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一章 舞永吊の記憶、失われた標

舞永吊(べつり)巴馴(はなれ)と出会う数カ月前。







静かな夜風に目を覚まして、縁側に出た。


-

星々に照らされた庭は明るく澄み渡っている。

額を吹き抜ける風、耳を通る大地の響く音。

今日の夜空を仰ぐと、星達はあの日と変わらぬ綺麗な輝きを放っていた。

-


幼い頃にもこうして夜空を見上げていたら、お星さまが地上に降り立っていたことがあった。

手を伸ばしたら触れてしまうような距離。

そんな夢幻のような出来事に代え、今のこの星はより遠くにあるように見えて、それはただ私に感傷的な気分を与えるだけのものだった。




多分、私が13才くらいの時だったと思う。

その頃の私は千瀬ちぜ裏錯りさくという男の子を慕っていた。

事あれば裏錯、裏錯と話していたのだ。

その日のお星さまは、地上に降り立って私に笑顔を向けていた。

だから、私はいつの間にかお星さまに話し掛けていた。



13才の舞永吊「今日ね、裏錯にね、悲しい顔をさせちゃったの。

裏錯が、寂しくないようにって都のお土産にお人形をくれたんだけどね…」



裏錯がくれたお人形は二つあった。

裏錯と私の二人に似せたお人形、どちらも愛らしい顔をしていた。



13才の舞永吊「でもね、ちょっと恥ずかしくて、嬉しい言葉も、ありがとうの言葉も何も言えなかったの。

そのあとの裏錯のちょっと悲しそうな顔を見て、何も言えなくて、そのまま裏錯は帰っちゃったの…もう私、本当ばかで、どうしたらいいのか分かんない…。」



お星さまはそんな私の話に相槌を打って聞いてくれた。


「明日ちゃんと素直な気持ちを伝えれば大丈夫だよ」

って声が心の中に聞こえてきた気がした。


そして、お星さまは笑顔を見せるとまた夜空へ帰っていくのだった。

私は切なそうに手を降って見送っていた。


…その後はまた静かな夜が訪れたのだった。


お星さまの優しい言葉に私は甘えていたんだ。

ちょっと不安だった。

本当はもっともっと、今すぐにでも謝りたかった。

謝ってからありがとうって、嬉しいって、大好きだよって言いたかった。

裏錯の元へお人形を持って会いに行きたかった。

そうしていたら違っていたのだろうか。


その後、私の前から姿を消した裏錯をもう一度見ることは無かった。

挿絵(By みてみん)







