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第6章 脱出と生存者

※2011年7月10日 誤字脱字修正しました。

 美樹が香奈と一緒のベッドで寝ると言い、二階に向かってから数時間後、厚志は一階のソファに寝転がっていた。

 時刻は日を跨ぎ、すでに四時を回っている。初めての感染者が何時出たのか分からないが、地獄が始まって一日が経とうとしていた。

 何とか一日生き延びた事に安堵し、同時にこの地獄が始まって以来初めての一人の時間を過ごしていた。

「ヤスは無事なのか……」

 ゾンビ映画が大好きな友人の事を思い出しながらため息を吐く。一人になり、今まで考えなかった―――考えようとしなかった友人達の安否が気になり始めた。電話は通信会社が潰れたらしく、そもそも繋がらない。人がいなくてもある程度は動くと思うが、すぐにエラーなど対処しなくてはいけない事項が発生し、止まってしまう。こんな状況では誰も彼もが家族や友人の安否を確認するために電話やメールをするはずである。そのため、通信はすぐにパンクし、対処する人間がいないため使えなくなってしまう。

 事実、美樹達が寝た後この家にある電話を使ってみたが、うんともすんとも言わなかった。どうにか寮か駐屯地に連絡が取れれば助けには来てもらえなくとも安全かどうかは確認できる。

「やっぱり自力しかないか……」

 少し期待していた分落胆も大きい。

 ため息混じりに立ち上がると厚志はまだ出る水をコップに注ぎ、一気に飲み干す。

 眠るわけにはいかなかった。厚志には見張りという大事な任務がある。

 万が一門が耐え切れなくなり、感染者が庭に入って来ては逃げられなくなる。無論、その時のために隣の家にかけるための梯子を用意してはいるが、それでも安心は出来ない。

 天戸を締め切って内側から多少なり補強はしているが、数十人の体重を支えられるわけが無い。

「さて、どうするかね」

 厚志は暇を持て余していた。日が昇り次第出られるように、すでに日持ちする食料や水、武器などは揃えている。もちろん美樹達の物は軽めにしてある。

 さすがに何も無しで出て行き、もし寮が感染者に襲われ、安全でなかった際は目も当てられない。備えあれば憂い無しというわけだ。

「しかし、減らないな」

 二階の出窓に向かい下を見る。今だ門前には数十人の感染者が蠢き、開くのを今か今かと待っているバーゲン時によく見る開店前のデパート入口のような状態だった。

 ずっと見ていても気が滅入るため、窓から離れ美樹達が寝ている部屋を見る。完全に締め切るのは恐ろしいのかドアは開いていた。

(無防備にもほどがあるだろ……)

 苦笑しながら中を覗くと美樹と香奈が抱き合うようにして寝ていた。美樹のほどよく豊満な胸に顔を埋めて香奈が安らかな寝息を立てている。

 少し羨ましく思いつつも下手に目を覚まされても面倒なので居間に戻った。

 再びソファに寝転がり、天井を眺める。

 何となくここにいると思い出してしまう。今まで幾度となく再生されてきた記憶。薄れないように、忘れないように何度も何度も思い出した思い出。

「…………未果」

 彼女の名前を呟きながら、厚志の意識は暗い闇に落ちていった。


◆ ◆ ◆


「ねぇ、厚志さん」

「んー?」

 ソファに寝転がり、ハードカバーの小説を読んでいた厚志は、名前を呼ばれ生返事を返す。

「私の事、好き?」

「ぶっ!? な、何だよいきなり」

「んー、ちょっと気になって」

 小説を退けると、厚志の視界にからかうような笑みを浮かべた可愛らしい顔があった。

 篠部未果。厚志の彼女であり、看護学校に通う看護師を目指す女性。

 二十歳とは思えない幼い容姿に茶の長い髪、少しつり目な同色の瞳が可愛い。背は低く、厚志の胸辺りまでしかない。そのため、今だに中学生に間違われたりする。未果はそれが嫌らしいが、厚志には愛しい一面でしかなかった。

(顔に見合ったスレンダーな身体がまたいいんだよな)

