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時を超えても  作者: たちばな 弓流
7/24

過去 女の戦の始まり

 その頃の永はというと、自室で書物を読んでいた。記憶がいつ戻るか分からない今、学ぶことはあり過ぎる。少しでも教養などを身に着けないと、大名家の嫁としてやっていけない。それこそ、高科家の意向でいつ実家に帰されてもおかしくない。佳は、それだけは絶対に阻止しなければと言っていた。成島家のために嫁いできたのに、今更全て水の泡だ。だが、書物も隣で佳が付いて読んでくれないと分からない。大体、文字が分からない。感情と最低限の暮らしていく知識くらいしか持っていなかった。


「少し休もう?疲れたよ……訳が分からないし」

 永はうんざりという様子で、大きなため息を吐いた。

「まあ!全て忘れてしまったというのに!少しは焦ってくださいませ」

 そんなことを言われても、理解できないものを延々と続けているのは辛い。

 その時、誰か近づいてくる足音が聴こえた。


「永、どうだ?少しは覚えたか?」

 一誠だった。言いながら永に尋ねた。今、諦めかけていたところ……とは言えず、苦笑いをしながら立ち上がって移動する。上座に一誠が座ると、落ち着いて永の顔を見た。苦笑いしていたのも、しっかり見られていたらしい。一誠は顔をしかめた。


「その様子では、大して成果がないようだが?」

「はあ……なかなか進まず……」

 永は上目使いで窺う。

「焦らなくて良い。そうだ、これを渡そうと思ってな」

 一誠が差し出したものは。

「まあ!絵巻物ですか!」

 後ろに控えていた佳が感嘆の声を上げた。永が振り返って、ぎろりと睨むと、佳はしまった!とばかりに申し訳なさそうに小さくなった。まだ、私は何も言ってないっていうのに。

「くっ、くっ、くっ……永、許してやれよ。佳の言う通り、絵巻物だ。母上にもらったのでな」

 一誠は笑いを堪えながら、永に手渡す。

「ありがとうございます」

「まあ、後でゆっくり見ればいい。それは、そんなに長くないようだし、佳に読んでもらえば絵も分かるだろう」


 字が読めない永のことを考えて、文字が少なく絵が多い物をくれるというのだ。一誠からの品というだけで、嬉しかった。自分のことを考えてくれていただけでも嬉しい。自然と顔がほころんだ。だが、一誠は一度身体を強張らせて、どきりとしたようだった。しかし、すぐに大きなため息と共に、先ほどと同じような笑顔になった。何かしただろうか。首を傾げた永を立ち上がって、ぽんぽんと頭を叩いた。

「永、励めよ」

 永は訳が分からず、優しく叩かれた頭を押さえた。幼い子供じゃないのに……その様子に少しムっとしたが、どきんと鼓動が跳ねた。

「は、はい」

 永の返事を聞き届けると、一誠は部屋を出て行った。気にしてくれいた、それが嬉しくて、永は持っていた絵巻物を抱きしめた。


「良かったですね、殿から贈り物なんて。でも、奥方さまが殿に絵巻物を……?もしかしたら、姫さまのために奥方さまに頼んで頂いてくれたのかもしれませんね」

 だったら?そうだったら、自分に都合が良い解釈かもしれないが、嬉しいんだけど。経緯はどうあれ、少しでも自分のことを考えてもらえたのなら嬉しい。まだ、一誠との間には大きな壁があるのだから。

「さて、そちらは置いておくとして、続きをしましょうか」

 佳の言葉に、あからさまに永は嫌な顔をした。

「え?少し休んでからでも……ね?」

 永はすっかり気が削がれてしまっていた。

「仕方ないですわね……。先ほど頂いた菓子がございますので、それでも召し上がってから続けましょう」

「やった!」

 ぱちん!と手を叩いて笑顔を零した永を見て、佳は大きなため息を吐く。仕方ないじゃない、そんなに急に頭に詰め込めない。佳は永の前に饅頭を出してきた。小麦粉を練って蒸かしたものだ。

「本当は、もう少ししてからお出しするつもりでいたのに……」

 予定より早くなってしまったが、遅かれ早かれ食べるのだから良いじゃないか。

 しかし、そこへ一人の侍女がやって来た。

「永姫さま、佐和子さまがお越しでございます」

 食べようと思っていた矢先に……。永は佳と顔を見合わせると、佳は頷いた。


「お通しして」

 一体、何の用だ。

「永どの、お元気そうですわね」

 何となく棘のある物言いだった。佐和子は、永の前に座ってちらりと読んでいた書物に目をやったが、また永の方へ視線を戻した。

「おかげさまで元気です。ところで今日は、どのような用件でしょう」

 高圧的な言葉に永も自然と臨戦態勢になってしまう。


「そうですわね、最近、殿との仲が変わったような気がしましてね。なんとなく永どのも以前とは違うような雰囲気。何かあったのかと……」

 うわ……!鋭い!なんとなくで二人の仲まで気が付いてしまうものだろうか。佐和子の勘の鋭さに、どきどきと鼓動が速まる。記憶がないのを知られてしまったのかと焦り、背中をすっと一筋の汗が伝った。

