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魔法世界の回復役  作者: Se(セレン)
1章 勇者と魔法使い
16/20

1-16 雨模様

 重く、伸し掛かる空気が広がっている。


 それは解り易く言うのならば、『敗北』の二字で示す事が出来た。


 そのまざまざとした結果を直接肌で感じた人間は、特に───


 「──ライク? 大丈夫かよ。」


 「……ああ、ヨミの魔法は凄いな。あっと言う間に治ってしまった。」


 「いや、そりゃあ良いんだけど……」


 何とかしてこの空気を脱しようと、ちらと隣に座る男の顔を覗う。その表情はやはり暗いままだった。


 「あいつ──ローグっての、そんなにヤバい奴だったのか?」


 ふと軽く、そんな疑問を呈してみる。その名前が部屋に響いた瞬間に、蔓延していた空気が余計に苦しいものに変わっていた。


 「あれは──恐らくですが、水の属性を強く持っている様でした。」


 そこに口を開いたのは、この場で最も責任を感じていたラーズだ。

 己の都市を護れず、勇者達の役にも立てなかったと彼の中では大きく恥じているらしい。


 「水──ってーと、あの雨とかか。」


 「雨を自らの意思で降らせる、と言うのはそう簡単ではありません。雨雲を生み出す事も、風雨を起こす事も、様々な属性の編まれた術式を何重にも重ねて出来る物です。──彼は、その規模、加えて速度が並を外れていました。」


 圧倒的な水属性を柱に、それを別の魔法と掛け合わせて強力な魔術を創り出す。それこそがローグの恐るべき部分らしい。


 「この私も──足止めの術式に捉われる内に、動く事すらままならずに、全ては終わった後でした。」


 多重の術式を組み合わせた、難解な魔法陣。それを解いても外れるのはダミー陣の一つのみ。更に足元を後ろから括り付ける様に敷かれた陣は、読む事すら困難な配置にされていた。

