三章 胸の内には千古の霊峰を見ています
日々の暮らしがいつの間にか過ぎ去って行く。
それは、この社に住まわせてもらってる今でも同じだった。
初めにここを訪れた日や、巴馴と最初に出会った日も、未だ昨日の事のように思えていた。
◇
巴馴の左目は、私と出会ってからここで生活するうちに、二週間ほどで自然治癒されていった。
いつの間にかその目が綺麗に元通りになると、巴馴は痛みを感じなくなっていたらしい。
原因は何だったんだろう?
巴馴がこの社の地へ越してきた事に起因するのだろうか?
何であれ、良かったんだと思う。
巴馴がここへ来たことや、ヒテイが傍らに寄り添ってくれていたことも、きっと。
…
でも、巴馴は時折何かに対して怯えるという事があった。
それは恐怖と言っていいのかどうかはよく分からない。
そういった恐怖を持っているんだっていう印象は、巴馴と最初に出会ったときからずっと感じていた。
巴馴の左目が治ったあとでもそれだけは消えることはなかったんだ。
主に、死を連想させる恐怖、生きて日々を紡いでいく事への恐怖などがある。
この社で滞在していても、巴馴を取り巻くその恐怖は常にあって、取り除く事が出来なかった。
その原因が私には分からなかったからだ。
◇
今、拠点として滞在しているこの無人の社は、今境神社と呼ばれていた。
この社の資料部屋にある比較的読みやすい本にはそう書かれていた。
古くは、平安時代から続いた幾つかの信仰に基づいて在ると書かれていたが、この建物がいつ建てられ、どうやって存続してきたのかは不明であった。
その今境神社に住み始めて三ヵ月が経とうとしていた。
他に行く宛も無い舞永吊は、過ぎ行く日々の中で巴馴のことを見守り、気遣いながら、巴馴のためにもっと安心して暮らせる場所を探していた。
◇
舞永吊「この辺に入り口があるはずなんだけど…」
失礼しますと一声添え、今境神社の拝殿のある所からさらに奥へと進む。
舞永吊のカバンには鈴が付けられていて、それが歩く振動で揺れる度にリンと心地良い音が響く。
その音に反応してリツと名付けられた蝶も舞永吊の半歩後ろから羽ばたいて付いてきていた。
その拝殿の先には開けた野原が広がっている。
その周辺で、ある場所への入り口を探っていた。
倫想苑の郷。
◆
かつて、一部の先祖が慈悲を持って遺したと呼ばれるこの園。
人々はそこを求めてこの世界を脱し、この倫想苑の郷にて暮らす者も多くいるとされていた。
そもそも地図には乗せられないような空間の隙間にある世界であり、その入り口すら確認するのが困難極まり、本当にそんな所が存在するのかすら怪しく不透明であるため、信じていない者が多くだった。
◆
昔にそんな民話だったかを聞いたような感じがする。
今となっては本当の故郷すら思い出せない自分にとって、どこの誰から聞いたのかも分からないのだけれど。
ある一部の神社の奥にはその倫想苑の郷への入り口があると言い伝えられていた事をなんとなく覚えていた。
その一部の神社の中にもしかしたら今境神社も含まれるとするなら、間違いなくこの辺にあるはずなんじゃないかっていう、そんな勘を持って探っていた。
ふと、目を遠くにやると開けた野原の先に鳥居と、その奥に黒い渦のように雲みたいな気体が回っている何かがあった。
近くに寄っても何の音も聞こえないし、ただ回っているだけみたい。
恐る恐る触ってみても、何かを触った感触もしなかった。
その奥に行ってみようとして、腕を伸ばしてみると、電流が走ったように少しだけ痺れを感じ、自分の手が弾かれる。
何か、その奥の様子を確認するのは駄目なような気がした。
舞永吊「うーん…やっぱり迷信のような伝承の類なのかな。
そういう事にしておいた方が良いのかな」
青々と広がる空に、白い雲が幾重にも高く重なっている。
まだ夏と言えるような暑い日は続いているのかな、時期的には残暑が厳しいのかもしれない。
でもこの今境神社の辺りは山の木々に囲まれているおかげで、この季節でも十分涼しかった。
◇
翌日も晴れた、気持ちよく涼しい日。
舞永吊は、たびたび通っていた資料部屋に再び行って、古い本をいくつか読んでいた。
その中でたまたま気になった本を発見して没頭して読み進めていた。
◆
遙か古の時、標高2237mの器録山の頂上に眠り、鎮座していた、神様と呼ばれる存在があった。
初めに誰が祀り出したのかはよく分からない。
平地から見えるその山からは、多くの民が形容し難い強大な畏怖の念を感じさせられていた。
器録山へ参拝のため訪れる民、それは長く長く続く石段を上り詰め、幾つもの灯籠を横目に過ぎると、辿り着いた頂上にあった景色は、下界から見える世界とは全く違っていた。
空は赤く燃え上がるように色付き、雲は器録山の中心を巻く渦のように周りを流れ、赤く染まった空には金や銀の色をした球体の惑星が手に取れるくらい近くにあり、それらの球体は砂時計から砂が零れ落ちるように壊れ崩れ去っては、また再生していた。
頂上にはただ一つ、石畳を基礎に一段高くなった舞台があり、その床には様々な彫刻が多く刻まれている。
そこに小柄の狼のような姿をした動物が一匹、化現していた。
人々はその狼のような姿の動物をさぞ大切に尊び、敬ったそうだ。
ある時、器録山の頂上に訪れた参拝者はその動物の姿が居ないことに気付いた。
いつ逃げ出したのかは分からない、どこに行ってしまったのかは全くの不明であって、人々は深く悲しみに暮れたという。
その後、器録山は一般人の立ち入りを禁じられてしまったという。
それから数十年という月日が過ぎたのちに、その動物が100km程離れた遠くの人気のない深い谷底にて発見された。
その姿は体長が3mほどある巨大な体へと成長していたが、外傷も無く至って健康な状態だった。
その顔や外見は少しばかり違っていたが、おそらくは器録山にいた神様に違いないとして、多くの民が喜びに満ちていたそうだ。
◆
ページを読み進めるとそこにあった記述と参考図画に目が止まる。
仟舎檮狼霊神…?
大きい体格の獣、四つある目、長い髭、ヒテイの特徴に酷似している。
これがヒテイの正体…なのかな?
その時、舞永吊お姉ちゃん、こっち来てっ!て、巴馴の呼び声が遠くから聞こえた。
本を見つからない暗がりの隅に仕舞ってから、巴馴の元に向かう。
◇
舞永吊「どうしたの?そんなに慌てて」
巴馴「たぶん外にキツネが居るよ!姿は見えないけどそんな感じの鳴き声が聞こえるから」
舞永吊「何だ、そんなことか。
慌ててたからもっと深刻なことがあったのかと思った」
巴馴「キツネ見つけに行こ!」
巴馴が急いで外に向かおうとしたので一旦引き止めると、畳んで重ねておいた着物を巴馴に差し出す。
舞永吊「外に行くときは外行きの着物をちゃんと着てね」
◇
キツネを見つけに、巴馴を連れて神社の山を少しだけ降りてみた。
山の高い所から見渡しても、この辺には町も村も何にも無いのが分かってたから、無闇に遠くに行くつもりは無い。
何だか、初めて見る景色なのに懐かしい雰囲気もする。
少し前までここで暮らしていた人たちが居るって思うからからな?
