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時を超えても  作者: たちばな 弓流
19/24

過去 女の戦いの結末

 しばらくの間、二人は寄り添っていた。言葉はなくてもお互いの存在を確かめ合い、幸せを噛み締める。

「そろそろ戻るか」

 一誠の言葉に少し残念な気持ちがあるが、一誠は明日も政務が控えている。自分が我がままを言うわけにはいかない。永は小さく頷いた。

「はい」

 永が肩越しに横を見ると、一誠は真面目な表情をしていた。びくりと身体が揺れた。

「永ともう少しこのままいたいが……仕方ないな」

 この時間が終わるのが惜しいと思ってくれているのだろうか。同じ気持ちだと思うと嬉しかった。永はまた頷いた。


「永」

 一誠に呼ばれて笑みを向けた時だった。

「っ……!」

 肩越しに口づけられた。何度も角度を変えて口づけられる。

 永は最初驚きはしたが、すぐに瞳を閉じた。自分を求めてくれているのかと思うと胸が熱くなった。やがて、名残惜しむように音を立てて一誠が離れた。

「永……」

 頬に手を当て微笑んだ一誠……自分の中で愛おしさが募る。ああ、この御方が好きなのだと思い知らされた。

 だが、そんな甘い時間も長くは続かなかった。一誠は手燭を持ち、もう片方の左手で永の手を引く。ざっざっと草を踏みしめる音と、時々、虫の音が聴こえてくる。


「殿」

 先ほどの若い近習が木に寄り掛かって待っていたが、一誠の顔を見るなり姿勢を正した。

「すまない、待たせたな」

「いえ。それよりも、殿、お話が……」

 一誠は少し待っていてくれと言って、新九郎と呼ばれた家臣と共に離れた。もう一人家臣が増えている。見えるところにいるのだが、話している内容までは聞き取れない。

 

 どうしたのだろう。何か急ぎの用でもあったのだろうか。永はそわそわとしながら、二人がいる方を見つめた。手には一誠から持たされた手燭があるのだが、やはり完全に暗くなってしまったので不安はある。竹林の入り口にいる二人の姿が、ぼんやりとしか見えなくなってきた。永は不安ながらも、何もすることもないので川へと歩き始めた。先ほど蛍を見た場所は川から距離があったが、竹林の入り口付近では川までは、すぐそこだ。

 

 水の音がはっきりと聴こえ、永は川べりまで来た。手燭の灯りを水面に映すと、流れに揺れる灯りと覗き込む永の顔が見えた。そっと唇に指で触れた。一誠と重ねた唇だ……考えると、胸がどきどきとしていた。自分の唇なのに、どこか艶めかしくて恥ずかしくなり、水面から目を逸らした。

「一誠さま……」

 

 その時、手燭の灯りが揺れた。永ははっと手元を見た。風か?驚かせないで欲しい。身体が強張った。

「んっ!」

 永は声を漏らした。驚きというものは、あまり驚くと声が出ない。恐怖。何が起こったか分からなかった。

 ばしゃ、ばしゃ!

 水音がした。魚が跳ねるような音ではなく、水の中をもがく音。

 

 苦しい!息が出来ない。永は苦しさから、もがいて水面から顔を出そうとするが、すぐに頭を押さえつけられる。また手足をばたつかせて水に沈む。頭にはっきりと人の掌の感触がある。永は押さえつけられる手から逃れて、再び水面から顔を出した。誰が!何が起こったの!

「かはっ!」

 永は水を吐き出す。岸では、一誠と家臣がこちらに走ってくるのが見えた。永が水の中で暴れる音が一誠の耳にも届いたらしい。


「永っ!永!」

「誰だっ!」

 二人の声に怯んだのか、永を押さえつける手は離れた。だが、水をたっぷりと含んだ着物では水面から顔を出すのがやっと……しかも流れもあり、永は持てる力を出そうと必死になった。

「新九郎!そちらを捕まえろ!」

 家臣はすばやく水から上がったと思われる相手に向かう。ふいに水面から出た時に垣間見えるやり取り。


「た……」

 助けてと叫びたいが、声にならない。再び水の中へ引き込まれる。水の中でもがくほど体力を奪われていく。昼間は暑いが、この時間で……しかも水の中は冷たかった。川の水は身体の芯から冷し、永の力を余計に奪う。

