現代 誠の落ち込み
次の日の昼休み。誠は机に突っ伏していた。教室の中は、お喋りの声で騒がしい。だが、昨日の永里の事故の事は、すでに知っている人は多い。仲の良かった誠に、最初はどうしたのかと興味があって訊いてきたが、誠の落ち込んだ様子にその内、誰も話さなくなった。そっとしておこう、というのが周りの配慮だった。
俺は高科一誠の生まれ変わりで、永里は永姫の生まれ変わりだ。そして、永里のおばあさんが、永の乳母だった佳だ。それは間違いない。俺は子供の頃から一誠の記憶があって、永里は何も思い出さないまま、ここまで来た。佳は、俺が一誠の生まれ変わりだと気が付いた。その事が昨日から気になってしまう。
永里の容体が一番気になるのだが、家族でもないのに病院にずっと付いているわけにはいかない。『殿』と呼ばれていた頃ならまだしも、今はただの高校生だ。何の役にも立たないし、平日なので学校もある。まだ意識は戻らないのだろうか。そして、再び後悔が押し寄せて、あの事故の時に腕に抱えた永里を思い出してしまう。それと一緒に病院での永里の祖母とのやり取りも思い出して、ずっとそれがエンドレスで頭の中を巡っているのだ。
「高科ぁ!」
呼ばれて顔を上げると、剣道部の先輩の男子と女子の部長が教室の入り口にいた。
「ひどい顔だな」
誠の席の傍まで来て、隣と前の席のイスを誠の机に向けて、二人して腰を下ろした。大騒ぎで入ってくる上級生に同級生は、何事かと遠巻きで様子を窺っている。こちらをチラチラと見ているのが目の端に入った。一人にして欲しいと思いながらも、先輩なのでそんな事は言えない。仕方なく、姿勢を正して話を聞く態勢にした。
「ひどい顔なのは元からですよ」
先輩二人は顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。
「あはは!高科が言うか!高科がひどい顔だったら、コイツなんか終わりでしょ」
女子の部長が豪快に笑った。ふて腐れて言った言葉だが、先輩には可笑しかったらしい。
「うるさいよ。高科も綺麗な顔してるんだから、喧嘩売るようなことを言うなよ。ホント、俺なんか落ち込むぞ」
男子の部長が口を尖らせる。顔の中身は置いておいても、部長はがっしりとして、頼りがいがあるのが良い所だと思っているのだが。
「そんで、何の用ですか?どうせ、永里のことでしょう?」
早く本題に入りたかった。この二人は、どうもうるさい。豪快な二人だから、目立って仕方がない。
「ああ、そうだよ。先生の所にも行って話は聞いたんだけどさ。昨日、成島と一緒だったんだろ?どんな様子だよ。入院してるなら、部としてもお見舞いに行こうかって話してたんだ」
男子の部長が思い出したように本題に入る。
「永里の怪我は大したことがないけど、まだ意識が戻らなくて……。もう少し様子を見てから行った方が良いかも」
「そうか。じゃ、落ち着いてからにしようか」
「そうだね」
部長二人は顔を見合わせて頷いた。
「そんで、高科は大丈夫?」
女子の部長が顔を覗き込んで尋ねた。
「は?俺はどこも怪我してないですけど」
「違うって。愛する成島が怪我してさ、おまけに意識なくて。高科は大丈夫かなぁって思ってさ」
ああ、そういう意味か。二人は永里のことを訊きにきたんじゃなくて、俺を励ましにきたのか。先生の所に行ってきたということは、容体も知っているはずだ。わざわざ俺の所に来て、二回も永里の様子を訊く必要はない。
「大丈夫ですよ」
「いや、駄目だろ。さっきの様子じゃ」
そうだよな、落ち込んでいる所を二人には見られていた。
「愚痴でも、成島の心配でも、ノロケでも何でも聞くからさぁ、ちゃんと言ってみなよ」
こんな時は胆の据わった女子は頼もしい。さすがに、生まれ変わりのことは言えないが、もやもやしている事を言ってしまおうか……などと思い始めた。少し俯いて考えていたが、ちらりと視線を上げると、二人は根気よく誠の言葉を待っていた。
「あの……俺、永里を守れなかった……」
