表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

桜子さんのショートショート

年越しの夜に嫁ぐ娘のお話

作者: 秋の桜子

 じじ、と音を立てて灯明が消えた。風など入らぬ、本殿奥深い部屋。花嫁の娘は、白い床の上で息を飲み、その時が来た事を全身で感じた。


 重い戸が開けられた様子などなかったのに、いつの間にか彼女は、一夜の夫となる人に抱きしめられていた。


 全てに置いて、初めてな花嫁は応える事も出来ずに、かたかたと、優しく包まれた腕の中で、小刻みに震える事しか出来ない。


 怖いか、と花婿の『声』が頭の中に響く。嘘は通じぬ相手……彼女はふるふると、震えながらも同意の為に頷く。


 ……そうか、と答えるやさしい闇、もうすぐ里の大晦日の『鐘』がここまで届くから、百八から戻りなさい……怖く無くなる。


 戻る……逆から数えるのだろか、不可思議に思いながら、言われた通りに、かすかに聞こえる音を数える……百八……百七……ろく……五……


 ゆるゆると数える、それにつれ痛い程に脈うっていた鼓動も少しづつ収まる。音と共に何か目に見えぬモノが、彼女の中へと入り力となっているような様子……


 彼女は緊張の為に、からからに喉が渇いていた。そして唇も……そのまま数えて、最後までいいねと、優しい闇が耳にささやく。


 素直に頷く彼女。少し恐怖が薄れたのを見届けると、するりと花嫁の夜目にも白い、婚礼衣装を肩から落とす花婿、


 彼はこの時の為にその身体に『氏神』を宿された依りしろ。その為だけに里から拐かし、人知れず神官達により、全き清きモノに育てあげられたヒト。


 夜が開ければ、塵と消える今宵の為だけの花婿となる人間。


 九十二、と数える娘。柔らかい頬を両の手で包まれると、渇いた唇を癒すように、柔に塞がれた。


 娘の頭の中で、良い子を……宿しておくれ、と声が静かに流れる。八十八……ハイ……八十七と答えを返す。


 ×××××


 白い練り絹の羽二重の下襲を着付け、艶やかに長い黒い髪を後ろに一つに束ねて、娘の嫁入り支度は調った。


 本来なら、下襲のその上に本襲と呼ばれる、共に着付ける一枚があるのだが、夜着の為にそれは省かれている。


 紅も白粉も 相手の御方様には不快な物、唯一、香り高い伽羅だけは許されていて、装束には濃く焚き染めてある。


 娘の年は十八、名前は八重子、新月の夜に生まれた彼女は、年が満ちれば氏神様に輿入れすることが、占いにより定められていた。


 お清でなければならない、と幼き時より、家から離れ、榊の幣に囲まれ日の下に出ることなく、時を重ねた。


 外を走り回る事もなく、雨に打たれることもなく、風に頬を染め、髪を乱れさせる事もなく、

 淡々と物も思わず……心揺らすことなく、生きてきた。


 時が満ちた大晦日の朝、何時もと同じ時刻に目を覚まし、運ばれた粥の食事を取ると、今宵の祝言の為に髪を洗い、身を清めた八重子。


 そして年の瀬に自らひと針、一針縫い上げている婚礼衣装を手に取り仕上がりを確認する。


