現代 告白
どれくらいの時間をそうしていただろうか。やがて、泣き止んだ永里は誠から身体を離した。誠の制服は永里の涙の跡がしっかり付いていた。
「うわ……誠、ごめん!涙が付いちゃったよ」
手で触っても取れるような物じゃない。慌てても仕方がないが触れずにはいられなかった。
「いいよ、気にしなくて。それよりも、泣き止んでくれて良かった」
誠が先に立ち上がり、永里に手を差し出す。もう永里も自然と誠の掌に自分の掌を重ねた。引っ張り立たせてもらうと、すでに辺りは薄暗くなっていた。森や林に囲まれているため、暗くなるのも早い。
「ねえ、どうして、ここに来たかったの?」
率直に尋ねた。まだ、ぐすぐすとする鼻をすすり、ハンカチで押さえた。沢山泣いたので頭がぼうっとしていた。誠は永里の頬を撫でた。涙で湿った頬を辿るように指で何度もなぞる。はにかんだ笑みは、何か考えているようだが、躊躇っているようにも見える。
「うん、あのな……」
誠は、戸惑いを誤魔化すように永里から離れた。
「永里ちゃんが入院している間に一人でここに来たんだ。そしたら、やっぱり今みたいに思い出がいっぱいあって……。二人で過去と区切りを付けたくて……。もし、永里ちゃんが過去を思い出したら一緒に来ようと思ってさ」
一気に話すと、誠は大きく息を吸って気持ちを落ち着かせていた。
「佳……じゃなかった、永里ちゃんのおばあちゃん……がさ、永の身体に今の永里ちゃんの魂が入っていた時があったんじゃないかって言ってさ。俺も色々とあやふやな所があったから、ここに記憶を辿りに来たんだ。つまり、眠っている永里ちゃんの魂が永姫の身体にタイムスリップしたってことなんだけど……」
永里は身体を強張らせた。
「それって……昔の私がいくつの頃か憶えてる?」
おばあちゃんと誠が言っていることが本当なら。それならば……。
「確か、永が池に落ちた頃の話だから、十七くらいの話だったと思う」
やっぱり!年齢までは分からないが、池に落ちたなら間違いない。他に池に落ちた記憶はないし、人生そうそう池に落ちてたまるか。永里は唇に指を当てて思考を巡らす。
「永里ちゃん?」
誠が尋ねたが、頭の中で考えがまとまらない。何て話したら良いのか。少しの間、永里は黙っていたが、誠は何も言わず、永里のことを待っていてくれた。
「……あのさ、多分、それ当たっているよ。池に落ちてから三津どのと川での一件があった時までは、昨日体験したように鮮明なの。それに、昔の私、言ったよね?『私の中に私がいた』ってさ。私も少しずつ思い出してきたよ」
それならば鮮明な記憶の部分が納得がいく。
「そうか、やっぱり。今の永里ちゃんなら剣道やってるから、昔一度だけやった時に剣の稽古の強さも納得するよ。そうか……やっぱり」
誠も納得がいったようだった。
「だったら……過去のことは二人とも思い出したってことで。過去は過去として留めておいてくれるかな。ここからは現在、俺達の話」
永里は頷いた。真剣な誠に釣られて永里も唇を噛み締める。
「昔から俺は前世の記憶があったけど、永里ちゃんが無いし、思い出してもいないから、ずっと黙ってたんだけど。前世云々じゃなくて永里ちゃんを想ってた。子供の頃からずっとだよ。自分の中で自分だけが前世を引きずっているようで堪らなかった。事故に遭った日、もう我慢できないから永里ちゃんに伝えようと決めていたんだ」
想っていた……とは?言葉にしようとしても、誠の話に引き込まれて、言葉にならない。私が訊こうと思っていたことの答えなの……?すると、誠は話を続けた。
「永里ちゃんが思い出してくれて、ここに来て一緒に俺と同じ気持ちを味わって、それを『昔』と言えるようなら気持ちを言おうと思ってた。過去も俺達だけど、今の気持ちは、やっぱり俺の子供の時からの気持ちだからさ」
永里は誠の話が終わるのを待った。何が言いたいのか。ごめん、限界だよ。永里の拳に力が入った。
「誠っ!誠は今も昔も変わってないからね!話が回りくどい!はっきり言ってよ!」
永里は怒鳴りつけた。誠は驚いて目を瞠る。
「過去は過去でいいじゃない。もちろん過去を引きずっていてもいいじゃない。昔も私だし、今の私も私だよ?同じだし、ずっと繋がっているの!過去を思い出そうが、忘れていようが、要はお互いの気持ちでしょ?何の問題があるのか言ってみてよ」
