薬の終点
部屋の照明はとうに消え、辺りはカーテンの隙間から差し込む陽光のみだというのに、オレの目はすべてをはっきりと映し出していた。
五感が野生動物並に研ぎ澄まされ、頭痛と吐き気に悩みながら、ヤギの幻覚を見る。
「今、何時だ?」
時計を探すが見当たらない。最後に幻覚剤を流したのはいつだった? 一時間前か? それとも一日前か? 時間感覚が狂い、記憶が断片的にしか思い出せない。
「……まあいいか」
オレは安っぽいチェアに腰掛け、モニターに視線を走らせる。そこには、目標としているセキュリティー情報。
「防壁――RS256。こいつは抑制剤がいるな」
コンソールの上に転がっていた、昔ながらのヘロインを自らの整脈に流し込む。
同時に、コンソールから伸びるDケーブルを人間型接続子に接続。すぐに終わるだろうし、横になる必要はない。
ハックツールを起動させ、防壁を破りにかかる。
『武器を整え』
情報の塊。隙間なく作られた電子の壁。そこに穴を穿ち、徐々に大きくする。
『相手を見極める』
胡乱な頭だからこそ、ハックの道筋が見える。あとはそこを歩くのみ。
『姿を消し』
電脳を加速させ、景色さえも置き去りにする。
『後ろから突き刺す』
手を伸ばし、光をつかむ。
『これにて終了』
出てきたのは破損しているウイルスと、十年前に倒産している会社の従業員情報だった。どちらもオレに使い道はない。完全に外れだ。
「はぁ」
食べかけのチーズに黄色い蝶が降り立ち、ゆっくりと消え去った。
「なんか疲れた」
金目の物でも出てくれば、外に出てヤクの調達にでも出かける予定だったが、結果は惨敗。今日はもう外に出る気にはなれない。どうせ、外は今でも目が降り注ぎ、オレを睨むのだから。
「さて」
自分で肩を揉みほぐし、コンソールとの接続を切り離す。山のような注射器を崩さないように気をつけながら、フラフラと立ち上がる。
――コンコン
「……」
耳に届く不快なノック音。来客のようだ。
……面倒だが、出ておくか。
「今開ける」
相手に聞こえるかぎりぎりの小さな声を発しながら、玄関まで歩いて行く。
「どちらさん?」
扉を僅かに開け、相手を確認する。
「リズ・リーグメントね。LSS捜査官の者よ」
訪問者は、墨のような黒い制服の若い女だった。流れるような金髪に、碧色の瞳。義体……の可能性もあるな。
「LSS……軍靴の犬か。オレになんの用?」
「あら、想像付かない?」
金髪を僅かにゆらし、挑発するように女は笑った。
「しかし、あちこち荒らしまくっているA級ハッカーがジャンキー……しかも若い女性だなんて、驚きだわ」
いきなりやってきた女は、扉の隙間からオレの部屋を物色し、そう呟いた。
「しかも、今時電子ドラッグでもナノマシンでもないなんて……注射器やら粉やら錠剤やら……あなた何年前の人間よ」
「うるさいな。で、結局何の用なんだよ? オレを逮捕でもしにきたの? LSSって一般市民の逮捕権限あったっけ?」
「至る所に侵入して極秘情報やらゴールドやらを強奪している人間を、一般市民とは言わないのよお嬢ちゃん」
見下すような視線の女。LSSの人間はこんなのばっかりなのか。
「まあいいわ。さっさと来なさい。言っておくけど、私に電脳ハックなんてできないから」
「知ってる。あんた、非電脳者だろ? 扉開けた瞬間からハックしようとしても反応ないんだから、そのくらいわかるよ」
お前こそ、いつの時代の人間だって話だ。
「これだからハッカーって人種は……まあいいわ。さっさと――」
女がこちらに手を伸ばした瞬間、
「……面倒だから死ねよ」
オレは手刀で女の喉を突き刺す。呆気なく貫通した。
「がぁ……っ」
醜い音を発し、女はオレを睨みながら絶命した。簡単に死んだ。
「調査不足だったな。リズ・リーグメントなんて偽名だよ。この女の体は義体。本当は男なんだよ、オレ。薬物を昔ながらの物に頼っているのも、この義体はそっちの方が効果が強いからだ」
とりあえず女の死体を家の中に運び、そこら辺に転がしておく。
「あとで死体処理用のナノマシン買ってこないとな……」
死体の隣に転がっていた興奮剤を引っつかみ、乱暴に身体へ流し込む。
「これで五人目……そろそろ拠点変えるか」