九
茅葺の屋根は傾いていて、屋根の淵からは色々な食物が吊るされて干してある。其れ等は事あるごとに鴉や雀の鳥に食われてしまうのだが、妻は性懲りもなく干すことを続けているようだ。昔、何故干しているのか訊いたことがあったが、そのときに妻がどのような言葉を返したかだとか、どんな表情をしていたかだとか、覚えてはいなかったが、干した渋柿を渡されたことだけは鮮明に覚えている。それが、渋柿とは言い難いくらいに甘くて、私はつい感嘆の句を洩らしてしまったことを記憶している。通俗な抒情より涙もろい私は、浪花節的な感涙を必死に堪えていたのではなかっただろうか。元来の感傷的な情緒は、四十になる手前の今になっても治っていない。
「あら、その手荷物はどうなさったんですか」
又もや流れ出てきそうな涙を拭って、私は背後から聴こえる妻の声に耳を傾けた。
「これは商店街の魚屋で買って来たんだ。烏賊と山椒。烏賊の山椒風焼きにすると旨いと主人は自慢げに言っていたよ。下の青紫蘇も欠かせないらしい」
「あら、確かに烏賊と山椒があったらそれを作れますね。今日のお昼ご飯にでも致しましょうか」
「いや夕飯にとっておいてくれ。酒のつまみにしたい」
妻との時間が私には此の上ない安らぎであった。私は此の御縁を心から喜悦している。私はもっと彼女を幸せにしてやりたかった。だが彼女はそれを拒むのだ。過度な幸福は不幸でしかない、と言うものだから、今、彼女の着ている裁着袴さえ繕ってやれないのだ。
「そういえば貴方宛に郵便物が一通、重苦しい雰囲気の便箋が届いておりましたよ」
「便箋、と言うのはいつもの感じか」
「どうとも言えませんが、私にはそれにしか思えません」
暗鬱な口調になっていく彼女の声。それは私にも伝染してきそうであった。だから何とか話題を切り替えようと空気を誤魔化した。
「夜にでも目を通しておくさ。今日は昼頃まで寝るとするよ。大分精神的な疲弊が私に積もってきた。どうもこれを年のせい以外の何物でもないみたいだよ。情けないね」
私が顔を火照らせて言うと、妻は笑った。それだけで良かった。
私が求めているのは、これだけだった。であるのに、私は何故、今も尚、このように安楽死という仕事を続けているのか、自分でも解らなかった。
妻は縁側に置いていた洗濯物を物干竿に干し始める。彼女の労働の上で、私は少し邪魔な存在になったから、縁側へと歩み、そこに腰を下ろした。
朝日が雲の隙間を縫うように、目映い光を私に投じた。




