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魔法世界の回復役  作者: Se(セレン)
1章 勇者と魔法使い
17/20

1-17 波濤

 ──勝てない。


 一合、魔法を撃ち合った時、そう感じた。それだけ、相手の力が圧倒的だったのだ。

 特段、相手の魔法が強かったのではない。傲る訳ではないが、単純な魔力のぶつけ合いであれば、容易に勝てるだろうと確信していた。


 だが、その相手には勝てるビジョンが見えなかった。



 『負ける』よりも、『勝てない』のだ。



 自分には、数多の術式を目にしてきた自負がある。その上で、式を組まずに純粋な魔力の暴力が自分に合っていると気付いたのだが。

 その目で見て、この男には指一本触れられないだろうな、と思ったのだ。


 最初、目の前に相対した時、何の変哲も無い剣士だと錯覚した。どこにでもいる様な男が、どこにでもある様な剣を持って、自分の組んだ魔法陣を一撃で割った。その時点で、異常性に勘付いているべきだったのだろう。

 放った魔法は容易く弾かれ、剣で挑もうにもその男には魔法にも劣らぬ技量があった。


 たったの一合、一瞬の攻防の中──ほんの微かに、魔力の流れを感じ取る。


 目では見えなかった。だが、肌が、本能が見ていたのだ。



 男を取り巻く、夥しい数の術式だった。



 勝てない。この男に勝つには、こんなものを掻い潜らなければならないのか。それをするには、圧倒的な力量が必要だった。そもそも、放った魔法が消滅させられるのだ。それをどうにかしない事には、自分に勝ち目など無い。


 それでも、男の力の一端に触れたとしても、追うという選択に迷わなかったのだから、やはり自分の信じた人だな、と思う。



 まるでこちらを気にしない様子の男に、幾度と攻撃を仕掛けた。どれも手加減をしたつもりなど無いが、一つたりとも男には届かない。それどころかこちらを見もせずに正確に反撃をしてくるのだ。


 攻撃が届かないながらも必死で喰らいつき、見失わない様に速度を上げる。最大まで火力を上げ、男の横まで並び立とうとしていた。そこまで、ほんの数十秒もあるか無いかだ。しかし既に目的地であるオブザーブの中心までは、三分の一も切っていただろう。


 完全に、周りが見えていなかった。


 散々反撃を受けてきながら、ここに来てその注意が一瞬薄れたのだ。あと一歩、手を伸ばせば捕らえられるのでは、そう思った矢先だった。


 雷。気付いた時には全身の神経が一緒くたに焼けた後だった。


 着ているローブや帽子には、魔法を通しにくくする特別な術式が編み込まれている。不器用な自分と違い、小器用な母が作った品だ。

 それでも、落雷に耐えうる様な耐久を持つ訳ではない。致命傷にこそならないが、それで動きはすっかり止められてしまっていた。そして自分が落とされると言う事は、そのまま彼も機動力を失う事になる。


 まともに動かない舌を使って、彼に呼び掛ける。それが届いたか届かなかったか、それを確かめる術は無い。ただ、自分の魔力を使って飛ぶ彼は、その瞬間から空中に投げ出される事は必然だった。

 二撃目、落ちる雷鳴が彼を直撃する。魔物の攻撃には多少の抵抗がある。だがそれも威力を殺すには到底足りない力だ。


 撃墜された身体は未だ、言う事を聞く気配は無いらしい。手足が痺れ、杖を握る事すらままならない。動かなくては、そう必死に地面を掻くが、脱力した身体は果てしなく重く這って進む事も出来なかった。

 動けなくとも、動くしかない。そして、それをするだけの技を持っていた。


 手足に、術式を括り付ける。最も得意とする、火の単純な術式だ。


 発火、四肢が焼ける。それでも推進力には程遠い。魔力を籠める。籠め続ける。前に、一歩でも前進する。


 死にさえしなければ、どうとでも助かる。少なくともこの一瞬は、自らの痛みなどは考えもしていなかっただろう。自分の感覚も麻痺したものだな、と静かに嘲笑していた。最初、あの少年に会った時には、なんて歪な生き物だろうかと思ったが、これでは他人の事が言えないではないか。


