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六章 痛覚の瞬きと命の遡行





なにか、自分が見ていた物が嘘の形を彩っていたと考えたくなかった。



弔詠とむらえ烏蓮うれんは、黒く染まった体と傷だらけになった体の傷跡を隠すように包帯を巻いていた。


鏡を見ると、そこには全身が包帯で巻かれた男の姿があった。

それをどこから見ても誰も自分だと分からないだろうと感じた。

自分ですら、これが誰なのか分からないと思うほどに。





数ヶ月前、あの宮海壮クウソという都を立ち去った。

体の中に居た鮮やかな虫をその都に捨ててきて。


何故、自分はこんな姿になっているんだろう。

なんで、こんな傷だらけの体になっているんだろう。


少し考え事をしていた。



"

自分が見ていた物。

あの都に光輝くものは確かにあった。

それは僕には到底知らないところ、つまり僕が生まれる以前から築かれていったもの。

表面上では大きな進展を遂げ、急激に時間を進めているように見える都だけれど、

どこか隠されたところで伝統を重んじている部分があったり、今に伝えられた多くの出来事がごくわずかに残されている…それを何となく感じていた。


あの高くて大きな二本の高層ビルを建てた人、

今の空穂本そらほ大社を築いた人、

お茶会を開いたり、人々を招いて楽しませたりする人たち。


あの都で住む人々はどんな思いで、どんな気持ちで、あの虚妄の都を成り立たせていたのか分からなかった。

浅い人々、建前だけ取り繕っていた雑談、的外れな指摘。

彼らは何も成し遂げてなんかいなかった。

それよりももっと僕たちは、解決しなければならない問題が山積みなのではないのかと、ずっと思っていた。

事実そうだったんだ。


…でも、その僕もきっとあの都から温かいものをもらっていたはずだった。

ほとんど思い出せないだけで。


それは、その事実を見ていなかった時のこと。

過去に逢応が優しくしてくれたこと。

大切に思われていてくれたこと。

いっぱいの微笑みを自分に与えてもらっていたこと。

全て、過去に。


今でもおそらくその都の明るさを感受している人々も居るのだろう。


だけど、今の自分の中に飛び込んでくる都には暗いものしか映し出せなかった。

次から次へと見えてくるものは深い影だけ。


あの都で暮らす人々はそれらの暗闇が見えていないのだと感じていた。

いやきっと本当に見えていなかったんだ。

僕にだけしか、その光の中に深く入り込んでいる闇を理解出来なかったんだ。


それが一体何を意味するかなんて、今の僕には分からないだろう。

"



