過去 向き合う二人
永が次に気が付いた時は、自室の布団の中だった。こんな光景は二度目だった。人の小声で話す声が耳に入る。首を少し動かすと、障子の向うは明るいので昼間のようだ。
「ああ、気が付いたか?」
声のする方を向くと、そこには一誠の姿があった。永と目が合うと、穏やかな笑みを浮かべる。
「一誠さま、私は一体……」
記憶を整理しようと、身体を起こそうとすると、一誠に肩を掴まれて強引に寝かしつけられた。あ……他に人がいた。思わず一誠の名前を呼んでしまったが、それは二人だけの時だけという約束だった。気まずそうに口元を隠した。
「まだ起きなくていい。少し安静にしていろ」
永は言われるがまま、仕方なく横になった。
「姫さま、少しお休みになられたほうがよろしいです」
すぐ傍に控えていた佳が声を掛けた。
「何かあったら呼ぶから、俺と永の二人だけにしてくれるか」
一誠が後ろに控える数人の侍女に声を掛けると、佳と共に部屋からそっと出て行った。スッとと戸の閉まる音がして二人だけの沈黙が訪れる。
そうか、私は三津どのと二人で紫陽花を見に行って、そこで、三津どのとぶつかって倒れた……。ぶつかってというより、突き飛ばされたという方が正しい。思い出してきた。良かった、記憶は失ってはいない。安心して、自然とほうとため息を吐いた。
「なんだ、ため息なんか吐いて。こら、永。俺がどれだけ心配したか知ってるのか」
一誠がからかうように永の頬を人差し指で突く。
「色々申し訳ありませんでした。それで、あの……ここまでは、どうやって?」
確か、意識が薄れていく中、一誠が必死で声を掛けてくれていたはずだ。腕の中に抱かれて呼ばれていたような……。まさか、と思ってじっと一誠を窺う。
「そうだ、俺が永を抱いて、ここまで運んできたんだ。けっこう重かったぞ」
「きゃあ!やっぱり!」
夢じゃなかった!永は恥ずかしくなって、布団を顔まで被った。何てことだ、しかも重いって!ああ!もう、どこかに消えてしまいたい。
「こら、永。本気にするな、からかっただけだ。そなた一人くらい、俺は抱えられるから安心しろ。だから、顔を見せろ」
からかった?永はゆっくりと顔を見せると、くっくっと笑いを堪えた一誠がいた。
「ひどい!一誠さま。私のことをからかって!」
布団から片腕を出し、握りこぶしで一誠を叩こうとすると、さすがに普段から鍛えているだけある武士だ……すぐに永の手を軽く捕まえてしまった。
「すまん。でも、永も悪いんだからな。そなた、佳が心配するのを振り切って三津と出掛けただろう?あの後、佳がおろおろしていたから、問い詰めたら、これだ」
握られていた腕を下ろそうとすると、一誠はその腕をそっと手放した。
「すみません。軽い気持ちで出掛けてしまって」
それほどまでに佳は心配していたのか。先ほども付き添ってくれていた、後で謝っておかなければならない。だが……一誠は、何故?三津と出掛けたのは、そんなに心配するようなことだろうか。確かに、記憶を失っていることが知られれば面倒だが、何とでも誤魔化しようはあるはずだ。三津はそんなに信用ならないのか?いや、でも自分の側室だろう。それとも、私の方が信用がないのか。色々と考えを巡らせるが答えが出るわけではない。それどころか、本人が目の前にいるのだから、本人に訊くのが一番に違いない。
「あの、一誠さま。こうなるのが分かっていたのですか?」
すると、一誠は表情を曇らせて、一度顔を背けたが、思い直したのか少し間が合ってから話し始めた。
「いや……。しかし……嫌な予感はしていたんだ。佐和子の件があったろう?その時に廊で三津に会ったのを覚えているか?そこでの三津は、そなたに対して敵対心を見せていたから、佳の話を聞いて心配して探していた。ぶつかった事に関しては故意かどうか、はっきりしないから処分ができなくて、悪い……永がこんな目に遭ったというのに。俺は、二人が何事もなく一緒にいるなら遠くから見守ろうと思っていたんだが、こんなことになってしまって……」