永里は腕を組んで誠を睨む。いらいらする……。思い出せば、昔はもっと私は慎ましやかな感じだったかも……しかし、あまりに回りくどくて『はっきり言って』と一誠を急かしたと思う……ところもあったかも。
一言で済む話のような気がする。
「ずっと繋がってるの!私が眠っている間に永の中にいた時に、何度も何度も誠が私を呼ぶ声がしたよ?今と昔は繋がってる。説明できなくたって、理屈じゃなくたっていいの!」
永里は思っていたことを全て吐き出す。男って体裁を気にして面倒くさい。じゃ、誠はどう思っているか、それだけを知りたい。
呆気に取られていた誠は、しばらくして口を開いた。
「ごめん、問題ないです」
「でしょ?で、何?誠は何が言いたいの?」
今となれば、それこそ誠の言いたいことは分かっている。以前は、誠のことを意識しているのが恥ずかしかった。しかし、前世を思い出して、しかも永という立場で昔の誠を好きになった。あの幸福感は忘れられない。恥ずかしいなんてことはないと知ったから、だからこそ……生きている今だからこそ、誠の言葉を聞きたいのに。
「永里ちゃん、あの……っ……きだ」
誠の声は風の音にかき消された。木々と草が揺れた。永里は思わず髪を押さえた。目を細めて誠を見ると、誠は赤い顔をしている。
「な、何?もう一度言って?」
聴こえなかったので尋ねると、誠の顔は強張っていた。
「え!また言うのかよ!過去も含めたら二度目の告白だぞ!」
「だって聴こえなかったんだもん」
誠は大きなため息を吐いて、そして深く息を吸い込んだ。誠は緊張しているようだ、何度も呼吸を整える。
「くそ!もう一回かよ」
誠は吐き捨てるように言って、永里に近づく。そして……。
「っ!」
両腕を伸ばし、永里を抱き寄せた。
「好きだよ」
今度は永里が赤くなる番だった。耳元で囁かれる声。誤魔化しようがない言葉。
また強い風が二人を包みながら山の方へと抜けていった。こんな傍にいては、二人の言葉が聴こえないなんてありえない。
分かってはいたが、はっきりと言われると嬉しいような恥ずかしいような。どきどきと胸が高鳴る。先ほども抱き合っていたが、それとは訳が違う。永里も応えなくてはならない。置き所がない手に汗を掻く。
「うん」
永里が返事をすると、誠はふっと耳元で笑った。
「それだけ?」
「いやっ!……私も言うの?」
永里はもがいて誠の胸を押し返す。しかし、誠に腕ごと強く抱きしめられた。同じ鍛えていても、やはり男とは違う。逃れられない。
「え?俺も聞きたいし。昔の永里ちゃんは言ってくれたけど?」
そう言われると弱い。それに大事な告白だっていうのに、グダグダだ。永里の中の葛藤……一歩踏み出せば何てことはない言葉。分かっている……今度は私が言わなければならないってことは。
永里は誠の胸元にすり寄った。すると、誠の心臓の音が聴こえた。自分と同じくらいに速まっている鼓動。誠も何度も呼吸を整えて緊張していた、私も言わなくては。この場所というのも自分達だからこそ……他の人が持っていない過去があっても、それを抜いても好きだという今。
「誠が好き」
自分の心臓が破裂するかと思うくらいにどきんどきんと跳ねる。だが、一度言ってしまえば、後はするりと言葉が続いた。
「ずっと思い出せなくてごめん。誠のこと愛してるから」
好きなんて言葉では足りないくらい愛おしいと思う。子供の頃からずっと見てきてくれたのだ。大事に想っていてくれるとの自覚はある。いつも傍にいて支えてくれていた。永里は誠にしがみつく。
だが、誠は、くっくっと笑い始めた。吐息が頬に当たる。何故笑われたのか分からず、斜め上の誠を窺う。すると、笑いを堪えた誠がいた。
「くっ、くっ……。ああ、ごめん。俺、『愛してる』とか、そこまで言ってない」
永里はどん!と誠の胸を押して離れた。永里の全身の血が沸騰しそうだった。口をぱくぱくさせながら、目を瞠る。
「な、何それ。ひどいっ!人がせっかく……」
背中を向けた。恥ずかしい。ひどい!好きじゃ足りないから、言ったのに茶化すなんて。真っ赤になって俯いた。顔を両手で覆うと、自分の頬が火照っているのが分かる。もう!恥ずかしい!
