1
初投稿です。文章が拙いですがよろしくお願いいたします。
ここはとある病院の一室、ベッドに横たわるのは齢80を越える爺である。
まぁ、俺ね。
婆さんは先に逝ってしまったが、それに続くように俺も体調を崩した。
今、ベッドの周りには自分の息子夫婦や孫が、涙を浮かべながら見守っている。
お医者様がモニターを見て、家族に何か言うと息子が近づいてきた。
「親父、今までありがとな。」
お医者様に最後の言葉を、とでも言われたのだろう。
ハハッ、いつも俺を見る度に野次を飛ばしてきたくせにこんな時に限って現金な息子だわい。と罵倒しようと息子に声をかける。
「後は頑張れよ。」
思いとは裏腹に出た言葉はそんなものだった。
俺の言葉が意外だったのか息子の顔が崩れ、顔を見せまいとすぐに後ろを向いた。
今度は孫が手を握りながら
「爺ちゃん、今までありがとうございました。俺頑張るから見守ってくれよ。」
孫は今年から社会人だ。社会の荒波に揉まれるが、俺の孫だから大丈夫だと言おうとしたが。
「………」
声が出なかった。
なので、最後の力を振り絞り、握られていた手を孫の頭の上に置いた。
撫でようとしたが、そこまでが限界だった。
孫は下を向き震えながら何か呟いていたが、声が小さいのと、だんだんと耳が遠くなっていくようで上手く聞き取れなかった。
あぁ、お迎えが近いんだな。と理解した瞬間、過去の記憶が一気に蘇ってきた。
これが世に言う走馬灯なのだろう…
・・・
順風満帆な人生とは言えなかった。
夢があった俺は、高校卒業まで勉強一筋で、色恋沙汰や青春とは無関係な生活だった。大学も入りたい大学に入ろうとしたが、センター試験を受ける手前で親に多額の借金があると暴露され紆余曲折を経てバイトしながら夜間のプログラム系の大学に通うこととなった。
夢と言ったが具体的な職業が決まっていた訳ではない。
漠然と、何か歴史に残ることがしたいと思い。
とりあえず、勉強でいい大学へ行けば道が開けるかもしれないと安易な考えだった。
だが、まぁ先に述べたように上手くことが運ぶ訳でもなく、また勉強以外に取り柄がなかった俺はバイトをしても人間関係の構築が上手くいかず、そのせいでストレスが溜まり、夜間の大学も相まって体調を崩しやすくなり、最終的に単位が足りず留年してしまった。
この頃からアニメや漫画などにハマっていったのを覚えている。
卒業後やはり留年がひびき、大手のプログラム開発関係には行けず、何故か建築関係の施工管理の仕事についた。
歴史に残る点に置いては、まぁいいかなと自分を言い聞かせて働いた。
数年後、仕事自体は辛かったがやりがいがあり、どうにかなったが、やはり人間関係で上手くいかず上司に嫌われてしまい職場に居辛くなり転職を決意した。
転職後はわりかし良かったと思う。
建築関係の仕事で転職先を探し、設計系の仕事についた。現場での経験が生き、元々プログラム系の大学を卒業していたことから仕事はスムーズにできた。
ある意味で天職だったのかもしれない。
人間関係は言わずもがな…ただ仕事さえ出来ればいい職場だった為わりかし楽だった。
30代を過ぎたあたりから、今後について様々なことを考えるようになり、色々な資格を取り設計事務所を企業した。
前の会社の時のコネを使い仕事を貰う。が、経営系のノウハウが全然なかった為すぐに詰んだ。
なので、必死に事務関係の人を探したが、やはり見つからず諦めかけていた時、ひとりの女性に出会った。
まぁ、のちの妻なんですがね。
その妻のおかげでどうにか持ち直し、感極まって告白、そのままめでたく結婚。
まぁ、幸せの絶頂はその時と子供が生まれてくるまでなんですがね…
子供が生まれてからは世の男性のように妻の尻に敷かれ、今に至ると。
子供は長男と歳の離れた次男で今ベッドの近くにいるのは長男。
次男とは喧嘩別れしてから会っていない。いや、厳密には妻のお見舞いや、葬式で会ってはいたが話はしなかった。
今までは何で喧嘩したのか思い出せなかったが、この走馬灯で思い出した。
確か俺と同じ仕事をしたいと言ってきたので、やめておけと言ったのがきっかけだった。
今思えば、あいつは俺を慕ってそう言ったんだろうが、俺はあの時、俺みたいに苦労して欲しくないと思い突き放した。
もっと、しっかりと言葉を選んで言えば良かったと思う。後の祭りか…
・・・
遠くなっていく意識の中、目蓋がだんだんと重くなり寝ようとした時。不意に病室の扉が開いた。
「クソ親父!」
久しぶりに口を利いた次男の開口一番がそれだった。
「絶対!クソ親父より立派な建築物作ってやるから!あっちで見て悔しやがれ!!」
言っている意味が分からなかったが、俺の口元は緩み意識を手放した…
・・・
「9月21日17時31分ご臨終です」
医者が一言こちらに告げた。
「大往生だったな、親父。母さんが亡くなってからすぐ後を追うように逝くだなんてらしくないけどな…」
「確かにらしくないよな。親父ならあと10年は生きると思った。」
弟が俺の言葉に続いてそう言った。
「ギリギリ間に合って良かったな。見ろよ。お前の言葉聞いて笑ってやがる。俺らと暮らしていた時なんか全然笑いもしなかったくせに」
危篤状態になった親父を知った俺はすぐに弟に連絡した。ここまで、弟の職場が遠い為に間に合うか分からなかったがどうにか間に合った。
「間に合ってねぇよ。生きているうちに見返せなかった。」
そう弟が呟く。
「でも、最後の言葉があれか。全然意味わかんないだけど。」
俺はフッと涙を拭きつつ笑う。
「っ!しょうがねぇだろ!走ってくる間に言おうとしたことほとんど抜けて最後に残ったのあれだったんだよ!」
弟は全力で否定しようとするが自分でも最後の言葉が意味不明だと気づいたのか、言葉を濁した。
「でも、まっ、お前なら親父もすぐ越えるだろ。来週だっけか、立つの」
「おう。まぁ旅行じゃなくて仕事だから遊べないけど、現場の視察に行ってくるわ。」
「フィリピンか…葬式どうすんだ?」
「俺も来る途中それ考えたけど、親父なら殴ってでも行かせる気がするんだよ。兄貴には悪いけど。」
「そうだな。親父だったらそうしそうだな。こっちは大丈夫だ任せておけ。安心して行ってこい。」
そう言うと俺はこの後のことを医者に相談する為に病室を後にしようとした。
「本当に悪い。兄貴。何から何まで」
申し訳なさそうに弟が言ってくる。
「いいんだよ。弟の尻を拭ってこその兄だ。それにいつかは返してくれるんだろ?」
と俺は笑いながら言う。
「必ず、必ず返すさ。」
と弟も笑いながら答えた。
病室から遠ざかっていく弟の背に
「お前なら親父もすぐに越していくさ」
と俺は呟いた。