1-14 一太刀
そこには、居る筈のない、居てはならない存在が立っていた。
「転移陣を敷いておくたぁ準備が良いよなぁ、全く。あー、仕掛けたのがあの男ってのがどうにも気に食わねぇんだがよ。──お前さんが今聞きたかったのはそんなトコだろう?」
転移陣──それが、先程の光の正体であり、この男が今この場所にいる事の説明だった。
「ギニル──!」
「お前さん、一人かよ。そら、仕事が楽で良いもんだなぁ、あー、オレに言わしちゃあ楽しくねぇんだがよ!」
ギニル。前日にも戦ったこの男が、ヨミに向けて刃を打ち下ろす。
確かに息はあった。が、ユラが放った魔法による傷はそれ程浅くはなかった筈だ。それなのに今、目の前の男は傷一つもない姿で戦いを始めている。
「冗談じゃ、ねぇ──っ!」
向こう側にも、聖魔導士がいるのか。そうと考えるべきの状態だ。昨日の今日でユラの魔法のダメージが消える筈がない。それとも、魔人とは回復力に長けた種族ということも考えられる。
「あー、オレも、勿論冗談なんかのつもりで来ちゃいねぇよ。言ったろ? こりゃ仕事で、命令だ。お前さんには、死んでもらう。」
悠長に語りながらも、その剣撃には容赦がない。ヨミが覆い隠せる程の大きさの剣を細身の如く振るうギニルの攻撃に、ヨミは少しずつだが押されていっていた。
「その答えも、昨日言った筈だぜ。てめぇに死なされてなんかやらねぇよ──!」
ヨミは、拳を固めてギニルに向かって走り込む。自傷覚悟の、ヨミに出せる唯一の攻撃だ。
「お前さん──」
剣を下へと誘導して、力一杯に地面へと落ちる剣の横をすり抜け、大きく腕を振り被る。恐らくはヨミの殴り一つではギニルには大した損傷にはならないだろう。それでも、ひたすらに足掻いて時間を稼ぐのがヨミに出来る最大の策だった。
「遅ぇな、やっぱり。」
それも、只の日本人の常識の範疇に収まる相手の場合だ。
「一人しかいねぇのに、オレに指一本でも届くと思うかよ。お前さん一人だけ見てりゃいいんだ。あー、お仲間にくっついてばっかじゃあ、お前さんはいくら経ってもそのまんまだな。」
──何かが、起きた気がする。
それも、気付く事が出来たのはギニルが話し掛けてきた時だった。
顎に、下から衝撃を受けた様な痛みがある。視界には真横に大剣の体と、どこまでも遠い空に眩い太陽だけだ。遅まきに今己が地べたに寝転がっている事に気付き、息を呑んだ。
「──っ!」
「逃がさねぇよ、『賢者』さんよ。」
ギニルが剣を持ち上げ、ヨミに真っ直ぐ向けた突きの姿勢を作る。急いで立ち上がるが、それでもあの剣の射程からは逃れられない。
「呆気ないもんだな。これで、ノルマ達成だ。」
迫る、迫りくる剣先が、ヨミの喉を突き刺さんとする。異世界初日にこそ首を切断されたが、それからは致命傷になる程の傷を負っていない。それがヨミにとってどうなるかは未だに解らぬままだった。
「る、らぁぁぁぁ───!」
剣に向けて、全力で先程握り締めた拳を再度振るう。ギリギリ、最後の抵抗だ。だが、突きの速度は拳の一つでは軌道を逸らされる事もなく──
「──済まない、良い得物が見つからなくてな。言った通りだ。俺の剣、貸してやる。」
突き刺さる寸前の剣を、明らかに細身の剣で強引に弾き飛ばす。拳で殴っただけのヨミだが、その技の難度は確実に突出したものだったと理解出来ていた。
「ベルクロス・カタストロ──!?」
「堅いな、ベルで良い。援護頼むぞ、賢者。」
「あ、あぁ──ベル。」
「剣の相手は俺がしよう。」
突如として横から剣を叩き付けたベルクロスは、素早く剣を翻してギニルの首を確実に狙っていた。
「──あー、やっと楽しめそうじゃねぇか。」
「俺は楽しむつもりはない。貴様個人に恨みはないが、魔人に良い印象が無いんだ、許せ。」
その会話の内に、何度打ち合っただろうか。ベルクロスの剣はひたすらに素早く、一度瞬く合間に剣の煌めきが何度も写る程だ。だが、それを受けるギニルの剣も、弱い訳ではない。ヨミの素人目でも辛うじて追える程度の速度だが、やはり速い。その上にギニル自身の巨体と刀身の大きさが生む圧倒的な一撃がベルクロスの剣を押さえていた。
