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スカラベの穴

作者: 山本輔広

 顔を洗おうとして、鏡を見ると左ほほに親指の爪ほどの大きさした穴が開いていた。

よく見てみれば、黒くて光沢があるものが中に埋まっている。

なんだろうと思って指先で触れてみれば、光沢がもぞもぞっと動いた。


 あまりの気持ち悪さに身の毛がよだつ。

自分の顔に穴があき、さらにはその中に何かしらの生物がいるようだ。

洗面台のライトをつけてみれば、その黒い物体は昆虫の背中のようである。


 光に驚いたのか、昆虫は奥へと引っ込む。

といっても穴はあまり深くはないのか、尻の部分と後部のとげのついた足が見えている。

 一体何故このようなことに。

寝ている間にどこからかやってきた昆虫が、あろうことか顔に穴を掘って巣にしている。

 痛みはないが、動けば感覚は伝わる。

麻酔をした皮膚の上を指先でなぞるような、微妙な感覚が顔の中にある。


 こんな恐ろしいことは体験したことがない。

出勤しようとスーツ姿だったが、そのままマスクをすると会社ではなく、病院へと向かった。


「顔に穴が開いて、中に虫がいるみたいなんです」


「顔に虫? 本当ですか」


 最寄りの整形外科の医師は驚いた顔つきである。

無理もないだろう。こんな症状は見たことも聞いたこともない。

 マスクを外して見せてみる。

医師は驚きの表情から興味深そうな顔つきに変化すると、小さなライトで穴を照らした。


「本当に穴が開いている。それに本当に虫がいるようですね」


「はい。そうなんです。一刻も早く処理してください」


 ライトを照らされて、昆虫は今ももぞもぞと動いている。

動くたびに鳥肌がたって、これ以上ないほどの不快感を与えてくれる。

以前、服の中に虫が入っていたことがあるが、その気持ち悪さよりも何千倍も気持ち悪い。

自分の顔の中に穴が開き、さらに虫が入り込んでいるのだ。

不快感以外の何ものでもない。


 医師はとりあえず昆虫を排除しようとして、ピンセットで除去するのを試みた。

穴の中へとピンセットの先端を入れ込み、昆虫の足を捉える。

穴はさほど深くはない。引っ張れば簡単に取れそうな気もする。

しかし、昆虫の足のとげとげが皮膚に引っかかり、足を掴んで引っ張っても中々に抜けない。

医師も眉間に皺をよせながらピンセットを操るが、昆虫も意地でも出るものかと必死の抵抗を見せている。


 10分程度は悪戦苦闘しただろうか。

引っ張りすぎたせいで、とげが皮膚にささり血がにじんでいる。

取り出して欲しいが、そろそろ皮膚も痛い。


「中々抜けませんか」


「この虫も往生際が悪いようで」


「ちょっと痛いです」


「あと少しです。頑張ってください」


 医師の言葉は信じたいが、中から外へと排出されそうな気配はない。

むしろ引っ張れば引っ張るほどに、奥へと進んでいるような気さえする。

真剣な表情の医師、痛みに顔が次第に歪みだす男。

さらに時間が経過しても昆虫が出る気配はない。


 それ以上の格闘は無意味と悟ったのか、医師はピンセットで引っ張るのをやめると、静かにこういった。


「奥まで入りすぎて取れないですね。切りしかないかもしれません」


「それは手術をするということですか?」


「そうです。これ以上取り出そうとすれば、皮膚が傷つきますし、そこから細菌感染するかもしれません。

一度切開して完全に取り出し、穴も縫合して埋めます」


 手術、と聞くと尻込みしてしまう。

穴はそこまで深くないように感じるし、もう少しほかの道具でも使えば取れそうな気もする。

それに顔に手術痕が残るのも嫌なことだ。

男は決心のつかぬ曇った表情のまま黙り込んでしまった。


「それにしても不思議な虫ですね。コガネムシのようにも見えるけど、なんかそれにしては丸い気がする」


「この虫の種類が分かるんですか?」


「専門家ではないので、詳しくは分かりませんが、見たことがないですね。

海外では人の皮膚に寄生するウマバエというハエがいますが、昆虫で人の皮膚に寄生するというは聞いたことがない」


「日本では初の症例なんですか?」


「恐らくは」


 日本初の症例。そんな言葉がますます男を不安にさせる。

果たしてちゃんと虫を取り除くことは出来るのだろうか、取り除いたとしてその後は大丈夫なのだろうか。

 何故こんなことになってしまったのだろうと嘆き、男は頭を抱えた。


「どうしたらいいですか?」


「そうですね……初めての症例ですし、より専門性の高い機関で見てもらったほうがいいかもしれない。

紹介状を書くので、そちらで改めて診察を受けてください」


「はぁ……」


 結局、この場での対処は以上だった。

昆虫を処理するには至らず、むしろ医師から告げられたのはとてもいい気分なものではない。

日本初の症例だとか、専門機関で見ろだの、手術かもしれないと。

 繰り返される後悔はあとを絶たない。


 日を改めて、今度は大学病院へと足を運んでいた。

先日の医師からすでに連絡があったのか、待ち受けていたのは複数の医師たちであった。

診察室にはまずは診察を行う医師、手術を前提に控えている外科医、それに昆虫の研究を行っている大学教授と助教授。

四人の目はどれも興味深そうに、そして何かおぞましいものをみるような目つきで穴を見ていた。


「本当に穴が開いている。結構奥まで入れるみたい」


「本当に中に虫がいますね。昆虫だ」


「外殻の形からダイコクコガネに似ている気がしますね」


「コガネが皮膚の中にいるなんて初めて見た」


 医師や教授らがそれぞれの意見を述べる。


「一つご協力願いたいのですが、このような昆虫の症例は初です。取り出した昆虫は是非こちらで研究したいのですが」