その後、僕はある小さな町で暮らしていた。


宮海壮ほど人口も多くないし、色鮮やかな土地とは全く呼べないけれど、でもそこで暮らす人もだいたいみんな同じような人たちが居た。

この町が住みやすくて幸せで良い町だって言う人。

この町を少しでも良くしようと改革を練る人。





さて…今は、壊れかけた神社が、ある山のどこかにあるという知らせを受けて、捜しに出掛けていた。

町の人が運転する車に一緒に乗せられて走っていた。


この自分の顔が包帯に巻かれている姿。

始めのうちは町の人みんなに少しだけ怖がられたけど、そのうち見慣れたのか、次第に普通に接してもらえるようになっていた。




車内での会話。

運転している町の人の名前は鳩祷はとうといった。



鳩祷「そう言えば烏蓮くん、宮海壮って都から来たって言ってたよね。

あの都、いつも煌めいているよね。

それにまた新しい分野がますます見つかって、さらに住み心地が良くなっていってるみたいだよ。

また行ってみたら?」


烏蓮「そうだね、また行ってみるのも良いかもしれない。

ただ…」


鳩祷「ただ?」


烏蓮「どうしても不穏な気配を感じ取ってしまって、そこでの暮らしをまた始めてみるのが何となく怖い。

今のところは遠慮しておこうかな。

何か自分を失ってしまう気がする。

それに、色鮮やかに見えるものほど信用出来ないのも確かだから。

僻みなんかじゃなくて。」


鳩祷「どうして?」


烏蓮「理由…は、無いけれど。

行ってみたら分かると思う。

だって僕は逃げることしか出来なかったんだから。」



息をゆっくりと深く吐く。



烏蓮「まだ僕は、もっとたくさんの大事なことを考えなければならないんだと思う。

こんなこと今さら遅すぎる話なんだけれど。


これは僕自身の話だけど、あの都で暮らす人々のため、幸せを願って、自分が出来ることなんて何も無かった。

それどころか、僕以外の都に住む人々であってさえ何もしていない、すぐ目の前に見える快美なものばかりを追い求めているだけだ。

差別したり、誰かを嫌ったり、そんな不吉をもたらす人たちしか居ない、その様相はもはや悪魔そのものだ。


その様子を見て、僕は本当に誰かのためを思うのなら、人のことを想い、節度を持って困っている人を助けるべきなのではとずっと考えていた。


しかし、僕はいくつかの誤解をしていた。


都に住む人々だって、僕と同じように誰かのために何もしてあげられない、助け合うことの出来ない存在であったということ。

それはもはや、僕の理解や知識が追い付く水準では無い場合もある。

なんらかのもっと大きな理由によって助けることが出来ないという事と、もしくは、いくつかの人々は助けるということそのものが絶対に理解出来ない、という二つ。


そしてもうひとつ誤解していたのが、その困っているから助けて欲しいと訴えているのは全員、僕自身であったということ。」


鳩祷「ふんふん、へー、興味深いね。

あの都も、どこも似たような暗さを兼ねているんだね。」



虐げられてきた人たち、真っ黒に染められた人間。

汚い細胞を持ったコエデハ。

ビルの中に詰め込まれたカシャクという者。

気持ちの悪い者たち。


迫害され死んでいった彼らの嘆きは一体どこへ向かっていったのか。

闇に葬られたまま消滅しただけなのか。

今さらになってその事が不思議に思えてきていた。

きっとそれらがいつどうなるかは分からない。



烏蓮「あの都は次にどんな形へ変わっていくのか分からないけれど、いずれはもう少し落ち着いた形まで戻されるような気がする。

断言は出来ないけれど、今のところ僕はもうあまり近付きたくない。」


鳩祷「何故そう言える?」


烏蓮「かつての復讐か何かなのか、それも僕には分からない。

あの都でさらに美しく生まれたもの、きっと、いや絶対に私たちこそが綺麗な者だと言える人たちがいずれどこかで現れる。


色鮮やかに見える都は、その者たちがかつてあった都の本物の重みを忘れた事によって壊されていく。


そして、その者たちは私たちこそが都を救う者であるとして、凄い速度で進み過ぎた時計の針を戻すように、その虚妄に満ちた仮初めの、偽物の光を放った都を破壊することで一度落ち着きを取り戻すことになるんだろうね。」



一粒の涙が流されれば、その涙の裏には無数の雫が見えるように感じていた。

それが積み重なれば、見えない所にはもう入りきれないくらいにいっぱいになる。

それが満ちたら、もう終わりなんだろう。



鳩祷「何か…空想のお話かのようだね。」


烏蓮「そうだね、これはフィクションだよ。うん。」


鳩祷「なんで綺麗な物を壊そうとするの?