「力で無理に剣を制御しているかと思えば、案外鍛練もしているらしい。」
「そう言うお前さんは何だ、まるで暫く斬ってねぇみたいな太刀筋しやがって。やりてぇ事ぁ解るが、身体が追い付いていないぜ?」
「敵の心配とは、随分と心の広い事だ──!」
その言葉を皮切りに、ベルクロスの剣が速度を上げる。立ち位置もギニルの周囲を目まぐるしく変えながら、隙を穿つ為に見図っていた。
「───そこ」
ふと、短くそう言うと、それがヨミの耳に届く頃にはベルクロスの剣がギニルの剣を叩き落としていた。あまりの速さに全く追い付けないヨミを余所に、戦いは終わろうとしていた。
「──死ね。」
手元を叩いた剣をそのまま上に上げ、ギニルの鼻面に吸い寄せられる様に弧を描いた。そのまま、ギニルは顔面から切り裂かれ──
「『礫』」
ギニルが、短い詠唱をする。
空間から突如顕現した岩の破片は、ベルクロスを突き刺したまま勢いを緩めない。
「ベル──!?」
急いで、手に魔力を籠める。吹き飛ばされたベルクロスの下に駆け寄り、腹部に魔法を掛けて止血した。
「おい、大丈夫かよ! 結構深いぞ!」
「ああ、済まない。反応出来なかった。」
そう言いながら立ち上がり、再び攻撃の姿勢に移る。しかし、三人でも厳しい戦いを強いられた相手だ。
「やっぱり、一人で相手すんのは──」
「自分は計算外か? 『賢者』よ。」
「──え?」
「俺とお前、二人だ。そこを間違えるなよ。」
その深い青色の目が何を見ているのかは解らない。が、そう言われてどうしようもないくらいの重みは感じていた。
「案ずるなよ、『賢者』。病院の前にいた女に、事を知らせる様言ってある。確か──受付でいつも暇そうにしていた者だが、こなす筈だ。」
そう言って、ヨミが応える前にギニルの方へと飛び込んでいく。地面スレスレに直線を引きながら命を追う剣先が、再度ギニルの首を狙っていた。
だが、ギニルの注意すべき点は剣だけではない。なくなってしまっていた。
「あいつ、魔法使えんのか──!」
今、確かにギニルが詠唱と共に魔法を放っていた。これまで恐るべきはその剣から生じる一閃だと考えていたが、遠距離からの攻撃も持つとなれば剣の一つよりも遥かに強力になる。
このままベルクロスに頼りきるのではまずい、とそう理解するのも難しくないが、それ以上にあの空間に足を一歩踏み込めば斬られる。その事など見ずとも解る程に二人の剣撃は凡人の域を逸脱していた。
「せめて、俺よか戦える奴が来てくれりゃ──いや、並の奴じゃ勝てねぇ!」
ただ、二本の剣が流麗に踊る様を遠くから眺める事しか出来ないヨミは、その場で歯を軋ませながら頭を巡らせる。
第一に、ヨミはこの場を離れる事が出来ない。病み上がりで全力を出せる者などそうはいない。剣に長けているベルクロスであろうとも、一発まともに食らえばもう決着は着くと言えるだろう。その為の回復役だ。ヨミが自ら出向く事は出来ないのだ。
その代わり、受付の女性がきっと上手く伝えてくれるだろう。だが、それでギニルを凌げるなどと確信は持てる筈もない。しかもその頼れる兵達はこのオブザーブの外に限りなく近いのだ。強いて言うならば入院していた者達なら直ぐにでも来れる可能性があるが、元より野良の魔獣等に負け帰ったのがあの結果であり、病み上がりで戦うなど無理のある話だ。──目の前の男が、そんな常識観を崩させようとしているが。
ならば、もっと強く、もっと早くこの戦いに参戦出来る人が───
「頼むぜ、ライク。見えてんだろ、お前なら──」
昨日の通りに上手くいくなど、到底望めない。それでもギニルと一度戦ったのだ。あの二人なら、状況は変えられる。ギニルが魔法を使うと言うのなら、ユラはかなりの腕だ。剣も、ベルクロスと二人で挑めば勝機はぐっと上がるだろう。
そして何より、この世界で一番早く魔物の気配を感じ取れる。もう既にここに魔物がいる事など解っているだろう。そんな状況を、あの勇者が見逃す筈がないのだ。
