王子様と私と
カイ君、神様になにをお願いしましたか?
金魚すくいや輪投げは楽しかったですか?
焼きそば、美味しかったですか?
……ごめんね、全部台無しにして。
この花火をこのお祭りを、楽しんでいる人たちの迷惑にならいよう気づかうカイ君。怪我をして腕から血が出ているというのに、そんな時まで他の人のこと気にすることないのに。
優しすぎるよ。
救急車は呼ばず、できるだけ近くまで車を回しそこまで歩いていった。私は去っていく姿を見送ることしかできなかった、させてもらえなかった。私が悪いのに、私の身勝手がカイ君を傷つけたというのに。
放心状態の私にドージマさんが何かを言い残していったが、何一つ私の中には残らなかった。折角母が着付けしてくれた浴衣は赤い染みがにじみ、膝には泥が付いていた。
カランコロン、音だけが鳴り響く。
花火の余韻を残し「ちょっと寂しいね」なんて言いながら夏の終わりを噛み締める。そんな帰り道になるはずだった、何も起きなければ。
一人で歩く帰り道は、より暗く濃い黒色をしていた。
家までの道のりは不透明で、気がついたら家の前で膝の泥をはらっていた。外灯に照らされ赤い染みが現れる。その赤い部分を強く握り締め、私の中から溢れだそうとしている感情を押さえつけた。
それから、カイ君はどうなったのか? 大丈夫だったのか?
私には何一つ知らされることなく8月31日を迎えた。
配達を終え家にたどり着くと見慣れた黒い車があった。車と同じく威圧感のある黒スーツにサングラスのいつものドージマさんが待っていた。私を見つけるとドージマさんは深々と頭を下げた。
「今まで連絡できずにすみませんでした。王子……フォン様が今回のことに酷くお怒りになり、あなたとの接触の一切を禁止されまして……すみませんでした。カイ様は無事です、ケガによる後遺症などもありませんご安心ください。」
その言葉に私は息をつく。よかった、無事でよかった。胸をなで下ろす私にドージマさんがもう一つ大事な話があると表情を固くした。
「そんな、急に…」
ドージマさんは再び頭を下げた。この事と今回の事の関係はありませんので。そう言われてもどうしても私が原因なのではないかと考えてしまう。
夏の終わりと共にカイ君は帰国する。
明日の始業式には出ることはない。カイ君が最後に挨拶くらいはしたいと食い下がったのだが王子の許しが出なかったとドージマさんの顔は暗い。本来私にこのことを伝えることも許されてはいなかった。カイ君の為に無理をしてやってきてくれた。見送りに来て欲しいから、きっとカイ君も喜ぶだろうそんな思いで来てくれた。だけど、私にその資格はあるのだろうか?
胸が締め付けられる感覚、私の思いは……。
目が覚めたらいつもの朝。違うのは今日からまた学校が始まること。朝の配達に行って帰ってきたら朝ごはんを作って食べる。今日は始業式だけだからお弁当はいらない、少し違いがあれどいつもの朝だ。
昨日までが夏、切り替えが早い季節が自転車で走る私に涼しげな風を届けてくれる。久しぶりの通学路を走る私を朝の空気が満たしていく。だけど気分は晴れない。
もういい、もういいんだ。自分に言い聞かせるように呟く。
教室に着くとまだ残されているカイ君の机を見て胸が痛む。
クラスメートたちは夏休みの思い出話に花を咲かせている。
普通にお別れできたのならここまでの気持ちにはならなかっただろうか?
考えないようにしようとしたが、すればするほど私の中を何とも言えないモノが増していく。
誰もいない隣の席にカイ君の姿を見つける。学校へ行くこと、そんな当たり前なことができなかったカイ君がいきなり高校に入ったところで勉強についていけるわけはない。それでも笑っていた、勉強できることが楽しいと。
思い出の詰まった教室。ここでは私もカイ君も同じ目線の高さで同じものを見て、聞いて、共有した。人当たりのいいカイ君はすぐにクラスに馴染んだ。その当たり前もカイ君には初めてでとても喜んでいた。
始業式のため、教室から体育館に移動する。歩きながらも一つ一つ思い出がよみがえる。カイ君に学校を案内しながら歩いたことがなんだか遠い昔のように感じた。たった数ヶ月前なのにね。
校舎から体育館への渡り廊下、ここは吹き抜けになっていて雨と風がセットで来ると屋根など意味を成さない、皆は走り抜けたり、できるだけ端を歩いたりしてる中何が楽しいのか全身で雨を受けるカイ君。雨を受けながら笑っている姿を見て皆も笑っていた、笑顔が笑顔を誘う。あの時の笑顔の理由を私は知らない、……まだ、聞いていない。
渡り廊下の真ん中で立ち止まった。川の中に棒を突き立て流れを遮るように、後ろから来る人の流れが私だけを避けていく。私は踵を返し流れに逆い走り出す。
ずるいよ、勝手だよ、まだ間に合うかな? 最後があんなのってないよ、ちゃんと会いに来てよ、空港行きのバスってどこで乗れたっけ? …………今更行こうなんて遅くない? 最初から学校へ行かず空港へ向かえばよかったじゃん!
「ああー! もうっ!!」
色んな思考が一度に頭の中を巡り思わず叫んでしまう、そして同時に私の足は止まる。
憤る、しかしその矛先は相手に向けてではない私自身だ。空港へ向かうと決めたのに、急に心が揺らいだ。本当はこれでいいじゃないか? このままで……。王子の考えは正しかった、私なんかが関わることではないだ。
だったら……だったらなんで、なんで! こんなに胸が苦しいんだ!