たった数年前なのに、その時の記憶はほとんど思い出せない。

何故あの時、裏錯がどこへ行ったのか私は知らないのか…

その後の私は一体何をしていたのか。

その日のお星さまとの思い出の記憶を残し、ほとんどの記憶が断片的に途切れていた。


…将来私は、そばで一緒にいる裏錯に、必ず一生の契りを交わすはずだった。

私の人生なんてとても浅いけれど、私の全てを受け渡したい。

そして、いつか…いつの日か他愛ない、けれどかけがえのないたった一つの、裏錯との幸せな時間を共有したかった。



舞永吊「そんなことを思ってた私は慢心が過ぎたのかな」



あの日からずっと心残りだった。

私と裏錯はこの手にした二つのお人形によって、何の言葉もなく切り離されてしまった。


裏錯の嬉しそうな姿も私に向けた笑顔も何も思い出せない。

あの日の悲しそうな姿だけが私の中の裏錯だった。

今の私の中にはあの時の大好きな裏錯は存在しない。

慕う気持ちなんてその程度のものだったんだって思うと、とてもとても、悲しかった。





孤児として、ある村に預けられて数年が経っていた。


-

山間にある、小川が流れて自然に囲まれた静かな村。

この村は落果ラッカと呼ばれていた。

-


ここへ来たのはいつだったか…裏錯が姿を消してから、そのあとだったという事は間違いない。

車に揺られてずっと田舎道を渡ってきていた記憶がある。

そして気付いた時にはここに居た。

それまでの過去や将来に見通しも立たないし、立ち向かう術もなかった。


私の世界はラッカだけだった。

ラッカへ初めて訪れた頃のまだ少し幼い私はとても可愛らしかったのか、村人達は優しく接してくれていた、しっかりと孤児だった私をここまで育ててくれてきた。

しかし、次第に意識や思考がはっきりしてくると、初めの頃に感じていたこの世界は徐々に姿を変えていくのだった。



訪れた当初の頃の私は、何もない野山でラッカで暮らす子供達の相手をして無邪気に遊んでいた。

そんな些細な日々もいつのまにか過ぎていて、知らずの内に私も子供達も成長していく。

次第に私の心だけが一人取り残されるようにして孤独を感じるようになっていくと、その心が縋るかのように想うのはただ本当の故郷のことだけだった。


異変を感じ始めたのはいつの日だったかは分からない。


私は村人からなんとなく避けられているような空気を感じていた。

頼るあてのない孤児だった私は相談する相手なんて居なかった。


原因なんて?分からない。

たぶん…

もう私のことなんて誰も見向きもしなくなったんだって、

私なんてきっと孤児だから仲間じゃないんだろうなって、心の奥で感じていた。







ある日、数人の村人がひっそりとどこかに向かっているのを見つけ、気付かれないように後を追う。


-

山の祠がある所の地下の階段を降りると、巨大な空洞があり、神聖な装飾が施されている大きな祭壇のような場所を見つける。

何か、人が入り込んではいけないような、そんな厳かな空気があった。


そこで私は村人の集まる中心に、鮮やかな色をした斑点模様に毒々しい触角を持った、何か気味の悪い芋虫のような生き物を見た。

その生き物はコエデハと呼ばれていたと思う。

-


近付いてみると異常性がはっきりと理解出来た。

そこにいた一人の村人が苦しそうに呻き声を出すと、その体の至る所から触角のような物が生えて、不気味で異様な幼虫に似た不完全な人の形へと変わっていった。


見るに耐えない光景に、私は何かの間違いなのではないかと感じていたのだった。

私は口を抑えうずくまった。


今まで私に優しく接してくれていた人たちが、本当にそこにいた村人だったのか分からない。

自分の家へ逃げるようにして駆けて帰っていく。


何も考えたくなかったのに、その日の村人が苦しみ出す姿が何度も何度も頭の中を巡った。

怖ければ怖いほど私の頭の中ではその場にいた村人たちが浮かび、

そのたびに何だか苦しくなって、もしかすると自分にも触角みたいなのが生えてくるんじゃないかって気がした。


その日、ひたすら動揺と恐怖の中で眠れずにいた。







数日しても私は、ろくな食事を取っていなかった。

そんな私の姿を見てか、私のとこまで沢山の果物を持って届けてくれた、咲否さきなという私と同い年くらいの女の子が居た。



咲否「はい。どうぞ、食べて。」



笑顔を向けてくれたその子に私は少し拍子抜けした。

優しく分けてくれた、そんな今までなら当たり前なはずなことに驚く。

だってみんなから、ずっとずっと避けられてるんだって思っていたから。


果物の中の一つを手にとって口に運ぶ。

私は嬉しかった反面、ちょっと怖かった。

こんなに優しくしてくれたのに、何か危害を加えてくるんじゃないかってずっと怯えてた。

今までと何も変わりがないはずなのに、どこか遠く寂しい気持ちになって、食べながらいつの間にか泣いていた。



舞永吊「う…んぐ…私の居場所なんてもうどこにも無いと思ってたのに…。

誰も私のことなんかもう…」


咲否「え、どうしたの?」



優しく手を差し伸べてくれたことに私は少し反応し、まだ自分が怖がっていることを認識する。



舞永吊「いっ…。う…ううん、ごめん…」



私は涙の顔を隠してそこから立ち退いた。



小高い丘の大きな木の木陰に座っていた。


ラッカで暮らす子供達とちょっと前まではこの辺りでよく遊んでいた。

もっと高い所に行ったらこの世界の全部が見渡せるのかな。

遠くの高い山に囲まれたラッカではその先が分からない。

どんな世界があるんだろう、

人や動物はたくさんいるんだろうか?

もしくは大きなビルが建ち並んでいたりするんだろうか?