故郷に似た所があるからなのかな?
そういえば今境神社はどんなものを祀っていて、他にどこの神社と馴染みの深い関わりがあるんだろう。
それぞれの神社は色んな縁で繋がっているはずだから、きっとこの今境神社もそれと似た系統の神社も含めてたくさんあって、それらが私の故郷にもあったのかもしれないね。
キツネのことなんかすっかり忘れて、その辺りの散策をしながら思いに耽っていた。
巴馴「あれは何?」
舞永吊「何だろ、だいぶ荒れ果ててるけど山の斜面に木々が植えられてるね…って何だ畑か。
ただの果樹だと思うよ、巴馴」
巴馴「へー、やっぱりまだ人が去ってから日が浅いって思われるような名残がたくさんあるんだね、この辺りって」
舞永吊「うん、それは分かっている」
巴馴「そうなの?」
舞永吊「だってあの神社を見れば分かるから」
平安時代からの信仰であるとするなら、千年以上は前となる。
今境神社が建てられた時期は不明ではあるけど、信仰が始まって以後だろう。
農村などで栄えていたこの地域から、この神社を置いて、また何故に、いつ、人々は出て行ったのかということのほうが気になる。
仮に人が全員去ったのが数百年も前だとするなら、今境神社だって所々壊れてはいるものの、あそこまで綺麗な状態を維持出来ているはずがない。
補修のあとも見える。
神社建築の耐用年数なんて百年以上も持つわけがないからだ。
それならやはり、最近でも、この辺に訪れてこの神社を大事に管理、補修してきた人が居るのかもしれない。
◇
巴馴「わたし、ちょっと休憩する」
舞永吊「うん」
巴馴は腰をかけるのに丁度良い丸石の上にちょこんと座った。
その様子を見てから舞永吊は、歩いてきた道のりを振り返る。
少し遠くの高い位置に今境神社が見える。
まだ全然歩いてきていたわけじゃないのが分かる。
舞永吊「忘れられてしまった、神社、神様。
もっとたくさんの人に思い出してもらって欲しいな」
独り言のように呟いたその声は巴馴には聞こえていなかったみたいだった。
今境神社は大昔に建てられた時から、ずっとここに建ち続けて、何度も建て直しても、何度改まったとしても
決してこの地に別れを告げることは無かった。
それは、ここに宿る神様も同じ。
私が産まれる前でも、私が死んだあとでも、何年経ってもこの場所に居続ける。
決してこれだけは変わらないんだって思うと、私の胸は安心に満ちていた。
たぶんそれだけでこの神社に神様を求めるのは事足りるのだ。
やっぱり私はこの今境神社をずっと残していきたい。
このまま放置していてもいずれ風化して崩れ去ってしまう。
もっと色んな人に、ここにも神様がいることを伝えて、思い出してもらったら…!そうしたら、人は帰ってくるかな?
…やっぱりだめかな、一度忘れ去られてしまったらもう誰も関心を持たないのかもしれない。
きっと誰も忘れるつもりなんか無かったんだと思う。
それでも人は何かを失って何かを得る行為を続けなくちゃ生きることすら出来ない。
◇
石の上に座ったままうとうとと眠りそうになっている巴馴を横目に見たあと、注連縄の掛けられた大きな木があるのを発見して、目を閉じ、手を合わせていた。
そのあと、その先にある少し眺めの良い景色が見える所へ行き、腰を下ろすと舞永吊は見渡すように目線を遠くにやってから足元に向ける。
広がる落葉樹林、ほんの少しの風で揺れるキク科やユリ科の山野草を見ていた。
変わらないものは神社だけじゃない。
この里山も、深山も、野草も、花々も、幾つもの季節の変動によって生まれ変わろうとも、決してその場所を変えなかった。
千年も前と同じ、変わらない空気をまとった、同様の気候を持ったこの地に住まい続けている。
"私は、ただそれだけで嬉しかった。
人々に見放されても、誰にも認識されなくなっても、誰にも思い出してもらわれなくなっても、あなたたちは決して何処にも行ったりしない。
何処にも行かずに、ただずっと、いつものようにここに居てくれて、ありがとう…本当にありがとう。
それが私の唯一の支えになっているのだから。"
人は何で動かなければならないんだろう。
人は何で考えなければならないんだろう。
言葉を発してコミュニケーションを取らなければ生きていけないだなんて、人間はここにじっと佇む小さな草花よりもずっとずっと弱い。
人間が出来ること、人間が持ってるもの保有しているものなんて、この草花にとっては全く要らないものなんだろうね。
初めから意味のないもの得て、それがまた知らずの内にどこかで失われて、それに気付いて辛くなって…って馬鹿みたい。
この手から全部手放して、この地で何も考えず、何もせず、ただこの自然の中で眠り続けることが出来たら、辛いことは何も無い、これ以上平穏なことはないはずなんだ。
前に、一本の杉の大木の歴史を思量したことがあった。
何千年と紡いできた歴史の全て受け止めきる事なんて出来ないってその時思ったんだ。
それはあまりにも重すぎるから。
けれど、今なら考えを少しだけ変えられる。
前と同じように、全ては受け止めることは出来ない、これは荷が重すぎるから。
でもね、ただあったということだけ、その動かない歴史が存在したということだけは強く胸に刻みたいんだって思ったよ。
◇
いつの間にか巴馴は舞永吊のそばに来て立っていた。
巴馴は静かに震えていた。
巴馴「怖い…怖い…。
私、これからも生きていけるのかな。
一度誓った思い、とか、苦痛だった時の記憶が頭の中に焼き付いて忘れられない。
…この先、苦痛のない日々が来るように思えないよ。
ただ真っ暗で、先が見えないようにしか感じられなくて…ただ…怖い」
きっとまた恐怖を感じ始めたんだ。
座っていた隣に巴馴を座らせる。
舞永吊「大丈夫、ほら、今は身体は平気でしょ?
そして今は、私だって居る。
それに、お山の草花たち、そして鳴き声の聞こえたキツネさんだって、みんな仲間がいるよ。
だから苦しいときは一緒になって私も感じる、だから不安にならないで」
巴馴「本当に…?舞永吊お姉ちゃんは嘘ついたりしない?」
舞永吊「うん」
巴馴を落ち着かせるように二人で目を瞑って深呼吸をした。
◇
少しだけ落ち着きを取り戻したかと思うと、巴馴が突然、わっ!て小さく叫んだ。
焦点の合わない目をどこに向けるわけでもなくせわしなく動かし、首を振って周りを確かめるようにして言った。
巴馴「来る…こっちに来る…!!」
急に頭を抱えて立ち上がり、足をバタつかせて、その場から逃げ出しそうになったので、目線を合わせるように少しだけしゃがんで腰に腕を回して体を押さえた。
舞永吊「何が来るの?落ち着いて、巴馴」
巴馴「私を殺しに来る、大きな鋏を持った人が、今から来るの、海の向こうから!離して!!」
舞永吊「ううん、誰も来ないよ?
