現代 思い出す過去
誠は次の日、仮病を使って部活をさぼった。多分、初めて。
顧問の先生も気が付いているはずだが、永里のこともあったばかりで見逃してもらえた。一度、病院に立ち寄って永里の様子を見た。まだ目を覚ます気配はない。
病室に誰もいなかったのもあって、こっそり永里の頬を撫でた。キスでもしてしまおうか、なんてことも思ったが、それは永里と想いが通じ合った時にちゃんとしたい。ま、永里がどんな返事をするかは分からないが……。
後ろ髪を引かれながらも、誠は一度自宅へ戻り、鞄を部屋に置いた。誠の家は高科家の子孫らしく古いながらも大きな日本家屋だ。古い蔵もあり、探せば高科家の縁の品が色々と眠っている。永里の家は同じ市内でも新しい住宅地にあり、成島の本家は車で二時間はかかる県境に近い場所にあるので誠の家とは様相が全く違う。
誠は再び自転車に乗って出かけた。行き先は、かつての自分が住んでいた場所。高科家の本拠地。誠の家からも自転車で二十分といったところだ。近いが、それでも行ったことはなかった。永里が思い出していないのに、自分だけが思い出しても仕方がないと思った。近づくにつれて家々も農家が多くなる。かつて遊んだ川辺。岩がごろごろとしている。
ああ、少し向うは流れが緩くなっていて蛍もいたななどと思い出す。すっかりと現代へと様変わりしたが、地形は変わっていない。懐かしさを感じながらも先へと進む。そして、城の入口まで来ると、自転車を降りた。ここからは多少の坂になるし、一応、史跡となっている入口の看板には自転車進入禁止と書いてあったのだ。誠は自転車に鍵をかけて、中へと入っていった。
土塁の間を抜けて坂を少し登ると石垣が続き、やがて門が見えてくる。
「あ……」
何とも言えない感覚だった。初めて来たのに懐かしい。知っている場所だ。本丸など主な建物は取り壊して無くなってしまったが、それでも幾つかの櫓や門は残っている。他にも石垣、土塁、掘などは当時の様子が窺えるものだ。
追手門で立ち止まる。ここでこんなに懐かしいのに、先に進んだらどうなるのだろう……。怖いような、でも見たいような。まだ、自分の中では色鮮やかな光景があるのに、四百年以上経った自分の住んでいた場所はどうなっているんだろうか。
立ち止まっていると、後ろから見学者らしき二人の男が中へ入っていく。城が好きなのだろう、この城について話しているようだ。それを見送ってから誠もつられて先へ進んだ。
この場所で弓の稽古をした。ああ、この木の陰で勉強さぼって昼寝してた……あとで見つかって怒られたな。あっちは、永と遊んだ林だ。次々と思い出が蘇る。永だけじゃない、父、母、弟、妹、そして自分の子ども、孫……皆の顔や声までも憶えている。
「違う、違う……これを思い出したいんじゃない」
懐かしさだけじゃなかった。以前の家族はこの世で巡り合っていない。永と佳に出会ったことでさえ奇跡だ。それなのに、鮮明に思い出されることが辛かった。胸が一杯になり、自然と涙が頬を伝った。だから来たくなかったんだ。
誠は手の甲でごしごしと涙を拭う。当時の華やかさがなく史跡として残っている城跡が、寂しさをより一層涙を誘った。だが、まだ奥があるのだ、先へ進むために誠は歩き出した。
途中で、家族や家臣が騒がしく通り抜けていく気がした。『若』、『殿っ!』、『父上ぇ』自分を呼ぶ声が聴こえる。誰にも聴こえないだろうが、誠だけに聴こえる声。何度も涙を零しながら、先へ進む。そして、本丸跡へたどり着いた。
「うっ……うう……」
声が漏れた。立っていられなくて膝を地面に着けた。そこには何もない。史跡なので整備はされているが、それでも草が生えていて、昔はなかった木が青々とした葉を茂らせていた。
『殿、私ね、不思議な経験をしたのよ』
永が自分の肩に頭を寄せて囁く。
『何だよ、もったいぶらずに教えろよ』
すると、永は頭を上げて顔を覗き込んだ。悪戯そうな目をして楽しそうだ。
