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嗚呼  作者: 大庭言葉
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 葉を滴る雫に月影が射し込む。

 入梅の冷風と軋む音を伴いながら、障子を開ける。それは、背から漂う湯気の匂いを掻き消したい、と謂う衝動に駆られた、私の必死の抵抗であった。躰に纏い付く湿り気が、緩んだ面持ちを物憂げなものにさせ、その虚ろな顔が靄へと反映する。無意識の中で口から毀れた嘆息は窮屈な湯殿に不必要に響き渡り、それと重なるように背後からする足音が止まった。一抹の不安が胸中を過ぎった。

「すみません。注意の届かない者でして。湯槽のお湯を抜いてきます」

 背後から共鳴するその声は、私の頭の中を執拗に木霊した。鼓膜を震わせたその麗しき悲しい声は、無防備な私に吃驚を与えた。些かの困惑が私の頭の内をしつこく渦巻いていたが、その中で可能な限りの平静と温順を装って愚直に媚びる態度を示した。

「気にしないでください。元来、人の気を悪くする性悪の男なもので、往々にして誤解を招くことがあるのです」

 と、私は障子の戸を引きながら、繕ったような微笑みを浮かべて言った。私にしては上々な演技であった。

「面白い御方なのですね。安心しました」

 彼女の澄み渡る声。だが私にはそれが本心でないことを知っていたから、俯く他に何もできなかった。脳裏に浮かび上がる二の句さえ、咽頭で詰まった揚句に、虚無となって消えてしまう。幼子のように、ただただ顔を火照らせて床の板の目を見詰めるばかり。か弱い男である、という自覚を抱えて、私は足元の座布団に腰を下ろした。嗚呼、何とも情けないことであろうか。そう想っている最中、彼女も私が座ったことを確認した上で、畳の上に腰を下ろした。折り目正しく膝を折って、彼女は背に垂れた長い髪を簡単に結った。その様は仄かに私の心にゆとりを恵んだ。

「座布団は使われないのですか」

 余所余所しい口調で、他人行儀な気遣いを口にした。照れ隠しに私は、卓袱台の渋茶を一口啜り顔を隠す。

「私には必要ありません」

 股に手を重ねて、彼女は濡れた髪を肩に束ねた。私は彼女の即座の拒否に少し困惑を覚え、言葉に詰まってしまった。焦慮に満つ表情をひた隠しにしようと、幾度の相槌を重ねて誤魔化そうと試みた。

「お気遣いを一蹴して申し訳ありません。ただ、私のような愚劣な人間が、貴方のような高貴な御方と同じ物の上に座ることほど無礼なことは他にないでしょう。だから、私はこの座布団に座ることはできないのです。況して、同じ畳の上に座ることさえ無礼講のようなことですから」

 彼女の罪も罰も背負った物腰が、無駄に慌てふためいていた私の心を澄み渡すように静かにさせた。

「そう仰らずに。私には寧ろ貴方の立ち振る舞いが慇懃講のように見えてなりません。真摯に人の考えを読んで、機転をきかせた態度で私に寄ってくる。素晴らしい女性だと私は思いますが」

 と吐き出すように言い乍ら、手にしていた渋茶の湯飲を卓上にそっと置いた。急に私の語調が強くなったせいか、彼女は俯いたまま、中々視線を上げない。私は二の句を続けようとしたが、躊躇った末に、止めた。彼女の顔が恐怖と悲哀を示しているように見えたものだから。

 彼女の表情を寂寥感と纏めるには些か気が引ける、そこにはそれくらい形容し難い抒情が埋め込まれていた。上辺だけを窺えば頻りに口角を上げて、紅を帯びた眦を細め、顔を綻ばせている所以、嬉々とした風に解釈できるが、折々彼女の眉が描く山に、輪廻を解脱して涅槃の悟りを嗜んだかのような淡い瞳の潤みが、私の言葉を咽喉の底で詰まらせた。彼女は私に一体何を求めているのか。その答えこそが、私の苦悩の日射しとなることは知っている。だから私は当然の如く一度、否、再三再四、それに興味を示した。しかし追々、それを知ることで感じるであろう恐怖に畏怖し、口が裂けてもそれを伺うことなどできない、と自分の中で深い決心が生まれてしまっていた。

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