現代 永里の中の誠と一誠
数日後、剣道部の代表が見舞いに来てくれた。他にはクラスメイトや担任、部活の顧問の先生が来てくれた。毎日訪れるのは家族以外では誠。誠は部活が終わると顔を見にやってきた。だが、あの事故の日に言おうとしていた事は何も言わなかった。学校の様子を話すと帰っていく。
「ねえ、誠」
永里は病室のベッドの上に座って声を掛けた。大した怪我もないので、もうすぐ退院できる。開け放たれた窓から入る風がカーテンを揺らす。三階からの眺めは周りに建物があるので、それほど良くないが、それでも風が入ってくる。放課後の部活が終わってから見舞いに来るので、陽は完全に落ちてしまっている。入る風も夕方の冷えた風だった。
昼間、少しは勉強もしているが、検査など以外は特にやることもなく、本を読んだりしていても色々と考えてしまう。毎日来ているから余計に……。
「何?」
誠は窓際から離れて、ベッド横の丸椅子に腰を掛けた。
「大丈夫?お腹空いてるんじゃない?部活終わった後だし」
疲れているから毎日来なくてもいいよと言っても、俺が来たいから来てると言って、聞き入れてはくれない。本当なら真っ直ぐ家に帰って、夕飯を食べている時間だろうに。遠回りさせている上に、家族も待っているだろう……。でも、来てくれることは単純に嬉しい。
「ああ、帰りに購買で買ったパン食べたし、平気」
「そう。それならいいけど」
訊いてみようか。でも……。気まずくなるのは嫌だ。一誠に尋ねた時に何度も逸らされた会話。あの後のすっと冷めていく感覚は、まだ憶えている。状況は違うし、誠なんだからと思っても同じ人物なんだから分からない。もしかしたら、再び同じようにすっと冷めていく感覚を味わうのかもしれない。そう思うと、なかなか言い出し難い。
「どうした?何かあった?」
「えっと、あのさ……あれって……事故に遭った日に何か言おうとしてたけど何だったのかなあって」
思い切って言ったつもりだった。誠は明らかに表情が変わった。この顔は知ってる。一誠が何度か見せた表情と一緒だった。永里の方がどきりとした。この後に一誠は素っ気ない態度を取るのだ。
「うん、今度話すよ」
誠はあっさりと答えた。永里は不安から眉を寄せて顔を歪めた。この感じは覚えがある。またか……そう思った時、永里の頬に誠の掌が触れた。
「永里ちゃん、そんな顔しないで。大丈夫だよ、ちゃんと話すから。ね?」
誠は微笑んでそう言った。永里はただ頷いた。
「くっ、くっ……もう昔みたいに永里ちゃんに嫌な思いをさせたりしないって」
誠は笑っていた。昔みたいって?それって、殿の気持ちが分からない時に味わった寂しさのこと?意味を考えていると、誠が付け足した。
「何度も永が訊いてきても、話を逸らしたり冷たくしてただろ?そのことだよ。やってることは昔だから大人なんだけど、やっぱ精神的には子供だったんだなって思うよ。好きな子に冷たくしちゃったりしてさ」
今、好きな子って言った?
驚いたと同時に身体がびくりと揺れたので、誠の掌が離れた。それって……いやいや、昔の話だから永のことだってば!と誤解しそうな自分を全力で止める。まだ、何も言われていないし!
「あ、ごめん。永姫の話なんだけど」
誠も気が付いて、更に付け加える。
「ごめんって何よ!」
謝るってことは誤解するって分かっていて言ってるんじゃん。がっかりした、というのが本音だ。もしかしたら、ついでに自分のことを好きと言ってくれるのではないか……なんて一瞬でも思ってしまった。永里がぷいっと顔を逸らすと、また、くっくっと笑う声が聴こえた。ここで更に笑うか!
「だいたい、さっき、私のほっぺたに触ったけど、部活の後だし、ちゃんと手は洗ったんだよね?」
仕返しとばかりに言ってやる。何だ、分かって言ってるし……あの時の嫌な雰囲気の事。
「洗ったってば!ちゃんと臭くなかったでしょ!汗かいてんのも、ちゃんと拭いてるし……」
そんな事は知っている。誠はふっと笑った後、立ち上がった。
「今日は帰るよ。おやすみ、永里ちゃん」
あっけなく態度を切り替えて、誠は鞄を肩に掛けた。
「うん、ありがと。気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
永里は押されてしまったが、誠を引き留める理由がない。立ち去る後ろ姿を見送っていると、ドアを開けて一度永里の方を向いて手を振った。釣られて永里も手を振りかえす。
バタン、というドアを閉める音と共に誠は帰っていった。
カツン、カツン……誠の靴音が遠のいていく。永里はゆっくりと手を下した。急に静かになって、窓から入ってくる風の音が聴こえた。永里はベッドから降りて、窓を閉めようとした。そして、窓に手を掛けた時、自転車を押してこちらを見ている誠が下にいるのが見えた。
「誠」
永里の呟きは誠には届くはずもないが、誠は永里の姿を見つけ手を振っていた。永里も手を振りかえす。
「誠……」
誠は永里の姿を見て、今度は本当に帰っていった。駐車場の街灯が所々、誠の自転車に乗っている姿を映しだし、やがて門を曲がって見えなくなった。永里は力なくベッドに腰を掛けた。
毎日のように誠が来る。この狭い空間で一人きり、会う人間も限られた中では、嫌でも誠のことを考えてしまう。
誠を好きなのか。一誠を好きなのか。
どちらも同じ人間、同じ魂。誠を好きなのだろう……と思っていた矢先に事故に遭い、生々しく思い出された永の記憶。一誠を好きになった気持ちを思い出す。そのままの状態で目が覚めた。もちろん、永自身の人生そのものも憶えている。
誠と一誠を好きな気持ちは同じなのだろうか。じゃ、永と私は同じか……前の時代で生きていた記憶はある。その時、感じた全ては自分の物だ。
「分かんない!」
永里は誰もいないことをいいことに、口に出していた。いいじゃないか、難しく考えなくても。永と私……過去から今へ繋がっているんだから。どちらも私。
大きく頷く。きっと、一誠も誠も一緒だ。
じゃあ、誠を好き?
帰っていく誠を引き留めたい気持ち。誠に好きと言って欲しいという気持ち。触れられるとドキドキする。触れて欲しい。自分だけを見て欲しい。
前世を忘れていても、ずっと見守っていてくれた誠。子供の時から傍にいた大事な存在。誠が他の女の子の傍にいるなんて考えたくない、ずっと一緒にいて欲しい。胸が苦しくなるような想いは間違いない。
誠が好き。
好きという言葉を意識しただけで、ドキドキする。そっか……私はやっぱり誠が好きなのか。今の時代も誠を好きになったんだ……。
そう自覚すると誠がどう思っていてくれるか気になる。昔は夫婦だったけれど、今は?今はどう思っているの?
誠は事故に遭った日に自分に何か言おうとしてくれていた……必ず話すと言ってくれたのだから。その時に訊いてみよう。
永里は誠の触れた頬に手を当てた。もう温もりはないけれど、優しい感触を思い出していた。