それにこの辺りに海は無い。
ここに居る人は、私と巴馴以外誰も居ないから、安心して、ね?」
巴馴は舞永吊の頭を何回も叩いて腕を解こうとしたが、強く腰を抱いていた腕は決して外れなかった。
色んな言葉を叫んでいた。
叩かれる頭に何度も痛みが響く、それをひたすら耐えて、五分ほど経つと、ようやく落ち着きを取り戻してきた。
巴馴が腕を下ろしたのを確認して、ゆっくりと腰にあった腕を外して巴馴を解放する。
その巴馴の虚ろな目を閉じた先から一つの涙がこぼれ落ちていた。
巴馴「…ごめんなさい」
舞永吊「いいよ」
立ち上がってから巴馴に手を差し伸べた。
舞永吊「結局、キツネ見つからなかったね、
帰るときは登るから疲れるし、これくらいにして帰ろっか」
巴馴「うん」
巴馴は舞永吊の差し出された手を握る。
遠くに見えるのは連なる山々、この今境神社のある山の麓を探してみても、そこに村や集落らしきものも何も見えない。
改めて考えると自分は一体どこから来たのかって思ってしまう。
ラッカから必死に逃げてきて辿り着いたここで、いつの間にか逃げ道を失っていた。
巴馴の場合は…ここまでヒテイに乗せられてきたんだよね。
ここから歩いて自力で人里を見つけるのにはかなりのリスクが必要となるし、旅準備なんて出来そうにもない。
それなら、抜け道となる希望の道筋はやっぱり一つしか無いのかも。
◇
◇
…
夜、肌寒さを感じて目が覚める。
目が開かれると原っぱの上に立ち尽くしていた。
何だか綺麗な星空、少し前に見た景色。
あれ、それによく見ると散槃の姿も見える。
ここは、山間の静かな村だった。
なんで。
今、ラッカになんて居ないはずなのに。
ずっと走って逃げてきたはずなのに…どうして。
気が付くと周囲を囲むようにカシャクが集まってきていた。
カシャク「舞永吊なんか死んでいい、邪魔だから」
「舞永吊のせいでこうなったから」
「大っ嫌い、居なければよかったのに」
私はその場で目を閉じてうずくまっていた。
舞永吊「ごめんなさい、ごめんな…さい!
死にたくない、殺さないで…!みんなの邪魔しない、迷惑にならないように、私はずっとこれからも一人でいるから…!」
◇
布団から起き上がる。
たぶん、夢を見ていた。
なにか嫌な記憶が蘇るようだった。
額から流れていた汗を手の甲で拭いた。
ここは今境神社だ。
そう、今はラッカでも本当の故郷でもどこでもない。
周りに知っている人は誰も居ないのだ。
数ヶ月経ったけど、こんな怖い夢は未だに慣れないな…。
…
目をこすり、重い瞼をゆっくりと開いていく。
隣を見ると巴馴が寝ていて、寝言を言っていた。
なんだか自分と同じようにあんまり良くない夢を見ているようだった。
舞永吊「巴馴…やっぱり、もっと安心できる場所に居させてあげたいな」
胸が少し締まるような感じと、切ない気持ちになって、その場にいたたまれなくなっていた。
◇
外を見ると、空の様子は、まだ夜の明けない、朝の日が登らない時間帯を示していた。
夜の空が段々と明るくなってきている時間帯は空が一層青く輝いて見えていた。
星はラッカほど多くは映らないけれど、この土地の透き通った大気には、鮮明にその眩い光が届く。
鈴虫の鳴き声が聞こえ、トンボも目を覚まし空を飛び交うと、この場所は時を忘れた昆虫たちの劇場のようだった。
身なりを整えて、外行きの靴を履く。
今境神社の住まいから玄関を抜けて境内に出ると、少し周辺を散歩しようと思った。
外に出ると取れたての果物や魚が道中に置いてあった。
きっと…ヒテイが採ってきてくれたんだ。
姿は見えないけど、ありがとうって感謝してからそれを玄関まで運んでおいた。
あとで巴馴と一緒に調理して食べよう。
◇
たまには普段行かない道に出てみようと思い、ちょっと道を外れた所に行ってみる。
少し背の高い雑草をかき分けて行くと、建物が見つかった。
神楽殿らしき建物のようで、囲いが出来た舞台の上に、大太鼓が置かれてあった。
そこには色々な物が無造作に置かれてあって、倉庫のような建物も隣接していた。
その倉庫の中には笛や琴なども仕舞われてあった。
舞台に上がり、おそるおそる太鼓に近付いて触ってみる。
舞永吊「あ、けっこうしっかりしてるみたい。
やっぱり作りが良いのかな、丈夫に出来てるんだね」
皮の良い触り心地を楽しんだあと、少しだけ手で叩いてみる。
ハリのある皮は、指から直接伝わる強く深い弾性を持っていた。
舞永吊「うん、良い音」
バチで叩いてみようと思って周りを見たけど、無かったので倉庫の奥の方へ探しに行った。
十数分かけて、なんとか奥の方にしまってあったバチを見つけることが出来た。
それを持ってきてバチで太鼓を叩いてみる。
一回、二回、とだんだんと強く打ち鳴らしていく。
心臓の鼓動と共鳴するかのように鳴ったその振動、空気を伝うその響きは、大きく…遠く…深く、その音は周辺の草木を揺らし、遠くの山まで届くと、山彦が返ってきた。
音は、自分の中にある世界を真に映し出す。
ドーン、ドーン、と反響するその音はどこまで聞こえていったのか分からない。
けれど、いっそのこと遠くに住む人々にこの音が聞こえたなら嬉しかった。
いつか誰かがこの地へ足を運んでくれることを期待していたのかもしれない。
◇
そうすると、その大太鼓の音に代え、ケーン、ケーン…っていう鳴き声も聞こえてきて、周囲を見渡すと2匹のキツネがいた。
舞永吊「わあ、いつの間にかキツネが集まってきちゃった」
そのキツネたちが舞永吊の近くに寄ってきて話し始める。
キツネ1「おはようございます!なのです!」
キツネ2「ですにゃあ!」
舞永吊「おはようキツネさん」
キツネ1「最近、人の気配を毎日感じていたのは君だったんです。
もしかして、君はここの社に住み始めたんです?」
キツネ2「ですにゃ?」
舞永吊「あっ…えっと、いいえ、ちょっとお借りさせて頂いてるだけなの。迷惑だったかな?」
キツネ1「そんなことないです、むしろずっと住んでくれないのは残念です…」
キツネ2「です…」
キツネ1「人が住むと農作物も栄えるし、僕たちにとっても嬉しいことなんです」
キツネたちはすごく残念そうにしてたので、この付近が枯れてしまって動物たちも寂しいのかなって思った。
舞永吊「そっか…でも私たちだけじゃどうしようもないんだよね…。
…待って。その嬉しいことって、私たち人間が作った農作物を君たちが盗むつもりなの?」
キツネ2「にゃにゃっ!」
まあ…彼らにとっては、そんな所が狙いなのか。
舞永吊は苦笑いをしてから、大太鼓が置いてあった舞台を降りると、柱に背を預けていた。
日がそろそろ昇り始める時間だろうか。
さっきよりも少し明るくなってきているような気がする。
その時、巴馴の声がした。
巴馴「あ、舞永吊お姉ちゃんやっと見つけた」
そちらを向くと、巴馴がまだ眠そうな顔で立っていた。
舞永吊「わっ、巴馴おはよ。巴馴も早く起きたね。
朝早いのにちゃんと着替えてきたんだね、偉い」
巴馴「どこに行ったのかと思った、起きたら寝床に居ないし靴も無いし…食べ物だけ置いてあるし…
置いて行かれたのかと思った」
舞永吊「ごめんね、無理に起こすのも悪いかなって思ったから」
巴馴はちょっと拗ねた様子で相槌を打つ。
舞永吊「ところで、よくこの場所に私が居るって分かったね。
分かりにくい道だったでしょ?」
巴馴「あんなに大きな音で太鼓の音が響いてたら誰だって分かるよ」
舞永吊「あっ…そっか、そうだよね。」