「今失礼な事考えたでしょ」

「ほ、ほんなほほないほ」

 いきなり鼻を摘まれ、否定の言葉が変な声になってしまう。

「本当ー?」

「ほんほ、ほんほ」

「よし、なら聞かないでおいてあげる」

 そう言いながら快活な笑みを浮かべる未果に見惚れる。

 厚志と未果の出会いは何でもない、ただ女友達と遊んでいた際にたまたま街で出会っただけだった。女友達に高校時代の友人と紹介され、その時はそれでおしまいだった。

 だが、以来他の友人などと遊んでいる際にばったり出会う事があり、やがて未果の方からお誘いがあったのだ。未果の事が気になり始めていた厚志は二つ返事で了承し、デートを重ねて今に至るというわけである。

「で、結局私の事好きなの?」

「な、何でいきなりそんな事聞くんだ?」

「質問を質問で返さないの。ま、女は改めて確認したい時もあるって事よ」

「何だそれ……」

 厚志は呆れながら、うりうりと頬を突いてくる未果に苦笑した。

 最初は清楚なお嬢様のようだったが、今の印象は違う。歳相応―――下手をすればかなり年下にすら思える未果の行動や言動。厚志はそんなある種破天荒な振る舞いに惚れ直していた。

「で、どうなの?」

「…………す、好きだよ」

「ふふ、ありがと。私も厚志さんのこと大好き!」

「……っ!」

 突然未果の顔が視界一杯に広がったかと思うと、厚志の唇に柔らかな感触が当たった。

「厚志さん……」

「な、何だよ」

 厚志は照れと嬉しさで頬が赤くなるのを感じながら、努めて毅然と返事した。

「これからもずっと…………しょ…………よ」

「!? 未果!?」

 未果の身体が、二人の部屋が突如としてブレた。

 慌てて起き上がるが、すでに彼女の身体は幽霊になったかのように透けていた。

「未果!!」

 手を伸ばすが、届かない。空を切った手をそのままに、厚志の視界は闇に包まれていった。


◆ ◆ ◆


「…………さん………しさん! 厚志さん!!」

 誰かが呼んでいる。

 ゆっくりと目を開けると、視界が大きく揺れていた。

 訳が分からず何とか状況を確認すると、誰かが厚志の身体を揺さ振っていた。

「厚志さん、早く起きて!!」

「―――!? 未果!!」

 揺さ振っていた誰かの顔を見た瞬間、厚志は抱きしめていた。

「はぇっ!? ちょ、ちょっと、厚志さん!?」

「未果、よかった。無事だったんだ……な?」

「何寝ぼけてんのよ! 私は美樹よ!!」

 抱き心地の違いに首を傾げていると、抱きしめた相手はするりと腕から抜け出した。

目の前に立っていたのは不満げな未果―――ではなく、美樹だった。美樹はいつの間に着替えたのかTシャツにミニスカート、さらにはニーソックスという動き易そうなものになっていた。

「あれ? 美樹?」

「『あれ? 美樹?』じゃないわよ! 早く支度しないとまずいの!!」

「……何がまずいんだ?」

 まだ少し寝ぼけている厚志は頭を掻きながら欠伸をした。

「だから、もう門が破られそうなのよ! 急いで離れないと奴らが入って来ちゃうの!」

「…………何だと!?」

 たっぷり数秒停止し、ようやく理解できた厚志は慌てて起き上がった。ソファにかけていたシャツを引っつかみ羽織る。

 二階の出窓から確認すると、確かに門の留め具が歪み、今にも壊れそうな状態だった。急いで一階に戻り、支度を始める。

「すまん、俺が寝てしまったから」

「今はそれよりも逃げる事が先でしょ」

「……そうだな」

 美樹に内心感謝しつつ、台所の方から何かゴトゴト音がするので、視線を向けると、香奈が前日厚志がまとめておいた荷物を背負っている途中だった。

 香奈も着替えたらしく、清楚な白いワンピースに薄いカーディガンを羽織っている。今から逃げるというのにどこかの避暑地に涼みに来たお嬢様のような服装だった。だが、今更着替えろとも言えず、放置するしかない。