目から溢れる感情を抑えながら私は再び走り出す。たとえカイ君と会える可能性がどんなに低くても、後悔だけはしたくない。もし会えなくても私は空港までは行った、それだけでも私の気が収まるかも知れない。結局会えませんでしたーって笑い飛ばしてやればいい、そんな結果は絶対に嫌だけど。
平日の空港は利用者が少なく、これなら人探しはやり易い。なんて浅はかにも程がある、空港など利用したことのない私が目的地へ一直線で行けるはずがない。
案内板に行き先や時間が表示されてはいるが、出発時間しか分かっていない私の行き先を知り得るものにはならない。
そもそも、直通の便あるのかな? どこか経由するならどこに行くのだろう? わからないよそんなこと。
聞いていた時間まで残り5分を過ぎている、普通ならもう搭乗してしまっている。でも、もしかしたら……待っていてくれる……カイ君なら待ってくれている……?
時間が一致するもが3つ、全部は回る時間はない。どれか一つ選択を迫られる、悩む時間もない。運も勘もいい方ではない私にできるのは『信じること』のみ。何にも頼らずただそこにいるはずだと信じて進む。
まだダメ、泣いちゃダメだ。泣いたところで時間は止まらない、泣いてしまえば足が止まる。それはあきらめたも同然だ。
信じて進む、そこにカイ君はいる。
息を切らしながらたどり着いた搭乗ゲートで最後の人影を見つける。黒のスーツ二人に白い布を纏ったような民族衣装、顔の確認までは出来ないだけど私は叫ぶ。正解であろうと不正解であろうと私は叫ぶ。
「カイ君!!!」
気づいて! 強い思いが届いたのか彼が足を止めた。振り向き私を見つけ視線が合う。
しかし押し迫った時間が私に猶予を与えてくれることはなかった。彼は黒スーツに押されるように歩きながらこちらを向き優しい笑顔で手を振って、消えていった。
私一人の空間に波打つ心音だけが残る。
これじゃあ会えなかったのと変わんないよね。力が抜け、ふらふらと近くの椅子にへたり込む。もう、いいよね? 押さえ込んでいた感情が溢れ出し前が見えない。
涙が止まらない、こんな思いするならもっと早く決めていれば良かったと後悔が涙と一緒にこぼれ落ちていく。
後悔しない為にここに来たはずなのに、会えなくても仕方ないって思っていたのに、カイ君の顔を見たら見てしまったらどうしても気持ちが抑えきれなくなってしまった。周りのことなど気にすることなく泣いた。
そんな状態の私が誰かが近づいてきたところで気づくはずもない。
「ミナト」
少し前まで毎日のように聞いていたその声が私の耳に届く。それはとても懐かしい響き。
「ナかないで、ミナト」
先ほど目の前で去っていった人が、もう二度と見ることがないと思っていた笑顔がそこにはあった。
「ど……どう、して?」
上手く話せないほど涙でくちゃぐちゃな私、きっとひどい顔してるであろう。それでも彼の顔は見える、ずっと見てきたその笑顔ははっきりとわかるよ。
「ゴメンね、ダマすつもりじゃなかったんダヨ。フォンがそのほうがいいってイうから」
そうだね、私はカイ君に騙されたんじゃない間違いなくフォン王子に騙されたんだ。それはそうだよね、カイ君が王子の代わりが出来るならその逆も当然出来るわけで……。
目つきが鋭いのが通常営業ならあの笑顔は外行き用みたいなものかな? あんな笑顔もできるとかずるいよ。私は今、泣きながら笑っている……と思う。ほんとは自分でもよく分からない、分からないけど、これだけは分かる。
『カイ君に会えて嬉しい』ということだけは。
話したいことはいっぱいあるけど、今はこれを言うので精一杯だ。
「おかえり、カイ君」
私はカイ君とまた会えることができてハッピーエンド♪ みたいなイイ感じで終わればいいけど、現実的なお話はその後すぐにやって来る。
カイ君はどうやら日本に置いていかれたようで、迎えが来るかどうかも不明。カイ君の説明でわかるのはそのぐらい。あと、使用していたホテルも使えずしばらく私の家に住まわして欲しいらしい……いきなり同棲!? これは『王子の計らい』という名の策略だろう。
まだまだ問題はある、沢山ある、い~っぱいある!! 頭が痛くなるほどあるけど、あるのだけれど。
全部含めて、なんとかなる。そんな笑顔が私の隣にある。それだけで……よかった。
後日、カイ君宛で何か色々と送られてきた。生活必需品とか生活費とか。費用に関しては私と母が卒倒するくらいのが……何を考えているんだあの王子は? 身代わりをいつまで離しておく気なのか? 全く分からない人だ。
ん? 迷いなく私の家に荷物が来たということは、それだけは決定事項だったのか!?
そう……なんだろうな、きっと。
どういう理由かは聞いてみないと分からないが、あの人なりの感謝として受け取っておこう。
さて、倒れた母を起こしてこの大量の荷物をなんとかしなければご飯すら食べれられない。
大きな荷物を前にして、私の顔は笑っていた。
これにて完結となります。最後までお付き合いありがとうございました。無駄に時間だけかかって中身がスカスカのままで申し訳ないです(´・ω・`)