「ええ、夫婦の距離を縮めるためにも少し考えましてね」

 永は全く違うことを言った。誤魔化せたらいい。自分の中でも『考え』って何?あったら知りたいくらいだわ!などと思っていた。

 膝の上で重ねた手に汗を掻いているのが分かる。記憶がないのが公になってしまったら、自分も成島家の立場もない。


「そうですの。確か、永どのが池に落ちたあたりから変わったと思っていたんですけど……ふうん、そうなの」

 時期まで知っているのか!永の胸がどきりと跳ねた。まさか、そこまでとは思わなかった。

「仲が良いに越したことはないでしょう」

 永は頬が引きつるのを感じた。佐和子にばれなければ良いが。

「そうね。早く殿に触れていただけると良いわね」

「は?」

 永は顔を顰めた。そんな事は言われたくない。

「だって、まだでしょう?」

 佐和子は口元に指を当て、ふふふと笑った。何もかもが嫌味に聞こえて仕方ない。分かっている……佳からも聞いた。高科家の跡取りを産むためにも、まずは一誠に触れてもらわねばならない。だが、今の状態では今までの二人と同じで、何も変わらない。恥ずかしいが、子の生し方を聞いたし、それが自分の務めだとしたら、一誠とは今の状態で良いはずがない。それは佐和子も三津も同じはずだ。一誠は誰とも寝所を共にしたことはない……らしい。


「佐和子どのの心配には及びません。自分のことは自分で何とかしますから、おかまいなく」

 永は精一杯、嫌な言い方をした。佐和子がそんな言い方なら、永も負けたくはなかった。佐和子にとってはそれが面白くなかったらしく、眉をひそめた。

「そう、せいぜい頑張って」

 吐き捨てるように言うと、すっと立ち上がる。その所作はやはり綺麗だ。

「ええ、お気遣いありがとうございます」

 永は手を付いて頭を下げた。そして、傍らにあった饅頭に目が行った。

「佐和子どの、お口に合うか分かりませんが、こちらはいかが?」

 すっと饅頭の載った台を差し出すと、佐和子は顔を顰めたまま、再び座って一つだけ口にした。そして、来た時とは違って、苛立ちを見せながら、出ていった。


「姫さま!さすが、記憶はなくなっても姫さまは姫さまです!あのやり取りは、いつもの姫さまですわ」

 佳はそう言って、少し嬉しそうだった。何を言っているのか……こちらは胆が冷えたというのに。永は大きなため息を吐いて、肩の力を抜いた。掌なんて汗でびっしょりだ。とりあえず横にあった饅頭を口にする。何かで気を紛らわしたかった。しかし、緊張からか味なんて分からない。

「余計に疲れたわ……」

 がっくりとうな垂れる。もう一休みとは言わず、今日はこのまま休みたい。

「さあさ、殿と佐和子さまがいらっしゃったので、休んでいる暇はなくなりましたよ!」

 佳は気合いを入れるために、パンパンと手を叩いた。

「え?休みは?」

 佳は首を横に振る。え……?今のが休みだったら、ひどい仕打ちではなか。永はがっかりして余計に力が抜けるのを感じた。

 しかし、それを打ち破るような声が聴こえた。


「きゃあああ!」

 悲鳴だった。

 尋常ではない声だった。

「誰か!誰かあああっ!」

永と佳は顔を見合わせた。そして、立ち上がって声のする方へ飛び出した。

「あちらは佐和子さまのお部屋の方です」

 まだ迷ってしまうため、佳は永の前を早足で歩く。佳は振り返って、そう言った。永の部屋からそう遠くはない佐和子の部屋の前に着くと、そこには大勢の侍女に囲まれた佐和子がいた。


「佐和子どの……?」

 永が部屋の前の廊からぼそりと呟いた。何人かが振り向いたが、それどころではないようだ。佐和子は倒れていた。

「これは?」

 永が尋ねると、佐和子が恨みがましい目でこちらを見ている。冷や汗を流し、真っ青な顔をしている。大騒ぎで佐和子の名を皆が呼んでいる。そこでは不釣り合いな鳥の鳴き声が永の耳には、やけに大きく聴こえていた。


「永どのにもらった……菓子のせいですわ……」

 佐和子は永を指差して呻くように言う。その場にいた全員が永を振り返った。

「ち、違う!私は何もしていない!」

 すっと頭から冷や水を浴びせられたような感じがした。血の気が引くとはこのことを言うのだろう。咄嗟に出た言葉だが、この状況では嘘のようにしか聴こえなかった。皆の目が明らかに永を疑っているような冷ややかな眼差しだ。


「私は何もしていないわ!」

 何もしていない、堂々としていて良いはずなのに後ろめたい気持ちになる。永は一歩後退りをした。後ろに控えていた佳が永の背中を支えた。


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