ふざけてるの?」


烏蓮「ふざけてるよ。

僕らも、全ての原初の言葉の意味を忘れてしまった人も。


でも、あの都で暮らす人々がどこか遠い星を見て、誰もが一人で泣いて、表面上は綺麗に光輝いている間は、あの都は健在し続けるのかな…とは思えるけれど。」







烏蓮を乗せて走っていた車は、ある山に入り込んでいた。


この辺に、今境ききょう神社があると聞いてやってきたのだ。

鳩祷は車を山中に置いて、今境神社の修繕箇所の記録や書物の整理などに取り掛かるため、夜までずっと神社の中に居て、翌日の朝にこの山をまた出て帰ることにするらしい。





夕日が沈み始める頃。

その間、僕はこの山の中を適当に散策していた。

冬季期間だったので、少し寒さを感じる。



だいぶ遠くまで歩いてくると、ある冬に咲く桜の木が咲いてる場所を見つけた。


その桜の木の下に女の子が眠っているのが分かる。

近付いて確認してみると、その子は既に息を引き取っているのが分かった。



目を閉じて黙祷をする。

ひとまず神社に戻って先に鳩祷へ知らせにいこうか。

その子を運んでいこうかどうしようかと悩んでいた。





そこに、何か人がやってくる気配がしたので、少し遠くに離れてその様子を伺う。

疲れきった顔をして弱々しく歩んでくる少女。

深い栗色の髪の色、ミディアムな髪の長さ。


彼女は、既に息を引き取っている子の近くへ寄り、その子のことを巴馴はなれと呼び、語りかけると、その子の体を静かに抱き、嗚咽をわずかに漏らしていた。





その様子をどれくらい見ていただろう。

自分からその場へ立ち入る事が出来なかった。

ただ特にすることも無かったので、その少女を影からずっと見ていた。







数時間後の夜になってから、その彼女が巴馴という子と共に死へ向かう瞬間、地を踏み込むところを見た。

目を別の所に向けていたから、その瞬間になるまで気が付かなかった。



それが悲しくも果敢な決断であることをしっかりと理解して見届けていた。

以前の自分なら、誰のためであるかなんて気にせずに動いて止めていたのかもしれない。

でもその一瞬の行為が他人の生涯を左右する物だから、自分が手を下すことがいかに勝手なことであるかをなんとなく感じていた。

だから僕はその場から動かなかった。




舞永吊べつり「う…ぐぐ…」



しかし悲痛な声はその一声だけで終わった。

ジタバタと暴れた体から括られていた首の紐が解けて、そのまま地面に落ちていった。


それを見て僕はゆっくりと歩み寄る。



舞永吊「ゲホッゲホッ…うぅ…」



数十秒の沈黙。



舞永吊「…誰…!来ないで!!!」



その子は急に大声を出した。



烏蓮「…」


舞永吊「やだやだ、もうやだ…!

私はなんでここに…。

なんで…この場所にまた居るの…っ!!

なんでこの世界に居るの…!?」



彼女は駄々をこねるように言葉を並べている。

その話を僕は無言で聞いていた。



舞永吊「どこへ逃げても駄目だった…!

どこへ向かっても進めなくて、どこへ行っても落ち着けなくて、どこにも安心出来る場所なんて無かった。

だから全部から逃げたかった、それなのに逃げ出すことも許されなかった…!」



ここで、多くの人ならどういう言葉を掛けるんだろう?


大丈夫、不安にならないで、仲間はいっぱいいるよ?

逃げずに戦った先にきっと良いことがあるよ?


うーん…どんなものでも出そうとする言葉が全部綺麗事だった。

色鮮やかな言葉であるほどやっぱり信用出来ない。

やっぱり自分は何も言わないほうが良いのかな。









死海の中、水底の鏡。

音は乱れていく。


私…、朧封おぼろふ舞永吊べつりは、

木の根を蹴ったつもりが、空蹴りをしたようで、

不器用に紐が首に入って、暴れた弾みでそれはすぐに解けた。

気がつくとこの体は地面の上にまた放り出されていた。






挿絵(By みてみん)




夜の星は無数の瞬きを放ち、静かな明かりを帯びている。

いつも見ていたこの光景。

そこが帰る場所だって知っていたこと。



私は何故ここに居るのか分からない。

私はどうして今もまだ息をしているのか分からない。

私は誰だったのか、それすらもよく分からない。



激しく咳き込んでいるのが分かった。

絶対的な痛みに戦慄し、何もかもを失ってしまう恐怖をまた真っ暗な闇の中に感じているのが分かった。


…また何か未練を作ろうとしてしまったような気がした。

多分死ねないのは勇気がないからとかじゃなくて、自分勝手なこの体が生きたいと懇願するからだった。





目の前に顔中が包帯で巻かれた男の人が見える。

彼は誰なのだろう。

いえ、そんなことはもはやどうでもいい。





いつの日かの旅、どこへも辿り着かない目的地。



巴馴と一緒に死なせてほしい、そうずっと思う。

そうやって私はずっと思い続けてきた。



先祖の声、響き渡る想い。



何年も、何十年も、何千年も、何万年も積み重ねて、永い時代からずっと私は死を求め続けてきた。

…そう、きっとそうだった。

私がそう感じるのも、本当は昔から知っていた。

それをまた今現在、太古の人々の教えを私が受けて学ばされてもらっていたんだ。



視界が歪みはじめ、脳裏の感覚が鮮明さを帯び、過去の灯火の宣告は記憶の引き金を引いた。

過去の中に自分が存在する、当たり前ともとれる事実があまりにも恐ろしく、受け入れられなかった。

駆け巡る残虐な記憶、消え去った希望の灯り。




"

