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嗚呼  作者: 大庭言葉
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 鬱々たる心持ちを露骨に顕示し乍ら歩いていると、程なくして旅館が目の前にあった。本心に何処か帰ることを拒否する要素があったせいか、この道が沈痛な程に短く感じられた。人間の時間に対する感受というものが、どうも狡猾な心理の上での舞踏のように想えて、到底この時間というものとは仲良くできそうにないと確信した。

 俯きながら又もや他愛のないことを連想していると、女将が暖簾を潜って私を出迎えにきてくれた。何しに来たのかは知らないが、態々扉を開けて待っている。ぶっきら棒な感謝を添え、私は横柄な態度を剥き出しにしながら暖簾をくぐった。彼女は私が通ったことを確認し、旅館の戸を閉めた。

「どちらに行かれていたのですか」

「大したところじゃない。少し外の空気、と謂うものを吸ってみたくなっただけだ」

 一見して私が一方的に冷淡で余所余所しい返答をしているようにも見えるが、実のところはお互いさまで、木で鼻を括ったような質問に当然のお返しをしているだけである。能面のように冷血な雰囲気を醸す女将に、私の真意を預けることは自虐に等しい、若しくはそれ以上に危険なことなのかもしれない。

「大変ですね」

 私は彼女の言葉を歯牙に掛けず立ち去った。彼女は私が階段を上っていくのを見届けると再び畳の上に正座し、茶を点てはじめた。


 襖を開ける。棺に入った彼女は純白で、もう何処にもない人間性が豊かな妖艶さを醸している。私は恥ずべき欲情に唆されたが、拳に力を加えて抑制した。

 鞄から化粧の道具を取り出す。彼女の最後までを、私は委ねられているのだ。重たい責任感が私の眉間に皺を寄せた。白い布で彼女の首元を巻き、目立たぬように化粧を加えて、少し汚れたところを丁寧に拭き取る――。


「終わった……」

 数時間かけた末に彼女の納棺が終わった。とても美しい顔をしている彼女は、もう非の打ちどころがないくらいに完璧であった。私は自分の重い躰を持ち上げて、棺を部屋の真ん中へと引き摺って移した。顔のところだけ敢えて開けておき、私は着物の上に薄い上着を羽織って部屋を出た。

 それから宿の暖簾を潜り、洋服の男に「済みました」と残して私は去って行った。

 六月の濃霧の中に私は忽然と姿を消した。

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