「とりあえず隣の家に移ろう、後はぶっつけ本番だがやってみる」

「う、うん!」

「はい、お願いします」

 美樹と香奈が返事し、荷物を背負ったのを確認すると厚志は自らも荷物を背負う。

 もちろんバットも忘れてはいない。美樹達には気休め程度だが果物ナイフを持たせておいた。包丁よりは使い勝手がいいからだ。ただ、本当に気休めにしかならない可能性は高かった。

 美樹はまだ戦えるかもしれないが、香奈はまず戦えないだろう。もし襲われれば厚志自身が犠牲になってでも助けにいかなければならなくなるはずだ。

(何がなんでもこの二人は生き残らせる……)

 そんな決意をしながら、二階の香奈の部屋に向かい、内側に建て付けられた板を外していく。あらかじめ部屋に置いておいた梯子を持ち屋根の上に出る。靴でも滑る上、重量も増しているので慎重に移動していく。

 厚志、香奈、美樹の順で屋根を歩く。

 脱出経路は厚志達が香奈の家に入る際に侵入した隣の家ではなく、裏側にある家だった。

 無論、隣の家ほど屋根は近くはなく、飛び移る事は出来ない。そこで梯子の出番だった。梯子を屋根から塀に向かって架け、とにかく奴らがなるべくいない経路を伝っていくつもりだった。

 距離は二メートル程度。普通に歩けば数歩程度の距離である。

 厚志が梯子を架け、押さえる。先ずいざとなれば戦える美樹が梯子を移動する。風で美樹のミニスカートがはためいた。ちらりと中身が見えたが短パンを履いているのが見えた。

(ま、当たり前か)

 厚志は少し残念に思いつつも、美樹が到着したのを確認すると、厚志は香奈に振り向いた。

「さ、次は香奈ちゃんだ」

「は、はい!」

 ガチガチに緊張しているのかありありと分かるほど声は裏返っていた。

「……香奈ちゃん、大丈夫だ。俺が命に代えても押さえてるから、絶対に落ちたりしない」

「…………分かりました。い、行きます」

 香奈が四つん這いになり、ゆっくりゆっくりと渡っていく。たった二メートル程度にもかかわらず、香奈の歩みは遅々として進まない。

 その時、大きな音が響いた。どうやら門が限界を迎えたらしい。しばらくすると、呻き声と引きずるような音と共に感染者が家の影から現れた。

「ひぃっ!?」

 血だらけの感染者を見て香奈が身を固くする。そのまま梯子の中頃で止まってしまった。

「何かあったの!?」

「…………何でもない! 美樹はとりあえず安全を確保してくれ!!」

 塀に遮られているため、音しか情報源がない美樹が尋ねてきた。厚志はしばし悩んだが、彼女を危険にさらすわけにはいないため離れさせるための言葉を発した。

 美樹の分かった、という答えを聞きながら厚志は迫り来る感染者を見た。

 感染者達の手は、目算だがギリギリ梯子には届かない。だが、服などを掴まれれば即座にあの異常な力をもって引きずり落とされるだろう。

 感染者はもうすぐそこまで来ていた。もはや一刻の猶予も無い。

「香奈ちゃん!」

「と、藤堂さん…………わ、私……怖くて動けません……」

 香奈は震えながら、何とか顔を厚志に向けた。すでに恐怖から涙を流し、本人は何とか体を動かそうとしているようだが、その意志に反するように彼女の身体はぴくりともしない。

「…………分かった。香奈ちゃん、今から言う事に従って」

「は、はい」

「じゃあ、先ずリュックサックを捨てて」

「え? で、でも……」

 厚志は、渋る香奈を諭すように努めて優しい声で話す。

「いいんだ、今はここから助かる事が先決だ。食糧は後からどうとでもなるから」

「…………はい。ごめんなさい」

 もはや感染者は梯子の真下までたどり着き、皆一様に救いを求めるかのように香奈を掴まんと手を伸ばしている。

 香奈はなるべく下を見ないようにしつつ、リュックサックを外し放り投げた。

 壁に辺り、ガシャンと音が鳴る。すると近くにいた感染者が一斉にリュックサックに群がっていく。

 これで貴重な食糧が失われた。

 香奈には大丈夫と言ったが、実際は食糧を得るのは難しいだろう。

 人は食べ物無しには生きられない。故に、まず食糧の確保を第一に考える。ならば、コンビニやスーパーは例に漏れず、個人商店なども狙われるだろう。まず間違いなく食糧は得られない。厚志自身こんな事態になったらそうするからだ。