何だか少し恥ずかしい気分。
でも、ちゃんと巴馴の所にまでは一応太鼓の響きが伝わっていたようで、その事に嬉しくなった気持ちもあった。
ちゃんと届いてたんだなって。
巴馴「あっ!!!キツネもいる!!今までどこに隠れてたの」
キツネ2「に"ゃっ!」
何故か、この時だけ柱の影に隠れていた一方のキツネが、巴馴に声にびっくりして出てきて、跳ね回っている。
そのキツネが巴馴の周りを回ったあと、体を駆け上がり、頭の上に乗った。
舞永吊「さっきまで一緒にお話してたんだよ」
隣にいたもう一方のキツネはゆらゆらとしっぽを揺らして舞永吊を見ていた。
なんで巴馴が来ると隠れるんだろうね、って思ったけど、もしかしたらあの存在があるから…なのかな。
◇
そこで日が昇るまで、みんなで話をしたり大太鼓を叩いてみたり、倉庫の中を散策して色々な楽器を演奏してみたりした。
そろそろ元の社に戻って食事でもしようかって時にふと、思い出す。
舞永吊「あっ、そうだ」
舞永吊はカバンに取り付けてあった舞永吊の形をした人形を取り外すと巴馴の前に差し出した。
舞永吊「これ、昔にね、全然覚えていないんだけど、裏錯って男の子からもらった物なんだけど、さっき巴馴を残して何も伝えずに出て行ったお詫びにこれあげる」
巴馴「え、良いの?」
舞永吊「ここに来てから少し修復したの。
何年も前に貰ったものだから古くなって汚くなるし、所々切れてたり、ほつれてたりしたからね。
でも私の形した人形だけを私が持ってても仕方ないからあげる」
巴馴「へー…。って、え、でももしかして裏錯って人のこと思い出とかなんじゃ…
何だか恥ずかしいし、なんか悪い気がする…」
あ、何だやっぱりちょっと遠慮してるのかな。
そりゃ…そうかもね。
舞永吊「良いから、貰ってって。要らなければ捨てていいから」
無理やり巴馴の手の中に人形を預けてから、後ろへ返り、早歩きでその場を立ち去る。
舞永吊「帰るよ」
もう無理やり思い出す気もしない。
何処にいるのか分からない裏錯のことを想ってても、どうせ会えないのが分かってるから、人形を持ってても余計に考えてしまうだけだし、
だったら巴馴にでも渡しておいた方がまだ有意義なんじゃないかって思ったけど…
巴馴も私の人形なんて持ってても必要ないか。
◇
帰る道すがら、舞永吊は巴馴の今までの経緯を聞いた。
巴馴は昔から身体が弱かったこととか、ヒテイと出会った時のこととか。
巴馴「それでね、この今境神社じゃなくてね、私の家の近くの海の向こうに島があって、そこにも神社があるんだよ。
そこも誰も居ないんだけど、もしかしたらここみたいに、けっこう暮らしやすかったりするのかな。
前まではそこにずっと行ってみたいって思ったけど、…でも、今はここの方が好きだな」
舞永吊「へー、そこの神社もどんな神様が祀ってあるのか気になるね」
そっか、巴馴の実家のそばには海があるのか…だからこの間、海から何者かが来るって恐怖を感じていたんだ。
それからまた適当な話をしながら、舞永吊は巴馴の手を取り、二人で手を繋いで社へ帰っていった。
◇
◇
そして、それから一ヶ月ほど経った。
緑に色付いていた葉は次第に枯れゆき、一枚、また一枚と散っていく。
そんな風に、今境神社を住まいとして暮らしている内に、少しばかり涼しかった風も秋になって肌寒くなってきて、物寂しい季節になっていた。
巴馴「あれー、リツ来ないねー…」
舞永吊「うん」
舞永吊は巴馴の髪を櫛で梳かしながら適当に返事をする。
リツを呼び出す鈴が、ちょっとへこんでしまっていた。
それを試しに鳴らしてみたけど、ちょっと音が違っててリツが現れなかった。
巴馴は舞永吊のカバンから取った鈴を何度もリンリン鳴らしている。
巴馴「この鈴、どこかにぶつけちゃったとか?」
舞永吊「どうだったけ…。うーん…それ直るかなー。
…いいけど、ちゃんとあとでカバンに付けて戻しておいてね」
巴馴「はーい」
◇
舞永吊はこの今境神社で冬を越せるだけのような暮らしをずっと続けることは出来ないと考えていた。
当たり前だけれど、冬は夏や秋よりも寒くて野山の食材も採れない。
今までのようにここでのんびりなんてしてられないのだ。
いえ、それ自体は以前から分かっていたのだけれど、何にせよ他に向かう場所や抜け道の手段が無かったからここに留まるより他は無かった。
…
外にヒテイの様子が見えたので、巴馴がちょっと出掛けると言って外に行った。
◇
一人どうしようかと考えたあと、舞永吊は社の中の奥の資料部屋に行った。
ここに来るのは少しだけ久しぶり。
そこで、仕舞っていた古い書を改めて取り出して読んでいた。
仟舎檮狼霊神に関する文献を探してみると、僅かながら幾つかあった。
その中でも一般的に語られている書物には、あまり深入りしたことは書かれていなかった。
舞永吊「ヒテイは、危険な存在なの…?」
それはある考古学者の少し厚めの手記のようだった。
他の古書に比べると比較的新しめのものであり、ちょうど十年程前に今境神社の周辺に仟舎檮狼霊神が出没しているという言伝を聞き、民俗学者と合わせて数人で滞在していた頃のもののよう。
その頃から既に今境神社の周辺は人の気配もしないほどに枯れ果ててしまっていたらしい。
その手記は一般的な公に出された出典に基づいて書かれたものではなく、その学者の推論によって書かれていた。
◆
それによるとまず、仟舎檮狼霊神に近付いてはならない、とあった。
元々は器録山に居た一匹の狼のような動物だったが、その実体はもはやここに無く、その元となる体質も感じられず、今この世に降り立ってあるのは、破壊神のようなものへと変化した姿だけなのではないかといったものだった。
その昔、谷底で発見された仟舎檮狼霊神によって多くの者が被害を受け、次々と周辺の村や町が滅んでいった跡があったのが、考古学にて分かっている。
古代の人々はそれらを見てきたのにも関わらず、誰もがそれを気味悪く黙認していたらしい。
仟舎檮狼霊神はそもそも大昔の存在ではあるが、たびたび現世でも姿を現す。
期日として数年置きだったり、数十年間一度も現れる事もない時もあるらしく、故に現存する文献も少ない。
そして姿を現した仟舎檮狼霊神は、死期の近付く者へ近づき、心の拠り所として、思念が集合し、具現化して人に取り憑く。
仮にその後、取り憑いた人から葬り去ったとしても、また別に死期の近い人が居ればその姿を披露する。
取り憑かれた者の周辺の人々は翻弄され、反抗するものは直接殺され消されていく。
取り憑かれた者はどのような影響を受けるのか、ということも綴られていた。
仟舎檮狼霊神はその身から発する念から、深く接すれば接するほど恐怖を与え、精神に不安をもたらし、生命を深淵へと失墜させる。
時には信頼する他人への強い疑いを示し、誰も信じられないようになっていく。
例えそれが形を持たない良き神様であってさえも。
そして、今度は仟舎檮狼霊神から離さないようにするために幾度となく現れて、幸福を与え安心させる。
そうやって、いつの間にか囚われていく。
◆
これが今、巴馴を恐怖によって苦しめるものの形だった。
舞永吊「そんな…やっぱり、少し勘はあったんだけど…」
このままずっと巴馴とヒテイを一緒にさせておくのは、少し控えさせた方が良いのかもしれない。
外に出て巴馴の様子を確認しに行くと、巴馴とヒテイはいつものように戯れてじゃれあっていた。
自分だけで判断していいのだろうか。