私の本当の居場所はどこにあるのかな。


挿絵(By みてみん)


思い出せない故郷の事を考えていた。



舞永吊「なんで…なんで思い出せないの…?なんでみんな、私の前から消えちゃったの…?」



思わずまた涙が溢れそうになる。


そこに、さっきの子とは別の一人の女性がやってきた。

彼女も籠迷かごめ散槃ちりはという名のラッカで暮らしている女性だった。

彼女は、私がラッカに訪れた当初から居て、昔はよく私とラッカの子供たちと一緒に遊んでくれていた記憶がある。

けれど、最近ではほとんど顔も見ていなかった。


散槃は私に小さな毛布を貸してくれた。



散槃「大丈夫…?」



その時、私は何故かたったそれだけで救われた気持ちになった。


分からないけど、村人が避けていたのも私の勘違いなんだって。

あの日の祠の地下の出来事も何かの見間違いなんだってその時の私はそう思い始めていた。




散槃「舞永吊、みんなが怖かったんじゃない?」



散槃もほかの村人たちと少し距離を取っていたと言った。

村人たちの異変を感じて、告げに来たのだと語った。

すぐにその時また、はっとさせられた。

私が見てきたものは間違いなんかではなかったのだ。



舞永吊「私…私だけがおかしくなっちゃったと思って…。

もう何にも分かんなくなっちゃった…」



散槃と色んな話をした。

このラッカのこと、孤児である私のこと、過去の裏錯という男の子に想いを馳せていたこと。



散槃「裏錯って男の子はラッカにはもちろん居ないだろうね。もっと別の所にいるのかも」


舞永吊「これからどうしたらいいのか、分からなくて、怖くて、耐えられない…」



一呼吸置いて散槃は私を見つめてきた。



散槃「ね、今度、一緒にこのラッカを出て、裏錯を探しに行こう?」


舞永吊「散槃…」


散槃「もう怖がらなくて大丈夫だから、ね」



嬉しかった。

味方をしてくれる子が居る事がこんなにも心強いものだと知ったのだ。



舞永吊「うん…うん!ありがとう、散槃…!」



約束を散槃と交わす。


散槃と一度別れたあと、私はその先の未来に期待を寄せて丘を後にした。


ラッカを出れば、裏錯とまたどこかで会えるんじゃないかって気持ちになっていた。

きっと世界は広がるはずだって考えていた。




ふと目を下に向けると可憐な羽をひらひらと羽ばたかせて舞う蝶の姿を見た。

初めて見るその繊細で綺麗な色合いに美しさを覚えた。

こんな美しい蝶がラッカにいたんだね。





その日から数日が経つ。


夜が来るのが怖かった。


-

このラッカ村は、昔から空を遮るような物は何も無い。

満天に輝く星々はラッカを暗くしたことが無かったのだ。

昔なら、そのおかげで一度も夜が怖いと思ったことは無かったのに。

それでも今の私にとって、夜の存在という物は底知れぬ恐怖を覚えるものだった。

-


そうして怖くなって、人という存在に甘えようとする。

誰か…散槃…。

散槃じゃなくても良い、ラッカで暮らしていた好きだった子供たちでも。

私が甘えられる存在なんて子供のような小さな子でも良かった。


はあ…何て幼いのだろう…自分は。


と、そこで外に村人の姿が見えた。



舞永吊「あ…。まただ…。」



またあの祠の地下に向かっているのかな。

何だか私は怖くなって、散槃に会いに行きたくなった。

夜に会いに行ったら迷惑かな。



散槃に会いに行こうとしたわけじゃない、ただ少し外の様子を確認したかっただけなんだ。

村人の後をおそるおそる付いていってみたら、その途中に散槃の姿を見た。

ちょっと嬉しくなって話し掛けようとした私は、一度踏みとどまった。


誰かと話している…。


ひっそりと近づいて確認して見ると、前に私に果物を分けてくれた咲否と何か話をしていた。

