十六
彼女への電話を済ませた。電話口の彼女の祖母、と謂う人はおいおい泣きながらも、あの宿に彼女だけを向かわせると言い切った。さぞ辛いだろうに、と想い乍らも両親は何処かと気に掛かり、少々不審の念が混じった声色になりながら、会話をし、今それを終えた。
電話を終えて、私は書斎へと足を運ぶ。妻が私を避けているようだったものだから、私はそれに従って避けられなければならない。何かに負い目を感じながら今日という日を過ごさねばならぬのか。日陰で心の芽を摘んでいるとするか、私は悄然と居間を去った。
書斎には堆く積まれた本の横に安価の酒瓶が数本並んでいて、よく私はこれを飲んで気を紛らしている。酔い痴れたい。そのような気持が込み上げてきた。何故私はいつもいつも若い女を殺めることに、此処まで苦悩させなければならないのか。
酒瓶を目にした途端、急に私の考えが悲観的なものへと化して行った。何かが胸元にこびりついているようだった。嗚呼、むさ苦しい。もう何もかも投げ捨てたい。そのような拙い欲情が私の胸裏で産声を上げた。抑制し難い之は、当然のように抑制できなかった故、私は負い目を感じ乍ら、酒瓶の蓋を開けた。
煽るように咽頭に流す。皺を帯びた咽頭は上下に動きながら、胃の中へと酒を流し込んでいく。こうして私の躰に酒が廻っていった嗚呼、微醺。高々一口二口で私の呂律も回らなくなっていった。ちょっと胃が潤いすぎてきた、そう想って煽る手を止めれば躰の底が枯渇し始めて、刹那の静止さえ許そうとはしなかった。揺り椅子が過度に揺れる。私の腐った身体が、もう無意識の内に動き続けているのだろう。私は椅子から立ち上がった。そのときに丁度見えた窓の外には買い物籠を手にした妻が、何処かへと行くのが見えた。好都合。この鬱々と曇った心をどうも妻が邪魔していたところだ。私は大声で自嘲した。罵詈雑言を並べれば増してゆく快感。嗚呼、快楽。御覧になればいい、此の涯のない大空の中で浮かぶ私の存在、そして私の手で死んだ人間等の存在。見えない。全く見えない。何処にあるのだ、私と彼等の存在、そしてその価値という塵埃は。見えないだろう。要するに全く価値がない訳だ。であるならば若かろうと、老いていようと、浮世を俯瞰すれば無価値なものが消えるだけの些細な噺でしかない。それに苦悩する必要はあるだろうか。簡単だ、全く無い。そう、皆無であるのだ。
私はまた酒を口にした。自分の全てが惨憺たる姿と化すまで、永遠に――。
酔いが醒める頃は既に妻も帰ってきたが、私のこの顰蹙を買われかねない醜態を見ていないから、時折、鼻歌を交えて夕食を作っていた。昼頃の記憶は無い。その頃に妻がいたかとか、私が昼飯を食べていたかだとか、私の頭は其れ等を純然と忘却していたのだ。
襖を叩く音が聴こえた。私の無愛想な返事に重なるように襖が開き、妻が襖の間から顔を出して出し抜けに言った。
「夕飯は食べますか」
「いや、遠慮しとくよ」
妻は何故それを訊いてきたのか。有り難かったが、いつもならばこのようなことを訊いてくるはずがない。普通に夕食と言うものは食べるものであるのだから。私は一体、何を言ってどのようなことをしていたのか。ろくでなしな自分への呆れは尋常ではなかった。




