現代 過去の幻
そして、永は退院して、数日後には学校に通い始めた。まだ部活は見学で、身体は竹刀を振りたくてうずうずした日々を送っていた。
「永里ちゃん、いる?」
休み時間。永里のクラスの入り口から永里を探す。すぐに、皆が永里を振り返る。急にその場の注目の的になり、かっと赤くなった。
「何?どうしたの?」
平静を装って、席から立ち上がって誠に近づく。制服のスカートがひらりと揺れた。そのまま、誠の袖を引っ張って廊下の窓際まで来る。入り口付近で話していては、内容を全て聴かれてしまう。
「今日さ、部活休みだから、ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「え?どこに?」
誠は恥ずかしがっている永里を見透かすように、頭をぽんぽんと優しく叩く。子供じゃないんだから、こんなことをするな。永里は、叩かれた頭を口を尖らせながら撫でる。その様子を見ながら、誠はくっくっと笑っていた。こんな所は一誠と一緒だ。
「俺達が昔住んでたところ。永里は行ったことある?」
それって……高科の城……?永里は首を横に振った。同じ市内にあっても、わざわざ行く用事もなかった。
「放課後に行こう。迎えにいくから」
笑顔で押し切られてしまった。何も訊かないで、私に用事があったらどうすんのよ。
「いいけど」
仕方なく頷くと、誠は永里の頬にそっと触れた。すぐに離れたが、どきんと胸が跳ねた。
「じゃ、またな」
誠は片手を上げて自分の教室へと戻っていく。永はその場に立ち尽くして、誠の背中を見つめていた。恋人と呼べるわけじゃないのに、こんなに愛おしそうに触れてくる。
そういえば、一誠にもされていたことを思い出した。誠と殿は同じなんだ……そう感じることが多い。使う言葉、現代の高校生ということもあって多少の違いはあるが、根が同じだと思う……それはそうだ、同じ魂なのだから。過去を思い出すと、誠はずっと自分と永を重ねて見ていたんだろうかとの思いが大きくなる。
あの病院で言っていた話の続きが聴けるのだろうか。永里には、まだ分からないことが沢山ある。事故で眠っていた時間のこと、あの時の過去の経験は今の自分が全て思い出させるための物だったとしても。忘れられない生々しい永としての経験……。それを誠は知るはずもないことだが、過去も今も同じ時を生きている者同士なら何か知っているかもしれない。
そして、一番は、誠が自分をどう思っているかということ。過去は夫婦だったが、今は?一応、まだ幼馴染という肩書だ。それとも過去に一誠が言っていたが大事な兄妹のようなものか、それとも……?
ああ!駄目だ!永里は首を振って考えを吹き飛ばそうとした。どうせ、放課後に二人で話すんだ、その時に訊けるようなら訊いてみる。
まだ授業は残っている。永里は踵を返し、自分の教室へと入っていった。
そして、放課後は案外早く来てしまった。何事もなかったように、いつものようにテレビの話だったり、クラスのこと、部活のことを話ながら自転車に乗って目的の城跡へと向かう。
「あ……」
永里は自転車を止めた。川に掛かる橋の上。つい最近の思い出が蘇る。この先で蛍を見たんだ。その後、三津どのが……。
永里が自転車を止めると、少し先で誠がキッとブレーキを掛けて止めた。振り返ると、永里は橋の上から川を眺めている。水がさらさらと流れる音が心地よい。川の上を渡る風もいい。誠は永里の方を向きながら、目を細めた。永里が何気なく風に揺れる髪を右手で押さえた。その仕草も眩しい。
「永里ちゃん、あとちょっとだよ。行こう」
誠に促され、永里は現実に引き戻される。永里がペダルに足を掛けると、誠も前を向いて自転車をこぎ始めた。橋からは城跡まではすぐだ。だが、学校からは距離があったので、城へ入る前に途中の民家の前にあった自動販売機で、ペットボトルのお茶を買った。少し口を付け、また城へと走り出す。
