十四
鶏鳴が響く前に目を覚まして、階下へと足を運んだ。居間を通って行こうと想ったが、余りに早い起床に憚られそうだった所以、気付かれぬよう縁側に降りることとした。外の蛇口を捻って、手一杯に汲んだ水をくいと飲乾す。靄のせいか、地理的なせいか、朝の湿り気は少し度が過ぎているように想える。肌寒さに自然と胴震いした。
裏口に息を殺して忍ぶ。其処には大きな鶏舎があって、今にも鳴きださんばかりの風を醸している。いつもなら鶏の世話も妻がするのだが、何せ昨晩は眠れなかったせいで朝の目覚めが早い分、何もすることがない。今日だけは私が――。縁側に置いてある鶏の餌を取って、小屋に投げた。鶏がそれを即座に食べる。その屈んだ瞬間に卵が鶏の尻元にあることに気付いた。丁度私がその卵に手を伸ばそうとしていたときであった。
「起きていらしゃったのですか」
妻が静謐な口調で私の背後から声を掛けてきた。私は小屋に伸ばしていた手をさっと引いて、素知らぬ顔で彼女を向いた。
「昨晩は少し眠れなかったんだ」
そう言えば妻は当然のように訝りの色を浮かべて、私の目の奥を見据えてくる。私の言葉に一切の嘘はないのだが、押し負けてつい俯いてしまった。刹那に私の目に飛び込んできた蕗や蕨に薇の山菜。私は苦しい形勢を立て直すべく、全く話題の違う質問をした。
「朝飯の味噌汁はそれかい」
すると彼女は戸惑いの顔を浮かべながらも、肯定して、私の横を通って卵を取って去って行った。妻が縁側を上って勝手元へと姿を消していく。それを捉えた私の目が脳に伝達し終えたとき、俄かに安堵が私を襲い、急に眠気が視界を霞ませてきた。もう一眠りでもしようか、そう想い乍ら階段を上った。
私の背を見た鶏が何かを悟ったかのように、一斉に鳴きだした。鼓膜を劈くような高いその囀りは憂鬱を覚えさせ、煩わしそうな面持ちを鶏に向けた。すると、鶏の上に丁度、朝日が昇り始めたのである。日昇の福音か、頬は次第に緩み、私はゆらゆらとした足取りで軋む階段をゆっくりと上って行った。
鶏は止め処なく鳴いた。今朝だけはそれが五月蠅いとは感じなかった。