 だが、同時に一つの情報を得られた。

 感染者が聴覚を頼りにしていることだ。特に何かを区別しているのではなく、音に反応しているらしい。事実香奈のリュックサックが当たった音にすら反応していた。目の前に香奈がいるにも関わらずだ。ただ、香奈や厚志の近くにいる感染者達に反応が無いため、厚志の予想通り嗅覚でも判断しているのだろう。

 音に対する一時的なものらしく、先程リュックサックに群がっていた感染者達はすでに香奈に手を他の感染者達の輪に入っていた。

 厚志は自らも背負っていたリュックサックを外し、屋根に置く。梯子を渡ってから出すつもりだったバットをリュックサックから抜き、刀のようにベルトに差し込んだ。準備を整えると、厚志はリュックサックを持ち、音が立つように思いきり―――屋根の下に向けて投げた。

 香奈達の物より重かったリュックサックは、派手な音を立てて窓ガラスを割る。同時に音に反応した感染者達が家に入っていく。

 雀の涙ほどだが感染者が減ったのを確認すると、厚志は梯子を渡り始めた。

「と、藤堂さん!?」

 押さえが無くなりグラグラと梯子が揺れ始めたため、香奈が声を上げる。厚志は人差し指を唇に当て、静かにするように示す。

 香奈は口を紡ぐがそれでもいつ落ちか分からない恐怖から泣き出していた。

 厚志は何とか宥めたいとは思ったが、今は一刻の猶予も無い。

 二人の体重に梯子が弛み、届かなかった感染者達の手が少し触れ始めていた。

(…………くそ、行くしかないか!)

 厚志は意を決し、走った。

「きゃあ!? と、藤堂さん!?」

 香奈の元まで走ると、厚志はさらに揺れる梯子から落ちまいとしがみつく彼女を抱き上げ―――ようとした。

「香奈ちゃん、手を離して!」

「む、無理です……無理ですよぉ!!」

「…………ゆっくり、ゆっくりでいいから一本ずつ外していくんだ」

 厚志は不安定な梯子の上で何とかバランスを保ちながら香奈の手に自らの手を添えた。

「香奈ちゃん、君は強い子だ。俺も手伝うからゆっくり外していこう」

 二人が一カ所に固まったため、梯子がさらに弛み、すでに何度か厚志の靴に触られた感触があった。ゆっくりなど出来る状況ではなかったが、下手に焦ってはさらに時間がかかってしまう。厚志は内心焦りつつ、なるべく表に出さないようにして優しく話しかけた。

 香奈がゆっくり頷くのを見ると、厚志は香奈の指をゆっくりと梯子から外していく。彼女はやはり強い子だった。数本ほどで両手を離し、厚志に抱き付いた。

 時間がかからなくてよかったが、危うくバランスを崩しかける。何とか体制を立て直すと、香奈を抱き抱え梯子を渡っていく。

 気味の悪い呻き声と鼻を突く腐敗臭に顔を歪める。それでも自衛官として身体を鍛えていたため香奈の体重にふらつく事もなく何とか梯子を進んでいく。

「あと少―――っ!?」

 あと数歩で美樹の待つ裏の家にたどり着く、という所でそれは起きた。

 梯子がグラリと揺れ、水平から垂直に傾いていく。

 どうやら背の高い感染者がいたらしく、たまたま弛んだ部分を掴んだらしい。あとはリミッターの外れた怪力で掴んだものを引き寄せようとしていた。

「くそ! 間に合え!!」

 咄嗟に傾いていく梯子から飛ぶ。

 香奈を下敷きにしないように抱きしめ、横に転がりながら着地した。

「何とかいけたか」

「う、うぅ…………」

 突然の展開に少し目を回している香奈を見て厚志は安心した。

 そのまま立ち上がろうと顔を上げた。

 すると―――

「―――っ!?」

 目の前に感染者がいた。

 厚志から数十センチの場所に口を開けた感染者がいた。香奈の家に集まった感染者達が出す音や腐敗臭で気付けなかった。何とかバットを抜こうとしたが、ベルトに引っ掛かって抜けない。