 結局、それが外れたのはローグが消え去って暫く経っての事だった。


 「ラーズさんの魔法で歯が立たないってなると、かなり大変になるよなぁ──」


 「あー、お前さん、オレの前でその話すんのは、嫌味か?」


 ふと、これまで口を閉ざしていた男が声を上げた。


 「んだよ──有益な情報でもゲロる気になったか? ギニル。」


 そこには、両手両足を何重もの陣によって封じられた大男──ヨミとベルで討ち倒したギニルの姿があった。


 「あー、言っとくけどな、オレはあの男の考えなんぞ全く解らん。少し前から同じ部隊に居るが、読めたモンじゃねぇ。」


 忌々し気に言い捨てるギニル。その口振りからして、仲間である筈のギニルでさえもローグという男は掴めないらしい。


 「使えねぇなぁ。一緒に戦えなんて言うのも不安しかないし、暫くはここに放置だな、お前。」


 「それこそ、お前さんの方が解らん。──何故、オレを生かしてやがる。」


 「……俺も同意だな。無価値がはっきりした以上、奴を生かす理由は無い。」


 ギニルとベルクロスがヨミに向かって訊く。二人とも、険しい環境を抜けてきたのだろうか、己の立場がどちらであれその常識観だけは揺るがないものがあった。


 それは当然、ヨミの常識観とは全く違うものだから。


 「一応、今のギニルの処遇に関しちゃ権利を持ってるのは俺だ。さっき、止めを刺さなかった時点でベルも同意って事で、どうよ。」


 「敵の計画、策略、人員、罠、他にも訊くべき事はある。だが、それを知っているのはローグとやらだけなのだろう?」


 片目をギニルに向けて流し、それが肯定を示していた事を確認してから言葉を続ける。


 「俺の同意は、あくまで勝利への道筋にあるものだけだ。指を一つひとつ落としていけば何か吐くかも知れんがな。」


 「──有益じゃなきゃ、生きちゃいけないのか?」


 「有益でも、無益でも構わん。ただ無害と有害は全く別物だ。量る天秤を違えるな。」


 冷たく、割り切った考え方だった。ギニルの生存は益にならない、ゼロかマイナスか、そこに価値は無いのだと。

 そうと言われればそうなのかも知れない。だからと言って、それはヨミのこれまでの人生を否定する気もしたのだ。


 「俺が、甘いってのか。」


 「ああ、そうだ。」


 「──俺には、戦いは合わねぇんだろうな。」


 「───」


 その場の誰もが、口を噤んでヨミを見た。ここで吐く弱音が、どれだけ状況を悪くするのかもその意識の隅には残されている。

 そのまま、ヨミの次の言葉を待つ時間が、数秒間だけ延びていた。


 「殴りも蹴りも、出来る。出来るさ。──でも、『命』までは、奪えねぇや。」


 思えば、ヨミが戦ってきたのは死者ばかりだ。知性も理性も何処かに失くしてきた者ばかりだったのだ。

 元の世界でも、人を殴った事など片手で数えて指が余る程度だろう。ましてや斬ったなどと、自分以外の身体でした事のある筈が無かった。


 「ライクは、凄ぇよなぁ。それが使命で、それを受け入れて。」


 ライクと、一瞬だけ視線が絡む。そこに見えた感情、或いは自分の目に宿った感情がどういったものかは、見付かる前に目先から逸れてしまっていた。泳ぐ目を隠す様に反射的に瞼を落とすが、そこに写ったものが思考を震わせる。


 「──俺には、無理だ。」


 床を見つめながら、そう放つ。


 いくら傷付こうとも、傷付けようとも、物理的、身体的にはヨミにとっては些細な問題でしかない。先天的なものでなければ、全てはヨミの手の中で元の形へと戻る。事実上、起きた事を無かった事にしてしまえる力。取り戻しの利く力。


 だが、『命』だけは違う。


 本質として、ヨミの掌に乗せられる器でないのだ。一度割れてしまえば、修復の利かない一点物。中に注がれた『生』は、いくら零れ落ちようとも、ヨミには注ぐだけの力がある。空の瓶に限りなく近付いた『命』であろうとも、『生』を注いで足す事が出来るのだ。その入れ物さえ失わなければ、だが。


 割れた『命』という器に、新しく『生』を注ぐ事は出来ない。いくら水増しを続けた所で、器に溜まる事なくすり抜けていく。注いでいると思っても、その行為は底の無い鍋に水を捨てているだけに過ぎなくなってしまうのだ。

 ヨミも、何度かこの感覚に覚えがあった。と同時に、『命』がひび割れる瞬間を直感が覚えていた。


 「目の前の人が死ぬ──そう感じたら、俺はきっと、動けない。」


 戦う相手に、死なないという確証があった。自分が、対峙する相手に勝てる筈が無いという、虚しい自覚があった。目を潰したくらい、腕を叩っ斬ったくらい、あっと言う間に治せるだろうという自信があった。

 その本心を無意識に隠してきたものが、今に判断を求められて顔を出す。殺す気で戦った相手を、生かすか殺すか。そこにヨミの考える余地など無かった。


 「死なせられる訳、ねぇだろう。」


 「それで、この男を生かしてどうする。この判断は一人の生き死にに留まらんぞ。」


 「そりゃ、解ってるさ。俺に、迂闊な事は言えない。」


 最終決定は、ヨミの権利だ。だが、それは決して敵の攻撃の可能性を強要するものではない。平和そうに見えて、存外殺伐としているのがこの世界だ。生温い世界に生まれ落ちたヨミの思考は、まるで足りていないのだろう。