咲否さきなちゃん、病気なのかな…?呻き声をあげて苦しそう、助けてあげたい…だから、今、そこへ…


…私はその首を裂いていた、血を浴びていた。


「痛いよ、苦しいよ、助けて、逃げないで」


私は逃げていない、みんなが逃げていった。

だからみんなが悪くて、私は悪くない。

カホちゃん…?

私はカホちゃんのこと一度も笑ったことなんてない。

痛みを感じたし、受け入れていた、だからずっと泣いていた。

でも面白いよね、人は泣きながら誰かを殺すんだもん。


「寂しい、また舞永吊と一緒に遊びたい、こっちに来て」


カシャク、私は嫌いだったのかもしれない。

だって本当は彼らの元のように蝶のままでありたかったから。

私たちの本来の子孫…人に化けるからそんな始末になったんだ。

近付かないでよ、私たちみたいな死者の群れに。


「怖い…海の向こう、でも大丈夫だって言ってくれた。舞永吊お姉ちゃん、ほんの少しの時間だったけど、ありがとう」


巴馴…やめて、もう誰も私に優しい言葉をかけないで。

その優しさのせいで私は苦しめられ続けるから。

もうこちらへ戻らなくていい、全部終わらせてほしい。


優しさの暴力を伝えるために、侮蔑の言葉を吐かなければならなかった。

何もかもに意味がないのなら、愛するべき人を殺してもいいよね。

私の前に立つ人はみんな偽りを宿した模造品なんだから。

"




意識下の記憶はエラーを吐き続け、歪みを作っていた。



舞永吊「…こんな過去の記憶なんて、何も思い出さなければよかった…!

過去なんて始めからなければ良かった。

感情なんて何も要らなかった。

忘れてたほうが楽だった。

どれだけ幾千年の歴史を積み重ねた大木も、岩山も記憶なんてもってるわけないよね。

私以外の誰も感情なんて持ってないよね。

だってそんなのがあるのかなんて私には分からないから。

何にも分かんないから…!」



無意味に笑顔を作ろうとする。

それが笑顔の形だった。

私はその存在しない幸福の形をずっと探していた。



それを、その笑顔を消し去りたかった。

ただ、自分がここに居ない、過去の者たちと共にあるということをただ心の中から訴えていた。


私には心の声しか響いていなかった。



舞永吊「この世界からいなくなりたいよ…!消えたいよ…!

私を知っている全ての人たちから私の存在を消してよ。

私の存在が嘘だったって、全ての始まりから私の存在を消し去ってよ…!

私の前に誰も現れないでよ、私に優しい言葉をかけないでよ…!

私に心残りを作らせないで、

何で私は楽に死ぬことも出来ないの…?私は自由になれないの?

ただ…勇気があれば死ねるのかな。

巴馴みたいに死ぬ勇気が欲しい"…

私に…死ぬ勇気を下さい…!!」



その思いの声が真の耳の中で弾けた時、

先ほどまでの笑顔が一気に解け、出なかった涙が嘘のように頬を何度も伝っていた。



目の前に居た包帯の男。

その人を見ると、何か色んな映像が脳に過ぎった。



"

多くの行き交う人々の姿が見える。

誰も彼もが自分の見える景色だけを信じ、俯き、何をも見ない振り、知らない振りをする。

虚ろな顔と青白い顔を浮かべた者たちが、入り混じり錯綜している。

その様相は全員がまるで死者のようだった。


そこは宮海壮という都だけど、私にはどこか遠くの知らない国のように思えた。

御伽話の世界や、もっともっと昔の過去にあった時代のように感じられる。


ラッカに住んでいたコエデハたちはその御伽話の世界から迫害され、私が一時期住んでいたラッカに移住して、

そしてあの頃、私と確かに一緒に触れ合って生活していたんだ。


宮海壮のイメージは、平和と平等を願う逢応あいのという少女の目を通して、私は見ていたらしい。

あの時、あんなにも楽しくコエデハとの会話を楽しんでいた。

あんなにも静かで落ち着いた庭園で安らかに共存していた。

それなのに…それなのに…名前も知らない人、何時かも分からない時間によってその温かい情感は次々と裂かれていったんだ。

それが当然であるかのごとく。

"



目前の男に問いかける。



舞永吊「あなたもこの世界の人なの?

