を刺し、拳から血を流す。


 痛い。怖い。殺せ。──悪い想像だ。ローグといると負の感情が流れ込むみたいで、自分もどんどん黒く染まっていく。

 だから、一筋の光に。ヨミの求める光に、後を託そう。


 「死ね、死ね、早く、早く!」


 「──死なねぇよ。悪いな。」


 魔力が、爆ぜる。痛みも、恐怖も捨て置いて、ただ不完全な領域を再び展開した。練度が足りない。数秒で解けてしまうだろう。だが、十分だ。それで、光は届く。



 「──許してくれ。僕は、君を斬らなきゃいけない。」



 「は───」


 低く登り始めた月を背に、彼方から『勇者』が舞い込む。左手にはヨミの握る剣の片割れ、右手には──


 「ぎいいいいいいいいい!」


 今代の勇者のみが持つ事を許される、世界に一本の宝剣。その斬撃が魔人の右肩を斬り落とし、続いて雨人形を撫で斬りにする。


 「『勇者』! クソ、なんで、なんで……!」


 「既にオブザーブには甚大な被害が出ている。それに──」


 「ひ」


 ローグが、尻を付いたまま後ろに下がる。外だ。外に出る。割られた窓から、逃げ──


 「なん、で……」


 「逃げ道は今、俺が閉じた。」


 「やめ、やめろやめろやめろ!」


 大きく張られたガラスの、今ライクが入ってきた筈の穴が塞がれている。ガラスを魔法でかち割ろうと水を動かすが、それすらも出来ない。こんなにも床が水浸しだというのに、水が言う事を聞かないのだ。──違う、感触が無い。水に溶け込めない。自分の身体の一部である筈の水が、別の物にすり変わっている。


 「……は」


 「──ユラに、辛い思いをさせた。僕も、彼女に謝らなくてはな。」


 「───ぅ」


 もう言葉も出ずに、喉の奥で空気を掻き集める音だけが細く鳴る。下顎が細かく震え、歯が鳴っていた。


 「ヨミ。悪いが、ローグはここで斬る。生かして捕らえる術が無い。」


 「……そうか。」


 目の焦点がずれ始め、一本になった腕も痙攣するばかりで碌に動こうとしない。放っておけば勝手に失神にまで陥りそうだ。


 「う、ぁ、」


 「済まない。」


 剣を、喉に突き刺す。身体を水に変えれば躱せたのだろうが、それをするだけの頭も無かったらしい。ゆっくりと刃を受け入れ、血を噴きながら意識を手放していく。手足がかくかくと震え、やがて血の気が引いていった。


 「終わった、か。」


 「ああ。急いでラーズ卿の所へ行って、加勢しよう。」


 剣を喉から引き抜き、ラーズに背を向けて歩き出す。ライクに切り替えの早さに少し驚いたが、まだこの都市には脅威が残っているのだ。


 「あの……ヨミ様。勝った、んでしょうか?」


 ふと、柱の陰から人が現れる。昼間に話していた受付の女性だ。


 「多分、大丈夫ですよ。前評判からしたら呆気無い感じはするけど、流石に息も止まってますし。」


 「そう、ですか。良かった。」


 ほっ、と安心した顔で胸を撫で下ろす。激しい戦闘の最中、ずっと近くにいて"戦って"いたのだからその恐怖心は計り知れない。


 「ローグの水を、少しずつ入れ換える。完璧でしたね。結局、最期の最期まで気付いてなかったみたいだし。」


 「それは──ヨミ様が、莫大な魔力で魔人の感覚を眩ませたからです。そうじゃなかったら、きっとすぐに見付かっていました。」


 「ああ、今回の策は驚く事ばかりだった。底無しの魔力を持つ、ヨミにしか出来ない技だ。」


 ヨミが聖魔力を辺りに満たしたのは、結局はローグが張った雨の術式と同じ用途だ。己の攻撃を有利にし、相手の動きを不利にし、更に知覚出来る範囲を狭める。それがヨミの編み出した領域だった。編み出したと言えど、実際はただ魔力を見境無く溢れされただけなのだが。