 ああ、良かったこと、どうやら間に合いそうと、彼女は安堵の気持ちで、ほっとした。


 そしてそれを、一気に縫い上げていく。外は雪が積もり、また降り続いているのか、音を飲み込み、しんしんと冷え込む板の間の室内。


 暖の為の小さな火鉢に、いこしてある赤い炭火にかけられた鉄瓶の白い湯気が、じんわりと温もりを広げている。


 うつむきちくちくと縫い進める彼女。早く縫い上げ、香を炊かなければいけない、氏神様が奉られている宮に向かうは、日が落ち闇が深く訪れた深夜時。


 歩いては、僅か二十か、三十歩……でも遠く感じるそのわずかな距離……『人外』になるそこは八重子にとっては、遥か遠い場所に思える。


 ……山深くにある隠れ里、そこに建てられている小さな神社。同じ敷地の奥の一角に、彼女の暮らす小さな庵は建てられている。


 そこに九つの時に居を移して以来、彼女の母親が通い世話をし、ここまで育て上げた。


 その母親とも、一通りの事が出来る年になった、十五の年から年始の日朔日に、出会うのみ、日々の話もそうそう、出来なくなった。


 ……しゅんしゅん、湯が立つ音の中八重子は、離れて暮らす家族の事を思い出していた。


 かあさんとは三年前まで、話も日々していた。でも父さん、兄さんとは九つの時に別れて以来、会うこともない。


 元気だとは、母さんからの文で知ってる。兄さんが嫁様をもらった事も、男の子が生まれた事も……


 きしゅっ!と 縫い目をしごく、そして縫い終わりを玉に止めると、糸を切り出来上がりを見る。


 そして満足そうに頷くと、針山にそれを戻し、立ち上がりふわりと肩にかけ、身にまとってみた。


 白い練り絹は手触り良く、しっとりと身に馴染む。絹の重さが心地よい。


 今宵これを着付けて、本殿奥へと祝言為に向かう。氏神様の元へ……八重子は背筋に走る律したモノを感じると、ふるると身震いをした。




 よく降るねぇ、やめばよいのに、と介添えの為に、母親が夕刻に訪れた。


 おお、寒いと自ら持参した茶葉で、熱いお茶をいれると、懐から懐紙に包んだ砂糖菓子を取りだし、お前もお食べと勧めてくる。


 桃色、しろ、もえぎ色の落雁、八重子はくすくすと笑いながら、ひとつを口にいれ、母の入れたお茶をすする。


 やがて日が落ち、部屋に灯りをともす頃、通いで、この小さな宮に仕える神官達が、二人に祝いの膳を運んできた。


 小豆ご飯に、蛤の吸い物、白い大根と赤の人参のなます。それに婚礼らしく、つきたての餅も添えられている。


 ゆるりと時間をとり、八重子と母親は、二人で囲む最後の夕げを過ごした。そして雪は……まだ静かに降り続けていた。


 ……作法はわかっているね、お任せしておけばいいから、お前は主様を、復活させるお役目を担っているからね。


 母親は、嫁ぐ娘にそう話す。顔を赤らめ項垂れる娘。占いでは、氏神様に嫁ぎ、そして彼女の産む赤子が、遥か過去に、里の者に陥れられ、僧侶により封じられた『主様の生まれ変わり』だと言われている。