「絶対、来る──そうだろ。お前の、勇者様なら。」
今信じられる、この世界に召喚されてからずっと信じられる二人の顔を思い描いて、『勇者』を待ち望む。
─────
「魔人よ。貴様は何故、今ここで剣を振っている?」
「あー? 知ってんだろ、1000年戦争。そんなの、人間共にも伝わってるって聞いたぜ?」
「それが、『死神』の命とでも言うのか。」
「当然だ。900年経った今でも君臨し続け、誰に姿を見せるともなく魔物を統べ続ける。オレ等の生き方ってのはソレに従って動いてんのさ。」
「最近、辺りの魔獣の動きも活発化してきている。それも、その『死神』の仕業か?」
「さぁな。死神様の考えなんぞ、そこらの魔人にゃ解かんねぇよ。」
「そうか──ならいい。話す事は無くなった。」
ずっと打ち合っていた剣の音が、その瞬間に一段と甲高く変化する。強く、真っ直ぐに剣を打ち付けた証拠だ。
「一方的に聞いといてそれってのは、ちと身勝手なんじゃねぇのか?」
「貴様の話など、聞くつもりはない。」
「そう急くなよ。──お前さんの眼の色、マグレか?」
確かな殺意を以って振られていた剣が、その問を受けると同時に硬直する。それはほんの刹那のものだったが、それは戦いに於いて無限と呼んでいい。命を左右する瞬間、それは長く取るものではない。
ギニルの剣がベルクロスを狙って振り下ろされるのを、間一髪で不格好に受け止める。即死は免れたが、剣にはヒビが入る上に当然その先の行動にも大きな遅れが生じてしまう。
「……腹立たしい、奴だな。」
「あー、そうだ。カタストロ──っつったか?」
紺碧の目を細め、黒みが一層に強さを増す。転げる様に躱しながらも、一直線にギニルの剣の矛先を睨んで走り出した。既に欠けた剣だが、ベルクロスが握る剣には未だ命が宿るかの動きを続けていた。
「随分と、ヨミを買ってるみてぇじゃねぇか。あー、アイツに何か思い入れでもあんのかよ?」
「今日が初対面、身元も知らん男だ。ただ、俺を治療した医師と患者。今は剣士と回復役。それ以上の理由はない。」
「なら、ヨミの命をくれてもいいんだぜ? それでオレ等の仕事は終わるんだよ。」
「──魔人には、平気で同族を売る習慣があるらしい。」
「はっ、人間にゃ自分の都合の良い様に捻れた解釈をする癖があるみてぇだな。それとも、お前さんの家はそうなのかもな?」
「──いい加減、その口を塞いでもらう───!」
ベルクロスは剣を消散させ、その手から氷の刃を次々と『顕現』させていく。それと同時にギニルから一定の距離を取り、辺りの建物を駆け上って高所からの迎撃体制へと移った。
「あー、次ぁ魔法対決ってか? オレは苦手なんだがよ。」
「───」
その言葉に何も応えず、無言で氷柱を放っていく。それに対してギニルも剣で氷を薙ぎながら、先程使った岩の魔法で対抗していた。
「お前さんも、魔法は本分じゃないんだろう? あー、ま、それでもお前さんの中じゃ強い方なんだろうがよ。」
高低色々の屋上を駆け抜けながら魔法を放つベルクロスに対し、ギニルはその場を大きく動かずに降り注ぐ氷塊を打ち払う。剣で守りながら土魔法で牽制、ユラの魔法でもあった様に、あちこちからの氷塊に慌てる素振りも無く切り砕いていった。
「そんな、ケチ臭ぇ戦い方で楽しいかよ。あー、お前さんの剣、鈍っちゃいるが嫌いじゃないぜ?」
やはり、応えない。嫌って無視していると言うよりは、聞こえない程に一心に状況を見渡しながら走っていた。瞳孔と思考を全開まで使い、最小限の力で全ての攻撃を見切りながら攻撃を続ける。
「それとも──その顔ぁ、もっと面白ぇ事してくれんのか?」
ギニルの周りに、氷の粒が撒き散っていく。放てど放てど切り落とされ、気付けばその数はかなりのものになっていた。
「ねぇんなら、そろそろシメと行こうじゃねぇか!」
──きっとギニルは、その事に違和感を覚えていなかったのだろう。
「編術──『轟』」