 「でも、人が死ぬってのの重さは、これ以上無いくらいにでかいんだよ。」


 「それが、例え自陣を危険に晒しても、か。」


 「それで、例え相手が有利に動いても、だ。」


 やはり、価値観が違う。ヨミの見ている世界と、ベルクロスが見ている世界はあくまで全くの別物なのだ。


 「あー、ちょっと良いかよ。」


 括り付けられた大男が、再び口を開く。その顔には、今まさに自分の命運を左右する会話が広げられている事など気にしない様だった。


 「命乞いでもするか、それとも息の根を止めてくれとでも言うのか?」


 「んなこたぁしねぇよ。ただ──お前さん、オレを斬りたいんだろう?」


 「素直に首を差し出すと。」


 「だから、違ぇってんだろうが。」


 その目は、ずっとベルの方を睨み続けていた。それは、恨みや憤りなどではなく──


 「あー、いや、ちょっと合ってるかもな。──なぁ、一対一で、もう一回やろうじゃねぇか。」


 「俺と、か? ──それで、貴様が死のうが生きようが、俺の責任と言う訳か。」


 「そんなとこだ。お前さんなら、やるだろう?」


 『宣戦布告』を、今一度この場で叩きつける。ボロボロに打ち砕かれて、手足すら拘束された状態からのそれだ。一見すれば、馬鹿馬鹿しい。それだけのものだ。

 ただ、それをギニルは疑っていない。ベルクロスは間違い無く受けるだろうと、確信すら持っていた。


 「あー、どうせお前さんが本気になりゃ、オレなんて一瞬だろうよ。」


 畳み掛ける。

 明らかに自分の有利に事が進むであろう場面で、明らかに自分が不利であろうと語る。それでいて、その声音は敵を欺く意思など持っていないのだ。


 「魅せてくれや、お前さんの剣。血に囚われない、お前さんの剣を。」


 目は揺るがない。即ち意思は動かない確固たるものだ。その目で、その心で、ギニルはベルクロスに戦いを挑む。


 「お前、勝手に話進めてんじゃ……」


 「──受けよう。」


 ヨミが静止を掛けようとする、その声を遮ってベルクロスが顎を引いた。


 「待てよ、今ベルが抜けたらマズい。ローグがいつ来るか分かんねぇんだ。それに、ギニルを解放しようってのは流石に危険だろうが。」


 「あー、安心しろや。オレはもう、カタストロにしか興味無ぇよ。」


 捕らえた敵を解放するなど、当然出来る筈が無い。無いのだが、その言葉には確かな確実性があったのだ。何が信じるに値しているのかは解らないが、それでもギニルはベルクロス以外へと刃を向ける事は無いのだろう。


 「違う、そんな話をしてんじゃ……! さっき言ってただろうが、有益か無益かと、有害か無害かは全然違う!」


 「どちらにせよ、奴は誰か一人が見張らねばならん。──それに、ヨミの選択は、奴にとって最も酷なものだ。俺は慈悲を与えるつもりは無いが、ヨミのそれはあまりにも無慈悲だと気付いているのか?」


 「──っ、解るかよ、そんなの……!」


 「物分りが良くて助かるな。……お前さん達も、時間のロスは惜しいだろう。とっとと、始めようや。」


 そう言ったと同時に、ギニルを繋ぎ止めていた幾つもの魔法陣が甲高い音と共に砕け散る。


 「な──!?」


 それに、ラーズが驚愕の声を上げて目を剥いている。


 「面倒臭ぇ術式組みやがって……案外、お前さん達ならローグにも負けねぇかも知れねぇな。」


 「私の術式を、こうも簡単に……!」


 「簡単じゃあ無かったさ。あー、魔界水準でも、だ。人間の束縛魔法だと舐めちゃあいたが、案外やるんじゃねぇか。」


 魔法の技術に関して、広いオブザーブでも随一の力を誇っていたラーズだ。普段如何なる場合にも落ち着きを失わなかった彼が驚きに声を上げたという事は、それだけギニルの技量も、魔族の力の大きさも想定を上回ると言える。


 「お前さんとも、やり合ってみたかったな。」


 「──お褒めの言葉と、取っておきましょう。」


 ギニルは、剣を『顕現』して部屋を出る。先程までの戦いで使用していた剣はヨミ達で回収し保管している筈だ。つまりは、予備としての大剣をまだ持っていたという事に他ならなかった。


 「──あー、ローグを殺そうってんなら、それなりに覚悟しておけよ。ありゃあ極端に傷付く事を恐れた臆病者だからよ。」


 「──あ?」


 「斬るにしたって焼くにしたって、何らかの対策はあるだろうな。」


 去り際、そう言って部屋を出ていった。それを聞き届けた後で、ベルクロスも外へと足を向ける。が、外へ出て行く前にヨミの前に立ち止まった。


 「ヨミ。俺に魔法を、頼む。」


 「──。止めても、無駄……か?」


 「一応、あの魔人の為でも……ある。」


 「分かった───ん、これで大丈夫か?」


 「ああ、助かる。」


 「ここで、戦略トークに花を咲かしてくれても良いんだぜ?」


 「自ら拘束を解いた男を、放っておけとでも?」


 「けっ──そうかよ。」


 どこ、と言う訳でもない、全身に向けた治療。右手を前に構え、そこから魔力を放出させて相手の身体に馴染ませる。


 ベルクロスの治療には、どこか違和感を感じる。原因は解らないが、不意に頬を引き攣ってしまう様な感覚。その不快感か、或いは別の理由か、ベルクロスの胸を突っ跳ねて送り出す。


