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時を超えても  作者: たちばな 弓流
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過去 二人の距離

 そして、永は次の日になっても、また次の日がきても記憶が戻ることはなかった。なんとか佳の手伝いもあって生活は出来る。そうして五日が過ぎた。天気が良いので庭に出て一人で散策をしていた。佳は心配そうにしていたが、少し一人になりたくて遠くには行かないとの約束で一人にしてもらった。

 広い庭で、少し先に行くと城下が見渡せるようだ。小高い山の上に城があり、周りには青々とした山が見える。この城は山に囲まれているようだった。

 永は興味もあり、池や端正な植え込みの間を抜けて城下を見渡せる場所まで歩き始めた。


「あ!」

 その時、真っ白な猫が目の前に現れた。一度足を止めて、その猫は永を見た。しかし、すぐに何事もなかったように横切っていく。

「待って」

 そう言っても猫が止まるわけはない。ちりんと首に着けた鈴を鳴らしてさっさと歩いていく。ふわふわした毛が可愛らしくて触ってみたい。永は後を付いて歩き始めた。元来た場所を戻っていく。猫は後ろの永など気にも留めずに、進んで行く。がさがさと下草の生えた場所まで入っていくので、永は小袖の裾を必死で抑えて付いて行く。


「永、何をしてるんだ」

 頭上からの声で足を止めると、そこには家臣を連れて廊を歩いていた一誠が見下ろしていた。庭先から一誠を見上げると、不信そうな顔をしていた。そして、少し先で鈴の音を響かせて猫が廊の奥へと消えていく。

「あ……猫を……」

 目を泳がせながら、訳を話そうとした。

「猫?ああ、母上の猫だな」

 母上ということは、自分にとって義理の母か。

「はぁ……」

 頭上で大きなため息が聞こえた。一誠はすぐ傍の階段から庭へ降りると、永の傍へ近づいてきた。

「少し休む。先に行っていろ」

 振り返らずに二人の家臣に指示を出すと、二人は『はっ』と返事をして足早に去って行った。


「こんなに泥だらけにして」

 一誠は少し屈んで、永の裾に付いた泥や草の葉を払ってくれた。

「お忙しいのに、申し訳ありません」

 永のために政務を途中にしている様子だった。迷惑を掛けたことが申し訳なく思う。

「しおらしい事を言うんじゃない。調子が狂うじゃないか。ま、こんなもんか」


 大体の汚れを払って、一誠は姿勢を戻す。この前会ったのは永が池に落ちた時で、座ったままだから気にも留めなかったが、隣に並ぶと一誠は永よりも頭一つ分背が高い。少し見上げる格好で、一誠の顔を見つめた。

「ありがとうございます……」

 半分うわの空で礼を言う。前回は部屋の中だったのもあり、明るい場所で見ると一誠は男らしく見栄えのする顔をしていた。

「どうした?俺の顔に何かあるのか?」

「い、いえ!何でもありません」

 動揺して、ぱっと視線を逸らして俯いた。どきんと鼓動が跳ねた。

「まあいい、それより永は自分の部屋に戻れるのか?」

 一誠の言葉で気が付いた。そうだ、ここはどこだ。辺りを見回すと佳と離れた場所ではない……と思う。眉を寄せて不安そうな表情を浮かべると、一誠は大きなため息を吐いて呆れているようだった。

「どうせ迷ったんだろう。部屋まで送ってやるから、少し付き合え」

 見透かしたように言ったが、何か思いついたらしく、にやりと人の悪い笑みを零した。

「はい」

 永には断る理由もなく、大人しく頷く。大体、部屋に戻れないのだ、一誠の言う通りにするしかない。

 すると、一誠は永の右手をぱっと掴むと歩き始めた。

「え!」

 大きな手に握られて引っ張られるように一誠の後を付いていく。

「途中で猫を追いかけたり、また泥だらけになられても困るからな」

 手を握られていることに対しての不満を述べたわけではないが、一誠は永を振り返らずに理由を教えてくれた。そんな事を言っているのではない……私はそんなに幼くはないのだから、一人でも歩けるのに……。子供扱いをされて口を尖らせて一誠の背中を睨んでも、一誠は振り返らない。仕方なく永は一誠に従うしかなかった。