ギニルの周囲が瞬間、爆炎に包まれる。前兆なく現れたそれは、連鎖する様に立て続けに爆音を鳴らしていた。
──普通、魔法に消費する魔力の大部分はその属性物質の『顕現』の瞬間、そして維持である。一度放った魔法は、再度攻撃するか、直ぐに消散させるかの二択だろう。
今回は、その前者であっただけだ。
「──ッ! こいつぁ、『霰』じゃねぇ!?」
「誰がそんな事を詠唱した。触れてもいないものを氷と見立てるのだな、一つでも弾きそびれれば解ったものを。」
ベルクロスが放った氷の刃──否、その様に見せかけた爆薬を、隠さず、寧ろ目の前に配置し続けていたのだ。
焼けただれた足元をふらつかせ、膝から落ちるギニル。その周囲を立ち込めていた黒煙が晴れると同時に見えてきたのは、ギニルの頸に剣を添えるベルクロスの姿だった。
「あー、これがお前さんの『魔法』な訳だ。確かに、見誤ったぜ。」
「もう、その足では動けんだろう。貴様の負けだ。」
「んじゃ、一つくらい言わせてくれや。遺言ってヤツ、そんくらいの慈悲はあんだろう?」
剣を緩めぬまま、少しの間思考してベルクロスは無言で軽く頷く。
「あんがとよ。……死神様の、良い御言葉さ。覚えとけ。」
ふっと、軽く笑ってその『言葉』を語る。そこに出てきた名前を聞いて、ベルクロスは剣を握る手に籠める力を更に強くしていた。
そんな、ベルクロスの剣は──
「──『敗者は、勝利を目の前にして語る』、お前さんも、詰めが甘ぇのさ!」
綺麗に敷かれた街道の隆起によって、簡単に砕かれていた。
「く───!」
「負けたのは、お前さんだ。」
気付けば、ベルクロスの周囲は全て細かな岩がびっしりと並べられている。それらが一斉に動けば、人の一人など一瞬で原型も無くなってしまうだろう。
──だから、ヨミは走っていた。
「『賢者』! 何を!?」
「っせぇ! 生きたきゃ察しろ! 喋ってる暇ねぇんだよ!」
膝を着くギニルの後ろへと回ったヨミが、見せ付ける様に手を掲げる。その手には、先程爆ぜた結晶が握られていた。
「何故、それが──!」
「てめぇのやる事、解るよなぁ! 一発、ぶっ放て!」
「ああ──『轟』」
ベルクロスが、短くそう応える。
ヨミの手を中心に、再び爆炎が姿を見せる。ギニルの背の側で起こったそれは、その意識を切り落とすのには十分だった。
「が───ッ!」
「あっちぃな! ──でも、上手くいった。」
ギニルが倒れ込むと同時に、ベルクロスを取り巻いていた岩が消散する。その隙に、急ぎ足でギニルから離れた位置まで移動し体勢を立て直す。
「助かった。──先のは、何だ?」
「ま、ちょっとした聖魔法の応用だな。手持ちの武器が杖しかねぇから、こうするしかなかったんだよ。」
前回、ギニルとの戦闘で発覚した、物体の修復。そして、魔方陣で編まれた術式自体の復活。それらが既に魔法が放たれたものに有効かは未知だったが、先程の状況で考えられる手がこれしか無かったのだ。
「結果、成功したんだ。そんだけで十二分だろ。それより……」
今ので、ギニルが倒れたかどうか。己の掌を焼いてまでの策だったが、それであの大男が敗れるとは考えにくい。──言ってしまえば、ヨミはそう確信していたのだ。大量の爆発を受けて脚の焼け痕程度の身体が、ほんの一発で命まで奪えるなどと、そんな事は有り得ない。
だが、傷は軽くない筈だ。脚も十分に動けない今がギニルを倒すチャンスだろう。
「止めといこうぜ、ベル!」
「ああ。今度は、待たない。」
煙の薄まっていく中から見える人影に、折れた剣を向けて走り出す。その剣は、今度こそ敵を捉えて離さない。
「──やはり、まだ抵抗するか。」
煙を切り裂いて姿を完全に露にしたギニルは、剣で以てベルクロスの攻撃を防いでいた。
「だが、それで何になる。」
右手で剣を振り、その反対の手には青白い結晶が握られていた。
「もう、防ぐ力など残っていまい。」
振りかぶり、その爆発物をギニルに向けて突き刺す。それで一度魔法を発動してしまえば、そこで終いだ。