「いやぁぁぁ!」

「くそ!」

 咄嗟に香奈を庇うように抱きしめる。

(くそ、ここで終わりなのか!?)

 香織との約束も果たせず、不様に死に行く姿が頭を過ぎる。香奈だけでも噛まれないようにするため、厚志は目を(つむ)り、強く強く抱きしめた。

「…………?」

 だが、いくら待っても痛みは訪れなかった。ただ感染者の呻き声と壁を叩く音が聞こえるだけである。

「…………で、いつまで抱き合ってるのかな?」

「……へ?」

 目を開け、暗かった視界に入ってきたのは、腰に手を当てて青筋を浮かべた美樹だった。

「はいはい、離れて離れて!」

「うおっ!?」

 美紀が厚志が抱きしめている――というより抱き合っている――香奈との間に割り込む。

 引き剥がされるようにして離れたため、たたらを踏んでしまう。

「み、美樹ちゃぁぁぁぁぁぁん!」

 香奈が美樹を認識して涙を流して抱き着いた。ただでさえ恐怖を感じていた所にさらに死の恐怖を感じたためか、彼女の身体はガタガタと震えていた。

「はいはい、美樹ちゃんだよー」

 背中を撫でながら香奈をあやす美樹を見て厚志はホッと息を吐いた。

 つい先程厚志達を襲わんとしていた感染者は地面に倒れていた。その後頭部には美樹に渡したはずの果物ナイフが刺さっていた。

 また美樹に助けられたらしい。厚志はまたいじられるのが確定し、軽くため息を吐いた。

「美樹、ありがとう」

「ほんとびっくりしたよ、偵察から戻って来たら襲われてるんだもん」

 そうあっけらかんとした感じで言いながら笑う美樹の手は震えていた。

 厚志は今更ながらに美樹もまた香奈と同じ高校生なのだという事を思い出した。彼女もまた怖かったのだ。

 いくら見た目感染者がいないといってもいきなり家の中から現れる可能性もある。そんな場所で一人で偵察させていたのだ。

 厚志は美樹のふとした時に出る大人びた態度から頼りにしてしまった自分を恥じた。美樹はあくまで一般人なのだ。国のために死ぬ覚悟でいる自衛官とは全く違う。自衛官である厚志でさえ気を張っていなければ潰れそうな、異常な事態に対応できるはずが無いのだ。

 申し訳ない気持ちで一杯になり、美樹の頭を撫でた。

「あ、厚志さん……?」

「すまない、美樹も普通の高校生だったんだよな」

「ど、どういう意味よそれ、私だってれっきとした女子高生なんだからね……」

「……そうだよな」

 厚志は苦笑しながら少し鼻声になった美樹の頭をもう一度撫でた。

「さ、グズグズしてるとまた襲われるから移動するぞ」

「うん!」

「……は、はい」

 元気よく返事する美樹とまだ少し震えながらも頷く香奈。二人が立ち上がるのを待ちつつ、厚志は感染者から果物ナイフを抜き、たまたま干してあった白いシャツをかけた。

 美樹のリュックサックを担いだ。

「あ、私が持つよ」

「いや、美樹は香奈が歩くのを手伝ってやってくれ」

「……ん、わかった」

 美樹に肩を借りて立ち上がり、申し訳なさそうな表情の香奈の頭を一撫し、厚志はバットをベルトから引き抜いた。

 バットを構えながら慎重に家の表側に向かう。

 道路には二体だが感染者がいた。厚志達に気付いたらしく、向きを変えて歩いてくる。だが、二車線の広い道路だったためすぐに襲われる心配はなかった。

「いくぞ、あまり近くに来ない限りは倒さないで行こう。体力の無駄になる」

「うん」

「……はい」

 二人が頷いたのを確認すると歩き始める。

 まずは大通りに出ない事にはどうにもならないため、家の中から感染者が出てこないか慎重に確認しつつ移動する。意外にも感染者は少なく、香奈の家の前に何故あんなに集まっていたのか疑問に思うほどさくさく進めた。

