気が付いた想い
「何かしら、あれは」
佐和子が通りかかって足を止めた。少し離れた廊から二人が木刀で稽古をしている様子を見ていた。二人は夢中でこちらには気が付かない。
「殿と永姫さまですね……」
余計な事ばかり言ってしまう侍女が、いつものようにぼそりと呟く。
「見れば分かりますでしょ!」
佐和子は振り返って怒鳴りつけると、侍女は肩を竦めた。いつもこんな調子らしい。
「まったくもう……って、あら?」
佐和子が視線を動かすと、一人の女が目に入った。あれは……。
「うふふ。三津どのも気になるのねぇ」
佐和子はにやにやしながら、再び歩き出した。面白い物を見た。とても気分が良い。だが、その笑いの意味を侍女は分からなかった。自分の主人ながら、何を考えているのか分からないが、あまり性格が良くないことは知っている。後ろから佐和子に聴こえないため息を吐いた。
「永、ここまでにするか」
一誠は額の汗を豪快に腕で拭い、息が切れている永に言った。すでに膝に両手を置いて屈んでいる。
「は……まさか、ここまで本気でかかってくるとは思わなかったよ」
苦笑いで永を見下ろす。そういう一誠も息が切れている。
「だって……夢中に、なってしま……って……」
「ははっ!それにしても永は上手いなぁ。以前から習っていたかのようだ」
そうなのだ。自然と身体が動いたのだ。口元に指を添えて、頭の中を巡らせてみたが……いつも通り、何一つ思い出せない。
「う……ん……何も思い出せないです」
永が考えているのを見て、一誠は口の端を上げて苦笑いをした。
「良い、良い。無理に思い出さなくても。気晴らしにならないだろう」
「はい、そうでしたね」
そういえば気晴らしをしようと、表へ出たのだった。しかし、楽しい時間は長くは続かない。
「殿、そろそろ……」
後ろで控えていた近習が、遠慮がちに声を掛ける。二人で振り向くと、邪魔したと思っているのか眉を寄せて、申し訳なさそうな顔をしていた。
「仕方ないな。すまない、また今度、何か付き合うから、今日はここまでだ」
一誠も残念に思ってくれているのだろうか。
「いえ、お付き合いくださり、ありがとうございました。どうか、お気を付けて、いってらっしゃいませ」
頭を下げた。そして、ゆっくりと顔を上げると、一誠は目を細めて優しい笑顔を見せていた。
「っ……」
その笑顔にどきりとした。知らず知らずの内に、胸の前で自分の鼓動を押さえるために両手で重ねていた。
「いってまいる」
口を引き結ぶと、一誠は邸の中へ戻り、近習と一緒に出掛ける支度をするために自室へと戻っていった。それを、永と佳は頭を下げて見送った。
永はゆっくりと縁側に近寄って、腰を下ろした。
「もう!姫さまは!何をしているんですか!」
怒りながらも手拭を手渡してきた。
「こんなに汚して!」
「ああ……うん、やってみたいと思っちゃったんだよね」
身体がうずうずしたのだ。まさか、本気になるとは思わなかったが。額や首の汗を拭うと、もう布はかなり湿っていた。
「本当に、まったくもう……こちらは冷や汗が出ましたよ。でも、まあ……殿から声を掛けていただけるとは。殿も少し変わられたんですかね、最近、姫さまといると穏やかそうですし、先ほどなんて笑顔まで……幼い頃、御一緒に遊んでいた時以来拝見しておりませんでした」
佳が思い出しながら話す。笑顔か……記憶を失ってから何度か見ているな。穏やかな笑顔はドキリとさせられ、豪快に笑う時は、こちらも気持ちが良いくらいだ。
「素敵よね……」
庭の紫陽花を見ながら、ぼそりと呟いた。
はっと気が付いたが、すでに遅し……佳の耳には届いていた。隣に座る佳の方へゆっくり顔を向けると、にやにやと気味の悪い笑顔を浮かべていた。
「姫さまは、殿に恋していらっしゃるのですね」
はっきりと言われると、むずむずする。恥ずかしい。
「まぁ、夫婦ですから、今更という感じはしますが」
それもそうだが。永はどうしたら良いか分からなくて俯く。そうなんだろうか。これが恋?一誠さまといると嬉しくて、顔を見るとどきどきして……これが?
記憶を失くしてから書物を色々と読んで、男女の恋についても知った。私は一誠さまが好き……。自覚をしてみると、胸が熱くなるような気がした。
「やはり、そうなのかな」
上目使いで心配そうに尋ねると、佳はにっこりと笑った。
「間違いないですよ。そして、殿とも最近はご一緒にいる時間も増えましたし、絶対に愛おしいと思っていらっしゃいます!」
自信満々に言われると、そうなのかと思ってしまいそうになる。だが、今までのこともあるし、自分に対する気持ちをはぐらかされてばかり……期待してしまうには早いような気がした。
「だって、私の永姫さまですよ、もっと自信を持ってくださいませ」
贔屓の目があるとは思うが、励ましの言葉は単純に嬉しかった。
「佳、ありが―……」
礼を言おうとして、お構いなしな佳に遮られた。
「姫さまは黙っていれば可愛らしいのに、先ほどのように暴れるわ、態度は大きいわ、まったく……しおらしいのは最近になってからですよね」
うんうん、と腕を組んで思い出しているようだが……。
「佳!」
今度は永が佳を遮る。乳母とはいえ、ひどい言いようだ。
「まあ!姫さま、本当のことだからって怒らないでくださいませ」
頬を膨らませた永と佳が睨み合う……が、お互いに耐えきれなくなり吹き出した。声を出して笑い合う。甲高い二人の笑い声が辺りに響いた。ひとしきり笑った後に、さわさわと風が吹いて、二人の髪を揺らした。汗をかいた後には心地よい。永は目を閉じて、風を全身で感じた。葉擦れの音や鳥の囀りが耳に届く。
「姫さま……良かったですね」
佳の声で閉じていた瞼をゆっくり開けた。
「何が?」
「だって、姫さまは記憶を失ってしまいましたが、また殿をお慕いするお気持ちが芽生えましたでしょう?もしかしたら、そのお気持ちだけは忘れていなかったのかもしれませんし、もしくは、全て忘れても同じお方を同じお気持ちでお慕いする……いつ、どこで出会っても恋に落ちる運命なのかもしれませんねえ」
しみじみとする佳の横顔をじっと見つめた。それは、以前も同じく一誠を好いていたのだろうか。そのことを思い出すことは出来ないが、今の気持ちは間違いないのだろう。
「例えば、生まれ変わっても殿と姫さまは……恋に落ちる運命かもしれませんね」
何度となく同じ魂の人を好きになる。そうだったら良いと思うが、しかし、一誠が永をどう思っているのか分からない。しかし、佳の中では一誠も永を大事に想っているような口ぶりだった。永は苦笑いを浮かべた。きっと、佳にそんなことを言っても励まされるだけだ。
「そうだったら良いわね」
「何を仰いますか!そうに決まっております!」
ほら、やはり。肯定的な言葉を言ってくれる。永は自分の気持ちを飲み込んで、佳に力強く頷いて見せた。