じゃり……。
誠が近づく靴音が聴こえた。どきん、どきん……鼓動が耳奥まで届く。呼吸も荒くなって肩で息をしているので、後ろから見る永里の肩はさぞかし揺れているだろう。
じゃり……。
永里の真後ろで音は止まった。
「ごめん、永里ちゃん。俺も愛してる」
永里を背後から抱きしめた。永里の髪に顔を埋めてきた。今度の声はからかっている様子はない。覆っていた両手をゆっくり離すと、目の前に誠の両腕が見えた。ぎゅっと強く抱きしめられている。
「ちゃんと好きだよ。一誠の時から今までずっと」
永里は腕の中で大きく頷いた。
「過去とか今にこだわってるのは俺の方だった。でも、物心ついた時から出会っていない永里ちゃんのことを知ってたんだから、こだわりがあるのは分かってよ。ずっと、ずっと好きだったんだから。でも、過去を抜いても俺は永里ちゃんが好きだよ」
もう一度頷いた。永里は回された誠の腕にそっとしがみついた。
「うん、分かったから。それと、永里ちゃんって言うのは止めない?私のいない所や咄嗟に出る時は永里って呼び捨てじゃない」
「うわ、バレてた」
ペロっと舌を出して笑った。知らないと思ってか。病院で気が付いた時も思い切り呼び捨てしてたじゃないか。今更だ。
「じゃあ…………永里」
改めて言われると、どきんとした。低い声で名前を呼ばれる……嬉しいのと同時に男らしさも感じた。永里は誠の手を退けて振り返る。すると、目を細めた誠の顔が近づいてきた。咄嗟に顔を背けた。キスされる……!
「何で?駄目?」
目を細めた色気のある表情をしていて、自分の中で抵抗するのに必死だ。熱っぽい瞳に引き込まれそうだった。
「えと……ごめん。だって、私、永の身体に入っていた時に殿とキスしたし……」
正直に白状してしまう。眠っていた間に体験した一誠とのキス。その感触は生々しく思い出されて、同じ顔をした誠と重なってしまう。違う人だけど、同じ人。何て言って良いか分からない。でも、今の誠じゃない人とキスをしてしまったという後ろめたさもあるのだ。黙っていても良いが、どうせ過去の誠なんだから、思い出して誠本人から言われるよりマシだ。
「あれは俺でもあるんだから気にしなくていいよ。永里もそう言ってくれたじゃないか。それに身体は永の物だ。もしかして、感触が忘れられないとか?」
あ……見抜かれていた。
「うん……ごめん」
うな垂れてしまったが、誠は永里の頬に手を当てて上を向かせる。
すでに誠は先ほどと同じように目を細めていた。
「謝ってばっかだね、調子狂うって。いいよ、これから俺と沢山するんだし、俺のを覚えて」
そう言って顔を近づける。永里は誠のセリフに真っ赤になった。いくら幼馴染で気心が知れた相手とはいえ、歯の浮くようなセリフ……よくも言えたものだ。
「ばか……っ!」
最後の方は言葉にならずに誠の唇に塞がれた。甘い充足感。永里も自然と瞼を閉じた。匂い、腕の中、体温、そして感触……これが誠。ばか、こんな事まで言って一生忘れられないキスになってしまったじゃないか。永里は誠に身を委ねた。
やがて、薄暗くなった城跡を後にした。手を繋いで歩く横を思い出が通り過ぎる。だが、来た時ほど辛さは無かった。追手門を出て、二人で振り返る。門の向うに石垣と木々が見えた。もう、ここには来ないかもしれない。今のお互いがいるのだから。
「ふっ……」
二人で見合わせて笑った。過去はもういらないのかもしれない。
木々のざわめきに混じって城の皆が送り出す声が聴こえた気がした。