どうしようか悩むのも、あまり巴馴にして欲しくは無い。
それは自分だけで十分なのだ。
でもだからといって、勝手にヒテイに対して何か措置を施したりする事を巴馴は許してくれないかもしれない。
◇
◇
翌日。
巴馴「今日はヒテイにあげたいものがあるんだ。」
そう言ってヒテイに話しかける。
ヒテイがこちらを向いて首をかしげているのを見て、後ろ手に隠していたものを目の前に出す。
巴馴「はい、これ。これはヒテイのために編んだ首輪なんだよ。
すっごく大きくて時間かかったし、作るの苦労したんだからね。」
前に見つけた大太鼓などが置いてあった所の倉庫の中に、要らなくなっていたような革紐や綺麗な石などがあったから、それらを編んでヒテイの首輪を作った。
ヒテイの首もとまで寄っていって、それを掛けてあげる。
巴馴「…うん!ヒテイかっこいい。」
巴馴を呼ぶ声が聞こえる。
舞永吊「巴馴ー…居るー?」
巴馴のそばに居たヒテイを見て、舞永吊は怪訝そうな顔を浮かべてから、歩み寄った。
舞永吊「あのね、巴馴、ちょっとこっちに来て」
一度、ヒテイはこういう存在かもしれないんだよって巴馴に説明しておきたかった。
巴馴を社の中に連れていき、舞永吊はまず倫想苑の郷のことについて話をした。
そこに行くことを視野に入れて考えておいて、という事。
そしてその後、巴馴にそのヒテイの本来の名称と実情を告げた。
…
すると、最初は静かに聞いていた巴馴だったけど、徐々に反抗するような態度を見せていて、そのうち、なんでそんな意地悪なこと言うのって巴馴は言い放ち、怒ってしまい、ちょっと喧嘩になってしまった。
巴馴「だから、どうするっていうの?ヒテイだって好き勝手にしてるだけじゃん、別に何かしてくるわけじゃないし。」
舞永吊「あの、だからね、出来るだけ近寄らないように」
巴馴「そんなので意味あるの?私は意味無いと思う。」
舞永吊「それは…そうかもしれないけど…」
巴馴「ほらね、もういいっ!舞永吊は何にも分かってない!」
舞永吊「巴馴っ…!」
巴馴が走って奥の部屋の中に入っていってしまった。
あとを追うように巴馴を探すと、閉め切った部屋の中に気配がしたので呼び掛けると、少し泣きそうな声で、入ってこないで!舞永吊、大っ嫌い!
…という、叫び声に似た大声が聞こえてきた。
舞永吊はその様子を少しだけ見て、そっとしておくことにした。
◇
やっぱり、怒っちゃうよね…って思いつつ、舞永吊は、もう一度よく調べておこうと思い資料部屋に再度行った。
例の手記には、続きとみられる別の手記もまだあった。
数人の学者達が一度今境神社を出て、仟舎檮狼霊神によって被害を受けた場所に出向いたという記述のある手記だ。
◆
そこには、仟舎檮狼霊神を祓い鎮めた方が良いという記述、その方法論、実際に学者が取り組んできた様々な実体験などが記されてあった。
しかし、その学者達が、どれだけ一部の取り憑かれた患者から仟舎檮狼霊神を祓い救ったとしても、また新たに別の者へ移るため埒があかない。
痺れを切らした学者は、ひとまず今境神社にこの手記を収めてから、真相解明のために器録山に向かうという記述を最後に手記は終わりを告げている。
◆
器録山という名前の山は現在、この世界の何処にも記されていない。
故に、それがどこにあるのかは一般的には分からないらしい。
しかしながら学者達なら大方検討は付いていた。
周りの集落が全滅している付近に、標高約2000mほどの山があり、現在立ち入り禁止となっていている場所だ。
舞永吊「器録山なんて、私は確かに聞いたことも無い…でも、いつ誰が何の目的で器録山の存在を無かったことにしたんだろ。」
そもそも、それらに書かれていたものが、虚構のものでないという証明は出来ない、確かな真実であったという証拠も無いし、考古学者の手記も推論の域を出ない。
ヒテイを祓い鎮めるべき…なのだろうか。
◇
その夜、舞永吊は小さな震えた声で呟く音を聞いて目を覚ました。
部屋の隅のほうで小さく丸くなって、巴馴が震えていた。
これは最近ではよくあることだった。
その時は、舞永吊も起きて巴馴の隣に行って背中をさすって眠らせていた。
今日も近くにいって語り掛けた。
舞永吊「怖くない、何にも怖いことはないよ。」
背中をさすり始める。
そうすると、巴馴は顔を上げて、舞永吊の顔を見る。
巴馴「ヒテイのことで怒ってごめんね…舞永吊お姉ちゃんが話してくれたことが、私の中で一杯一杯になって、勝手に怒っちゃった。
お姉ちゃんだって私を怒らせたくないはずだよね、言いたくないことを私が無理に言わせちゃったんだよね…」
舞永吊「ううん、別に気にしてないから。
私のことは気遣わなくてもいい、言いたいことがあったら言っていい、私はちゃんと聞くから」
巴馴「…うん」
ちゃんと理解してくれたのだろうか。
背中をさすり続けていると、いつの間にか巴馴は寝息を立てていた。
それを見てから、布団を持ってきて上から覆うように掛けた。
巴馴は、夢の中でヒテイのことを考えていた。
ヒテイを初めて見た、あの弱々しい姿で自分の前に現れたときのこと。
そして、母親と心中しそうになったあの時、ヒテイが居なかったら自分はもうこの世に居なかったんだってこと。
◇
◇
そしてそれからさらに数日が経った。
もう、そろそろ今境神社からは退いた方が良いのかなって、舞永吊は内心焦る気持ちになっていた。
その日、巴馴より少し早く起きた舞永吊は、外に出てくるからと書き置きを残して、外に出た。
巴馴の枕元には舞永吊があげた人形が置いてあった。
もっと別に良い方法があるかもしれない。
そんなことを考えながら、もしかしたら倫想苑の郷へ行く道がまだ別の所にもあるのかもって思って、もう一度確認のために今境神社の拝殿の奥へと進んでいた。
むしろ、ヒテイに気付かれない内に巴馴と一緒に倫想苑の郷へ逃げてしまったら一番最善なんじゃないかって考えていた。
空は見たことのないくらいの赤色に染まっていた。
それは、朝だったからといって朝焼けの色なんかではなく、かといって夕焼けのようなオレンジ色とも言えない、真っ赤な色だった。
前に見た黒い渦と鳥居がある所、その手前にヒテイが居た。
目を瞑っていたけど眠ってはいないようだった。
舞永吊はその突然目に飛び込んできたヒテイを見て、驚いて足が止まる。
舞永吊「私を待っていたの?いえ、それとも息を潜めて待ち構えていた、と言っていいのかな」
ヒテイは目を開いて、こちらの様子を確認すると伏せていた全体から上半身だけを起こして座った状態になる。
舞永吊「…そっか、でもね。
私もヒテイ思惑通りに簡単に操られてるわけにはいかないんだよ」
舞永吊はヒテイの目の前に正座で座る。
…
互いに向き合って目を合わせた状態で、かなりの時間が経っていた。
時にして10分ほど、ずっとその状態だった。
舞永吊もヒテイも座っていたものの、一度も目を離さなかったのは、少しでも目を離したら襲ってきそうな気迫がヒテイにはあったからだ。
◇
どうするべきか悩んでいた舞永吊だったが覚悟を決めると、持っていたカバンから小刀を取り出して立ち上がった。
学者の残してくれた記述を思い出す。
舞永吊「仟舎檮狼霊神、そういう名前なんでしょう?ヒテイ。
私はヒテイの体を今確認する事ができる、触れる事が出来る、それなのに、実体が無いとは信じがたい。
けれど、そもそもその身体はここには無いみたいだね…触れられるのはもしかしたら…別の物が混じっているから?