「──そいつぁ、軽く小突いても発動するんだったか?」
だから、その一撃にこそ強力な魔力を封じていたのだ。
ベルクロスの手中が、突如として爆ぜる。煙によってよく見えなかったその場所が、霧を払う様に火を吹いていた。
「が───ぁ!?」
左腕ごと、真っ赤に弾ける。その影から、ゆらりと巨躯が立ち上がっていた。
「気に入らねぇな、またアイツの読み通りってかよ。」
予想外からの攻撃に思考が遅れたベルクロスを強い衝撃が襲い、地面を抉りながら転がしていく。
そこには、確かに二本の脚で立つギニルの姿があった。右手にはしっかりと重厚な剣が握られており、その反対の手には、ベルクロスと同じ様な結晶の欠片が摘ままれている。だが、その結晶は光を失い、魔力の感じないものになっていた。
「聖魔法石──意外と、使いもんになるじゃねぇか。」
「貴様、そんな物を──!」
「おいおい、お前さん。後ろに『賢者』サマがいんのに何言ってんだ。十分にハンデはくれてやってるだろう?」
剣を地面に突きながら、軽く笑ってそう語る。どうやら、聖魔力の籠められた魔石を持っていたらしい。赤子の手にも収まりそうな小さな結晶だ。それであれだけに深く焦げた脚が治ったらしいとなれば、その効力は絶大なものだ。
「くっそ……めんどくせぇな、お前!」
「あー、お前さん程じゃねぇぜ? ヨミ。」
急いでベルクロスの傷を塞ごうと魔力を溜めながら、傷口を見る。──それは、左手の肘から先が、元の形が分からない程の惨状だった。魔力を当て、焼け消えた血肉が舞い戻って来るのを確認する。
「やべぇ、早く誰か来てくんねぇと……」
「──その前に、終わらせてやらぁ。」
「───ぉ」
増援を探し求めて辺りを見渡そうと、顔を上に持ち上げたと同時に、その目に映ったのはギニルの剣だった。
つい、咄嗟に空いていた左手で受け止める。が、状況を脳が理解した瞬間にはその手には激痛が走っていた。
人体をびっしりと巡る様々な管が弾け、手と指を繋いでいた骨が音を立てるのが解る。尚も止まらない剣の重みに、意識が途切れそうになっていた。
「あ、あぁぁぁぁぁ──っ!」
喉を張り、歯を喰いしばってその意識を留める。明滅する視界に、薄く映る諸刃の接近を感じながら叫んだ。
「貴様───!」
「おっと、折れた剣で何をする気だ?」
随分と短くなってしまった剣を振るい、ギニルの手元に狙いを絞る。その剣も、ギニルが振った剣によってヨミごと弾き飛ばされてしまった。
「あー、さっきはお互い油断しちまってたよなぁ。──本気でやろうぜ、カタストロ。」
「──本当に、腹立たしい奴だ。」
今度はしっかりと着地するベルクロスだが、手指をやられていたヨミはそうはいかない。地面に叩き付けられたヨミの身体は、背中をブレーキに止まっていた。。
「『賢者』、無事か!?」
「全く無事じゃねぇが、無事になっちまうのが俺の性でな、全然平気だ!」
「そうか──だが、依然状況は悪い。どうする?」
痛みが残ったまま立ち上がり、駆け寄ってきたベルクロスの声に応える。ギニルから目を離さずに、一定の距離を保ち続けながら提携の為に二人で言い交わし始めた。
「剣も折られた。適当に拝借したものだったが……俺も剣がなくては凡人程にも戦えん。」
「お前の魔法見てからだとそうかも解らんが……武器、か。」
記憶を巡る。この瞬間を切り抜け、その先でギニルを討ち、それから更に来るであろう魔物達への対処に──
「ベル、お前も『鋼の龍』んとこで依頼とかこなしてたんだろ?」
「──ああ」
「なら、その隣にくっついてる建物の場所も解るよな?」
「──武具庫か。」
前日の会議で、ぼんやりとした記憶の中にラーズが話していた内容だ。衛兵団所有の武具庫があり、緊急時にはそこから魔石や砲撃用の道具などを持ち出せる様にしておくとの事だった筈だ。そこには当然、剣や杖などの一般的な武器も含まれる。
「そこに突っ走って、取れるだけいいのを取ってきてくれ。それまでは俺がどうにかしとくよ。」
「危険だ。奴の剣は俺が受ける。」