 苦しい。死ぬかもしれない。更に永の恐怖が増していく。混乱している永には、手足をもがくしかなかったが、それでは増々溺れてしまう。

「永!」

 ばしゃ、ばしゃ……

底はある程度深い。一誠が川に入り歩いてこちらに向かってくるのが見えた。深さは大人の男の腰の高さくらいだ。永も通常なら歩けるかと思われるが、何度も水に沈んだために、そんな力は残っていない。もがいているところを、一誠が両手で抱きかかえた。

「永、永!しっかりしろ!」

 永の顔を水面から出し、胸に抱いた。そして、脇の下に両手を入れて、引き摺るようにして川岸へと上がった。


「は……はあ、は……永、永!」

 一誠の息が荒くなっている。永の目は開いているが、どこかぼんやりとしていて焦点が合っていない。水に浸かってはいないものの、一誠の髪も濡れていて、永の頬に水滴が落ちる。一誠は永の頭を膝の上に載せて、永を覗き込んでいる。その表情は今にも泣き出しそうだ。


「か、かずま……さ、さま……」

 絞り出した声はか細く、消え入りそうだ。一誠は永の頭をますます強く抱いた。

「しゃべるな!大丈夫だ、永は助かった!」

 動揺しているのをかき消すように、一誠は怒鳴った。自分にも言い聞かせているのだ。

『永里!永里っ!しっかりしろ!』

 まただ。一誠の顔と同じ顔が重なって見えた。まただ……一誠さまじゃないの?だが、永には区別がつかない。


「永!」

 一誠の声が響いて、現実に引き戻され幻影は消えた。

「大丈夫、です……」

 永が安心させようと力なく微笑むと、一誠は何度も頷いた。

「殿おっ!」

 遠くで幾つもの一誠を呼ぶ声が上がる。一誠が辺りを見回すと、竹林の向うから松明の灯りが見えた。

「こちらだ!早く来い!」

 草を踏みしめて男達が一誠と永の元に駆け寄る。そこで目にしたものは……ぐったりとした永と、ずぶ濡れの姿の二人だった。

「永姫さま!」

「奥方さまっ!」

 口々に永を見た家臣が驚く。

「新九郎が遅くなったら来るようにと言っていたので……。殿、これは一体……」

 一人の家臣が絶句するが、すぐに永の置かれている状況を悟る。家臣の一人が医師を呼ぶために城へと戻っていく。

「永が川に落とされた。今、新九郎が犯人を追っている」

 一誠の頭が徐々に冷静さが戻ってきた。永を運ぼうと、永を抱え直した時だった。草を掻き分け、こちらに近づく音がした。全員がそちらを振り返った。


「殿、犯人を捕まえました」

 新九郎だった。犯人の両手首を後ろで掴み、一誠の前に晒す。幾つもの松明に照らされて浮かび上がった顔は、三津の侍女だった。全身は川の水で濡れ、捕まった恐怖と寒さで震えていた。

「そなた……確か、三津の……?」

 侍女は顔を逸らした。黙っていることが肯定だった。

「殿、この御方も茂みに隠れていらっしゃいましたよ」

 他の家臣が、もう一人を捕まえたらしく一誠の前に連れ出した。さすがに一誠も言葉を失った。いや、その場にいた誰もが驚きで声を失った。


「三津」

 一誠の言葉は永の耳にもはっきり聞こえた。我に返り、永は一誠の膝の上でゆっくりと顔を動かした。すると、永の目に唇を噛んで永を睨みつける三津が飛び込んできた。男達に囲まれている状況では逃げ場はなく、その場に三津は膝から崩れ落ちた。隣では先ほど捕まった侍女が心配そうに手を差し伸べた。だが、三津はその手を払いのけた。辺りに、ピシャという叩いた音が響いた。

 その時、三津の懐から白い紙包みが零れ落ちた。はっと気が付き、三津が拾い上げようとしたが、家臣の手の方が速かった。そのまま、一誠の手に渡る。


「これは……佐和子の使っている薬ではないのか?中身は何だ」

 案の定、答えなかった。一誠は隣にいる家臣に包みを手渡して、首だけで三津へ渡せと指示した。家臣は三津の前へ歩み寄り、渡そうとするが決して手を出そうとはせず、仕方なく三津の前へと包みを置いた。