何だ…私は少し安心した。


でも、何だか咲否は苦しそうにしていた。

何か散槃に必死に訴えかけているような…

大丈夫かな?何か病気なのかな?病気ならこんな所にいないで休んだ方が良いはずだよね。

私はそんな咲否を見て、助けてあげようと思った。

あの時優しくしてくれた恩を少しは返さないとって。


すると咲否が苦しそうに呻き声をあげた。

私は可哀想で我慢できなくて、その二人に近付く一歩を踏み出した。



舞永吊「さき…」



その瞬間、散槃は持っていた刃物で瞬く間にその咲否の首元を裂いていた。

吹き出た血を前にゆっくりと咲否は倒れ込んでいった。


何があったのか分からなかった。

私は息を飲むようにして、声を押し殺した。

目の前の散槃にただただ恐怖を感じて、あの時、救いに見えた散槃が嘘で別人のように感じていた。

どうして?

咲否は私に優しくしてくれた…優しい子だったはずなのに…全部私のせいなのかな。

私に優しく接したから、みんなの反感を買ったのかな。


結局、散槃も私を騙そうとしているだけなの?

そうだよ、孤児なのは私だけなのだし、散槃もラッカの子なのだ。

私のために身を削ってまで救う理由なんて無い。


いつの間にか私は目に入る全てを拒んでいた。


野山に咲く一輪の花も、明るい夜空も、今の私を不信にさせる。

その場から逃げ出して、異様に疲れ切った体を帰路まで運ぶ。

何処へ帰ったらいい?

私はまた小高い丘の上に行って座り込んでいた。



伏せていた目を静かに開けると闇は深まっていて、遠くから散槃が歩いてくるのが見えた。

先ほどまでの記憶の残像がよぎり、一瞬身を引こうとする。



舞永吊「あ…散槃…。」


散槃「あれ、どうしたの舞永吊?こんな夜遅くに。」



不安、恐怖、それらに私はもう耐えられなかったのかもしれない。

だから、全てを捨てて、この心を彼女に預けるような気持ちで最後に信じたいんだって思った。


舞永吊「散槃…私は信じていいの…?

約束、信じて良いんだよね…甘えるのも、一人きりでいるのも、そんなこと耐えるから、一生懸命耐えるから

私は、ただ本当のことを知りたい。

知っていること、過去のことも…これからのことも…!」


ずっと手が震えていた。

自分を本当に護ってくれるか分からない人を信用するのは辛かった。


空気が張り詰めた気がした。


散槃「…舞永吊って本当にばかだよね」


舞永吊「…うん」


散槃「そんなのだから親にも捨てられたんじゃないのかな」


舞永吊「…ごめんね」


散槃「私に謝ってどうするの?」


世界はなんて正直なんだろう。

弱くて惨めな私をしっかりと認識して、期待通りの裏切りという原則を与えてくれる。


なぜ今まで、ラッカの村人たち、散槃は、こんなにも私に優しく接してくれたのか。

今更ながらに思っていた。

そこを不思議に思わなかった私の過失だったのかもしれない。

浅はかで、少しも疑う事の出来なくて、深く考えが及ばなかった自分を憎み呪っていた。



舞永吊「私だって、何でここに居るのかも分からないんだよ…。

ここで暮らすこと、生きることが、何でこんなにも辛いの…!」



散槃にこんな事を口走っている理由は分からない。

ただ、甘える存在が欲しかっただけなのかもしれない。



舞永吊「なぜ私はここへ、連れてこられたの?私のもと居た場所はどこなの?

分かるなら、教えて欲しいよ…。ラッカは…皆は…一体誰なのか…」



精一杯の声は涙で濡れてかすんで、消えかかっていた。



散槃「考えなくていい、一人で強がらなくてもいい。

舞永吊には私が居るんだから…」



散槃は優しく私の肩を抱き、頭を撫でてくれた。



舞永吊「やめてよ…、なんで、そうやって私に嘘つくの?騙そうとするの?