そっか、じゃあやっぱり私の存在なんてどうでもいいよね。

邪魔だよね、見苦しいよね。

苦しんでる姿なんて見せないでほしいよね、弱音吐くのもやめてほしいよね、だってそういう場所だもんね。」


烏蓮「いや、別に…」


舞永吊「だってそうじゃん…!

何でこの世界の人々は平気で他人の事情に干渉出来るの?

別種族の命に対して冷酷な態度を取れるの?

他の生きてきた道に異議を言えるの?

他人に対して批評出来るの?

なんで、他人に関わりを持つの…?」


烏蓮「…多くの人はそうだろうね。」


舞永吊「あなたは違うの?」


烏蓮「他に干渉するのは極力控えてはいるけど、この体の熱が自然に消えない限り、完全には難しいかもね。」


舞永吊「きっとそう…だよね。」



ぐちゃぐちゃになった頭の中の声を吐き出すように言う。

吐き出す声も、もう無かったのだけれど。

ただ、遠い祖先から告げられたいくつかのメッセージが頭を巡っているようだった。



舞永吊「…幼い頃に、自分が今まで何やってきたのか全然思い出せなくて、

でも結局思い出してみたら、辛いことばっかりで、今に繋がる良いことなんて何も残ってなくて、

それで、私が今まで逃げてきてばっかりだったから今こんなに辛くて苦しいんだって思って、

誰かや何かのために何も出来なかったから、ずっと一人だったから悪かったんだって、そう思ったら、

自分が今どこに立っているのかも分かんなくなって、

今が怖くて、ただ災厄の結末を迎える前に消えたかったってずっと思って。


そしたら、今の私が死にたがってるのを見て迷惑だって、みんなそう言うよね。

自殺が迷惑だって思ったって。

そして最後までみんなに迷惑かけて…

私は早くこんな所から抜けて、みんなを見たくなくて、ただ消えたかっただけなのに。


もう何もかも分かんないよ…!

私は逆に聞きたいことがたくさんある!


この世界で、昔から何度も生まれ変わってるのに誰も学習しないで、太古の人々の教えを侮り軽んじて、

いつまでもいつまでも、愚かで、今この瞬間しか生きる事が出来ない人々は、何故生きてるの?

どうして平気で他の命に立ち入ることが出来るの?


その人やその子の何が分かるの?

その身になって、同じだけの生と死を最初から最後まで同じように歩んでみたことがあるの?

どうして関係ない人が判断を下せるの?

本当に一人になったら私は何も手につかなった。

私は何も言えない…!何も出来ない…!何も動けないのに!」


烏蓮「うん。

たぶん…よかれと思っているんだろうね、小さな世界を見ている多くの人々は。

…彼らもまた、大切だと思い込んでいる別の誰かや何かを守るために、他の命を拒んで、争って戦わなければならない使命があると、勘違いしていたんだと思う。

一番にもっと大切だった何かを忘れて。

この…小さくて、狭すぎる世界で。」



だからきっと、どんなに正しい事を知っていたとしても他人を否定していいことにはならなかった。



舞永吊「それに…、みんなだって人なんだからいつか周りに迷惑かけて死ぬんだよ…!

例えそれが故意だとしても、事故だとしても…全部必然的な事で、特別な事なんて何一つ無い!

体を持つ事がいつ死に至るか分からない事なのにそれをどうして多くは特別扱いしているの?


私は、物語なんて全部始めから無ければ良いって思ってた。

何にも始まらなければ苦しいこともないって思ってた。

今でもずっと…ずっと…!