「着いたよ」
誠が城の案内板の隣に自転車を止めた。やや遅れて永里も到着。
「学校から見えるのに、けっこう遠いねえ」
永里は疲れているようで、顔を歪めた。しばらく部活もしていないので、身体もなまっている。二人で自転車を止め、鞄を持って城の中へと向かって歩き始めた。
やばい。まだ入り口なのに、こんなんなの?永里は追手門の手前で足を止めた。土塁や石垣の間を抜けてきたが、古くなってしまったが当時と同じ門だ。
「誠、もう泣きそう」
永里は口元に指を当てた。目がしらが熱くなる。山の緑の匂い。土の匂い。川から上がってくる涼しい風。永里の隣を幼い頃の一誠と永が走り抜けていった。制服のスカートと髪がふわっと揺れた。
『待ってよう』
永の声に一誠が笑って振り返る。
『永!早く、早く!』
まだ声変わりしていない、幼い男の子の声が聴こえた。そして、虎口の先でふっと消えた。永里は肩から掛けているスクールバックの紐をぎゅっと握る。
「永里ちゃん、何か見えた?」
誠が振り返った。永里の頬を涙が伝った。ポケットからハンカチを取り出して拭う。ぐすぐすと鼻をすする。
「見えたの……小さい頃の殿と私が走ってた」
永里は俯いてハンカチで目元を覆う。すると、誠が片手で永里の頭を抱きかかえた。自分に引き寄せると、永里は誠の胸に顔を埋めた。
「ああ、俺も見えたよ。同じモノが見えてるのかもな」
誠の話す言葉が直接振動として伝わる。どうしよう、まだ、この先があるのに……こんな場所で泣いているなんて。
「永里ちゃん、まだ先があるけど、もう行けない?引き返す?」
誠の腕の中で首を横に振った。
「だって、誠はここに来たかったんでしょ。ここまで来たんだから、私も行く」
誠は永里の頭上でふっと笑った。そんな所が、殿と一緒だってば。誠は永里をゆっくり離すと、手を差し伸べた。掴めということ……永里はハンカチで涙を拭いながらも誠の手を取った。あの時感じた一誠の手の感触と同じだった。逞しくて永里の手を包み込む。その手に引かれて永は再び歩き始めた。
虎口を抜け、しばらく歩くと二人で足を止めた。子供の泣き声が聴こえる。木の下で転んでしまったと思われる男の子が座り込んで泣きじゃくっていた。その周りに四人の子供達。覗き込むようにして見ている。
『そんくらいで泣くなよ』
『そうよ、男の子でしょ!しっかりしなさいよ』
自分と一誠の子供達だった。二人の間には五人の子供がいた。その子達が遊んでいた際に怪我をしたようだった。泣いているのは次男。長女は腰くらいまでの髪を束ねて、仁王立ちだ。自分に似て勝気な性格をしていると、よく佳に言われたっけ。
そしてまた、ふっと消える。永里は誠と繋いでいない左手を伸ばす。全て幻。分かっているけど、触れられそうで触れられない。
「誠、今……子供達がいた……の」
涙が溢れる。誠は二度目に訪れたとあって泣きはしないが、胸が熱くなるのは同じだった。永里の手を力強く握る。
「うん。小さな頃の皆だったね」
幻が消えると、そこには大きな木が現れた。永里の目は涙で視界はぼやけてしまっていて、誠が根元にある案内板を読んでいた。
「この木さ、樹齢を見ると、俺らがいた頃のは若木だったんだよ。だから、さっきの子供達のしていた事は昔、本当にここであったことなんだよな」
誠は懐かしそうに遠い目をして、大木を見上げる。傾き始めた陽射しを受け、柔らかい木漏れ日が二人に降り注いだ。
木々のざわめきに混じって、姿は見えずとも子供の笑い声が聴こえる。誠にも聴こえているのだろうか。永里が誠を見上げると、大きく頷いた。やっぱり聴こえてる?きっと、こんな体験をするのは、私と誠だからなんだよね?それほど、ここは初めて来ても思い出が沢山詰まった場所なんだ。