 「無茶、すんじゃねぇぞ。出来るなら、させないようにもしろ。」


 「───」


 ヨミの言葉に答えず、ただ無言でギニルの後を追って部屋を出る。


 『鋼の龍』本部の外、未だ雨音の鳴り止まないその場所で、一騎打ちが始まろうとしていた。






 ─────






 二人、剣と剣を構え合って、相対する。


 その空間に張り詰めた空気は、何者の介入も許さない。


 ただ、空気を読めない雨だけが、一定に地面を騒ぎ立てて音を上げる。


 延々、延々と水に打たれる剣士にとって、その瞬間がどれだけのものに感じただろうか。



 一滴。



 それは、誰が決めたでもない、雨粒の一つだった。


 地に落ち、空に跳ね、音を立て、同時に──




 ──同時に、二振りの剣が絡み合った。






 ─────






 鋼と、鋼の打ち合う音が、高く響いた。


 「始まった──らしいですね。」


 「武士道ってのかなぁ、アレ。……俺には解らん。」


 その場に残された者達には、それを今更になって割り入るなど出来はしない。


 「良かったのか、ヨミ。」


 「ありゃ、何したって聞かねぇ顔だろ。ベルも何だかんだ言って血の気が多いっぽいし。」


 「そうじゃない。──互いが望んだ事とは言え、どちらかは、死ぬ。それで、良かったのか。」


 言葉を変え、その現実をもっと端的に示す。明らかに、残酷に。


 これはそのまま、ヨミの憂慮に直結した問いだ。

 減る命の数は、少ない方が良い。ヨミの考えに、この事は揺るがない。そしてそれは、ライクにとっても同じものだろう。だから、見過ごして良い筈が無いのだ。


 「僕に、今更言える事じゃないかも知れない。ないのだろうが、ヨミにはそれがある筈だ。」


 「……俺にだって、言えた事じゃねぇよ。」


 それでも、ライクは多くの命を奪ってきた。それでいてどうして生き死にを語れるだろうかと、そう思っている。だから、救う一辺の力を持つヨミが羨ましかった。ヨミならその判断を違えないと思っている。


 それが、間違いだ。

 ヨミにそんなものはない。そんな事を語る資格など、ヨミにも無いのだ。

 目下の命は全て拾う。その信念に揺らぎがあるとは思っていない。譲れない、絶対のものだ。だが、それが現実に叶えられた訳ではない。取り零しも、取捨の選択もあったのだ。その決定権が自身の掌に乗っている上で、その選択をした。

 それでいてどうして、生き死にを語れるだろうか、と。


 「あいつが拘束を勝手に破って、だからベルに止めさせた。それで良いじゃねぇか。」


 「僕は、ヨミが理由も無しにあの状況を見過ごすとは思っていない。先程まで否定的でいた様に、その考えを曲げるとは、思えない。」


 ───理由。

 無い訳では、なかった。確かにその時、ヨミは戦うのを許容する気は無かった。それが変わったとすれば──


 「──今にも、死にそうだったんだ。」


 「死にそう、だった──?」


 ヨミの心を動かし、意向を捻じ曲げた原因があるとするのならば、それだった。


 「ベルが、俺に回復を頼んだ時だ。あの感触──病院で見た時と、殆ど同じだった。まともに立ってて良い状態じゃない。」


 車椅子に乗って、人に押されながらで移動していたベルクロス。状態的に言えば、それとほぼ変わらなかったのだ。


 「それが、目の前に立って、喋ってるのが───俺には、怖かった。」


 「待ってくれ。彼は、そんなに酷い状態だったのか? 見るからには──」


 「見たものと、感じたものが違う。違いすぎる。」


 「ヨミ──?」


 「だってそうだろ。あんなの病院で寝てるべきなんだよ。なのに、立てなくなって当たり前なのに、俺の前に立つんだ。まともな人間のする事じゃない。そもそも何で、俺が治療したのにああなんだ。あいつの中に何がいんだよ。」