「何かしら、あれは」

 永と一誠の二人が手を繋いで歩いていく姿を、佐和子は通りかかった廊で足を止めて見ていた。

「殿と永姫さま……仲がよろし……っ」

 侍女がそこまで言いかけて、慌てて口元を押さえた。佐和子のぎろりと鋭い視線が口を開いた侍女に刺さる。侍女は深々と頭を下げて『申し訳ございませんっ!』と何度も謝っていた。佐和子はそれを冷めた目で見下ろしていたが、どうでも良くなったのか、再び遠ざかっていく二人を見た。

「そう、どうでもいいわ。池に落ちたくらいじゃ何ともなさそうね……」

 誰にも聴こえないような声で呟いて、佐和子は、また歩き出した。


 佐和子に冷たい視線を送られているとも知らず、永と一誠は手を繋いで歩いていた。

「あの!えっと……一誠さま……とお呼びしてもよろしいでしょうか……以前は殿と呼んでいたのでしょうか……?」

 遠慮がちに尋ねると、こちらを振り返りもせずに一誠は返事をした。

「好きに呼べばいい。だが、二人だけの時にしろ、他の者の前では言うな」

 一誠にとっては、どうでも良さそうなことらしい。記憶がないから、以前のように呼んでみようと思ったのだが……。

 少し歩いて城内の喧騒が聴こえない場所まで来ていた。ある程度は手入れもしてある庭だが、少し歩くと林が広がっていた。さわさわと木々の間を抜ける風が心地良い。 

「ここは憶えていないか?」

 一誠は立ち止まり、後ろの永を振り返る。

「あの木は幼い頃に永が木登りをして落ちたのだが……」

 あの木というのは、周りの木よりも幹が太く枝も立派な高い木だった。この木に登っていた?永には何も感じない。

「ここで二人で遊んでいたんだ」

 一誠は目を眇めて木を見上げた。二人で遊んだ過去を懐かしんでいるようだった。だが、永には何も思い出せない。振り返り、思い出さない永の様子を見ると、少し寂しそうな顔をした。少しだけ握られている掌に力が入った気がした。


「すみません……何も思い出せなくて……」

 永はせっかく連れてきてくれたのに、一誠に申し訳なくて俯きながら詫びた。でも、この手を繋いでいる感覚……昔、こうやって手を繋いでいた……?何となくふっと感覚が蘇ろうとしている時、一誠の言葉で現実に引き戻される。

「いや、いい。仕方ないさ。では、こちらはどうだ」

 また何か思いついたらしく、一誠は永の手を引いて歩き始めた。全然違う方向へと向かう。あちらには永の興味があった城下が見渡せる場所があるようだ。植え込みを掻き分けて入っていくと、それほど高くはないが崖になっていて案の定、城下が見渡せた。

「素敵……」

 思わず感嘆のため息を漏らす。崖下からふわっと風が吹き、二人の髪と着物の袖を揺らした。

「これ以上先に行くなよ。危ないからな」

 一誠は永の手をしっかりと握って言った。

「はい。あ、あれは?」

 少し下に柵に囲まれていて少し広い場所が見えた。永は一誠の注意通り、あまり身を乗り出さず、その場所を指差す。

「ああ、あれは……ちょうど来る、見ていろ」

 二人の視線の先に、土煙が上がる。そこに現れたのは、馬だった。男が乗っている。

「昔、二人で学問の途中で抜け出して、ここで馬を見ていた」

 ここも一誠さまとの思い出の場所。見ていると鍛錬している男が数人いた。子供の頃の自分と一誠……それを想像すると微笑ましく思った。悪いと分かっていても抜け出して二人並んで話しているのは、どんなにか楽しかっただろう。その楽しさを分かち合ったのに、自分だけが忘れてしまっている。自分も不安だが、それと同じく一誠は寂しく思ってくれているのだろうか。

 ちらりと一誠を窺うと、一誠は馬などは見ておらず彼方の山々を見ていた。風が結った髪を揺らしていて、引き結んだ口がより精悍に見えた。永はどきりと鼓動が跳ねた。びくっと身体も揺れ、繋いだ手から振動が一誠まで伝わって、こちらを振り返った。