誠に手を引かれて、更に奥へと進む。ちらりと土塁の奥に竹林が見えた。あれは、川へと続く道がある場所……。
「永里ちゃん?」
誠が永里が足を止めたので、振り返る。あの先には小さな門があって、竹林が広がっている。この前見てきたように憶えている。だが、その先は他の記憶と一緒で、どこかおぼろげだ。
「あの先は、竹林だよ。川に降りる道があるんだ。憶えてる?」
「うん。憶えているよ。殿と一緒に蛍を見に行った……帰りに襲われて、溺れかけた」
誠は唇を噛んだ。良い思い出ではない。永里は窺うように上目使いで誠を見た。
「そう……。共謀した佐和子は実家に帰され、三津も……。代わりに三津の弟が人質で来たんだ。結局、三津の家は跡継ぎに恵まれなくて、その後に他国に攻め込まれた時に断絶したんだ」
悲しい目をしていた。
「でも、今思えば、二人ともあの時に処刑とかなくて良かったと思った。それは、やっぱり義父上と殿の優しさなんだろうけど」
永姫にどうするか決める権利はなかった。後の采配は義父と一誠だ。
「いや、そこまで追い詰めた俺のせいでもあったよ。俺と父上には甘さがあったけど、子供達の代になってから高科家がより大きくなったのは分かる気がする。あいつらは、永の血を引いてるから、いざとなると胆が据わってる」
「どういう意味よ!」
永里が誠の胸をぽかりと叩いた。誠は、くっくっと笑ったが、すぐにお互いに黙り込んだ。また、誠が永里の手を引いて歩きだした。いくつかの石垣の間を通り抜けていく。
「永里ちゃん、ここ、分かる?」
誠がゆっくりと手を離した。さわさわと風が草を揺らす音がする。
『ひどいわ!私のお菓子食べたでしょ!』
『永がのんびりしてるのが悪いんだよ』
子供の頃の永と一誠。一誠がからかっている。二人の姿はすぐに消えて、少女から女人へと変わってきた永と凛々しい青年になった一誠が現れた。
『永、寒いと思ったら雪が降ってきたぞ』
『本当?殿、私も庭に行く』
庭から永の部屋に声を掛けた。すっと障子を開けて永が笑顔を見せた。そして、再び消えて、また二人が現れる。
『殿、今、お腹を蹴ったのよ。きっとお腹の子は男子だわ』
『そうか!元気な子が生まれるといいな』
一誠が身ごもった永の腹を撫でる。その二人の顔は幸せに満ちているようだった。そして、今度は大人になった二人。
『父上ぇ!母上っ!』
『まあ!綺麗な花を摘んできたのね』
『泥だらけじゃないか。昔の永のようだなあ』
男の子が二人に摘んできた花を見せる。長男だ。二人はすっかり親の顔をしていた。
『こんなにゆっくりできるなんてね』
『ああ、家督を譲ったからな。後の高科は子供らが盛り立ててくれるだろうよ』
少し年老いた二人。白髪が目立つが寄り添って仲が良さそうだった。
現れては消えていく。思い出が通り抜ける。ここは、昔の自分が住んでいた場所。今は建物も何もないが、憶えている。
永里は両手で顔を覆って、その場に崩れ落ちた。
「ひっ……ふ……」
永里の涙は止まらなかった。嗚咽が漏れる。何で……誠はここに来たいと思ったのか。懐かしいけど、こんなに辛いのに。もう、皆はいないのに。
「永里ちゃん、ごめん。こんなに泣くなんて思わなかった」
誠は永里の隣にしゃがんで、泣いている永里を頭を抱えるようにして引き寄せた。大きな掌に包まれる。
「ごめん、気が済むまで泣いていいよ。だから、泣きやんだら俺の話を聞いて」
誠の言葉と強く抱き寄せられる安心感に、永里は声を出して泣いた。子供のように泣いた。自分からも誠の背に手を回して、抱きついていた。それを誠は何も言わなかった。ただ、あやすように永里の背中を撫でた。何度も何度も……。