 特に何も無く、感染者もほとんどが遠くにいたため、簡単に大通りに出る事が出来た。

 厚志は立ち止まり、左右を見回す。

「えっと、郵便局に行く道はどっちだ?」

「右です。あっちのスーパー方とは逆のほうです」

「了解、いくぞ」

 何とか歩けるくらいに回復した香奈に教えられ、移動を再開する。

 大通りは片道二車線の田舎にしては大きな道で、いつもなら渋滞とまではいかないが、それなりの交通量がある。だが、今は事故車で塞がれていた。

 恐らくいきなり発生した感染者に正常な判断が出来ない者達が事故を起こし、その車に後続車が追突してさらなる事故を呼んだのだろう。かなり破損した車が多かった。そこだけがかなりの事故車で埋め尽くされているが、それ以外は乗り捨てられた車がせいぜい十台くらいあるだけだった。

 車で道が完全に見渡せるわけではないため車の陰から感染者が現れないか注意しつつ寮に向かう。

 厚志達が向かおうとしている歩道上に感染者が一体いるのだ。美樹達と同じ高校生くらいの少女だった。

「…………美樹、周りに注意しながら待っててくれ」

 美紀が頷くのを確認すると、慎重に近付いていく。足音を極力立てないようにして近付いたのだが、数メートル手前で気付いたのか、厚志に向かって手を伸ばしながら近付いて来た。

「すまんっ!!」

 バットを少女の頭に向けて振り下ろす。厚志は嫌な感触に眉をひそめたが、即座にバックステップして一度距離を取った。

 しばらく待ってみたが、少女が起き上がる様子は無かった。

「…………」

「大丈夫?」

 安全だと判断したらしい美樹が近付きながら聞いてきた。

「……大丈夫だ」

「…………そう」

 まだ心配そうにしている美樹の頭を撫でる。くすぐったそうにしている彼女を見て厚志は少しだけ心を癒された。

 リュックサックの中からハンカチを取り出し少女の顔に乗せる。これくらいしか出来ない自分にジレンマを感じつつ厚志は立ち上がった。

「さ、行く―――」

「きゃあああぁぁぁぁぁぁ!!」

「…………っ!?」

 突然悲鳴が上がった。

 急いで悲鳴が聞こえた脇道に向かう。そこは大通りから直接入れる一車線の小さな道だった。

「藤堂さんあそこ!」

 香奈の指差す方を見る。

 五人の大学生くらいの男女が三体の感染者に近寄られていた。

 どうやら事故車で退路を阻まれているらしく、一人の男ががむしゃらに土木用のスコップを振っていた。

「美樹達は待ってろ!」

 厚志は直ぐさま走りだし、一番近い感染者に近付く。

(くそっ!)

 中年らしい男の感染者の頭にバットを振り下ろす。再び手に伝わる感触に嫌悪感を覚えるが、無理矢理押さえ込み、次に近い感染者に向かう。

 振り上げる時間が惜しかったため、バットで足を薙ぎ、こかせる。そのまま倒れた主婦らしい感染者の頭を潰した。

(あと……一人!)