「何か思い出したか?」

 動揺したことに気が付かない一誠は、永に尋ねた。

「いえ、まだ何も……。殿にせっかく連れてきていただいたのに」

 またしても思い出さない。歯がゆさ、いや、それよりも一誠に迷惑をかけているので申し訳ない。せっかく連れてきてもらっているのに、何も成果が得られない。

「せっかくとか言うな。俺らは夫婦だろう。遠慮するな」

 あっさりと遠慮などなく言った言葉に嘘は無さそうだ。小さく頷くと、手を繋いでいない方の手で頭を撫でられた。

「大丈夫だ、心配するな」

 安心させるように永に言い聞かせる。

 だが……思い出した事が二つある。一つは、こんな風に誰かと手を繋いだ憶えがあるということ。相手が誰だかは分からない。だが、力強く握られていたことがあると思う。それはやはり、一誠だったのだろうか。そして、もう一つは最近の話だ。佳の話では一誠さまとは仲があまり良くないはずでは……それが、何故こんなに優しいのだろうか。記憶を失くしたあの日。一誠さまは部屋に様子を見に来て、そして説明をもっと訊きたくて腕を伸ばした時に、一誠さまは身体を強張らせた……。てっきり、私のことを嫌いだと思ったのに。何を考えているのか考えがさっぱり分からない。

「あ、あの……」

 訊こうと思った。だが、せっかく一誠と話が出来るのなら、それに越したことはない。夫婦なら仲が良い方がいい。幼い頃は、こうやって一緒に過ごしたのだから。

「どうした?」

 撫でていた手を離し、永の言葉を待つ。

「いえ、何でもありません!」

 咄嗟に出た言葉だった。もし、訊いて仲が悪くなるとしたら……。一誠は機嫌を損ねるかもしれない。俯いて誤魔化してしまった。

「それならいいが」

 それほど気にも留めない様子で、一誠は崖下を見下ろす。本当に気にしてなさそうで、ほっとした。何でこんなにどきどきするのか、一誠との仲を気にするのか、自分の動揺が分からない。いいえ!いいの。仲良しの方が良いに決まっているのだから。顔を背けて一人で頷く。


 その時だった。

 一誠は繋いでいた手を離した。ずっと繋いでいたので温もりと安心感が急に消えてしまい、寂しさが込み上げたが……次の一瞬ですべてが消え去ってしまった。

「ん!」

 永は口を塞がれた。驚いて思わず声を上げてしまう。

「しっ!静かに」

 一誠は鋭い目になり、自分の気配を消すようにして辺りを窺う。永と繋いでいた手を離して、永の口を塞いできたのだ。そして、永の後ろから回り込んで、身体ごと腕の中に抱き寄せた。

「んんっ!」

 いきなり抱きしめられて、再び声が漏れた。

「静かにしろと言っただろ」

 小声で耳元に口を寄せて囁かれた。息が耳にかかって、くすぐったい。それ以上に鼓動が早い。もう胸が壊れてしまうのではないのか。

「こっちだ」

 一誠は永の口を塞いで腕の中に閉じ込めたまま、木と草が生い茂った場所に永を連れ込む。そして、その場所にしゃがんで身を隠すよう言われた。

「しゃべるなよ」

 やはり小声だが、強い命令口調だった。木の枝は少し高い所にあるので良いのだが、草が思いのほか背が高く、ちょうど顔の辺りにあって時々風に揺れて刺さる。顔を横にしたりして草をよけていると、後ろに座る一誠はそれに気が付いて、口を覆っていた手を離して袖で永の顔を守ってくれた。

一体、何なの。緊張よりも説明のないこの状況が飲み込めなくて、いらいらし始めていた。後ろにいる一誠を窺うように横目でちらりと見ると、ものすごく近い所に一誠の顔があって驚いた。びくりと身体が揺れると、一誠は落ち着かせるように抱える手に力を込めた。


