七
湿り気を帯びた水車が、隣で曲線を描く橋板の手摺に雫を落としている。私はそれらを手で拭うように掻き集め、手に溜まった幾らかの雫を目下の河川に払い落とすという、幼い行為を繰り返した。
麓へと続くこの谷川と周りを囲う欅の密林に滴る雫が、一昨日に降り続いた雨を見事に物語っている。私は夏の訪れを感じさせる、熟れた渓谷を見下ろして、朴歯の下駄の鼻緒を河川に浸し、濡らしてみる。これは梅雨と夏の訪問への憂鬱を冷ます、私なりの憂さ晴らしである。嗚呼、と淡い溜息を洩らして九十九折の山道を重い足取りで下った。
すると、ある山道の一端の処で欅の繁茂から抜け出した境地に行き着いた。薄らな陽光が木々を照らし、深緑の陰が水面にまざまざと映っている。川縁を沿うようにできたその道にある礫は河川から飛び散る白色の飛沫に濡らされ、仄かな涼しさを感じさせる。欅が鬱蒼と覆っていたせいで味わえなかった自然の恩恵を今更ながらに気付く私自身が、どうも情けなくて仕様がなかった。
私は河川の水を掬う。手に深々と刻まれた皺さえも凝視できるくらいに透き通っているその水を、一口だけ口にしてみた。甘い、その言葉が脳裏に鮮やかな輪郭を保持した儘に浮かんできた。それ以外の言い回しが私の頭の中に浮かんでこなかった。自分の言葉の貧しさに呆れを感じながらも、河川の潺々たる渓流を眺めていれば、呆れをも勝る感嘆が仄かに私の心を緩和させる。
だが私は人を殺めたという、罪悪感より重たい重圧が、その緩和を停止させた。
人は私を医伯と謂い慕うが、私が行う医術は治癒ではなく、安楽死である。所以、いつからか私は納棺師も兼ねていた。即ち私を医伯と謂うことは誤謬であるということだ。私には人から慕われる価値など微塵もない。世の中の廃物と謂われても致し方のない行いを坦々と繰り返している。そして襖の奥の棺で眠る彼女は、私の愚かな医術によって、まだ残り沢山ある時間に終止符を打った一人である。勿体ない、という言葉では軽率すぎるくらいの惜しさを以て、彼女は自らを安楽死によって終わらせたのだ。
「人間とは哀しい生き物だ」
私は吐き出すように言った。藹々と生い茂る欅の深緑が、響かすことをさせなかったが、私は何処かに届いて、そして此の言葉の答えを教えて貰いたかった。
彼是、私はもう何百人という安楽死を望む人を見てきている。私は既に血に染まりつつある、この真紅の眼で人を見てきた。己が揺るがないようにすべく、誓いを立てた。だが、私は頭の弱い人間だ。人間というものが全く以てわからない。呆れるほどに私は白痴で、ろくでなしな男である。
「嗚呼」
そう叫んでも無意味であるのに言う私が、やはり白痴であることを痛感した。




