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短編 女性主人公

私の仕事は代書人 〜好きな人から恋文の代書を頼まれました〜

 私の仕事は恋文を書く事、と言っても過言では無い。


『敬愛するアリウス子爵様へ


雪解けの清涼な水が川に注ぐのを見て、アレクトールに春の訪れを感じます。時が過ぎるのは早いです。だけど私がアリウス様と出会ったあの冬の日は、今でも昨日の事の様に思えます。冬の街道、積雪で立ち往生して居た私。一介の花屋の娘である私を助けてくれたアリウス様の温もりを忘れた事は有りません。春の日差しが雪を溶かす様に、私の心はアリウス様によって溶かされてしまったのです。あの時の心を胸に抱いて、私は1日1日を過ごして居ります。所詮、叶わぬ恋だと言うことは理解しています。しかしながら、アレクトールに立ち寄る際はどうか【花屋メリー】を訪れてください。あなたの為に育てている一輪の花を胸に待っています


 花屋の娘メリーより』




「うーん……こんなところかな」


 羽根ペンを置き、私は呟く。羊皮紙に刻まれるのは、自ら綴った歯の浮く様な恋文。だが私は《花屋の娘》メリーでは無い。私は《代書人》ミュールである。


 文字通りーー私仕事は代わりに文字を書く人なのだ。



 一般市民の識字率は低い。そんな中、字を読めて字を書く事が出来れば……それは商売になりうる。


 幸運にも私ーーミュール・レグルスは読み書きが出来る。死んだ父も代書人で……まあ私の事は良いか。ともかく、私の仕事はもっぱら代書に代筆だ。


 城塞都市の中央区に建てられた文、書物関係ギルドの一室。ここが私の職場である。


 帳簿の記帳、嘆願書の代書……仕事は色々あるけど大体はもっぱら恋文の代書である。


 顧客は色々。先みたいに貴族にホの字になってしまった街娘や、商人や貴族の家で働く女中。


 字が読めない者から読める者へーーとなると送り主と送り先は大体そんな関係だけ。主人と従者。


 彼女等は私に囁くのだ。まるで罪を神に告白するかの如く、赤裸々に自らの胸中を。誰かが言っていたか……代書屋と告解室へ入る女の面持ちはよく似ていると。何と無く分かる気がする。

 

「んー……」


 私は恋文と、手元の蝋板に刻まれた文字を見比べる。蝋板に書かれているのはメリーから聴取した注文だ。恋文の内容はこんな感じにしてくれみたいな。……こんなもんかな。


「どうしたの難しい顔して」


「サラ」


 ふわっと柑橘の香り。横から覗きこむように現れたのは同僚のサラ。サラは恋文を見つけ、内容を読む。そして眉間に皺を寄せ。


「……これまたイチゴジャムに砂糖ぶち込んだみたいね」


「大体こんなものですよ」


 サラは同僚だが代書人では無い。写本師と呼ばれる、文を書き写す者である。専ら写本師は修道士に多く、サラも元は修道院に居た。


 だからサラも文字を読めるのだが……恋文を書くのは業務範囲外だ。


「あたしには到底書けないわ……」


「私からしたらサラやってる写本の方が気が遠くなりそうですがね」


「それはまぁ、神への信仰心があればね」


 写本と言うの修道士にとって贖罪であるらしい。修道院では記写した文字の数だけ罪が許されるとの事。


「ならその格好は神に背いてるんじゃないですか?」


 サラの見た目は派手だ。目鼻立ちのくっきりした顔に流れるような金色の髪。何より胸がデカく、当人もそれを分かっていて、強調する様な格好をしている。……私? 私は貧乳だクソが。


「残念私はもう修道士じゃありませんー。よって破戒にはならないですー」


「ああ……神も嘆いているでしょう」


 そんなアホなやりとりをしているとーー。


「こんにちわー、羊皮紙屋です」


「!」


 扉を潜り現れたのは荷物を抱えた1人の青年。


「お、エルク」


 エルクさんーー彼は羊皮紙屋。私達のギルドに羊皮紙屋を卸している。当然ながら私達の仕事は紙が無ければ成り立たない。だから、我々と羊皮紙屋の関係は密接である。


「結構あるね。重かったでしょ」


「まぁ、何時もの事です」


 サラが言う様にエルクさんは結構な量を抱えて来た。だが、彼は全く息を切らしていない。


 恐らくそれを成すのは鍛え上げられた肉体だろう。直に見えるのは腕だけだが、それでも分かる。粘りのある鋼に上質な革を貼ったようなしなやかな肉体。ああ、まるで神話に出てくるような英雄が持つ体躯。だけどそれに見合わぬ若干気弱そうな顔。灰色の髪に憂いを持った灰色の瞳は私の心にそう感じさせて、だけどその落差が女心をーー。