 「落ち着け、ヨミ。」


 「おかしい。狂ってる。何で歩けるんだ。何で頭が回るんだ。何で戦おうとするんだ。出来る訳ない。あんなガタガタの状態で何かをしようとする奴なんか、絶対に禄な目に」


 「──ヨミ!」


 視界が、揺れる。否、元から揺れていた。噛み合わせが狂い、指先が震え、目が揺らいでいた。その身体を、肩から誰かに強く揺らされていたのだ。


 「しっかりするんだ、ヨミ。一度、大きく息を吸うと良い。」


 「───ぉ」


 聞こえてきた声の通りに、肺に空気を送り込む。ぬるくて、妙な湿気を帯びた空気だ。この環境に見合わず乾いた口の中に、少しずつ潤いが戻っていく。


 「大丈夫か? ヨミ。少し様子が──」


 「あー、っと。その……大丈夫だ。」


 思い出した様に唾を湿らせる舌を、ころころと転がして感触を確かめる。そうしている内に、段々と落ち着いていく。


 「こういうの、よくあるから。俺の話は後で良い。それよりベルだ。」


 「───」


 「──私も、ベルクロス殿の容体は気に掛かります。もし本当なら、今とても危険な状態だ。」


 話を元に戻そうとするも、ライクに怪訝な視線を送られる。それを遮ったのは、ラーズの声だ。


 「彼は今、ギニルと戦っています。その様な状態で渡り会える程易い相手ではない筈です。」


 「それに関しては、暫くはある程度動けると思う。さっきもギニルと戦ってた訳だしな。ただ──」


 「──長期戦は、厳しいか。」


 ベルクロスの状態は確かに悪かったが、その分だけ治療の感触にも手応えがあった。それが病院で行った時と同じだけの効果をしていれば、先程の戦いでの動きも可能になっているだろう。


 「ああ。それも、どれだけ持つのか未知数だ。今日の昼頃に病院で会ってから──三時間も経ってない位か? ギニルとの一対一だけなら、そんなに掛かる事は無いと思うけど……」


 「それも、ヨミが近くに居ての戦闘だからな。それに彼なら、不調を隠してでも戦っただろう。」


 「やはり、危険です。今からでも止めた方が──」


 病弱な身体に、屈強な強者。その状況の悪さは見るも明らかだ。戦力の不足もある以上、それは必然である。その決戦に、利益など無い筈だった。


 「でも、今更止める気はねぇよ。」


 「何故、でしょうか。彼の状態を感じられた貴方なら、尚更──」


 「さぁ──わかんねぇや。」


 だって、本当に解らないのだ。少し前の自分は止めていたし、何か確実な理由があった訳でもない。それなのに、ベルクロスとギニルを止める気にはならなくなってしまった。出て行くあの一瞬、ベルクロスに気圧されてしまった自分を恨む気すらも起こらない。


 「わかんねぇけど──多分、どうにかなるんだよ。根拠も何も無いけど、どっちも死にはしない。そう、感じる。」


 「回復役の、勘か?」


 「まぁ、そんなとこだ。」


 ベルクロスの治療──その感覚は、ヨミの魔力を貪り、咀嚼し、逆流する。それが何なのか、ヨミに何をしたのか。意識が、血が、得体の知れぬ不協和に震えていた。


 「とにかく、ベルとギニルは良い。大丈夫、のはずだ。それよりももっと、嫌な予感がする。」


 「嫌な、予感?」


 「今の話をしてて思い出した。ギニルの治療をした時も、何か──」


 言い掛けて、その言葉は扉の開く音に遮られた。


 「──勇者様!」


 そこには、濃い朱色のローブをした魔女が立っていて。


 「逃げます! 掴まって下さい!」


 その手が、真っ直ぐに金色の勇者の方へと伸びていた。


 「ユラ! 何かあったのか!?」


 「何かも何も、最悪ですよ! やけに魔力の濃度が高いと思ったら──」


 爪先を突いて、足元に魔法を展開する。無詠唱、無陣の、継ぎ接ぎの術式が、ユラとライクの身体を浮かせていた。


 「何だ、何があったんだよ! それを言わなきゃ───ぁ?」


 その瞬間に、音が総じて消え去る。違う。ヨミは確かに喋っていたし、今も喋る意思があって、その口は自由に動く。それでも、違うのは──


 「雨が、止んだ──?」


 外で鬱陶しく鳴り響いていた雨音が、瞬く間に消失したのだ。普通、雨は緩やかに時間を掛けて晴れに移ろっていく。それも、魔法で起こした雨なのだから、何が起きてもおかしくはないのだが、しかし流石にこれは異質だ。