だから、産まれる事の方にこそ、その特別的な責任を求めるべきなんじゃないかって思っていた。

ラッカから逃げ出した頃は、もう両親という存在を強く疑っていた。

どうしてこのラッカという所へ私は親元からはぐれ、置いてきぼりにされたのか、ずっと悩んでいた。


私は、本当の母親や父親を何も覚えていない。

この世界で私が最後に見たのは、両親の死体だった姿だから。

だから、あれはただの偽物だったんだ。


私はいつどこで産まれたのか、それもよく分からない。

ただ、死ぬことは必然なのに産まれることは本当に親の意志があったことを仮定としたら必然ではなかったはずなんだ。

産まれる前の存在は誰一人望んでもいないのに生を与えられ、死を必然のものとさせられる方がよっぽど迷惑だって私は今でも思う…!」





私は考えていた。


この世界で、本人にとって死に至るまでの道に、これほどまでに苦痛と恐怖を伴うと言うのなら、それと対になる誕生、産まれてきた始まりというものに、どれだけの幸福や歓びがあったと言えるのだろう。

本人以外の誰かしかそんなもの感じられてないじゃんか。


本人はその産まれた時の状況、感情だって覚えていない。

正確に覚えている人なんて居ないだろう。

では、それなら本来皆で立ち会ったはずであろう、喜びも幸福も知っている人は誰もいない、それは無かったものと同義なんだろう。

それなら、いつの間にかここにある、この死の苦痛と恐怖だけが払い損ではないか、誰もそれの対価となるものを得られないのは、余りにも理不尽なのではないか。


…いや、多分正確に言うと幸福はあったんだとは思う。

体が誕生する以前、もしくは"私"が生まれる前に。

産まれる瞬間の本人は、幸福なんかじゃなくて、強大な恐怖そのものだったんだろう。



もう私は嘆くことしか出来なかった。

しかしながら、嘆くばかりでは苦しみが募るだけ。

だから私が出来るのは、この世界の勝敗という観念から解放され、苦しみを少しずつ減らして、また新たな苦しみを産み出さないことだけだった。

どこにも、何にも手を加えないことだけだった。

 

それなのに世界はいつも苦しみを探し、右に動き始めている。


それらを、私はみんなに直接伝える事が出来ない。

それが許されていない。


それより言葉はもう通じていない。

私の世界は大きな壁によって遮られ、私の言葉という形をもたないものが通り抜けることを許されていない。




伝えたい言葉や思いも、訴えたい苦痛も、こんなにも山ほどあるのに、

本当に伝えたい誰か知らない人には絶対に届かなくて

またいずれ誰かが死に、そして新たに産まれ、入れ替わった時に、全ての記憶は忘れ去られ

伝えたかった思いは産まれてきた誰かの中から全て消え失せてしまっていて

そうして循環して、また生まれてきた命の中に痛みの中で闘って、苦悩の末に導くであろう多くの思いもまたどこにも届かない。



同じ痛みと同じ苦しみを、同じ言葉で伝えれば、誰かよく分からない人はいつも同じ理解しかしない。

そしてまた、同じ苦痛を繰り返す。


過去の苦しみを過去の痛みを過去の恐怖を、

幼い頃に感じてきたそれを、巴馴が感じてきたそれを、

"あった"という事だけは、忘れちゃ駄目なんだって、何度もそう言ったのに。

思い出してって、何度もそう教えたはずなのに。

何度も嘆いて絶望して、生まれたくなかったって記憶に焼き付けたあの日の思いを絶対に忘れないでって、そう教えたのに…!


全ての命が感じ、思い出そうと思えば必ず思い出せるはずの、その全ての生命の記憶が存在したのだと思い出す時が満ちるまで、終わらない。




いつまでこんな事を繰り返せばいいの。

何度同じ世界を見なければいけないの、何度同じ物語を描かなければいけないの。


同じ言動、同じ話、同じストーリー、同じ痛み、同じ結末…!