「ーーーーミュールさん?」


「ひゃいっ!?」


 気づくと心配そうなエルクさんの顔が近くにあった。思わず心臓が爆発しそうになる。


「だ、大丈夫ですか? なんかボーっとしてましたよ……」


「だ、大丈夫ですよ。あはは……」


 し、知らぬ間に飛んでいたようだ……私の悪い癖だ。エルクさんを前にすると、どうにも……。


 エルクさんを見てると何だか胸が熱くなって、口が回らなくなる。頭の中に言葉は浮かぶのだけど、それが口より前に出る事は無くて……どんどん心に溜まって飽和してしまう。


「羊皮紙の納入枚数ですが、今回は……」


「……」


「ミュールさん?」


「へ!? は、はい……」




 ■ ■ ■ ■





「じゃあまたお願いしますね」


「は、はい……」


「またなー、エルク」


 納入もろもろを済ませ、エルクさんはギルドを後にする。やがて、ドアが閉まりその姿が見えなくなりーー。


「……はぁ」


 どっと溜息が漏れる。主にダメな自分に対して。


 言わずもなが、私はエルクさんが好きである。何処が好きかと言われたら……列挙したら羊皮紙何枚分になるか分からない。


 付き合いは割と長い。思いは吐き出せぬままどんどん積もりに積もっている。


「エルクを前にするとミュールはアレだよね。初陣の新兵みたいだよなぁ」


 呆れたようにサラは言う。


「う、うるさいですよ……」


「ほら、いつも書いている恋文みたいにエルクへの愛を語れば良いのに。そうすればあいつも惚れるって」


 そんな事が出来たら苦労しないし、そもそも口が裂けても、恋文の言葉を語らうなどしたくない。あれは、赤の他人から赤の他人への言葉で、しかも文面だから扱えるのであって……口になんか出したら憤死する。


 それに私は文はかけても、口は達者ではないのだ。


「はぁ……」


 また、溜息が漏れる。私は自分に自信が無い。サラみたいに美人では無いし、胸も大きくない。癖のある赤毛に地味な顔立ち。


 自慢できる事と言えば、字が書ける事。恋文が書ける事だ。……しかし、エルクさんは字が読めない。私は口下手だから、まだ文の方が上手く思いを伝えられそうだが、恋文を送ろうにも出来ないのだ。


「あ、また心の中で自分を卑下してるでしょ」


「い、いえ別に」


「はぁ……精錬な代筆屋なんて呼ばれてるのあんたぐらいなんだからもっと自分に自信持ちなさいよ」


「……それは別に当たり前の事をやっているだけです」


 この仕事は商人からの記帳の依頼等、金が絡む事も多い。それを良い事に金を掠め取る同業者も多い。相手が字を読めない事を良い事に適当な事をする奴も沢山いる。ーーそれを私はしてない。正確にはとある理由からにはできない、と言った方が正しいか。


「……よし! 今日は飲むぞ!」


「何でそうなるんですか……」


 呆れつつも私はサラの明るさにほっとする。……うん。今日は飲んで忘れよう。どうなるか分からないけどきっと時が解決してくれる。








 だが数日後、それは甘い考えだと思い知る事になる。





 

 ■ ■ ■ ■





 昼下がりの職場。私は1人仕事場の整理をしていた。今日は安息日の為、仕事は無く客も来ない。


「んー、結構見えないところが汚れてますね……ん?」


 突然、職場の扉が開く音がした。誰だろう。安息日だから客ではないだろう。サラかな。扉の方を見るとそこにはーー。


「こんにちは」


「っ?!」


 現れたのはエルクさん。な、何故安息日にエルクさんがここに? そもそも何をしに? 私が泡を食っているとエルクさんは心配そうな顔で。


「どうしたんですか?」


「ほ、本日はお日柄も良く……」


「は、はい?」


 何を言っているんだ私は。顔が赤くなるのを感じる。誰か私を穴に埋めてください。


「ど、ど、ど、どうしたんですか突然。あ、あ、安息日ですよ」


 私はどうにか落ち付き取り戻し問う。だが、エルクさんは何か逡巡する様に俯き、そして意を決したかのように顔を上げ。


「じ、実はミュールさんにお願いがあるんだ」


「へ?」


 お、お願い? も、もしやデートとか?






「ーーーー恋文の代書をお願いしたいんだ」


「…………へ?」


 恋文の代書? エルクさんの? 私が? え、え、え? 脳が事実を理解しない。




 エルクさんには好きな人がいる。


 


 気づいたらエルクさんは帰っていた。手元の蝋板にはエルクさんから聞いた内容のメモがしてある。


 ショックで無意識だったが……どうやら一応内容は聞き取ってメモしたらしい。今日は安息日だから仕事はできないから。


「……」


 ショック過ぎて体が動かない。すると再びが開き。


「お、ミュール。あたしも暇だから手伝だい…………どうしたの?」


 私の只ならぬ雰囲気を感じたのかサラは怪訝な顔をする。どうしたって、私はエルクさんから恋文の代書を依頼されて、私はエルクさんが好きだけどエルクさんには好きな人が居るって事で。