離れて…」



ほんの一時でしか優しくしてくれないこの目の前の人を私は否定したかった。

そしてそれは同時に、このラッカと見える世界全てへの拒否でもあった。

それでも抵抗は虚しかった。私には何の力も無かったのだから。


挿絵(By みてみん)



遠くの山は青く染まり、風はさらに遠くの知らない土地の知らせを運ぶ。

今、大地の鳴り響く音が聞こえた。

やっぱりこの丘は世界を広げてくれていたんだ。


私はそっと散槃から離れた。



舞永吊「私、やっぱり散槃と一緒にいたい。一人になるのは…もっと怖いから…。

ラッカでの暮らし、もうちょっと続けたらこれからのこと考えられるかな」


散槃「うん…。絶対に約束は守るから、ね。待っていて、舞永吊」



それは散槃の溢れるくらいの優しさと愛があって、私では受け止めきれない言葉と想いだった。


ラッカのこと、本当は大好きだった。多分今でも。

過ごしてきた日々は温かい人達に囲まれてて、こんな風にここで一生を過ごすのかなって、それも悪くないなって、

幸せに思っていた時間もあった。

たった数年間だけど、失うことの出来ない私の思い出だった。



変わっていくラッカの世界や村人に耐えられなくて、本当の故郷の事や、私の知らない世界の真実をこの目で確かめることに夢中でいつの間にか逃げ道を探していたんだ。

でもやっぱりここを離れるのがすごく寂しくて、辛かった。


私の親はどんな想いでこのラッカへ私を連れてきたのだろう。

やっぱり捨てられたの?どうして?私、そんな悪い子だったのかな?