 振り向いて相手を確認しようとした。そこにはすでに倒れた老人の感染者と美樹が立っていた。感染者の後頭部には果物ナイフが刺さっている。さすがに引き抜くのは気が引けるのか、そのままにしていた。

「一人で行くなんて危ないよ、厚志さん」

「……そうだな、ありがとう」

 少し震えながら笑う美樹に苦笑してしまう厚志。まだ慣れたわけではないだろうが、強い子だった。

「あ、そうだ大丈夫ですか?」

「…………あ、ああ……ありがとうございました」

 男女の代表らしい先程スコップを振り回していた男が頭を下げる。男は黒髪黒目に清潔そうな服装。まさに好青年と呼ぶに相応しい青年だった。

 彼らは、好青年を含めて男が二人、女が三人だった。スコップを持っていない方の男は髪を茶に染め、いかにもチャラい感じの雰囲気を出していた。そのチャラ男に縋り付いているのが特に特徴の無い女。他の二人は、一人が眼鏡をかけた真面目そうな、中肉中背の女。もう一人は肩甲骨まで伸ばした長い髪の胸の大きな女だった。

「私は新橋康太。近くの大学に通う者です。この四人はサークル仲間です」

 スコップを持った男―――康太の話では、今までは大学近くのコンビニに隠れていたのだが、感染者の襲撃で脱出を余儀なくされた。コンビニから脱出した後、次の隠れ家を探していたら感染者に遭遇し、逃げている時に行き止まりで感染者に囲まれてしまったらしい。

「そうか、助けられてよかった。俺の名前は―――」

「おおーい、あんたらそこで何やってるんだ!」

 厚志の言葉を遮るように野太い声が上がる。

 振り返ると大通りから警官の制服を着たがたいのいい男が手を振っていた。男はそのまま手を下ろすと厚志達の方へ走ってくる。

「今この辺りでは伝染病のせいで危険区域に指定されているんだぞ。早く避難所に行くぞ」

「避難所?」

 警官の言葉に美樹が反応する。

「ああ、大通りにあるスーパーに皆避難しているんだ、君達も早く避難するんだ」

「避難所!?」「やったぁ!」

 康太達が顔を輝かせ抱き合う。だが、厚志だけは渋い顔をしていた。

「さあ、私について来てくれ」

 警官が歩き始める中、厚志は考えながら着いていく。

 普通のスーパーに高い塀や武器があるとは考えられない。確かに食料面では有利かもしれないが、防御面での不安が残る。

 武器も無しに美樹や香奈を守る事が出来るわけがない。すでにバットはさっきの戦いでかなりボコボコに歪んでいた。

 今は新しい武器が、強力な武器が必要だった。それを手に入れるためには、警官達に着いていくわけにはいかなかった。

 大通りに出て、調度反対側にあるスーパーに行くための横断歩道に差し掛かったとき、厚志は決心した。

「すみません、私はそこには行けない」

「……なんでだ?」

 警官が心底不思議そうな表情で振り返る。

「私は自衛官です。うちの寮にいけば武器がある、今の装備ではとてもじゃないが生き残れません」

「だから、立て篭もるんだろう?」

 警官は生来の性格なのか、厚志の意見を頭から否定せず聞いてくれる。だから、厚志は続ける。

「ええ、そうです。ですが、スーパーは大量の感染者に襲撃されても大丈夫なようには設計されていません」

「た、確かにそうだが食糧はどうなるんだ」

「確かにうちの寮では不安が残ります。そこは否定しません」

 厚志は嘘偽りなく答えた。確かに寮には保存食があるにはあるが、スーパーに比べたら明らかに少ない。

「……でも、俺は美樹を……この子達を守らなければならない。そう……約束しましたから」

「…………約束か。だが、君達はそれでいいのかね?」

 警官は今度は美樹達を見て言う。

「私は元々厚志さんに着いていくつもりだったし」

「私も美樹ちゃんと同じです」

 美樹達は迷わず答えると、厚志の傍に歩み寄る。

「はあ、そうか。まぁ、約束は大事だからな……私も今週末に彼女とデートの約束をしていてな、そこでプロポーズするつもりなんだ。その前にこんな事態になってしまったがね」