 食事も終わり、しんしんと積もる雪、夜が更けるに連れ溜まりつつある。ざっさ、と雪をかく音が聞こえる。彼女の為に神官達が、道を開けている様子。


 そして八重子は、母親の手を借りながら仕上げた婚礼衣装に袖を通す。息を吸うと、焚き染めた伽羅が体の中に満ちる。


 幾度も、幾度もつげの櫛で長い黒髪を母親が、願いを込めて優しくすく、そして後ろで一つにに束ねると、娘の支度は調った。



 ……しっとりと濡れたような、闇の中で『声』は問いかける。怖くないか?か、持てる力を解放し問いかける。


 主様は、かつては実体を持ち、山の民を守る一柱の神。


 土の龍を扱い、好戦的な里の民より、穏やかな山の民を守るために、かつて、日々送り続けておられた魔の手から、その地を守っていらっしやった。


 しかし彼とて神であろうとも、疲弊はする。その折りを見計らい、領主に命を受けた一人の僧侶が、和平を持ちかけ近づき、封印をかけた。


 神である彼は、仏に仕える者に邪心があろうとは、夢にも思わず、周到に張り巡らされた罠にはまってしまったのだ……


 全てを封じられそうになったのだが、ひとつを犠牲にし、ひとつを逃がし、残りは封じられた主様。


 そして山の民は散り散りになり、隠れ里を作り、密かにあちらこちらで、生き長らえていた。



 封じられた時から、どれ程の時が過ぎたであろうか、かつての僧侶ももういない。


 そして里の人々はいつの間にか、闇に巣くう魑魅魍魎を忘れはて、この世を全て手にいれたと思って幾久しい。


 大晦日の夜に百八の鐘をつく。それに封じられた異形の神を、人が打つことにより、封印を強固な物へとする儀式だったのだが、


 かつての僧侶も亡くなり、かつての伝承など鼻にもかけない今の人々は、


 封じられた神の事など忘れて、ただ何も思わずに鐘をうつ。なのでやがて『それ』が気がつく。


 そこで考える九つ目。かつての自分自身は、新月の夜に、この山の神を母とし、里の神を父として生まれたと、そう記憶が残っている。


 犠牲にしたひとつ。それは自身の身体。あの時咄嗟に身体を棄てて『記憶』九つ目をここに飛ばし、残りは封じられた。


 ならば、あれを呼び寄せ、再び身体を……私も合わせて新たなる器に、入ることが出来れば、再び甦る事が出来るかもしれない。


 そして残された僅かな力を使い、ゆるゆると時をかけ、計画を実行に移した……


 母なる娘が生まれる事を察すると、父なる者になる赤子を里から拐かし育てる様に、神託をおろした。


 そして呼び寄せる事が出来るか、密かに試した。ある年にこちらに来るよう念じた、しかし何も起こらなかった。


 次ぎに、一つ二つと数えてみた、やはり何も起こらなかった


 次に、百八から、百七、百六と数えた。するとゆるゆる年の夜に欠片が集まる。


 しかしそれは『一つ』にはなれなかった。ゆらゆらと、己の今のように漂うのみ、そして


 夜が明けると、光に溶けて行く様に、帰って行ってしまった。


 やはり『器』がいると……それに力を僅かに注げばおそらく、上手く行くことを、九つ目はこの時予感した。


 そして全ての者が揃い、時が満ち九つ目の計画が、動いた。終わりの夜、終わり望みの朝が、始まる年に……先へと望みを託した。



 八重子は一夜の夫の顔形は、最後までわからなかった。最後の一つ迄数えた時に、何か大切な何かが入った、とそう思った。


 良い子を……宿してくれないか、そう再びささやかれた。それにもう恐怖も何もなく、闇の中で、見えぬのに笑顔で、はいと、彼女は答えた。


 ……やがて奥の一室に、天井近くに作られている、明かりとりの窓から新年の光が差し込む。


 寝具の上で共に横になっていた、妻の傍らで、見ている前で、彼女の夫はその光にあたると、白く溶け行くように消えていった。




 そして再び八重子は、あの庵へと戻り、元通りの、静かな日々を送る。


 何事にも心を揺らすこともなく、思うこともなく……淡々と日々を重ねる。


 しかし深い濃い闇夜の時には、ふと思い出す。この子の父親のあの御方様の、お名前位聞いてもよかったのに、うっかりと、何も聞けなかった。我ながらぬけてるわね、と


 苦笑しつつ、生まれてくる子供の為に、仕事に精をだす八重子。


 白くさらした木綿で、幾枚も肌着を縫う彼女。ちくちく、と針を操り縫い上げていく……


 そして彼女の時が満ちるのを、再び皆は待つ。彼等達の神が、この世に生まれるその時を……そして、生まれた赤子が長じて、成人を迎えたとき、


 何が始まるかは、今はまだ……誰も知らない、誰一人、知らない事。


『完』































































評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 一夜の床の中――エロスがありそうなのに、それを全く感じさせず、本当に"一夜のみ"という儚さが表現されていると思いました。良かったです。
[良い点] 何処かの地方に伝わる土地神、伝承につき従う里の人々、民俗学でお目にかかりそうなお話は、中々読ませるものでありました。 [気になる点] 朝日で消える闇夜の神って、どんな神なんでしょうね。 […
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