分からない。

ただ、要らなくなったら捨てられるような存在であったんだってことを深く理解させられた。

私はせめて可愛い飾り物として扱えたら良かったんだ。







村の最年少の子は俯いて泣いていた。

周りの村人はもう誰も彼もそれを慰める気力もない。

人の姿を維持するのは余りにも過重な負担だった。


此永羽蝶こえはちょう…略称「コエデハ」という綺麗な羽を持った蝶は、元々は都近くの人の多い地域に生息していた。

しかしコエデハは数百年生きる寿命を持つことから、人々からその圧倒的な生命力と細胞を恐れられ、呪われた蝶と呼ばれ忌避されてきた。

多くのコエデハは見つけ次第に駆除され、迫害されてきたため、数は次々と減っていった。


ある一匹のコエデハはその悲しみと、いずれ自分もこの細胞が尽きるかもしれないという、それら恐怖に苦しみ抜いた末、自らを人の形へと変態させた。

人と言う存在に苦しめられて、その果てに自身もその醜悪なまでに嫌っていたものに寄り添うことで何か分かる事があるんじゃないかって思った。


でも結局は特に何も変わらなかった。

すぐに都の組織が動いて、人ならざる者が居ると暴かれ、

それが人の姿に化ける害虫だと公言され、より一層、加虐の末に殲滅させられた。


人里から離れるほか無かったのだった。

そうやって多くのコエデハが集まって出来たのがラッカという村だった。


その後、数年間は人の姿になった者どうし、みんなでひっそりとラッカで暮らしていた。

もう迫害される事に怯えなくても良いんだって、みんなで寄り添って、慰めを求めて、憂いを払っていた。


けれどいつからか、身体に原因不明の異常を覚え始め、そこから数日経つと、コエデハは不気味な幼虫に似た不完全な人の姿へと変わっていった。

その姿を「カシャク」と言った。

人という姿に体が耐えられなかったんだ。

そして、二度と人の姿にも蝶の姿にも戻ることが出来なくて、苦しみに足掻き、その永遠に続くかと思われる寿命をラッカの祠の地下深くで姿を隠し続けた。


まだ人の姿であるラッカのコエデハたちは、あの可憐に羽ばたいていた蝶の頃のように、またこのラッカで静かに生を送りたいと願っていた。

もう一度、蝶へと変態を試みようとした一部のコエデハは、いずれも全て失敗してカシャクへと変化していった。

カシャクとなって永遠に苦しみ続けるくらいなら、命を落としたほうが楽だと、自ら息絶えていった者も居た。

人の姿になってしまった今、確実に元の蝶へと還る手段が無い。

八方塞がりだった。


村人と散槃は、舞永吊のこれから先の道を憂慮していた。

彼女だけは間違いなく人の子で、これからも色んな未来がある。

ラッカに居させてはいけないのだ。





舞永吊は、気を失ったかのように、疲れてずっと眠ってしまっていた。

もう、一日以上は眠り続けている。

今までよほど緊張と不安の中で眠れずにいたのかが伺える。


散槃はひとつの可能性に賭けていた。


この今の人の姿のままで居られないのなら、私もいつの日か自由に空中を舞っていた蝶に戻りたい。

もっとも、始めからそのつもりだったわけじゃない。

そんな事したら舞永吊の事、裏切るようなことになる。

あんなに私が守ってあげるって期待させたのに、最低だね。

けれど、だからといって待っていたってカシャクへと変わる刻限が迫ってくるだけだった。

結局は、舞永吊の前からこの人の姿の散槃という人物を見ることはなくなるんだ。


家の中で眠っている舞永吊に話掛けていた。



散槃「舞永吊がこの村に来た時のこと、覚えている。

けれど、私はそれ以上のことは分からない…。

自分の事で精一杯で、舞永吊に辛い思いを抱かせるだけで、もっと私がしっかりしなきゃなのに。

私は、やっぱり駄目だな…。

本当に酷いね、こんなに引っ張っておいて約束守ってあげられそうに無い。


舞永吊…あなたは、いつかきっと裏錯に会えるはず、その時まで希望を捨てないで。

ラッカから出れば、世界は無限に広がっているのだから。


…また、いつかここを訪れた時に、第二の故郷だと思ってくれたら嬉しいな。

その時は、もうこの村は人は誰も居なくなってるかな、でもその代わり、たくさんの美しい蝶が迎えてあげられるはず。

だから、これからは人として、人との社会の中で生きて…私も必ず後を追うから。」







目が覚める。綺麗な日の入りを見ていた。

時間は…いつだろ、私はあの後、何していたんだっけ。

疲れて眠ってしまったのか、私はいつの間にか自分の部屋に居た。

散槃に連れてきてもらったのかな…迷惑、かけちゃった。


挿絵(By みてみん)


外に出てみる。

静かで、人も、動物も、何の気配も感じなかった。

だから必死で探した。

夢中で、何も考えずに探して、ただ誰かがそこにいることに安心したかった。


焦りが出てきた頃にふと遠くに何かが動く影を見た。

誰か居たって思って、嬉しくて駆け寄った。

散槃だったらいいなって思って。


でも、違った。

それは動物でも人でも無かった。

あの時、あの山の祠の祭壇で見た、人とは到底言えない不気味な姿、カシャク。

私に近付くように這いながら向かって来ていた。


舞永吊「なに…これ、あなたは、誰なの…?

散槃なの…?どうして…?」


後退りしながら私は話し掛ける。

その時、後ろにも気配を感じて、振り返ると同じ様に這うようにしながら向かってくるカシャクが無数にいた。



カシャクたち「苦しいよ…私たちは人として生まれ変わるなんて考えるんじゃなかった。

それが全ての失敗の始まりだった。

舞永吊…私たち、僕たちを殺して…、こんな醜い姿で苦しみを永遠に味わうならいっそ殺してほしいよ…。誰か…」


カシャク1「舞永吊が人だって気付いた時、避けてごめんね、人が大嫌いだったけど舞永吊は違った。

優しい子で、誠実な子で、僕たちと仲良くしてくれて、嬉しかった」


カシャク2「舞永吊ちゃん、この村に来たとき、まだ私も少し幼かった子供の頃、一緒に遊んでくれてありがとう」



舞永吊にその全ての声は届かなかった。

カシャクを避けるようにして舞永吊はラッカの中を彷徨い、虚空の中に心の叫びを放っていた。



舞永吊「嫌だ、嫌だ…。

皆…どこに行ったの?助けて…

散槃…散槃…!居るんでしょ?居るなら返事をしてよ!

一人にしないでよ…!どこに居るの。

私を置いていかないで…!もっと話がしたい、もっと一緒にいたい。

約束破るなんてズルいよ、私一人じゃ何も出来ないの知ってるでしょ?

一緒に裏錯を探しに出掛けようって言ったでしょ?

嘘だったの?