 力の抜け、だらりと下がる両腕が、火を吹きながら前へと進む。全ては彼を、人生を変えてくれた彼を護る為。


 ──その横腹を、男の右脚が打突する。


 禄に中身の入っていない胃やら肺やらが、空気を抜く様に喉の奥まで逆流する。抵抗も、受け身も出来ないまま、身体は近くの建物に衝突した。背中から鋭い痛みが走るが、そんな感覚は瞬間に消失する。止まっている暇など、ある筈がないのだ。


 魔の手は既に、次の標的へと向いている。恐らく男は、殺すまではしないだろう。だが、必ず抵抗力が無くなるまでは痛めつける。それで原動力としては十分だった。


 視界はもう真っ赤に染まり、光と闇をチカチカと繰り返していた。それでも敵の場所は見えるし、彼の事など見紛う筈もない。

 再び、魔力を爆発させる。生半可な火力では足りない。今に出せる全力を賭けて、相対する二人の間に割り込む。


 身体は火傷だらけで、頭も回らないし目も耳も鼻もまるで機能していない。廃人に近い姿で飛ぶ自分を見て、どう思われただろうか。火達磨みたいな姿になって、何を思ってくれるだろうか。切れかけの意識の中、そんな事ばかりを考えていた。


 立つ。ちょっと気を抜けば崩れて落ちそうな脚で、『顕現』した杖を突きながら、平行も垂直も解らないその世界で、男の前に立ち開かっていた。


 後ろには護るべき人がいて、前には倒すべき人がいる。それでもう、理由とするには十分な気がした。左手で杖を突いたまま、右手をゆっくりと胸に当てる。そうして、自分の鼓動を確かめて──



 着ているローブの、胸元より少し上にあるリボンに手を掛けた。



 それは所謂『蝶々結び』というもので、その結ばれた中心に金色の金具が留められている。

 ぱき、と音を立てて金具が落ちる。全貌を露にした真っ赤なリボンの下に出ている部分を摘み、ゆっくりと引っ張っていく。するすると、何の抵抗もなく解けていくリボンの紐が結び目を超え、支えを失ったローブが静かに地に落ちた。


 後ろから、声がした。

 言葉を聞き取れた訳ではない。ただ、その声が聞こえたのが物凄く嬉しかった。

 何度も、何度も呼び掛けられる。空になりかけていた心に、熱いモノが注がれて一杯になっていく。その声を聞けば聞く程、力が湧いてくる。


 きっと、心配してくれているんだろうな。身体を気遣ってくれているんだろうな。と、言葉は届かないけれど、気持ちが直接伝わってくる気がして、嬉しくて、心が苦しくなってくる。

 こんなにも大事にされているのに、何も返せない、何もしてあげられない自分が心底憎かった。争いが無くて、平和な世だったらと幾度も思う。身一つでたったの一撃を防ぐしか出来ない、どうしても弱い人間だ。身を呈すくらいさせて欲しいと、切に願う。


 杖の先に、火が灯る。嵌め込まれた魔石に照る炎の影が映り、眩しく輝いていた。

 小さな、踵で踏めば消えてしまいそうなか細い火だった。詠唱は無い。子供の遊戯にも近い、極小の炎。



 それは、青い炎だった。



 空より深く、その炎は燃えていた。一度、目を離してしまえば見失うのではないかと言う程の小さな炎が、青い空にも合わさって余計に存在を隠していく。

 それでも目が離せないのは、そこから生じる強大な気配からだろうか。傷だらけの少女と、微かに灯った炎一つで、龍を前にする様な圧迫感を与えていた。


 震える脚と、異常な位に激しい脈拍を感じながら、その意識は高揚していた。脚は震え、息は切れぎれで腕は上がらない。焦点は定まらないし、耳はやけに甲高い音が鳴り響いている。その中に一つ、微かな声を聞きつける。口角が持ち上がる。頬が赤らむ。胸の鼓動が高まっていく。