「こちらで殿のお声がしたと思ったの……」

 聞き覚えのある女の声だ。これは、この前部屋に来た三津だ。何故隠れる必要があるのか。考えを巡らせても何も思いつかない。

「姫さま、そちらは危ないですわ。こちらにお戻りくださいませ」

 三津付きの侍女が声を掛けたようだった。がさっと草を掻き分ける音がして、見つかるのでは、との緊張が走る。見つかっても良いと思うのだが、この状況では説明のしようがない。

「私の気のせいだったのかしら。少しでも殿とお話したかったのだけど……」

 すぐ近くから声がする。多分、二人を隠している木の幹の裏側からだ。

「殿、私とは会ってはくださらないの……?」

 小さく声が聴こえた。本音だ。

「姫さま!」

 三津が声を掛けられて、遠ざかる足音が聴こえた。侍女との話声は段々と遠のいていく。

「はぁ」

 どちらからともなく、大きなため息を吐いた。そして、一誠は力を込めて抱き寄せていた永を解放した。両手を後ろに着いて、だらりとした格好をする。


「ふ……」

 永は後ろを振り返り、だらしない一誠の顔を見て吹き出した。先ほどまでの一誠とは大違いだ。

「は、はは……」

 一誠も永に釣られて笑顔が零れた。まだ三津が近くにいるかもしれないので、小さく笑う。

 ああ、そうか、気が付いた。記憶がなくなってから、一誠の笑顔を初めて見た。呆れた顔と厳しい顔しか見ていなかった。それまでの私は、きっと笑顔なんて見ていなかったのかな。

 何故、仲が悪かったかは分からない。けれど、幼い頃はきっと笑い合っていたはずだ。こんな笑顔を見ていたはずなのに。凛々しい顔が笑顔に変わるのは……これは。ちょっと、可愛い。再び胸が高鳴り、それを隠すように顔を背けた。

「すまんな、こんな事をして。三津とは顔を合わせたくないのだ」

 ぼそりと理由を話した。え?会いたくない?ぱっと顔を上げると、一誠は眉を寄せて渋い表情をしていた。せっかくの笑顔が消えてしまった。

「何故……なのか窺ってもよろしいでしょうか」

 こんな事をする理由を知りたい。

「ああ、そうだな。苦手なんだよ、女を売りにしていて」

 は?意味が分からないと首を傾げると、一誠は続けた。

「分からないか?佐和子は、高飛車だが、はっきりと感情を出してくる。つまり分かりやすい。だが、三津は大人しそうにしていても、自分の思い通りにしたいという、つまり我がままなのが言葉から伝わってくる……悪い、説明が上手くないな。そのためには女らしい、控えめな女、可愛らしい女、泣き落とし、三津は『女』を演じているように思う。裏がありそうに思えてならない。何を考えているか分からないから苦手なんだろうな。ま、俺が逃げているだけなんだ」

 そう言って、苦笑した。記憶がなくなってから一度しか会っていないので、あの会話からでは細かな人柄までは分からないが、一誠は少なくとも苦手なようだ。

「佐和子も気が強くて苦手なんだがな。女はどうでもいい」

 それは、女が苦手なのか。だから、私とも仲が悪いの?


「私は?」

 自然とどう思われているか口にしていた。はっと気が付いて、口を押えたが、すでに遅い。一誠は顔をしかめていた。しまった……せっかく話せるのに、距離ができてしまうかもしれない。唇を噛んで、俯いた。

「そなたは……いや、もうこの話はいいだろう。戻るぞ」

 答えたくないのだろう、話を途中で切り上げられた。

「はい」

恐る恐る顔を上げると、一誠は永とは目を合わせたくないのか、すでに戻る方向を向いていた。

「ほら、行くぞ」

 視線を合わせずに永の手を握ると、歩きだした。しかし、先ほどのように、ずっと手を握っているわけではなく、藪の中から抜け出た所で手を離してしまった。

 余計な事を言ってしまった。自分の一言で一誠の気持ちが離れてしまった事が、残念でならない。少し後ろから一誠の背中を見ながら歩いていく。やがて、見覚えのある自分の部屋の前まで来てしまった。一誠は送ってくれると言っていたので、ここまでだ。また、政務に戻るのだろう。忙しいのに、ここまで付き合せ、更に気分まで害してしまったことが申し訳ない。