私の予想では、今も尚、その実体を映す本体は古より語られていた器録山の頂上にまだ居るはずだよね。
隠されているんじゃないのかな。理由は分からないけれど。
だからここに居るヒテイは巴馴に取り憑いた悪霊のようなもの。
元々病弱だった巴馴には様々な魔物が取り憑こうとしていたってね、巴馴とそんな話を一ヶ月ほど前に聞いたよ。
けれどその競争を打ち破り一番に巴馴を独占して支配したヒテイ、か。
それなら巴馴が信用してしまう気持ちも分かっちゃうな…」
小刀の鞘を抜き、それを前に向けて牽制する。
舞永吊「私の事もそろそろ邪魔になってきたから、殺しにきたのかな。
初めに出会った時から消しておけば良かったのに、そうしなかったのは、ヒテイの良心?ではないか。
元は、好機が訪れたら私にも取り憑いてしまおうと考えていたのかな。」
ヒテイは全身を起こしてゆっくりと近付いてくる。
それを確認すると、舞永吊は少しだけ後退りをした。
-
その時に、後退りした足が、置いてあったカバンを思いっきり蹴ってしまって、そのカバンに付けていた鈴がリンと高い音を鳴らす。
その音と共にリツが羽ばたいて現れた。
-
意外にもリツが出てきたことで、高まっていた緊張が少しほぐれて安心した。
舞永吊「来てくれたんだ」
するとリツはヒテイに向かい、大きく羽を広げて発光する。
舞永吊「リツ…もしかして、力を貸してくれるの…?
…。
…ありがとう」
舞永吊は髪を結んでいた飾りを振り解く。
風によって前髪が揺れていた。
右手に持った小刀を手前に持ってきて、左手で自分の後ろ髪を根元からまとめたあと、手の中に髪をまとめたまま拳を毛先まで持っていき、その髪を横目で見える位置にまで持ってくる。
そのまま後ろ髪を真ん中付近から小刀でバッサリと切った。
その切られた髪を両手に持つ。
舞永吊「…行くよ、リツっ!」
舞永吊「連なるは逡巡の燈火、伏せなるは星霧の光彩。
今、天へと渡り行く器録山を想い定めば、その印を胸に宿す。
幽渓にて降り顕ち、現前した綾なす吹鳴は、幾千もの哭声であった。
一人の少女を解き切り、脱せたなら、怪し魂は洗い浄化され、先の神器は常盤の高峰へ捧ぐ献花となり給う!」
吹いていた風は勢いを増して、舞永吊の手に持っていた髪をさらっていく。
その髪は、するりと手の中を抜けていき、空中で燃えて無くなるかのように消えていった。
それを確認してから、上手くいったのかどうか思案する。
舞永吊「…さよなら、ヒテイ。
学者が残してくれたヒテイを鎮める方法はたくさんあったけれど、髪の長い私にとってこれが一番楽な方法だった。
だから、これくらいしか出来なかったけど…ヒテイ…?」
ヒテイは体を伏せると、痙攣させるように小刻みに身体全体を震わす。
そして、聞いたこともない低い低い唸り声を響かせる。
舞永吊はその様子を見て一歩ヒテイに近付く。
舞永吊「苦しいの…?ヒテイ…?」
その瞬間に、ヒテイは体を起こし、舞永吊に向かって爪を突き立て飛びかかってきた。
その弾丸は照準を狂わせて、幾分かズレて飛んでいくと、舞永吊の後ろを転がっていった。
舞永吊は僅かな差で致命傷の位置を躱すことが出来たが、その肩はヒテイの爪によって大きく裂けていた。
舞永吊「っっ…いっ…た…!」
肩を押さえてその場にしゃがみこみ、痛みに耐える。
舞永吊がそこから動けないでいると、ヒテイも体を痙攣させながら立ち上がり、よろよろと鈍い動きで目の前まで迫ってきた。
ヒテイから少しでも遠ざかろうと立とうとしたけど、強烈な肩の痛みを感じて、その場に座り込んでしまう。
舞永吊「あはは…ヒテイには、やっぱり敵わないか…」
ヒテイは唸り声を上げながら舞永吊の前まで来る。
その唸りをあげる口元からは泡が吹き出ていて、牙からは涎に似た液体も垂れていた。
舞永吊「そうだ…よね。うん、いいよ。私を殺す気なら、殺してよ。
もういいよ、早く…邪魔なんでしょ?
巴馴と一緒に生活するのに私が要らないんだよね」
その言葉とは裏腹に、ヒテイは唸ってるだけで何もしてこなかった。
舞永吊は痛む肩を押さえながら、ヒテイを触れる位置まで近寄っていった。
舞永吊「ヒテイ…どんな事を考えているの?辛いことがあるの?寂しいことがあるの?
もう、この現世に出てくることはやめよう?