 ここまで、魔力を解放したのは久しぶりだった。普段から自制を常としていた力を、一段階。魔力の過剰摂取は中毒を起こすと聞いた事がある。小さな頃、母親の語った言葉だった。魔力は身体を巡る血潮だから、とても危ないものだから。

 それと同じ様に、あんまり一気に魔力を燃焼させるのも危ない、と言われた。自分は魔力ばっかり強くなって、それに耐える身体があまりに弱い。そう聞かされていたから、ずっと閉ざしていたのだ。


 身体が芯から浮わ立つ感覚と燃え盛る様に上がる体温に、魔的な快楽を孕んで包まれる。痛みよりも、苦しみよりも、その瞬間はただ愉悦に身を委ねていた。



 焔。幼い頃から頼ってきた、最も得意とする魔法。


 火属性魔法の礎たる魔法であり、殆どの人間が扱える最下級の術式。


 それは、術式の構成を重要とする往来の魔法の中で、何よりも『数字の大きさ』が物を言う。


 故に、この炎は無上の域に達するのだ。



 空気の、弾ける音が鳴る。


 辺りが、青の煉獄に包まれる。目の奥が異様に熱い。鼻の奥、喉の奥、肺の奥、じわりと熱が広がっていく。

 血が煮えている。全身にマグマが通っているかの様に身体が熱い。それなのに、気分が良い。


 一体どれだけの時間、魔力を解放していただろうか。ほんの刹那にも感じるし、無限の刻にも感じる。ただ、この瞬間を永遠に感じていたい程に、その炎の中は心地良かった。


 気分の高揚と共に、魔力も高まっていく。それに応じて、炎も最高潮に達しようとしていた。


 放つ。男を、塵も残らない程に灼き尽くす。その為だけに練り上げられた魔力が、空気を焦がしながら無作為に飛び交い──




 瞬く間に、炎は消滅していた。




 は、と声が出た。何が起きたのか、何をされたのか、脳髄を捻る余地すら無い。ただ唖然と、炎の消えた空間で、杖を突いて立ち尽くしていた。


 あまりに、意識を手放し過ぎた。本能にされるがままにし過ぎた。無意識下、感情に任せた魔法は、あまりに脆すぎた。


 不意に、膝ががくりと落ちる。とうに立つ力など失っていたと思っていたが、どうやら僅かな余力までも使い切ったらしい。杖を握ってなんとか持ちこたえようとするが、その握力すらもままならない。取り落しそうになる杖を指の引っ掛かりだけで支えるが、それも今にも滑り落ちそうだった。


 正体不明の魔法の打ち消し。単純な威力の相殺、ではないらしい。それをするには、相手の魔力では不十分な筈だ。それよりももっと確実で、絶対的な魔法の抹消。魔術の大小を問わない、受けに於いて究極たる姿だった。



 もし、今自分が敵視している相手が殺意を、こちらにも同等のものを向けていたとしたら、この戦局は造作も無く終わっていただろう。手札の全てを使い切り動けない側と、手札の全てを持ちながら悠然と立つ側では、その勝敗は明らかだ。

 だが、男は動けないこちらに身向きもせずに歩き出していた。戦いを放棄したのではない。始めから戦っているというつもりなど無かったかの様にその場を立ち去ろうとしていたのだ。


 悔しかった。死力を尽くして尚、その気も留められない事が、屈辱だった。声一つも掠れて消えていく醜態で、立つ事も出来ない程ガタガタで、生かされているのが堪らなかった。

 何か、何かしてやりたいと、思った。何か、一つでも、届かせたいと。殺せなくても良い。少しでも、その顔を歪めてやれたら、それで良い。痛みを見せてやる。後悔を味わわせてやる。──そう、思った。