『うふふ。佳にも言ってないけど、私ね、池に落ちてから記憶を失ったでしょう?その間の私は、私なんだけど、私という身体の中に私が二人いた……。もう一人の私だから記憶が無かったのよ。でも、ちゃんと私と同じ気持ちだった。何も無い私でも……初めからでも私は殿を好きになったの』
それはどういうことだ……?気持ちが通じ合った時に抱き寄せた永は別人だったというのか?いや、でも本人だというし、訳が分からない。
『俺はよく分からないんだが……もう少し分かるように説明してくれるか?俺が気持ちを告げた永は永じゃなかったのか?』
永は首を振った。
『いいえ、それも私。私は身体の中に二人いて、同じ気持ちで殿を想い、殿のお気持ちの返事も同じことを言っていた。意識はもう一人の私だったけれど、二人で同じ体験をして同じことを考えていた……と言うのが一番分かりやすいかもしれない』
『じゃあ、今、もう一人の永はどうした?』
『もう一人の私は帰ったの。自分のいるべき場所に……。遠い場所のようだけど、無事に戻ったようだわ』
永は微笑んだ。
『遠い場所とは?なぜ分かる?』
『分かるわ、同じ魂だもの。遠い場所というのは、遠い未来……かしらね。ふふ』
当時は永が言っている言葉の意味が分からなかった。つまり、交通事故に遭った永里の意識は同じように『池に落ちるという事故』に遭った永の身体へとタイムスリップしたと思われた。同じ魂だから引き寄せられたのだろう。そして、永の身体に入った永里は記憶を失ったまま、しばらく永として暮らす。その身体には、元々の永も一緒にいて永と永里は同じように考え、一人の人格として生活していたのだ。全く同じ魂だからこそのタイムスリップとしか考えられない。
『未来?そんなこと……』
『殿は私の言うことは信じられない?』
永が口を尖らせる。いや、そんなことはないが。
『いや、信じているさ』
『私は今も、そして遠い未来も殿のことをお慕いしているってことです』
はぐらかされているような気がしたが、記憶を失っている時に伝えた時のことも憶えているし、私は私と言い張っているのだから納得するしかなかった。どちらにせよ、永とは幼い頃のように、いや、今は夫婦として仲睦まじいのだから言うことはない。色々あったが、俺には永がいればいい。これからも二人支え合っていければいい。その時、永がにっこりと微笑んで、袖をぎゅっと握った。
「殿、ずっと傍にいますから」
誠は我に返った。すぐ耳元で永の言葉が聴こえたようだった。
思い出した。
そうだ、そんなことを永は言っていた。満月の夜、二人で縁側で酒を飲みながらの会話だったと思う。あの時は、永は酔っているようだと俺は思っていて話半分で聴いていたのだが、違う……永は遠い未来から来たと言っていた。それは永里の魂に違いない。永里はまだ目を覚ましていないということは、まだ永の身体にいるはずだ。
「永里……!早く戻ってこい!」
誠はその場にうずくまった。涙は止まらない。誠の耳には木々のざわめきに混じって、永の声が聴こえている気がする。だが、『永』の身体は、もう何百年も前に無いのだ、今聴こえているのは自分の思い出の『永』なのだ。
今は永里が心配だから、ここに来たんじゃないか。俺がここに来て永の事を思い出しても、何が出来るわけでもない。だけど、永里が今、どんな状況かというのは思い出せた。俺は永里が戻ってくるのを待つだけだ。誠は唇を強く噛みしめて立ち上がる。そして、一度だけ本丸跡を眺めた。
ザーっと風で草が波打ち、木の枝が大きく揺れた。もう、一人では来ない。来るとしたら、永里が過去を思い出してからだ。二人で懐かしむならいいかもしれない。そうか、二人で来よう。事故に遭ってしまって告げずに終わった事を、ここで言おう。どうなるか分からないけど、決着はここで着ける。誠は振り返らずに、来た道を戻っていった。