巴馴をこれ以上苦しめるのはやめて、私はそうしたらもうヒテイにも何もしないから…だから、
だから…巴馴を許してあげて下さい、巴馴を解放してあげて下さい…」
張り詰めていた胸は今にも弾けてしまいそうにバクバクで、乾いた口から出たその声は、ヒテイの圧倒的なまでの荘厳たる気に畏怖されて震えていた。
やがてヒテイは体を伏せて、唸り声を安らかな息に変えると、目を閉じた。
舞永吊「分かってくれた…のかな」
…
リツは舞永吊の頭上を静かに舞っている。
地響きのような重く低い音が鳴り続けていた。
その音が何の音なのか、この時点に舞永吊は気付かなかった。
伏せてから身動きしなくなったヒテイは、顔の方から徐々に浄化されるように消えていく…
…と、思っていた。
突如ヒテイが立ち上がったと思えば、また暴れ出すと、舞永吊のそばから位置を離れ、体中から毒々しい赤色をした"芽"のようなものを吹き出した。
その芽からは赤くドロリとした液状のものが垂れていた。
ヒテイは高い音でキャンキャンといった悲鳴を吠えると、その場を転がり回り、芽を地面に擦り付けて取ろうとしていた。
その惨状に恐怖すると舞永吊は目を背け塞いだ。
あれは、何だろう…ヒテイの中にあったもの…?
何であんなのが出てきたのか…鎮めるとはこういうことだったの?
…
数分経って、騒がしい音が消えたので目を開くと、どこかへ走って逃げていってしまったのか、もうそこにヒテイの姿は無かった。
地面に擦り付けられたドロリとした赤い液体と、小さく蠢く芽を見て口を押さえた。
そこから得られるのは、強烈なほどに気味が悪いという印象だけだ。
しばらく唖然としていた舞永吊は、これで良かったのかな…って思っていた。
◇
地響きのような重く低い音が鳴り続いていたことを、意識して気が付く。
その場で呆然としていた舞永吊だったが、その音に気が付くと辺りを見回した。
-
ふと、鳥居の奥にあった黒い渦の所を見ると、その渦はもう消えていて、そこが入り口になっているように見えた。
鳥居の先は明るくなっていて、下へ降りる石段があった。
-
舞永吊「もしかして…あれは、倫想苑の郷の入り口…?
行けるんだ…行けるんだっ!
やっぱりあったんだ、迷信なんかじゃなかったんだよ…倫想苑の郷は」
その石段の先にある世界がうっすらと見える、なんて、美しい。
行こう、倫想苑の郷へと。
痛む肩の傷、でもちゃんとした手当ては後でいい。
まずは一度今境神社に戻る。
肩の傷を巴馴に心配させないように、応急措置として布でぐるぐる巻きにして隠してから、衣服を着替える。
そして、眠っていた巴馴を起こして話し掛ける。
舞永吊「巴馴、倫想苑の郷へ行こう」
巴馴「…ん…おはよ。」
数秒して、巴馴は何か察したみたいにして問いかける。
巴馴「ヒテイは…もう居ないの?」
舞永吊「…うん」
◇
巴馴を連れて、手を繋いで倫想苑の郷への入り口へと再度やってくる。
舞永吊の左手と結ばれているのは巴馴の右手、その巴馴の左手には舞永吊の人形を持っていた。
舞永吊「ここで、暮らしていても冬は越せない、きっと厳しい状況になる。
倫想苑の郷なら、きっと多くの助けてくれる人たちが居る、私たちを守ってくれる人たちは多くいるよ。
だから一緒に行こう?」
巴馴は沈黙していた。
鳥居の前まで来て一礼してから、舞永吊はその先へ踏み入れようとした時、巴馴が手を放した。
舞永吊「どうしたの?」
巴馴「嫌だ、行かない」
舞永吊「なんでっ!」
巴馴「だって、私は…私は…」
酷く困惑する舞永吊を差し置いて、巴馴は少し潤んだ目を擦りながら、しっかりと舞永吊の目を見て話し始めた。
巴馴「私はいつも布団の上にいて、始めから希望も何も感じられなかった。
もう誰も助けてくれる人なんて居ないんだって思ってた。
お母さんも、昔から何の頼りにもならなかったから。
今、ここに居て、美しく広がる青い空や緑の山々を見て、そして舞永吊お姉ちゃんが隣に居ることで、心が一瞬でも安らかになって、明かりや灯が見えるように思えた。
…最後に舞永吊って人に会えたこと。
希望を少しでも分けて見せてくれたこと。嬉しかった。
けれど…!だからこそなのかもしれない…。
同時に、絶対に許せないって思っちゃうの、最低だよね」
舞永吊「怒ってる…?ヒテイの事…。
あの、だってヒテイは、前に言ったみたいに…」
巴馴「知っていたよ!この恐怖はヒテイといるせいなんだってこと…!そんな気は、ずっと前から、ヒテイと知り合いになった頃から感じていた!
でも、私にはこれしか無かった。
私は…弱かったから。
どうせ…弱い存在であった私は、もうこの世界から不要の扱いだったはずなんだよ。
邪魔をしないで。
きっと舞永吊お姉ちゃんの善意は死に近づく私の期限を不用意に伸ばしただけに過ぎなかった…!
それに甘えていた自分も自分で許すことが出来ない」
舞永吊「巴馴…。」
巴馴「ごめんなさい…舞永吊お姉ちゃん…こんな事を言っても傷つけるだけで何も変わらないのに。
…あのね、昔、私は母に「どんなに辛くても強く生きなければいけない」というような言葉を言われてすごく悲しかった。
そんなにも私をこの生に縛り付けて苦しめたかったの…!?
死ぬことがそんなにも悪いことなの?
私は…私は…怯えて、震えて…怖くても…!この体をすぐに捨てたかった!
生きることが苦しみと絶望の連鎖なのに…私をこれ以上苦しめないで…!
もう私と会わないで…!お願いだから…!」
こんな事を言う巴馴を放っておきたくない、でもそれは巴馴が望むことじゃない。
一人で倫想苑の郷へ逃げるくらいなら、巴馴と一緒にここで暮らして真冬の中死んでしまった方がマシだって思った。
でも、それですら自分の勝手な要望なのかもしれない。
舞永吊「待って…!じゃあそれなら、いい!
巴馴が一緒に来ないなら、私は巴馴と同じくここに留まる、巴馴を見捨てられない、置いていくなんて出来ないっ!」
巴馴「来ないでっ!もういいから!」
そう言って後ろを向いて去ろうとした巴馴の手の中から、舞永吊の人形が落ちる。
巴馴は、一度振り返ってその人形を少しだけ見つめたあと、また後ろへ返る。
巴馴「こんなの要らない…!全然嬉しくない…!自分で持ってなよ!」
その走り去る巴馴の後ろ姿を見ていた。
舞永吊「私も、怖かった…!また一人になるのが怖かった…!
誰かの話し相手を失うのが、誰かの感情や気持ちを感じられなくなるのが、どうにもなく不安だった!
いつか裏切られて、何も目の前に失くなってしまうのが必然のように思えて、
それは、きっとそういう優しさを知ってしまったから、そういう人の温かさを知ってしまったから…で、
それで…だから逃げようとした、本当は自分から離れてしまいたかったのかもしれない。
この世界に失望させられるくらいなら自ら絶望的な道を歩みたかった。
それがラッカの村人たちが私に教えてくれたことだった!
でもそれら全部は、私がみんなを傷つける、自分の罪だって、自分でもきっと分かっていて…
何もかも初めから無ければ何も苦悩することもない、何も無ければ寂しいって感じることもない、…そういうはずだったのにね。
だから…この倫想苑の郷へ行こうとすることも、最初は何にも考えていなかった…!