「わあ、素敵ですね!」

 すかさず女性陣が口々に褒めたり羨ましがったりした。警官は照れ臭そうに鼻の頭を掻いていた。

「ごほん、それは置いておいて、君達はどうするんだ? 別にスーパーに来いと強制するつもりはないぞ」

「んー私は彼に着いて行こうと思います。別に武器を取った後戻ってくるなとは言わないでしょうし」

 康太が厚志の顔色を伺いながら言う。厚志がそんなつもりはないと肯定するとスコップを担いで隣に立った。

「わ、私も新橋君に着いていく!」

 眼鏡を掛けた女が新橋につられるように手を挙げる。だが、他の三人は渋っている様子だった。

「俺は止めとくぜ、目の前に安全な場所があるんだ、わざわざ危険冒していく意味はねぇよ」

「し、信ちゃんが行かないなら私も行かない……」

 チャラ男はやる気の無い様子で答えた。特徴の無い女もそれに続く。

 どうやら二人は付き合っているのか、特徴の無い女はずっとチャラ男の腕に縋り付くようにして寄り添っていた。ただ、チャラ男の方はチラチラと美樹の胸やミニスカートから出た足を見ていた。

「…………私も、トロいからスーパーに行くわ。どうせ康太は戻って来るんでしょ?」

「ああ、幼なじみの奈穂を置いて行くわけにはいかないからな」

 髪の長い女―――奈穂はどこか気怠い雰囲気を醸し出しながら康太に視線を向ける。康太はもちろんだ、といわんばかりに頷きながら答えた。その後ろで複雑な表情で二人を見る眼鏡をかけた女がいた。

(……んー複雑そうだな)

 厚志は苦笑しつつ、こんな状況でも普通にしていられる彼らを見て少し安堵した。

 そして、厚志達は寮に行く組とスーパーに行く組に分かれた。

「……それじゃ、ご武運を」

「あんたらもな、正直言うと仕事上は行かせたくはないんだがな」

 苦笑しながら握手を交わす厚志と警官。

「そうだ、自己紹介がまだだったな。私の名前は―――」

 その時、突然遠くの方から爆音が聞こえてきた。

「おいおいマジかよ!?」

「な、何でこっちに向かってきてんのよ!!」

 大学生達が叫ぶ。

 爆音の正体は車を巻き込みながら厚志達に走ってくる大型トラックだった。

「とにかく避けろ!!」

 厚志は叫び、その場から離れる。

「何だってん―――うわっ!?」

 警官の声が聞こえ振り返る。

 すると警官が足を感染者に掴まれ、動けなくなっていた。今はなんとか噛み付かれないように腰にかけていた警棒を噛ませていた。

「くそ! こんな時に!!」

 厚志が駆け寄り、感染者にバットを振り下ろす。

 だが―――

「うそだろ!?」

 感染者の頭に当たったバットが曲がってしまった。かなり固い音がしたため恐らく手術か何かで金属プレートが入っていたのかもしれない。

 まともに振れなくなったバットを捨てる。もはや警棒もほとんど噛み砕かれ、意味を成していない。

「どけ! どけよ!!」

「君、もういい! 早く逃げないと君まで巻き添えを喰らうぞ!!」

「んな事出来るか!!」

「いいか―――うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 ついに警棒が完全に噛み砕かれ、警官は足に噛み付かれてしまった。

「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」

 厚志は警官に噛み付いた感染者の頭を持ち、思いきり捻った。ゴキリ、と嫌な音が響き感染者が首を有り得ない方向に回したまま動かなくなる。

「くそ! くそ!!」

「噛まれてしまったな…………私はもう助からない。行け!!」

「で、でも……」

「いいから行け! 君には守るものがあるんだろう!!」

「…………っ!?」

 厚志は拳を握り締め、立ち上がる。

「厚志さん!!」

「……えっ!?」

 声に振り向くと美樹が駆けて来ていた。彼女の後ろでは香奈が口に手を当てて泣きそうな表情を浮かべていた。

 意味が分からないまま厚志は横を向く。そこには先程爆音を上げていた大型トラックがもう目前に迫っていた。

「厚志さん!!」

 ドン、と身体を押された。そのまま道に背中をしたたかに打ち付ける。

 直後、トラックが厚志の目の前に突っ込んだ。

 今のは明らかに美樹の声だった。つまり、厚志を押した美樹がいたのはトラックが突っ込んだ位置という事になる。

「…………み、美樹ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

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