王子様が家にやって来た
王子様がやって来た雨の季節から、早ひと月。まるで太陽が近づいて来るような季節。
学生達は夏の一ページに青春を謳歌する。
夏休み入り、王子は毎日クラブに出るため学校に通っている。
色々見て回ったが、結局一つに絞れなかったので毎日違うクラブを転々として学校生活を満喫している。
私はいつもと変わらず、バイトに明け暮れる日々だ。
そんなある日……。
夏休みである以外は変わらない、いつもの朝。本日は日曜日。私は新聞配達に向かう。今日も天気が良くて気持ちいい。
配達を終え、家に帰るといつもとは違う出来事が起きている。
車がある。私の家は一応一軒家であるが、築年数の経った古びた我が家。母は免許すら持っておらず、車など保有しているわけがない。私もまだ車が乗れる年齢にはなっていない。だから、車が停まっていることは異常事態なのだ。
まさか借金取り? 家賃は一度も滞納することなく毎月払っている。借金はない。これは私が知る限りはってことだけど。母が家計を助ける為にお金を借りた可能性がないわけではない。
しかし、異彩を放つ黒塗の車は、しっかりと我がボロ家前に停車している。
恐る恐る、外から玄関を盗み見る。玄関前は異常ない。来訪者は、すでに中にいるということか? 玄関に意識をやっていると、後ろから声をかけられ私は飛び上がってしまう。
「驚かしてすみません。私は、カイ王子の警護担当をしているトージマといいます」
この季節に、黒服、サングラス姿はなんて目立つのだろう。とか思いながらも、ファミレスでお金を支払っていた人だと気づいた。
「もしかして、ファミレスで支払いをしてくれた……」
「はい、そうです。その節は大変ご迷惑をかけました」
深々と頭を下げてくれたトージマさん。
「そんな! 気にしないでください。お客様との行き違いなんてよくあることですから」
王子様がお忍びで勝手にやって来る、なんてことは滅多にあることではないけど。
私とトージマさんが、互いにペコペコしていると家の扉が開かれ中からカイ君が現れた。カイ君は私を見つけると早く早く、と私を家の中へと誘う。
いや、ここ私の家だけど!
中で待っていたのは、カイ君と家の中を走り回る弟たち。
「ねーちゃん! 見て見て! 新しいグローブとバットもらったよ!」
「わたしはおっきいくまさん!」
二人はもらったものを高らかに持ち上げ、私の周りを一回りするとまた家の奥へと走り去って行く。
「王子、理由もないのにあんな高価なもの頂けません」
「ミナト! その呼びカタはなしダヨ!」
そうだった、ごめんなさい……ってちがーう!!
「そりゃ、ウチの経済状況じゃあんないいもの買ってあげれないけど、なんの努力もなく物をもらうなんて間違ってます!」
いたって真面目で、真剣な眼差しを王子に向ける。
「ソンナことない! ミナトには色々とお世話にナッタヨ!」
だから、そのお礼。王子の顔に寂しいものを感じる。
「私からもお願いします。どうかもらっていただけないでしょうか? どれもこれもカイ王子が自分で選んで買ってきたものなのです」
私の後ろについてきていたドージマさんからまで頼まれてしまうと、余計に断りづらくなってしまった。
「はぁ、わかりました。二人共、もう一度ちゃんとお礼言いなさい」
「お兄ちゃんありがとう! 今度はゲーム機がほしいです!」
コラ! 誰がおねだりしろって言った?
弟たちは再び走り出した。
「それで、今日は何か用ですか? おうじ……じゃなくて、カイ君!」
王子様は、弟と庭でキャッチボールをしながら答える。
「ソウ、だった! 今日はクラブがないカラ、ミナトを連れてイコウと思ってたんダ!」
つ、連れ!? ってまさか、誘拐?
「すみません、ミナトさんを家の方にお招きしたい。という意味です」
言葉足らずの王子を補足するように、ドージマさんが言い直した。
「家って、日本にもあるんですか? まさか、建てたとか?」
いえ、ホテルの一室を滞在する間だけ家の代わりにお借りしています。今日は、そちらにお招きしたくやってまいりました。
お金持ちがホテルで長期滞在、スイートとかいう綺麗で広くて景色がいい場所で。ということだろうな……。ちょくちょく感じるこの『貧富の差』で、私は相手を羨ましく思うことはないが心に引っかかるものはある。それを感じる度、私は思う。王子は何故私にかまうのだろう、と。
「ソレで、ミナト! 今日のヨテイは?」
特にはないですけど……。
「じゃあスグ行こう!」
王子は、私の手を取り走り出す。
「ちょっ、ちょっと待って! 私まだ着替えてすらいないから!」
ダイジョブ、ダイジョブ!