 口ひげを生やした教授が言った。


「構いません。取り出してくれるのなら、その後はどうとでもしてください。とにかく早くとってほしいんです」


「わかりました。では本日より入院して頂きます」


 とりあえず入院することが決まり、何枚もの書類にサインした。

日本初の症例とあり、他者との接近は避けたほうがいいだろうと面会謝絶の個室へと入院することとなった。

何もかもが不安であった。

病院にきたはいいが、昆虫をすぐに取ることは出来ず、事態はどんどん重いほうへと転がっている気がしてならなかった。


 手術当日。

あと1時間後には麻酔がかけられ、手術室へと赴く。

着替えをすませ、ベッドの上で待つ。

ただひたすらに不安であった。

手鏡で顔を見てみれば、顔の穴にはもぞもぞと動く昆虫の姿。

これで取り出されると分かっているのか、昆虫はやたらと動き回っている。


 不安は大きいが、この手術が終わればこの最低最悪な現状から脱出できる。

そんな希望の光もある。

昆虫は知ってか知らずか動き回っている。


「虫よ、お前ももうここまでだ。俺の顔に寄生なんかしやがって」


 昆虫に対して文句を吐く。

 昨日の教授の話をふいに思い出した。

このような症例は初、恐らくは新種の昆虫ではないだろうかと話していた。

もし新種であるのならば、まだ名前はないはず。

ならば、その名前を自分がつけてやろうではないかと男は考えた。


「お前の名前は俺がつけよう。何がいいか、とびきり酷い名前にしてやろう」


 もぞりと動く昆虫。

黒くて丸っこくて光沢がある虫。足はとげとげしていて、形からして恐らくはコガネムシの仲間だと言っていた。


「フトアナクロコガネ、いや、ブリブリクロコガネなんてどうだろう。そのぶりぶりした体とうんこ見たいにひねり出してやるから、ブリブリだ」


 昆虫の臀部が動く。

まさにブリブリとした動きは名前に相応しいといえるだろう。


 名前が決まったところで、看護婦が部屋を訪れると手術前の点滴を腕に刺した。

いよいよこれで昆虫とはお別れである。

やっと解放されるという安心感が胸にこみあげてくるのが分かる。

これが終わったらやっと日常に戻れる。

会社に戻ったらなんていおう、みんなは信じてくれるだろうか、いや、むしろニュースなどで報道されて有名になってしまうかもしれない。

様々な妄想が浮かび、それをリアルに想像出来る。


 手術がはじまった。

麻酔によって眠った男の顔には手術用の生地がかけられると、穴と虫の部分だけがライトに照らされている。


「では、これより手術を行います。今回は初の症例となりますので、皆様どうぞよろしくお願いします」


 執刀を担当する医師の言葉に、看護婦たち、そして他の執刀医、同席した教授たちが頷く。

手にしたメスが男の皮膚へと刺さり、血の粒が浮かび上がる。


 手術は想定していた時間を大幅に超えたすえに、成功した。

 男が意識を戻したのは、もう夜になってからである。

ナースコールを押すと、看護婦と手術にあたった医師たちの面々が部屋へと入ってくる。


「手術はどうだったんですか」


「成功です。昆虫は完全に取れ、穴の縫合も完了してあります」


「良かった、それは良かった! 本当に良かった!」


 これですべては終わった。やっとこれで日常に戻れる。

そんな思いがあふれだす。それに連なって、妄想していた様々な未来が思われた。


「昆虫はどんなものだったんですか?」


「えぇと……それがですね」


 今まで顔にいたのはなんだったのだろうと問いかけると、医師は困ったような素振りをした。

人差し指で頬を掻くと、少し考えたように口を開く。


「とりあえず昆虫の除去には成功したのですが、手術の最中に虫が抵抗したために、虫は解体して取り出したのです」


「えぇ! そうだったんですか……じゃぁ、世界初の昆虫は死んでしまったんですね……」


「残念ながら……」


「解体した昆虫はどうしたんですか?」


「同席した教授に手に渡っています。死骸であっても調査は出来ますから、ご安心ください」


「そうですか……。何かわかったら教えてもらえますか?」


「えぇ、勿論。今日は手術でお疲れでしょうから、もうおやすみください。また明日、診察を行いますので」


 診察という言葉に、男ははて、と首をかしげた。

もう手術が終わったというのに、診察は少しばかり言葉がおかしな気がしたからだ。


「診察、ですか?」


「あぁ、事後診察ということです。世界初の症例ですからね。体に影響はないか見てみるんです」


「そうですか……わかりました」


「はい、では、明日9時に診察室前にお越しください」


「わかりました」


 医師たちが部屋を後にすると、消灯され病室には静寂が訪れた。

 廊下に響く医師たちの足音が徐々に遠ざかっていく。

何か会話しているのが聞こえるが、小声すぎて何を話しているのかまでは不明だ。


 看護婦の一人がナースステーションに戻ると、席に腰を下ろし深いため息をついた。


「はー、疲れた」


「どうしたの? またあの人?」


「また3番の人だよ」


 控えていた看護婦が戻った看護婦のため息に同意して、同じようにため息をつく。


「今回はちゃんと理解出来たかな?」


「どうせ意味ないよ。明日になったらまた騒ぎ出すでしょ。穴が開いたー、中に虫がいるーって」


「もう毎日繰り返しているんだから、もっと薬増やせばいいのにね」


「無理でしょ。全く、これだからプシコは」



 翌朝になって、男はいつものようにスーツに着替えていた。

顔を洗おうとして、鏡を見ると左ほほに親指の爪ほどの大きさした穴が開いていた。

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