本来ならそんな考えさえ無くて、一人で真冬のこの山の中で凍え死んでしまうのが理想だったはずなのに、
巴馴が来たから、倫想苑の郷へ行かなきゃって思って…
そうしたら役目を終えた私は一人で消えるつもりだった。
こんな勝手なこと考えていた私は、そのせいで、ただ巴馴を傷つけていただけだったのかな…
…もっと心が強くなれたら、また巴馴とも話がしたい、
そうしたら、巴馴の事を少しは分かってあげられるのかな、巴馴の言葉をもっと聞いてあげられたのかな…」
最後は消え入るように言い切ったあと、そこに巴馴の姿は無かった。
その場に座り込んで俯いて、顔を伏せた。
自分の嗚咽がひどく遠くに聞こえるようだった。
そうして時間が過ぎていく内に…意識が遠退いていった。
◇
◇
…
頭が痛い。
気を失っていたみたいだ。
舞永吊は、目を覚ますと綺麗に整えられた布団に包まれていて、静かな部屋の中に居た。
これは…何だろ。
何かで死んでしまって、その後の世界でも見ているのだろうか。
あんまり良いものじゃないね。
巴馴を裏切ってしまったって気持ちはモヤモヤと頭の中を支配して、そのことに対する不安があり、これはその何かの罰なんじゃないかな…って思った。
これからどんな刑が待っているのか心配だった。
舞永吊の肩の傷は綺麗に手当てされ、包帯が巻かれてあった。
-
窓からは遠景が見渡せ、広大な自然が広がっている。
外の景色は、自分の今居る建物が少し高い所に位置して建てられているかのように思わせる眺めだった。
向かいに見える建物は長い年月によって風化したかのようにつる性植物や苔などによって覆われた風貌をしてその印象を大きく変えていた。
まるで自然と一体になるかのように佇むその楼に思わず畏縮してしまうくらい見入っていた。
外の庭は遠くまで広がっていて、湖のように広がった大きな池が幾つもあり、そこに橋が掛けられていた。
近くの岩山には滝が落ちているのが見えて、その滝の落ちる音だけが耳に心地良く入り込んでいた。
-
◇
そっか…ここは倫想苑の郷か。
あの先にこんな世界があったんだね。
ここがその空間の隙間の世界なら、この見渡す限りの広大な自然はどこまで続いているのだろうか。
あの地平線はどこかで途切れることがあるのだろうか。
◇
外の景色を見ようと、部屋を抜けて廊下に出た。
そこに見覚えのある男の人の後ろ姿が確認出来た。
その人はこちらを振り向くと、少し驚いた顔をしたあと名前を呼んだんだ。
裏錯「目が覚めた?ここまでよく来たね舞永吊」
何の言葉も出なかった。
いや、出せなかった。
彼を確認出来ると、私の驚きはそこそこにして、急に胸が苦しくなってきて、
眠っていた感情がこぼれるように一気に押し寄せてくるような感じがして、その思いで喉の奥は詰まってしまっていた。
その思いは息をするのも忘れるほどに、とても辛くて苦しかった。
目の前に居るのが裏錯だって分かってたけど、それが幻のような、虚像であるような気がしていた。
裏錯「大丈夫?」
何も言わずに涙ぐむ舞永吊の前に裏錯はさらに声を掛けてきた。
舞永吊がやっと出した声は本物であるかどうか確かめる問い掛け。
舞永吊「裏錯…夢…夢じゃ…ないよね…!裏錯…!裏錯…!」
裏錯「うん、ちゃんと僕はここにいる」
たまっていた言葉をいっきに吐き出していく。
舞永吊「裏錯のばか…!ばかじゃないの!今までどこに行ってたの…!ずっとずっと、探してたんだよ…!
絶対に会えないんだって、もう。そう思ってた!毎日思ってた!
会えるかもって期待して、そんなの嘘だって、自分で自分を傷付けて、苦しくなってて…
それなのにこんな勝手に、こんな突然現れないでよ!
助けてよ!もっと早く助けに来てよ…!
裏錯がいればもっと心強くて、誰も犠牲なんて作らなかったかもしれないのに…
犠牲…?そうだ…巴馴…!巴馴…!!
巴馴は?巴馴はどこにいるの…!?」
辺りをぐるぐると見回し、駆け出す。
裏錯「ちょっと、舞永吊…待って…!」
裏錯は、急に駆け出した舞永吊を追いかけて、その腕を捕まえた。
舞永吊「離してよ!巴馴はどこにいるの!?」
裏錯「えっと、誰かは分からないけれど…ここに来ていたのは舞永吊しか居なかった」
舞永吊「…。
なんで…なんで…っ!」
舞永吊は今まで何が怖かったのかがやっと理解出来た。
裏錯が居てくれなかったからだ。
裏錯の居なくなったあの日から、ずっと心の中は独りきりだった。
ラッカでの暮らしはいつもどこか現実味が無くて、ただ本当の故郷はどこなのかなって考える日々だった。
それに耐えきれなかった。
そんなことがあったせいで、自分はいつの間にか、本当に独りきりになったあとも、誰も求めなくなっていた。
それなのに、その孤独が怖かったせいで、またいつの頃からか、大切な人を作ってしまった。
巴馴という存在が出来たおかげで、彼女を想って守って助けてあげたいって思い始めてしまっていた。
それが希望となり、また明るい未来を信じる形になったせいでその大切な巴馴を裏切ったんだ。
舞永吊「望むのならもっと幸せになって欲しかった、生きることに幸せを見いだせたら一番良かったはずなのに!
それが分かってるのに、なんで巴馴はそれを望まないの?
私には分からない、どうすることも出来ない。
きっと巴馴はあの場所で一人じゃ生きていけない。
それでいいの?私はそんなの嫌だよ…!
ヒテイが居なければ、もう怯える必要もないじゃん、苦しいことも痛いことも無かったじゃん、何が嫌だったの…?
私、誰のことも全然分かってあげられない…どうしたら良かったの、分かんないよ…やっぱり私はラッカにいた頃から何にも変わってないし、変わるべきじゃなかったんだ…よね」
裏錯は、戸惑った表情を見せながらも舞永吊の話に何度も相槌を打って聞いていた。
舞永吊「…そっか、出会わなければよかったんだ、初めて会ったあの時、巴馴に声を掛けなければ良かったんだ…」
裏錯「舞永吊…」
日が陰り、向かいの建物が作っていた濃い影が薄くなった。
裏錯は、その場に倒れ込むようにした舞永吊を支えてから、部屋の中へ抱えていき、また布団の所まで運ぶと、落ち着くまでそこに居てって声を掛けてから、部屋を出て行った。
◇
◇
ヒテイ…いや、仟舎檮狼霊神の最後の姿を見て分かった事があった。
あれは、器録山に居た本当の神様のような存在そのものではないんだ。
もちろんただ実体では無いということだけじゃなく、その体は、色々な者がくっ付いてできたものみたいだ。
それらがあの赤い毒々しい芽として出てきたみたいだった。
何故それらがくっ付いていたのか…は分からない。
もしかするとそれらは仟舎檮狼霊神が引き寄せていた可能性が考えられるが、その理由となる真相はやはり、器録山に訪れない限りは分からないのかもしれない。