優しく、しっかり握られた手。私より少し大きくてあったかい手。
大きくて、ゴツゴツした父の手とは似ても似つかないのに何故か同じように思えた。幼かった私の思い出の中には、父の顔は残っていない。なのにあの優しく包み込んでくれた大きな手だけは記憶と感触で覚えていたようだ。
黒塗りの高級車は私を乗せて走り出した。
後ろの座席に、私と王子が並んで座る。運転手はドージマさん。
王子様は上機嫌。ニコニコ笑顔で鼻歌交じり。
――う~ん、それにしても会話がない。というか、何を話題にしていいのか? それが問題だ。
この雰囲気を壊さないさりげない話題。なんだろう、お天気か? でもそれじゃあそれ以上膨らまないだろうし……。そうだ! 気になっていたことを聞いてみよう。
「ドージマさんは日本語上手ですよね? どうしてですか? 日本育ちとかですか?」
私は運転の邪魔にならないよう心掛けて話しかけた。
「いえ、私は日系人でして祖父が日本人なのです。日本語は幼い頃祖父に教わりました。それで、今回ボディーガード兼通訳として選ばれたのですよ」
ルームミラー越しに優しい顔が見えた。サングラスはしたままだけどね。
「ミナト、今日はキミに話したいコトがあって連れてきたんダ」
王子の顔は、先程とは打って変わり真面目な顔をしている。
「何、話って?」
着いてから話すよ。そう言うとまた王子には話さなくなった。
そして、再び沈黙が訪れる。車は大きなホテルの地下に吸い込まれていった。
私の住む地域から少し車で行けば、ここら辺で一番発展した都会的な街並みになっている。
その中で、一際高い建物がある。高級ホテルと聞いて最初に思い浮かぶのがこのホテルだ。私なんかは、恐れ多くて用もなくホテルの前を通ることも気が引ける。なのに、私は今そのホテルの敷地へと足を踏む入れている。とてつもなく、不釣合いな格好で。
「カイ君、やっぱりこの格好じゃマズイよ! ジャージでこんな所入れないって!!」
「ダイジョブ! ミナト! スポーティーでかわいいヨ!!」
全然よくないし! せめて私服、それか私の精一杯の正装『学制服』で来れば良かった。
今更言ってもどうしようもないんだけど……うう、恥ずかしい。
清潔感のあるきっちりとした姿のホテルマンに後部座席の扉を開けてもらい、王子とジャージの私が車を降りる。
絶っ対! いい顔してないよ、ホテルの人。恥ずかしくて顔が見れないよ。
ドージマさんはホテルマンに車を任し、私達の後を付いてくる。
「お帰りなさいませ、カイレン王子様」
王子様に気づいたホテルの従業員達が頭を下げてくる。王子はにこやかに応対している中、私は自分の場違いな格好に萎縮するばかりだ。
エレベーターに乗り込み、ドージマさんが素早く昇降ボタンの前に移動しボタンを押す。私の位置からは、ドージマさんがいるので何階を押したか見えない。
エレベーターはどんどん上へと登り、一番上の階で止まった。
勿論、ここは『スイート』とか呼ばれるホテルで一番高いお部屋だろう。綺麗な内装に高そうな置物、どれもこれも私をさらに萎縮させるものばかり、最初で最後かも知れない高級ホテルを楽しむ余裕など全くない。
――それにしても、静かだな。他は誰もいないのだろうか?
「カイ君、もしかして……ここ全部借りたの?」
王子は少し驚き、不思議そうな顔で言う。それは、そうだよって。
目眩がした、いっそこのまま倒れてしまいたい!
私の家より大きいんじゃないかと思えてしまう広い空間の部屋に通され、ここで待つように指示を受ける。私は一人、大きなソファに腰を下ろす。恐る恐る、と。
部屋を出ていった王子と入れ違いで、メイド服を着た使用人さんがやって来た。
「何か、お飲みになりますか?」
「め、め……メイドさん!!」
生まれて初めて見るメイドさん! となんとも素敵な笑顔に舞い上がって、私はオマヌケな返答をしてしまい顔から火が出るかと思った。
「はい、こちらで王子のお世話仰せつかったメイドのティアです」
彼女も王子と同じく、浅黒い肌の色をしているが日本語はしっかりしている。
「あっ、あなたがミナトさんですね! 王子がいつも話してくれるんですよ、素敵な方だって」
「全然そんなんじゃないです! 今だってジャージだし!!」
「フフフ、可愛い♪王子が言っていた通りの人ですね」
目を細め、柔らかく笑う彼女は女神様のようだと思った。
「ご用がありましたらいつでも呼んで下さいね」
素敵な笑顔で部屋を後にするメイドさん。ああ、メイドさんの方が素敵だし、かわいいですよ!
私一人となった広い部屋。一人になると少しだけ気持ちが落ち着いた。そして、少し疲れた。
扉の開く音がした。王子が帰ってきたのだと思い音のした方に目を向けると、そこには黒のスーツを着た肌の浅黒い青年がいた。
あれ? ……カイ君? いや、違う。全然雰囲気が違う。
服装が変わったからそう感じたわけではない。空気が違うとでもいうのか、いつもカイ君から感じられる温かさがないのだ。変わりに感じられるのは、鋭い刃物を見てる時の身の縮むような感覚。
「おい! おまえ、誰だ?」
私を威嚇するような、低く威圧感のある声を出す青年。
えっと、その……。
私は、相手の声に怯えて戸惑ったわけではない。青年が、あまりにも似ていたからである。カイ王子に。
顔や背丈はほぼ変わらないと思う。ただ、纏う空気と目つきが違いすぎる。それだけでガラリと違う人間なのだと思ってしまう。
なんと答えていいか迷っていると、扉が開きカイ君が戻ってきた。
――やっぱり、カイ君じゃなかった。じゃあこの人は……。
「ココにいたんだね、待ってたよ」
二つの同じ顔が並ぶ、間に鏡でも挟んで映し出しているような光景。ひとつだけ間違い探しをするなら、『目』であろう。
鋭い目つきと優しく温かい目。
カイ君は私に優しく語りかける。話したいことが、話しておきたいことがあるんだ、と。
ハイ! ここで一旦CMでーす! って感じに、また微妙なところで区切ります。焦らします!