明るく見える偽りの未来の光に何度裏切られたら人々は理解出来るの。





烏蓮「君は…生きたいのか、死にたいのか」


舞永吊「…。

分かんない。

けど、本当は死を求めてるはず。

ううん…死…じゃない、もっと言えば、死ぬ事よりも二度と生まれないことを望んでいるんだと思う。」





生まれる前はあんなにも自由だったのに。


生まれる前は全てを知っていたのに。







夢、私が信じていた世界。

もっと普通の、普遍的な、秩序立った生活。

温かな日々。



笑って


夜はお星さまにお祈りして


夢を語って


明日には希望を持って


大切な人を守るために動いて戦って


みんなと繋がってて


友達と協力して


たくさんのお客さんとたくさんの仲間と一緒に楽しんで


辛いことを打ち破って乗り越えて


好きな人には秘密を持って


この気持ちに気付いて欲しくて


あなたと一緒にあの丘へ行きたくて


あの日の思い出を語り た く t …



全部、嘘だよ。

どこにも無いよ、そんなの。


だって自分がこの世界に迷い込んだ一人ぼっちのお客さんなんだから。

この、偽物の世界に…!





最後に一つだけ問い掛けをしようと思った。



舞永吊「あなたは…ううん、みんなは…誰かを思いやる心や共感する感情が、無いの?

みんなは…心を持っているの?」



烏蓮「心はある、持っていると思う。」



あなたが見ている世界じゃない所で。

誰もが孤独の世界の中で。















流れ、消え、落ち。


ひらひらと舞い落ちる幾つもの花びらは、散った時点で過去の遺物となっていく。




伝えたかった事、遺されてきたもの。


全てに意味があった、などと言うことは出来ない。

言ってしまったら嘘になるから。





この世界に、人が自分のほかに一人として居ないのなら、時間は止まっているように見えるはずだった。


…いいえ、それは勘違いを与える言葉の綾だったかな。

そもそも始めからこの世界には私しか居ない。 




自然は、あるがままの状態を維持して咲いては散る移ろいが永遠に続いているように見える 。


仮説として、五感によって見える物質世界が全て破壊出来れば私しか居なくなる。

そこにはもう時間は無いし、存在しない平等と平和が広がっている。

無意味だと分かっていても、私に残されているのは、もはやこの世界の破壊だけだった。


もう、文明も文化も要らない。


この世界のお話はもう終わっている。

始めから既に完結している。

始まった時点で物語は終わりを告げている。

これ以上無計画に意味もなく、無益な歴史を刻む必要はない、痕跡を作る理由がない。


消え去っていった小さな巴馴の命と共に、私は感じていた。

傷付け、奪い合うこの世界のみんなが許せなかった。

そこらの寄せ集めの低俗な愚か者、思慮の浅い雑魚のくせに、小さな体を傷付ける人々が、大人たちが、時間が、許せなかった。

だから、その怨嗟の愛が幾千年の時を超えて今この瞬間に再び形を持って現れたんだ。


仟舎檮狼霊神せんじゃとうりょうしん


これ…だったんだって思う、巴馴がなんで古い存在であるヒテイを呼び覚ましたのか、その理由が。



挿絵(By みてみん)



私が作り上げてきたその小さな小さな箱庭の美しい世界をさらに綺麗な何も無い形へと作り直すために壊す。

ボロボロに潰す。

優しさと愛情を胸に秘め、自分が異質な存在であったことを忘れ、大切な事を守るために、砕く。

一番大切な雫を抱きしめるために、破壊する。


私にはもう誰の声も聞こえていない。

通信されていない。







そしてまた、気付いた時。


私が壊してしまった、その絶望しきった暗くて深い孤独の闇の世界の中に取り残されていた。

その場で体が崩れ落ち、涙をまた零していた。


そんな"夢"がわずかな短い期間の間に激流のように舞い込む。


ただ、その残されてきたもの全てに意味があったと、強く信じることが出来たなら、私はどれだけの幸福を抱き、次の舞台へと足を進ませゆくことが出来たのだろうか。

歓びと共に、理を書き換えた未来へと新たな一ページを描けたのだろうか。


だって、そんなの、そんな幸福な夢なんて、この世界には無いのにね。




その先の舞台で見た世界の景色は、私が夢の中で信じていた世界ではないことも大いに知っているはずなのに。


本物の幸せは過去にしかないってことも、みんな知っていたはずなのに。






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