 「───ぅ」


 詠唱、する。虫の潰れたみたいな声で、自分の耳にすら遠く届かないくらいの詠唱を。

 ごぽ、と音を立てて、体内を巡っていたモノが逆流してくる。口に溜まり、滝の様に溢れ出す。自らの水に溺れそうな最中でも、舌が殆ど動かなくても、詠唱する。それは、言葉とは程遠い何かだった。呻きにすらも聞こえない、肺と心臓の脈動にも掻き消される詠唱。


 「───や、ぇ」


 それでも、世界は、神は、その声を聞き届けてくれるらしい。体内で沸々と再び煮える感覚。全身の魔力の活性。

 杖に、火が灯る。ちりちり、ちりちりと、弱々しく火の粉を散らすそれは、まるで自分を映している様だった。


 「──やめ、ろ」


 こんなものでは、並の人間一人も焼き殺せない。でも、それで良い。袖の端でも焦がせれば、それで。


 「──もう、ぃ」


 火の粉の一つでも、相手に届かせる。


 「──やめて、くれ」


 一矢だ。一矢を、報いる。


 「──いい、いいんだ」


 気にも留めてこない相手に、


 「──このままでは、しんでしまう」


 見せてやる。


 「──しぬな、しなないでくれ」


 焔。




 「───ユラ」




 「───ユラ、頼むから」




 「───ユラ、生きて、くれ」




 魔力が、抜け落ちる。心臓から指先まで、一瞬熱が通い、そして静かに冷えていく。


 まるで感じていなかった痛みが、その瞬間に全身を襲っていた。肺が痛い、腕が痛い、脚が痛い、頭が痛い、喉が痛い、目が痛い、耳が痛い、背中が痛い、指が痛い、心が、痛い。


