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時を超えても  作者: たちばな 弓流
8/24

過去 一誠との本当の距離

「何の騒ぎだ」

 低い響く声だった。一誠だ。騒ぎを聞きつけて、近習と共にやってきたのだ。侍女達は一斉に助けを求めるように、口々に訴える。

「佐和子さまが……!」

「永姫さまにいただいた菓子を食べた後に急に苦しみだして」

 一誠は一度、永の方をちらりと見たが、佐和子の元へ腰を下ろすと、佐和子の様子を窺う。

 

 そんな。私に貰った菓子が原因だと言うの?それを一誠に告げられてしまった。違うのに、私じゃないのに。一誠が誤解してしまう。

 もちろん、こんな青ざめた佐和子も心配だった。嫌味を言われようが、こんな弱った姿を見せられては、仲が悪いなどと言っている場合ではない。

「医師は呼んだのか?」

 侍女達は大きく頷くと、ほどなくして薬師が現れて佐和子を寝かせるように指示を出し、容体を診るようだった。永と一誠は部屋から追い出されてしまった。仕方なく永は自室へ戻り始めた。少し前を歩く一誠は何も言わない。

 

 ふと一誠は足を止めた。そして振り返る。

「佳、そなた達も先に戻れ。俺は永と話がある」

「しかしながら……」

 佳が心配して一誠を止めようとしてくれたが、一誠の真剣な表情に怯んで、後の言葉を飲み込んだ。そして、頭を下げて先に戻ってしまった。薄暗い廊に二人残されてしまった。永は不安で俯いた。鼓動が速まり、落ち着かない。

「永、こちらへ来い」

 一誠は目の前にある部屋の襖を開けた。庭に面した障子も閉まっており、廊よりは明るいが息苦しさには変わりが無かった。


「入れ」

 一誠は永を促す。おぼつかない足取りで部屋へと足を踏み入れる。すると、一誠は後ろ手で襖を閉めた。 ここでも鳥の鳴き声が聴こえたが、それは『キー、キー』という声で、永には威嚇の鳴き声に聴こえた。

沈黙が重たい。だが、永には何を言って良いか分からない。ただ、俯いて一誠の言葉を待った。

 一誠は、すっと永の前まで来ると、両肩に手を置いた。驚いて俯いていた顔を上げてしまった。


「永、そなたは何もしていないのだろう?」

 何を言われているのか一瞬分からなかった。目を丸くして、目の前にいる一誠を見上げる。

「何で?一誠さまは……私のことを信じてくれるの……?」

 永の声が震えた。あの場にいた佳以外の者は、皆、一様に永を疑ったはずだ。あの血の気の引くような感覚を思いだして、呼吸が荒くなる。

「ああ、そうだ、そなたを信じる。永はどこに何があるかさえも知らないじゃないか。何も憶えていない永に毒なんて思いつかないだろう」

 一誠は両肩に置いてある手に力を込めた。その目に嘘の色は無かった。


「うっ……」

 永の頬を一筋の涙が零れた。

 一誠は、一瞬動揺したようだが、永の頬の涙を指ですくった。その指の逞しさと温もりに安心感で胸が満たされる。

「泣くな。安心しろ、そなたを悪いようにはさせない。だから泣くな」

 安心させようとする優しさで、余計に涙が堪えられない。それは、今までの記憶を失ったところから始まるのかもしれない。自分では何も思っていなかったが、心は無理をしていたのだろうか。次々と涙が溢れた。

「そんなことを言われても止まらないの。う……」

 話す声も涙声だった。

「ああ!もう、永は!」

 一誠はなげやりに声を張り上げた。

 そして、両肩に置いてある手を引き寄せた。すると、永の身体は一誠の胸へと納まった。一瞬の出来事で声を出すことも忘れてしまった。

「ばかか!泣くな!俺が命じているんだ、泣き止め!」

 どこか吹っ切ったように、永の頭上で怒鳴る。その話す振動が、一誠の胸に顔を埋めている頬から伝わる。


 いや、それどころか一誠の振動の話ではない……自分の鼓動が一誠に伝わってしまう。早鐘を打ち、体温が上がるのが分かる。身体中の血が煮えたぎってしまうのではないかというほど、熱くなってしまう。

「いいか、永、大丈夫だ。佐和子も助かるから」

 今度は優しい声で、耳元で囁かれた。吐息が掛かって余計に一誠を感じてしまう。おかげで、すっかり涙は止まってしまった。

「大丈夫だ……」

 一誠は永の背中をゆっくりと撫でた。子供をあやすように。何度も。繰り返し撫でて、『大丈夫』という言葉を繰り返す。どれくらいそうしていただろうか……。永はやっと、返事をした。

「……はい……」


 段々と落ち着いてきたのか、一誠に撫でられる手が心地よい。安心感が満ちる。永は思わず身体を一誠に預けた。一誠の匂いや呼吸すらも心地よかった。

「泣き止んだか?」

 永がそっと顔を上げて一誠を窺うと、はにかんだ笑顔が目に飛び込んできた。

「あ……」


 笑顔!また見ることができた!