 「まずはユラと合流だな。そんで残党の無力化が出来りゃ──」


 「───」


 次の行動に移ろうとライクに声を掛ける。だが、ライクはヨミの方を見向きもせずにローグの死体を見つめていた。


 「おい、ライク? どうした。」


 「備えろ。」


 「え──」


 何かと思い聞き返そうとしたが、ライクがこう言う時は大抵何らかの気配を感じ取ったのだ。新手が向かっているのかと、臨戦態勢に移ろうとした。



 しかし次の瞬間に起きたのは、壁を床を天井を砕き荒れ狂う濁流だった。



 「病院に、人は!」


 「患者様は全員避難しています! スタッフは……」


 「ああ、クソ、間に合わねぇ!」


 「退くぞ!」


 崩れていく床板の上から、飛び出す様にして病院の外に出る。二階からの落下だった為に、かなりの衝撃が脚に響いた。


 「脚、大丈夫か!」


 ヨミが急いで駆け寄り、二人の身体を回復する。


 「助かる。……しかし、これは──」


 ライクが二階だった場所を見つめ、それに釣られてヨミも顔を向ける。


 「おいおいおい、どうなってんだよ。」


 雨が、止んでいる。それどころか雲も、風すらもが動きを止めていた。しかしその水が消えているのではない。魔法自体ではなく、術式のみが停止したのだ。

 そして、指向性を一度失った水は、一点に集中しようと動き出す。


 雨人形、つい先刻にローグとの戦いで見た、自立する水の塊。視界に映った物の印象はそれに近い。だが、今までのものとは決定的に違う。


 「オブザーブ中に降った雨が──」


 「集まってやがる──!」


 龍護都市オブザーブ、その中心地にてその姿が現れる。何十メートルにもなる雨人形が、病院を踏み蹴散らして立ち上がった。


 「あいつ、生きてやがったか!?」


 「いや、あれは──精霊か。」


 「精霊……?」


 「おかしいとは思っていたんだ。僕の目には魔人に映っていたが、その力に比べて気配が弱すぎる。どうやらあの姿はただの『器』だったらしい。」


 「ってーと、精霊は人間の身体を借りて活動出来るよ的な事か。そんで、身体がやられちまったから──」


 「精霊の姿で『顕現』して、荒れ狂っているんだろう。──これは厄介だ。」


 話している間にも、ローグは雨を吸いとって肥大化していく。身長はこの都市のどの建物をも超越し、今やどこにいてもローグの存在が目視出来るだろう。


 「お姉さんは、逃げてて。俺達でどうにかしてみる。」


 「ですが……っ!」


 「ヨミの言う通り、ここは危険です。なるべく遠くへ、避難するべきだ。」


 「──、解りました。負けないで、下さいね。」


 「ええ、勿論。」


 女性は後ろへ振り返り、ローグからひたすら遠くへと駈けていった。その姿が見えなくなったのを確認して、再びヨミとライクは巨大な雨人形へと目を向ける。


 「ま、あの人をここに居させたのは俺なんだけどな。危ない目に合わせちゃったし、後で菓子折でも持ってこう。」


 「自信満々だな。良い策でもあるのか?」


 「ねぇよ、そんなもん。ライクこそ、なんかねぇのか?」


 「期待されている所悪いが、僕はあまり役立てそうもない。精霊は魔物に類しないし、肉体が無ければ剣も無意味だ。」


 「はぁ……頼みの綱は一人、か。」


 冷静でいてこそ厄介な相手だったが、これはこれで手が付けられない。ヨミの新技も、攻撃手段は結局剣による斬撃だ。完全な液状となったローグに通用するとは思えない。

 だから、今戦えるとしたら、たった一人だ。


 「勇者様、大丈夫ですか!?」


 「ユラ、来てくれたか。──ああ、平気だ。」


 「良かった……」


 杖を両手で突いて、僅かに俯きながら言う。


 「なんですか、あれ。あんなサイズの精霊なんて始めて見ました。」


 「あんなもの、そう生まれるものでもない。──どうしようか。」


 身体を大きくさせていくローグは、雨を啜るばかりで攻撃の姿勢を見せない。しかし集まっていく雨粒は人や物を避けようとせず、むしろ被害が広がっていた。


 「魔法でどうにか出来ないのか? 炎で全部蒸発させるとか。」


 「無茶苦茶言ってくれるじゃないですか。一応、効くかだけやってみますか?」


 杖を構え、嵌め込まれた魔石に魔力を溜める。薄っすらと紅く光を帯び、杖の先が熱を上げて燻っていた。


 「──『ほむ」


 ユラの詠唱が、途切れる。言い切るよりも、発動するよりも早く、その魔法は中断された。ユラが詠唱を止めたのではない。ただ、それを封じられただけだ。


 「──ユラ?」


 長身の杖と、腕が見えた。しかしその杖は、見慣れた物よりも少し短くなった気がした。


 「おい──」


 真っ赤な水と、透明な水が見えた。水が辺りを流れ、噴き出る赤が起きた出来事を駆り立てる。


 「───」


 ユラは詠唱を止めたまま何も言わず、ただ後ろへと倒れていく。一瞬、一刹那の内に、それは起こっていた。


 「──っ!」


 水が流れ、ユラの左脚を浅く斬り付け、肩から腹へと一閃し、腕を根から斬り落として消えていく。その瞬間は目にも見えず、結果だけがその場に倒れ込んでいた。


 「まだ、生きてる! 魔法で──」


 ヨミが手を伸ばし、魔力を集中させる。光が生まれ、癒やしの力がユラの傷へと流れていく。


 ──それよりも早く、ヨミの伸ばした掌に水が一滴、甲から平へと貫いた。


 「ぐ──!」


 それでも、手を伸ばし続ける。意識を手に集中して、魔法を──


 「──出ない?」


 仰向けに倒れるユラに、魔力を向けて放とうとする。しかしそれは、魔法として『顕現』するよりも前に消散した。


 魔法の無効化。恐れていたそれが、今、猛威を振るう。


 失血、血が流れ続ければ当然、死に至る。打ち上げられた魚の様に微かな呼吸だけを残して、刻一刻とその時は近付いていた。




 『精霊』ローグが、吼える。

 水と命の物語、18話です。

 (折れた)剣の(元に戻ろうとする力に引っ張られて)舞(っぽく動き回りながら攻撃)をするヨミさん、つよい。事実今回出た技はどれもラノベよろしく反則技ばかりなので、今後も使われていくかと思われます。メインアタッカー:ヨミさん(回復役)

 精霊は簡単に言えば『意思を得た魔力の塊』みたいな感じだと思います。思います、なんてぼかして言うのも、実は今話書いてる途中でポッと出た種族なので。今後の設定がどうなるかも謎。悪しからず。


 それでは皆さん、おやすみなさい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