 思い出したかの様に激しく脈打つ心臓が、鼓動と共に血を吐き出させる。咳込み、嘔吐き、咽ぶ。肺が激しく空気を求めている。



 何故、彼の前で、激情に駆られてしまったのか。


 何故、彼の前で、屈辱に動いてしまったのか。


 何故、彼の前で、彼を護ろうとしなかったのか。


 何故、彼の前で、彼を忘れてしまったのか。



 自分の、存在意義が解らない。彼を護る為に存在している筈なのに、そんな事は出来もしない。挙句、一つ枷を外しても相手に傷の一つも負わせられなかった。


 自分には、後ろにいるたったの一人を護る事も、傷を癒やす事も出来ない。あの少年なら、簡単にどんな傷でも治してしまうのだろう。今はその力が、羨ましかった。


 あの少年がいれば、もっと上手くやれたのだろうか。不器用な自分とは、違う結末があったのだろうか。



 その少年が来るまでのほんの時間、一度も彼に振り向く事は出来なかった。




 ──雨が、降ってきた。






 ─────






 氷に包まれた部屋、正確には元部屋、と言った所だろうか。ヨミ達が先程まで話していた筈の『鋼の龍』本部に置かれた幾つかの部屋の一つ、その成れの果てだった。


 「これが、あいつの魔法──」


 やけに見晴らしの良くなった壁の向こうで、水の塊が意志を持ったかの様に立ち上がっている。それはまるで、新たに生を受けた命だった。


 「アレ、無限に動くとかじゃねぇだろうな?」


 「凍らせれば、少しは止まります。でも、斬っても焼いても多分──」


 斬る場合は別として、炎が通用しない事は己の目で確認済みだ。そのせいで腕を裂かれたのだから。


 「水には電気ってセオリーだが……今は逆に危なそうだな。ライクの剣でも効かねぇのか?」


 「試してみよう。液体を相手にするのは初めてだが……」


 腰に携えた剣を抜き放ち、その雨に向かって剣先を構える。それに勘付いたかの様に、雨で出来た人形もこちらに身体を向ける。


 「生きた者を相手にするより、幾らか気は楽だ。」


 走り、その速度に乗せたまま剣が雨人形の脇腹に滑り込む。文字通り水を割る斬撃で、ゼリーを切ったかの様な断面が見えた。


 「斬った──けど、ダメか!」


 真っ二つに割れた雨人形。その上半分は単なる水と化して地に零れたが、地面から生えて蠢く下半分は弾けずに新しい身体を形作り始めていた。


 「だが、一瞬は動きが止まる。完全な無駄、と言う訳ではないらしいな。」


 「にしたってキリがねぇ。さっさと本体を潰さねぇと。」


 何度斬っても、凄まじい勢いで降る雨は無尽蔵だ。術者を止めなければ無限の兵と戦うに等しい。


 「こんだけの魔法、遠隔でやってるとは思いたくないんだが、近くにはいねぇのか?」


 「……悪いが、彼の居場所は僕には解らない。」


 「そんな遠いのか? お前のレーダーって結構範囲広かっただろ。」


 「違う。──この雨全てが、魔物だ。数が多すぎて、上手く気配が感じ取れないんだ。」


 「───なんて?」


 「彼の気配が、都市中にある。どこにいるかは探すしかなさそうだ。」


 「……ダメ元で、ユラは?」


 「魔力も、あちこちに充満してます。術式を辿るのもあたしには出来ません。」


 ローグという存在そのものが、オブザーブ中に広がっている。聞くだに嫌になる言葉だが、それがローグの策、と言う訳だろう。自分の場所を悟られず、一方的に都市全体を落とし込む。


 「本気で最悪だな……」


 攻撃する対象が見当たらない以上、手も足も出し様がない。だと言うのに、相手の刃は既に足元にばら撒かれているのだ。雨中にある空間全てに注意を向けるなど不可能だ。文字通り、雨を避ける、などという馬鹿げた事をしろとでも言うのだろうか。

 降り続ける雨はシャワーの様で、ヨミはまだしも生身の二人では身体が冷えてしまう。身体が冷える、と簡単に言えど、体温の働きには侮れない部分がある。ユラの場合は魔法もあるだろうが、ライクを雨晒しにするのは危険だ。

 雨が滲み込み、制服のブレザーからワイシャツを通り過ぎて地肌に冷たい雨が当たる。雨でしっとりとした衣服が肌に引っ付き、動きにくい上に気持ちが悪い。そんな不快感に顔を顰めて──引っ掛かりを覚えた。


 見逃してはいけない、何か───



 「──ライク! マントを脱げ、早く!!」



 咄嗟に、声を張り上げる。ヨミの必死の形相からか、ライクは何も聞かずに羽織っていたマントを外し、放り上げた。



 ──雨で出来た滲みが一気に広がり、無数の刃が生じると共にマントが八つ裂きになる。



 「ユラ、傘だ! 氷か何か、雨を通さないやつ!」


 「──っ! 『霰』!」


 ユラの詠唱と同時、頭上に巨大な円盤が顕現する。薄っすらと半透明な氷で出来たそれは、雨を弾き返して浮いていた。


 「ライク、無事か!」


 「ああ、助かった!」


 「でもまだ全員ビシャビシャだ! 乾かして!」


 「……やりますから、ちょっと待って下さい。」


 向かい合う三人の中心に大きな火が灯る。その周りを回って風が吹き始め、ドライヤーに近い熱風が氷の円盤の下で渦を巻いた。


 「冗談じゃなさ過ぎる……初見殺しなんてもんじゃねぇぞ。」


 「事実、ヨミが気付いてくれなければ僕は死んでいた。本当に油断出来ない状況だ。」


 地面に雨が滲みれば毒の沼、服に滲みれば呪いの鎧、一滴でも飲めば身体を蝕む傷となる。そしてその発動のタイミングを全て敵が握っている。状況は、絶望的だ。


 「で、一方的に相手が即死技撃ってきてこっちは敵の姿も見えないってか。笑えてくんな。」


 「笑う場合では無いと思うが……状況は悪い。せめて見当でも付けば良いんだが。」


 「──さっきの、セオリーの話の続きだ。こういう時って相手は高い所からこっちを見てるもんだぜ。」


 「こっちを、見てる?」


 「その方が遠隔でも狙いやすいからな。あとは苦しむ所を見たがる愉快犯。あいつの場合は死体を確認するまでが仕事ってタイプか──とにかく、メインのターゲットは見届けちまうもんなんだよ。」