 どきん、と胸が跳ねた。こんな状況でも嬉しさが湧きあがる。落ち着いていた身体が、また息を吹き返したように熱くなっていく。頬が赤くなってしまう……。

「な、泣き止んだならいい」

 永が意識しているのを感じて、一誠は動揺して永の身体を自分から引き剥がした。笑顔も消え、すっと温もりが無くなっていくのが寂しい。

 あ……と言葉には出さずとも、永はあからさまに残念そうな表情を見せた。しかし、一誠は永の表情には気が付かなかったと、わざとらしく目を逸らして永から距離を取った。


「何故……?どうして……?今まで私を避けるようなことを?」

 するりと言葉が出ていた。知りたかった。この前は、どう思っているかを聞けなかった。何故ここまで避けられているのか、触れてくれないと聞いていたのに、こうやって触れてくれる。今までに何があったのか知りたい。一誠は何を思っているのだろうか。どうしても訊きたくて、すがるように一誠の袖を掴んでいた。しかし、一誠は永とは目を合わすことはなく、唇を引き結んでいる。

「一誠さま……」

 永は返事を促すように名を呼ぶ。眉を寄せて、どきどきとする胸の鼓動を誤魔化すように袖を掴む手に力を込めた。


「その話は今度で良いだろう」

 冷たい言葉だった。思い出の場所を案内してくれた時と同じで、距離が縮まったかと思うと突き放される。

「もう、良いな」

 一誠はそう言って話を切り上げた。そして……。


『パチン!』

 高い音が室内に響いた。永も一誠もはっとして顔を見合わせた。

 それは、一誠が永の手を払いのけた音だった。何が起こったか分からず、永は手の置き場も見つからない。弾かれた手は少し痛みがあったが、それよりも一誠の払いのけた手が永を拒絶している……その事の方が胸を締め付けた。


「あ……悪い、永。許せ」

 目を合わせないまま、謝罪したが叩かれた永だけではなく、一誠も傷ついているように見えたので、永は問い詰める言葉を失ってしまった。

「い、いえ。大丈夫です……」

 最後は消え入るような言葉。永は一誠から目が離せなかった。訊くことは出来なかったが、一誠は過去に自分と何かあったに違いないということは確信が持てた。

「じゃ、もう良いだろう。戻るぞ」

 一誠はさっさと歩き出した。その背には、まだ壁がある……そう感じて見つめていた。一誠は襖に手を開けて、すっと開ける。


「きゃ!」

 甲高い声に二人して廊に目をやると、そこには三津が立っていた。急に開いた襖に驚いたようだ。

「殿!それと……永さま……ですか」

 あからさまに永が邪魔だという感じを受ける言葉だ。しかし、三津は一誠の顔を見るなり、零れるような笑顔を見せた。花のような、という可愛らしい笑顔だ。そうだ、佐和子も三津も一誠に振り向いてはもらえないのだ……それは、永と同じ気持ちのはずだ。

「何だ、三津はここで何している?」

 一誠は相変わらずの無愛想な顔で尋ねた。しかしながら、三津は一誠と話せることが嬉しいらしく、気にも留めずに話を続ける。

「佐和子さまが倒れたとお聞きしたのです、それで心配になりましたの」

 ああ、確かに。以前、一誠と木の陰に隠れた時のことを思い出した。『女』を売りにしている。しかし、それはある意味、佐和子と同じく感情を真っ直ぐに表しているのではないのか……だが、男である一誠には嫌悪感を持たれてしまうのか。


「殿、私も不安で……佐和子さまのご様子をお伺いしたいのですが」

 三津が永をちらりと横目で見た。その目は永に伺いを立てるようでいて、勝ち誇ったように見えた。一瞬、顔が強張るが、怯んでなるものかとの思いの方が勝った。

「どうぞ、私は部屋に戻りますので」

 永は三津に笑顔を見せた。自分の気持ちを悟られまいと作った笑顔を。そして、踵を返し、一誠と三津と目を合わせることもなく歩き出した。余裕を持っているように見えただろうか……。少し歩いたところで足を止めて振り返る。

 しかし、そこには二人の姿はすでに無かった。もやもやとした気持ち……これは何だろう。それすらも分からない。不安。違う、もっと一誠と一緒にいたいという気持ち。永は堪らず頭を振って、気持ちを払しょくしようとしたが……消えない。ここに居ても仕方ない。永は再び歩き出した。


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