私はこれからどうしたらいいの?教えてよ…

分からないよ…私の明日も、ラッカ以外の世界も…

散槃…!散槃ーっ……!!」



どんなにラッカの事が好きだったとしても、散槃が助けてくれたこと、どんなに感謝してても、

それはただ一方通行な私の思いだけで、どこからも反応は返ってこない。


そうだ、どうせ私はこうなる運命だったんだ。

良い出来事だけが続くような変わらない世界なんてない。

良い思い出だけは私の中にしまっておいたらいい。

もう、ここには帰って来れない気がした、誰も、何も、私が知っている世界はどこにも無かった。


村の出口へと怯える足取りで向かう。

後ろを振り返ることも一切せずに、ひたすらその先へと進む。

ラッカ村の出口を抜け出し、ゆっくりとした歩調だったのが段々と速度を上げていく。

恐怖を背中の向こうから感じていた。

それが私を襲うように苦しませ、ただただ足の速度を上げ、いつしか駆けていた。


もう私を、誰かに甘えさせないで、誰かに束縛させないで、誰かを信じさせないで。


走り続け、歩み続け、どこに向かうか分からない意志の中で、私は夢中に逃げていた。







日は暮れ、限り無く広がり続ける闇の世界に微かな音だけが響いている。

私はいつの間にか方向も道標も分からない道を歩いていた。


カバンに付けてあったお人形が地に落ちて、見ると汚れてしまった私のお人形があった。

カバンを見ると裏錯のお人形がそこに無かった。



舞永吊「裏錯…!裏錯がいない…!」



おそらく走ってる時にどこかに落としてしまった。


私は後ろに誰も居ないことを確認すると、安堵と絶望で溜まっていた涙が溢れ出していた。

そうして、私は地面に伏せた。

涙はとどまることはなく、地面に零れ落ちていく。


きっと私は世界で常に一番の仲間外れだった。

本当の故郷の人たちと、ラッカの村人たちが楽しく笑って会話して、仲良く手を取り合っている。

その温もりを求めれば求めるほど離れていって、何も感じられなくなっていく。

ただ一人、その様子を外から見ていた私がいた。


人形を拾い上げて強く握り、夜空を見上げた。

お星さまが、かつて向けていたその笑みは私を嘲笑っているかのように見えた。

どうしてこんなにも明るく照らして輝けるの…?

私は…この夜の中の真っ暗な存在で、その光は届かない。


お星さまが伝えてくれた言葉だって全部嘘だった。

いつになっても姿を消した裏錯に会えないし、どこへ行ってしまったのかも分からない。

そうなのだ。

ラッカから出た所で、私が行く所なんて何一つとして無いのだし、裏錯のいる場所なんて到底分かるはずも無かった。

そんな単純で分かりやすいことですら楽観視して何も見えていなかったんだ。

ラッカから出たら裏錯に会えるかもなんて、一人で浮かれていた私を、散槃は心の中でずっと馬鹿にしていたんだ。

私、ばかだから。

今でもずっと、そうやって笑われているのかな。


誰も救ってくれる人なんていない。

誰も信じられなかった。

人も世界も誰だって、みんなみんな、偽り事で埋められていている、泥で汚れた人形を手にして何度も私はそう思っていた。





そこでどれくらい地面に伏せていただろうか。

全身を地面に預け、横になって身体を少し縮めて目を瞑っていた。


このまま死んで、この心が全て消え去ってしまったらどんなに楽なんだろう。

全部全部、始めから無くなってしまったら、もっと私は自由になれるはずなのに。

こんな所で死んでいる私を見て人々はどう思うだろうか。

迷惑な存在だったなってこれからもずっと嫌われ続けるのかな。


いつしか胸に安心を抱いていた。

優しさを知らなければ嘆く必要も無かった、何かに期待しなければ苦しむ事も無かった。

裏錯といつ離れ離れになるかも分からない寂しさを覚えたり、

優しかったラッカの村人との生活がほんの一時のように儚く崩れ去っていく恐怖に怯えたりするくらいなら、

ずっとずっと、私はこの世界の陰の中、独りぼっちで居るのが相応しいのだ。


その舞永吊の頭上には、他に形容出来ないくらい美しく華やかに色付いた羽を持つ、一匹の蝶が舞っているのだった。



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