 空気が違う。部屋に蔓延した湿気からか、大気の重みが倍増する。肺に送り込む度に、胸が重くなるのを感じた。


 無音が故の、特有のきんとした静かな音が一本、耳に反響する。耳鳴り、凄まじい程の違和感があったが、何が起きているのか、ヨミの理解は僅かに遅れていた。


 「『焔』、円環!」


 ユラを中心に、巨大な炎の柱が円を描く。それはヨミ達を囲い、外界との繋がりを遮断して別個の世界に閉じ込めていた。


 「あっつ! ホントに何なんだよ! あの雨は、どうなったんだ!?」


 「その、雨ですよ! ──雨が、来ます!」


 理解、理解が追い付かない。ユラがいきなり現れたと思えば、辺りを火の海にして、雨がどうとか──



 疑問に夢中になっていたヨミが、ふと何かを感じた。


 右腕に、何かが当たったのだ。小石でも投げられた様な小さな感覚に、ある筈も無いとそちらを振り返り──



 『水』そのものが、刃を型取って火柱の域に侵入していた。



 「んだ、これ──」


 その存在を認識した途端に、感じた『何か』が膨れ上がっている。


 遅すぎた理解は、視界の右端で噴出する赤色によって確実となった。


 「あ、あああぁぁ───っ!?」


 紅に揺れる炎とは全く別室の、黒く淀んだ液体の噴出。不意の激痛が、熱を受けて更に強固となってヨミの神経を劈いた。

 斬られた。肩から少し下辺りが、今にも千切れ落ちそうである事が今になって良く解る。


 それに、一瞬でも気付けなかった。その斬り口は流水そのものによって生まれたこれ以上無い最小限の一閃だ。まるで優しく撫でられた様に、ヨミの右腕はぱっくりと肉を見せている。もしここに炎の熱が無ければ、斬られた事にすら気付けなかったかも知れない。


 「組換、『氷柱』!」


 ユラが叫ぶ。その瞬間に、轟々と燃え盛っていた炎が、上から下へとみるみる氷へ変化していく。

 音を立てて氷結していく炎の柱は、一瞬にして氷の壁に成り変わる。刃の形をした水の流れも、氷で出来た彫刻と化していた。


 「もう安全な所はありません! ひとまず、この建物から出ます!」


 「この、水──これが、空から降ってた雨だってのか!?」


 「だから、火急なんですよ! 早くしないと!」


 「オブザーブの民に、被害が……!」


 今、オブザーブの置かれている状況が、この場の四人に浸透する。共通理解、はっきりしていることは──ユラの言う通り、『最悪』だ。


 「他の地区は! 居住区は無事なんですか?! 戦えない者もこの都市には多い!」


 「判りません。ただ、放っておけば間違いなく危険でしょうね。」


 「私は、皆の安全確認を最優先させて頂きます。勇者様方は──」


 「まずは、これを止めなくては。僕達は彼を、ローグを探します。」


 ライクが、考える間も無く答える。その目は、一度敗れた相手を見据えるものにしては、憂いの色が強かった。


 「準備は、良いですか。外に出たら多分、真っ直ぐに狙ってきます。」


 「ああ、勿論、解っている。」


 「じゃあ──」


 ユラが、手を翳す。狭い、円形の氷の部屋に、ヒビが生じ始めた。


 淡い、光が一瞬放たれる。それが薄れた時、その視界の先には既に氷の壁は無く、代わりに元居た部屋が──



 壁も床も天井も砕け散り、面影も無くなった部屋が、巨大な氷塊にまみれて広がっていた。

 雨中に進む物語、16話です。

 ギニルさんとベルクロスさん、ちょっと似た者同士でアレですね。今頃きっと楽しんでる。残されたみんなの心境や如何に。

 ヨミさん、相変わらずの情緒です。変なとこでトラウマを呼び覚まします。その上頭もおかしくなってきちゃあ、もうこの主人公ダメかもしれませんね。話の都合上仕方ありませんが。


 それでは皆さん、おやすみなさい。

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