 「メインターゲットと言うと──」


 「俺だ。多分今、見られてる。」


 それは只の勘で、確かな根拠は全く無い。だが、ローグはきっとこちらを見ている。確実に己の目で相手の死を確認するまでは、絶対に容赦をしない。──様な気がした。


 「高い所ってのは見晴らしもあるし、地の利って考え方もある。ここいらには高い建物も多いが、ここは十割リアルな異世界ファンタジーだ。俺が隠れるとしたら、あそこ一択だね。」


 上を見上げる。すぐ真上には氷の円盤が浮いており、その先は光の屈折で歪んで見える。歪んだ世界の、更に上──


 「空、か。」


 「予想だけど、な。」


 雨雲の浮かぶ、無限の庭。本来隠れ場の一つも無い場所に、今は闇と波濤が覆っている。空は今、ローグの領域だ。


 「なら、僕達も飛んで探すのか? 危険だが、他に当ても無い。今はこれしかできないが──」


 「いんや、それはやらない。なんか雷鳴ってるし。」


 雷は高い所に落ちやすい、と聞いた事がある。ライクの剣も鉄製だろうし、そもそもあの雷はローグが自在に落とせるものだ。実際に見てはいないが、ライクの話を聞くにかなりの精度で放たれる。空を飛んで真っ直ぐ行こうものなら一瞬で撃ち落とされて終わりだろう。


 「飛んでる敵と戦う時のセオリーだ。──落としてから戦う。」


 だから、こちらがローグを落としてやる。こちらの領域で戦うのだ。


 「落とす──居場所も解らないのに、どうやって。」


 「何も撃ち落とそうってんじゃねぇよ。ただローグが降りてきてくれりゃ良いんだ。」


 ローグとの戦いで必須になる条件は、雨の降らない場所への誘導だ。雨晒しの中の戦闘など、命が幾らあっても足りないだろう。


 「言ったろ? 俺は見られてる。そんで無視出来ない標的な訳だ。俺が見えない所で雨宿りでもしてりゃ、あいつは探さざるを得なくなる。ノコノコ手ぶらで来てくれりゃあ最高だけど、最悪建物ごとぶった斬られる。どうよ?」


 「どう、か。聞く以上は勝機があるんだろう? どちらにせよ、ここにいては危険だ。雨宿りさせてもらえる場所を探そう。」


 「なんか、戦いの最中って台詞じゃねぇな。命を賭けた雨宿りだ、余計に笑えるな。」


 「行こうか。行先の見当はあるのか?」


 「ま、一応な。急ごうぜ。」


 『雨宿り』の出来る場所を目指して、ヨミが一歩、前に出る。それに続いてライク達も目的地へと歩き出し、その足がぱたと止まった。

 その原因は、上の円盤。つまりは氷の傘の範囲外に出てしまう為だ。


 「──ユラ?」


 「あ──すいません。考え事してました。」


 「大丈夫か? 魔力まだ戻ってなかったり──」


 「いえ、あなたが近くにいるだけでその辺は心配は全く要りません。」


 「そっか──あれ? 相手の魔力も回復しない?」


 「そうですね。持久戦はほぼ無駄だと考えて良いです。」


 「回復長けててじり貧不可とか、何?」


 さらりと絶望的な事実を知る。実の所は薄々気付いていたのだが、相手をじわじわ弱らせていく戦法は出来ないらしい。ヨミの体質からゲームで言う所の蘇生ループに近い事も可能だと考えていたが、その場合どちらもループに嵌った泥仕合になりかねない。


 「……行きましょう。こんな土砂降りは御免ですしね。」


 ユラが歩き始めると、氷の円盤もその歩幅に合わせる様に音も立てずに動き出す。歩く速度を段々と上げ、走り出してもしっかりと雨を弾いてくれる。しかし、それを顕現しているユラの表情はあまり優れていなかった。