ぼそっと呟く。一番の後悔を口にした。
「うん、仕方ないんじゃない」
「そうだな、どうしようもないこともある」
笑いもせずに頷いていた。
「俺があの時、一緒に帰ろうと誘わなかったら……歩いてなかったら、俺が永里の側を歩いていたら……って考えちゃって」
二人が黙っていたので、一度深く息を吸って更に続けた。
「俺が守ってやりたかった。違う、俺が永里の代わりになりたかった」
昔から肝心な時は永のことを守りきれなかった。永の時も永里になってからも。気を付ければ自分が守ってやれることが出来たはずなのに。悔しい。
はぁ……と二人から大きなため息が漏れた。女子の部長は腕を組んで、誠を真っ直ぐ見つめた。
「バカじゃないの?成島が事故に遭ったのは、どうしようもなかったの。あの時とか、ああすれば良かったとか、全て今更遅いのよ。成島は心配だけど、高科が無事で良かったの。自分の事を責めても仕方ないでしょ。あんたは、ただの高校生なんだから」
ざっくりと昨日から考えていた事を否定された。確かにそうなんだ、頭では理解できるけど、気持ちが付いていかない。もっと何か出来たのではないか、もしかしたら永里を守ってやれることが出来たのではないか……それが付きまとう。
「そうだ、高科は何も悪いことをしたわけじゃない。何も気にしなくていいと思うぞ」
うんうんと女子の部長の話に男子の部長は相槌を打つ。
「でも……そうやって、誰も俺を責めない。永里の親も先生も俺の親も……」
責められた方が気が済んだかもしれない。不甲斐ない自分を他人から責められたかった。
「やっぱり、バカ。高科は悪いことしてないんだもん、事故は事故。誰もあんたを責めないわよ。責められてスッキリするのは、あんただけ。ま、好きな女を守れなくてグダグダすんのは仕方ないかもね」
女子の部長はわざとのように大声で話す。『好きな女』というのを強調して言うのを、クラスの女子達は聞き逃すはずもなく、ひそひそと話し始めたのが分かった。女子の部長は周りのざわついている様子を横目で面白そうに眺めた。少し鈍そうな男子の部長は意味が分からないらしかったが、やがて女子の部長が周りをわざと煽っているのだと気付くと、下を向いてくすりと笑った。
誠も否定することは無かった。俺としては、永里との仲が学校中に知れ渡っても構わないくらいだ。俺に好意を持ってくれる女子もいるが、そんなのはどうでもいい。今も昔も俺には永里だけだ。そのために、同じ高校を選んだし、小学校でやめようと思っていた剣道も続けてこられた。全ては永里と一緒にいたいためだ……なんて、我ながら小さい男だと思う。そういえば、今も昔も器量が小さいって所は合っていると思う。
「そうだなぁ……高科はあの時、どうしようもなかったんだ。気にしても仕方ない」
男子の部長は話の本題を思い出して結論を言ったが、その後、ふと顔を上げて目を輝かせた。一体、何だ。
「高科って面白いのな……。成島本人には『永里ちゃん』て呼ぶくせに、本人いないと『永里』って呼び捨てなんだな。独占欲ってやつか」
「そうなの!高科ってば、ホント成島好きよね」
二人して笑う。からかいに来たんだか、励ましに来たんだか分からない。誠は拗ねて口を尖らせた。
「そう拗ねんなよ。ま、それなら成島のことは、高科に任せた。だから、成島が意識を取り戻したら俺達に言ってくれ、いつでも見舞いに行きたいからさ」
男子の部長は腕を伸ばして、誠の肩をバンバンと叩いた。
「はい、分かりました。ありがとうございました」
上手く話を逸らされた感じがしないでもないが、二人が心配して来てくれたのには間違いない。素直に礼を言った。
「今日は部活来るよね?まさか、成島が復帰するまでにレギュラー落ちするとかしないわよね?」
「行きます。そんなことしたら、永里に会わす顔がない」
二人は顔を見合わせ『そうこなくっちゃ』と笑顔で教室を後にした。大声で騒いで出て行った二人には、ちょっと迷惑だったが、随分と気持ちは楽になった。自分は自分のやれることをやろう、そう思った。