「ここで良いか?」

 一誠が振り返り、永に尋ねた。

「はい。付き合せてしまい、申し訳ございませんでした」

 永が深々と頭を下げる。

「いや、気にするなと言ったろう」

 口を引き結んだ一誠……凛々しいが、永は笑った顔がもう一度見たかった。

「それじゃ、またな」

 一誠は踵を返し、歩き出そうとした。このままじゃ、今度はいつ会えるか分からない。また一緒に過ごす時間が欲しかった。何しろ、夫婦といえど、全ての事が別々だ。永は思わず、一誠の袖を引っ張ってしまった。


「一誠さま!」

 さすが男、いや鍛えているだけあって、思い切り引っ張ったのにぱっと振り返り、態勢を崩した永の両腕をがっしりと掴んだ。驚いたようだが、永の必死な表情が逃さないとばかりに一誠を繋ぎとめた。

「何だ」

 冷静な声に怯みそうになるが、永は唾を一つ飲み込むと口を開いた。

「また思い出の場所に連れて行ってもらえませんか!」

 目を真っ直ぐ見据えた。記憶がなくなって以降、一誠と長く話すのは初めてだったが、また、こんな時間を過ごしたいと思った。夫婦なのだから距離を縮めたい。そして何よりも、一誠の笑顔が見たい。

「ああ、そんなに必死にならなくても、連れてってやるさ。永の記憶がなくなって困るのは俺も同じだからな。取り戻せるなら、俺も付き合ってやる」

 良かった!ほっとして笑みが零れた。すると、一誠はびくりと身体を強張らせ、掴んでいた両腕をそっと離した。そして口を引き結び、目を逸らした。

「分かったなら、部屋へ戻れ。俺もいつまでも休んではいられない」

「はい」

 永が微笑んで返事をすると、照れくさいのか、気まずそうに顔を歪めて背中を向けて戻っていった。

 永は一誠が歩いていく背中を見送った。そして、その姿が邸の角を曲がって見えなくなっても立ち尽くして見ていた。

 引っ掛かる。『永の記憶がなくなって困るのは俺もだからな』と、一誠は言っていた。唇に右手の人差し指を当て、考え込む。一緒に積み重ねた思い出を忘れてしまって寂しい。それとも、ただ妻としての務めを果たすのに必要だからか。困るとは……?

 三津どのではないけれど、私だって一誠さまが何を考えているかなんて分かるわけないじゃない。大体、人は自分以外の人の考えなんて読めるわけがない。ああ、そういう意味じゃないのか。

 あ、凛々しいお顔なのに、笑顔が可愛らしかったな。あと!逞しい手をしていた。永は取り留めもなく、一誠のことを次々と頭の中で巡らせていた。


「姫さま」

 声のする後方を振り返ると、佳が立っていた。いつから居たのだ。

「あ、佳」

「あ、じゃないですよ!どこに行ってしまったかと心配して探していたのですよ!」

 そういえば、遠くには行かないという約束だった。忘れていた……猫を追いかけていたあたりから。

「まあ、良いですけど。珍しく殿と御一緒だったようですし」

 ぶつぶつと言いながらも許してくれるようだ。

「悪かったと思っています……」

 呟くように謝る。

「まあ!姫さまがしおらしくなって!」

 佳は大声を上げて驚いていた。今までどれだけ態度が大きかったんだ、私は。思い出せないだけに、自分のしていた事が余計に気になる。

 佳は永の隣に寄り添い、耳打ちをする。

「記憶もなくしてみるものですわね、ふふっ」

 少し屈んでいたが、ぱっと背を伸ばして佳の顔を見ると、いたずらそうな顔をして笑っていた。

「これ!佳!」

 冗談だろうが、こちらは本当に困っているのに!永は片手を上げて、佳に怒ると、ますます面白がって笑っていた。釣られて笑顔が零れたが、永の心の中では霧が晴れない。

 佳も言っていた『珍しく殿と御一緒だったようですし』という言葉が頭の中で繰り返された。どれだけ不仲だったのだろう。私達の間に何があったのか。永は振り上げていた片手を降ろし、一誠の去った方を振り返った。

「一誠さま……」

 呟いても一誠はいないが、心の中の大半を占めている一誠の名を口にせずにはいられなかった。


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