 それが片時の憂いであったなら良いが、その顔は一向に晴れる気配が無い。そのまま暫く都市の中を駆け抜けていたが、ヨミにはどうしても気にかかってしまっていた。


 「なぁ、ユラ。俺の思い違いなら悪いんだけどよ。」


 その表情が何によるものか、ヨミにも想像くらいは付く。ローグが雨を降らして消えていった後、ライクとユラを見付けた時の状況は酷いものだった。それで治療を終えてすぐ、ユラは逃げる様にその場を去った。その瞬間の激情が何であったかは、ヨミには理解し切れない。

 だから、想像を付けて、言葉を選ぶ。


 「ライクも俺も、ユラがいなきゃとっくに死んでただろうな。」


 「──何を、いきなり。」


 「ま、俺は実際死んでっけどよ。でも、ライクは生きてるだろ? ユラのお陰で、だ。」


 「───」


 「俺が言いたいのはそんだけ、どう取るかは自由だよ。さ、目的地が見えてきたぜ。」


 ユラの顔は、未だ暗いままだ。だが、それをヨミが晴らす事は無い。出来るとしたら、それはユラ自身のみなのだろう。


 「ユラ──」


 足を進めながら、ライクは振り返りユラの顔を見る。普段なら嬉々とするのだろうが、今のユラはふいとうつ向くしか出来なかった。


 「複雑な乙女心があるんだろうけど、今はそんな場合じゃねぇ。準備もしたい事だし、ユラのご傷心はローグをとっちめた後でライクに頭でも撫でて貰え。な、勇者様。」


 「僕は別に構わないが……」


 「お前が構わない事をユラが構うかよ。ユラが戦ってる最中もこの調子でいようってんなら俺が今撫でるぞ。脳髄に聖魔法ぶち込んでやる。」


 「そんなの、お断りします。何で、あなたなんかに──」


 「そんじゃあやってやろうや。俺の手かライクの手か、選ぶまでもねぇだろ? そのちょぴっと出てきた威勢、上手く使えよ。」


 ヨミにそう言われて初めて、ユラは自分の拳や口調に力が入っている事に気付いた。それでようやく、自分がどれだけ放心していたか解ったのだ。

 乾き掛けている口や、力の上手く入れ難い指先。碌に動かしていなかったのがはっきりと伝わってきた。


 「肩の力抜いて、そんでもっかい入れろ。ユラはその方が強そうだ。」


 「そう、ですか。」


 ユラの顔は未だに下向きがちで、ヨミの言葉がユラにとってどんなものだったのかも量れない。ひょっとすると、ユラの気を削いだ可能性すらある。だが、言った言葉を後悔するつもりは無い。


 「ついのさっきに比べたら、幾らかマシな顔になったしな。」


 そう口の中だけで自分に言い聞かせ、飲み込む。

 自分の言葉が相手にどう取られるか、なんて想像はどれだけしても無意味だ。どれだけ気取って話しても、どれだけ誠実に話しても、相手にとって最適な答えが出来る訳ではない。それを知っているから、身勝手に言葉を押し付けて、その結果から目を背けていた。

 ヨミの言葉が、ユラにとってどんなものだったのか。ユラにしか解らないそれは、決して悪いものではないのだろうと、そう思う事にしたのだった。


 そう考えている内に、遠目に見えていた目的地が眼前に近付いていた。その全貌を上から下まで一瞥し、そこに損傷が無い事を確認する。


 「着いた、入るぞ!」


 「ここは──病院?」


 そこは、数時間前にヨミが訪れた病院だった。


 「ここが俺の領域だ。──降りてこいよ、雨男。」

 波紋広がる物語、17話です。

 ユラさん、無茶します。もうちょいで軽く死ねました。健気な乙女の恋心故です。作者的にはね。うん。

 元々ツッコミ要員みたいな感じだった気がするユラさんですが、だんだんヨミさんに言ってた事がブーメランになってきましたね。背中にぶっ刺さりまくる自分の言葉、痛そう。


 それでは皆さん、おやすみなさい。

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