「っ」


 駄目だ。色んな感情が湧いて来た。目の前がグルグルする。私は今立っているのか分からない。


「お、おいミュール!」


 視界が暗転し私の意識は途切れた。





 ■ ■ ■ ■





 拝啓お父様。私は好きな人のラブレターを代書する事になりました。




「……」


 羽根ペンを握るが金縛りにあったかの様に動かない。昨日依頼されたエルクさんの恋文の代書。あまりのショックで気絶してしまった。


 ……正直めちゃくちゃ辛い。サラも無理をしなくて良い、と言っていたが私が代書を断ったところでエルクさんに意中の人がいる事に変わりは無いのだ。それに依頼自体に何の違反があるわけではないのだ。公私混同はしてはいけない。


 私は蝋板に刻まれた内容を見る。その人はとても仕事熱心で、そんな姿に自然と惹かれていった……つらつらと愛の言葉が綴られている。


 震える羽根ペン。胃がムカムカして気持ち悪い。吐きそう。……相手は誰だろうか。文字を読めて羊皮紙屋と付き合いがあるなら、割と良い仕事の相手かも知れない。


 ーーウソの手紙を書いて仕舞えば良いんじゃ無い?


「……っ」


 悪魔の囁きが頭を過ぎる。そうだ、嘘の内容を書いて仕舞えば良いんだ。エルクさんは字が読めないから内容を確認できない。だから内容を捻じ曲げて2人が上手く行かない様に出来るかも知れない。そうだ、そうすれば良いんだ。


 ーーミュール、嘘偽りない人間であれ。


 それは父の言葉。死に際の父の言葉が頭を過ぎる。父は殺された。嘘の代書。偽造工作に従わなかった為に権力に殺されたのだ。父は真面目で正直であった。そしてその為に殺されたのだ。


 何故、父の様な人が死ななければならなかったのか。私は認めたくなかった。ーーだから、父の様に生きるようにしたのだ。精錬な代筆屋。それは父の為に、その様にあり続ける。


 ……だから、悪魔に囁かれても嘘は付けない。それに、そんな手紙を書いた事実を胸にエルクさんに向き合えない。そんな資格も無いだろう。


 私は奥歯を噛み締め、必死に好きな人の恋文を綴り続けた。






 数日後。





 私は書き上げた。エルクさんの恋文を。


「……大丈夫ミュール?」


 サラが心配そうにこちらを見る。確かにここ数日で痩せた。あまり眠れてないからクマもあるかもしれない。だが問題はない。ないのだ。


「大丈夫です」


 手には書き上げた恋文。期限は今日までだったが、どうにか書き上げた。


 相手は仕事熱心な頑張り屋さんで、とても尊敬できる。そんな所に惹かれていって気付けば好きになっていた。貴方に合う事を考えるだけで仕事がを頑張れるーーーーだとか。


 相手は伏せらていて分からないが……うん。素晴らしい人だ。素晴らし過ぎて吐きそう。…………執筆はまさに地獄に落ちた高利貸しの如くの苦しみだ。だがようやく終わる。もういい。もういいのだ。


 からんっ、とギルドの扉が開く。


「こ、こんにちは」


 現れたのはエルクさん。ひゅっ、と呼吸が変な拍子を刻む。落ち着け。平常心だ。


「あ、あの……恋文を」


「はい、出来ております」


 震える体をどうにか抑え、書き上げた恋文を差し出す。頑張れ私。恋文はエルクさんの手に渡り、彼はじっとそれを見つめる。


 彼は暫く動かない。どうしたのだ。頼む。そろそろ限界なんだ。するとエルクさんは顔を上げーーーー。








「ーーーーミュールさん。この恋文を受け取って下さい」


「ふぇ?」


 エルクさんは真剣な眼差しで恋文を差し出す。え、え、え? 私は全く理解が出来ない。ど、どういう事?


「だ、だってそれは……」


「じ、自分……口下手なですから上手く言えなくて。でも、手紙を通してなら伝えられると思って。この前話した事は全てミュールさんに向けてなんです。自分と恋人になって下さい!」


 何が決壊する感じがした。


「う」


「?」


「うわあああああああああん!! 良かったよおおお!」


 年甲斐もなく、私は泣き叫ぶのを止められなかった。





 ■ ■ ■ ■





「つまり……ミュールさんは自分が別な人に恋文を出すと」


「は、はい」


 つまるところ私の勘違いだったらしい。エルクさんも実は私が好きだったとの事。全然気づかなかった。


「いやそりゃミュールは勘違いするでしょ」


「すいません……」


 サラの呆れたような指摘にエルクさんはこうべを垂れる。まあいつまでも煮え切らなかった私も私だ。それに口下手な気持ちはよく分かる。


「でも自分も気づきませんでした。ミュールさんが自分を……」


「わ、私も口下手ですから」


「……でも今なら何回でも言えます。好きですエルクさん」


「自分もです。好きですミュールさん」


「イチゴジャム砂糖山盛り」


 サラのツッコミに皆が笑っていた。

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