「毒ではないなら飲んでみろ」

 冷酷な声だった。三津はただ黙って包みを見つめるだけだ。

「飲めないなら飲ませてやろうか」

 その言葉で家臣が動こうとしたが、一誠は手で制した。侍女とは違い、さすがに武家の娘だけあって震えたりはせず、鋭い眼差しのまま口の端を上げた。

「ふふ、ばれたら仕方ないですわね。そう、これは毒です。佐和子さまに頂いた物ですわ……永さまに飲ませるために」

 笑っているようだった。一誠の手に力が入るのが永には分かった。


「ど……して?」

 永が尋ねると、三津は嫌な物でも見るような顔をした。そんなに嫌われていたのだろうか。

「永さまが邪魔だからよ。殿は永さましか見ていないじゃない……永さまは、どれだけ大切にされているか分かっているのかしら?」

 つまりは、妬いていたということか。

「ああ、そんな女と分かっていたから、そなたを見るはずがない。知っていたさ、そなたが、そんな女だってことは。いいさ、これでそなたも、毒を渡した佐和子も側室ではなくなるのだから。妻は永一人でいい」

 三津が息を飲んだのが分かった。


「先ほど、佐和子が永が留守だと知って、永の部屋に火をかけたが、すぐに消し止められた。畳が少し焦げただけで何ともないから安心しろ」

 一誠は永に告げた。少し前に一誠が新九郎に呼ばれたのは、その話だったのだろう。

「そんな女二人も高科に置いておくほど、俺は寛容じゃないんだ。どうせ永を池に突き落としたのも、先ほどの女がやったんだろう?」

 一誠の言葉に三津はふっと笑った。何の返事もしないことが、肯定だと思い知らされる。そこまで自分を恨んでいたのかと思うと苦しかった。記憶を失う前の自分は何故、二人の気持ちまで思い至らなかったのだろう。自分が何とかしていたら……もしかしたら、二人はここまで追い詰められなかったのかもしれない。


 一誠が連れていけと命じて、二人は家臣に押さえられながら城へと戻って行った。この二人と佐和子はどうなるのだろう。処罰されるということか、処刑なのか……。永は一誠の濡れた袖を引いた。

「どうなる……の?三津どのは?佐和子どのは?」

 永が尋ねると一誠は眉をひそめた。少なからず傷ついているはずだ。

「永は心配しなくていい。佐和子は実家に戻るだろうな。それと先ほどの侍女は処刑だろう。三津は……」

 言葉が詰まる。三津も処刑されるのだろうか。

「三津どのも実家へ戻してくださいませ……私も三津どのを追い詰めてしまった……」

 佐和子の嫌がらせも三津と同じものだった……と思う。佐和子も三津も、ただ一誠に見て欲しいがための行動だった。紫陽花を見に行った時に三津が言った『寂しい』という言葉は本心だったのだ。もっと、何か方法はなかったのか。何とも言えないような悔しさが胸に押し寄せた。


「永……。考えておく。だからもう戻ろう」

 処遇に関して頷いてはもらえなかった。だが、自分は何も出来ない。後の判断は一誠次第だ。言うことは出来たのだから一誠に任せるしかない。

「遅くなってしまったが、邸に戻って医師に診せなくては。大丈夫か?」

 一誠は心配そうに永の顔を覗き込みながら、永を抱えて立ち上がった。身体が宙に浮く。

 くらりとした。自分の足で立ってもいないのに目の前が暗くなる。『大丈夫』と返事をしようとしたが、声も出なかった。ぱくぱくと口を動かしているが、声は出ない。段々と一誠の姿が暗さで見えなくなっていく。


「永!永っ!どうした!しっかりしろ」

 一誠が呼んでいるのに、大好きな低い声さえも遠ざかっていく。確か一誠に抱えられていたのではなかったか。その腕の感触も感じられない。意識が闇に引きずり込まれるようだった。これでは、先ほどと同じ川底へ引き込まれるようだ。もがこうと思っているが、手足も動かすことが出来ない。

「永!」

 永の様子がおかしい。何度も永を呼ぶ声がするが、すでに永の耳には届いていなかった。永は一誠の腕の中で、意識を手放してしまった。


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