「いーや、まずもってお前のが足速いし。そもそも回復役がいねぇ間に死なれちゃ笑えん。それに──」
「───」
「『ヒーラーキャラは真っ先に叩け』って教えがあんだ。俺がここを離れりゃ多分追ってくる。ベルしか行けねぇんだよ。」
「──承知した。『賢者』こそ、死ぬなよ。」
「ま、身体一つありゃ何とかなるさ。──でも、一応だ。その折れた剣一本俺にくれねぇか?」
「『賢者』が使うと言うのなら、使えるのだろう。上手く使え。」
「あと、お前の方が呼び方堅ぇからな。病院で自己紹介したろ?」
「──。この戦況をどうするのか、委ねるぞ。ヨミ。」
「期待を重くしろとまでは言ってねぇよ、ベル。」
短く二人で笑い合い、折れたバトンを繋いで駆け出した。
ベルクロスの姿はあっと言う間に見えなくなる。ここは既に都市の中心である龍の番所が見える位置にあり、『鋼の龍』の拠点もその近くにある。あの速さならすぐにでも帰ってくるだろう。
──あとは、それを円滑に進められるだけの力を、ヨミが見せるだけなのだ。
「どういうつもりだ? アイツを逃がして、お前さん一人で相手になろうってか。」
「ああ、そうさ。お前は俺の剣、見たことなかっただろ?」
「ほー、自信満々に言うじゃねぇか。」
勿論、ヨミに剣術の覚えはない。それこそ、握った事など召喚初日に拾った物程度だ。それも、振るう間もなく失敗に終わっている。
「……ここで、俺の秘めたる剣技が発動すりゃあ最高だけどな!」
そんなものはない。解っている。あくまでヨミは『聖魔導士』として喚び醒まされたのだ。そんなヨミの剣は素人未満だろう。
「来ねぇのなら、オレから行くぜ。」
「来いや、返り討ちにしてやんよ!」
だから、ヨミの出来る最大の手立てで、小賢しい頭から捻り出して、ヨミが使える一番の力で。
ギニルが動く。剣を向けて来る。突きだ。
この期に及んで恐ろしく速いものが迫ってくると感じ出す。それなのに、人間とは不思議に出来ているらしく、その動きが良く見て取れるのだ。
「一撃でも、受けられるのか?」
「──俺に受ける気がありゃ、教えてやれたかもなぁ!」
剣が延びる。ヨミの身体を正面から突こうとする剣を、真下に潜り抜けて折れた剣を握り直す。そのまま、ギニルの腹に剣を突き立て──
「相手を欺くにゃ、黒目の奥まで演じ切れや。」
そのヨミの軌道を知っていたかの様に、剣が弧を描いてヨミに襲い掛かる。
「だから、視線まで演じてんだろうがよ。」
「───ッッ!」
その剣が受けた感触は、肉を裂くものでもなければ弾き返されるでもなかった。
──ただひたすらに、強い爆風が剣を振る力を押し返しているだけだった。
「お前さん、まだソレを──!」
「使えそうなもんは取っとく。貧乏性なもんでよ。」
熱い。ヨミの手にもそれは例外なく訪れる痛みだ。やけに強力なベルクロスの魔法だったが、それだけ効果は大きいものだった。
「さぁ、人生初振り! 喰らえや──!」
「そんなへし折れた剣が、届くか──」
言い、切れなかった。それより前に、ギニルの目の前で起こった出来事に、その理解に意識の全てを割かれてしまっていたのだ。
その剣は、一瞬輝いた様に見えた。それだけだ。なのに、瞬きの後には元の美しい剣先が伸びていたのだ。
剣の時間だけが、時の次元を逆行していく。折れた剣先が、欠けた刀身が、くすんだ鋼が暖かく、光を伸ばしていくのだ。
その光景が目に入ったと同時──敢えて、そう皮肉ったらしく言うのならば、
「ギリ、届いたな。」
左目に剣が切り込んだ瞬間、ギニルはたったの一太刀を掛けた勝負に、負けた。
剣と魔法の物語、14話です。
聖魔法の万能化がめざましいですね。使用した魔石の復活に関しては、その機能に使われた魔力以上の聖魔力が必要なのでかなり燃費は悪いんですが。ユラさんの魔方陣なんて特に。剣などは比較的簡単に戻りますね。
消費アイテムの修復はかなり便利。ヨミさんにペンシルロケット20とか持たせようものなら、マジヤバ。
それでは皆さん、おやすみなさい。