敵対心……。まさか気が付いていたとは。あの佐和子の件があった時に三津の異変など、鈍い男なら分からないはずだ。だが、それに気が付くとは思わなかった。一誠は案外細やかな人物なのか。そして、繊細だから本当は色々と気が付いているのかもしれない。
「そこまで気を遣っていただけているとは思いませんでした」
正直な感想を言う。忙しいはずなのに、自分のことで時間を割いてしまって申し訳ない。それにしても……本当に仲が悪かったのだろうか。契っていないだけで、それほど仲が悪いとも思えない。再び色々と思考を巡らせていると、一誠の膝に置かれた拳に力が入るのが見えた。気が付いて顔を見上げると、一誠は唇を噛み締めていた。何かの覚悟?不思議に思い、一誠を窺う。
一誠は、すっと息を吸い込んだ。
「あのな、俺とそなたは夫婦だぞ。心配して当たり前だろ」
怒られるとは思わなかった。
「も、申し訳ありません!」
慌てて起き上がろうとすると、再び手で制されてしまった。しかし、すぐに一誠のふっと小さく吹き出した声が聴こえ、笑顔でこちらを見ていた。な、何が?何が面白かったのか分からない。永はただ混乱するばかりだ。
「いや、悪かった。気を遣うなんて言葉が出るのは……俺のせいだな。永の記憶がどこまで戻っているか分からないが、以前の俺とそなたの夫婦仲のことは聞いただろう?」
永は黙って頷いた。
「俺とそなたは形だけの夫婦だった。だが、永が全てを忘れてから悲しかったよ、いや、寂しかった。俺と永は幼い頃に夫婦となって、ある時期までとても仲が良かった。一緒に育ってきて、楽しかったことも辛かったことも忘れて、俺一人だけ憶えているなんて寂しかった」
そんなことを思っていたとは……。確かに思い出は共有できる相手がいると、より懐かしく輝いたものになる。一誠の気持ちなど考えたことはなかった。一誠は『少し、俺の話を聞いてくれるか』と言うと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ずっと仲が良かったんだ。兄妹のように育ってきて、俺は永がとても大事だった」
永は思わず一誠の言葉を遮った。聞いてくれるか、と一誠から言われたばかりだというのに。
「大事……。私を大事だと仰るのですか!」
一誠は永を手で制す。永はそれ以上の言葉は飲み込んだ。
「まあ、続きを聞け。『ある時期まで』と言ったのは、数年前だな……永と夫婦として、ちゃんと向き合わなければならない時、俺は怖かったんだ。永が俺を兄のように思ってくれているのに、急に夫婦になってしまって傷ついてしまうのではないかと……。その頃、ちょうど佐和子が側室になるという話もあって、余計に永を傷つけてしまうと思った。それなら、いっそのこと誰も寄せつけたくないと思ってしまった。俺も幼かったんだな」
大事に思うがゆえに遠ざけたということか。触れてもらえなかった理由は、一誠が兄妹としての仲を大事にしていたからだった。それは私を大事に思っているということと同じ?……それならば、続きを言ってもらいたい!いつもはぐらかされているのだから。苦笑いを浮かべる一誠を見ながら、永はゆっくり身体を起こした。
「一誠さま、今なら答えてくれますか?」
一誠は黙って目を閉じて大きく頷いた。
「ああ、何でも答えてやる」
今度は逃げない。永はごくりと唾を飲み下して、両手で布団を握りしめた。どんな答えだろうが、自分のことを訊くというのは緊張する。一呼吸おいて、永は口を開いた。
「あの、一誠さま……。私を大事だと仰っていました。ちゃんと仰ってくださいますか?私をどう思っているのかを」
妹のように仲が良かったというのなら、今でも妹なのだろうか。これからも夫婦として、女としては見てもらえないのだろうか。
一誠は何でも答えると言いながらも黙ったままだった。沈黙が重たい。いつ口を開くのか、どきどきと胸が早鐘を打ち始める。永は不安からごくりと喉を鳴らして、一誠を見つめた。




