第19話 脱出と後悔
厚志は未だに迷っていた。
というのも、赤石達はここが安全だからという事で寮に残ると言っていたからだ。確かに寮には武器もシェルターもあり、また一年近くは寮生が過ごせるだけの食料もある。それだけ見れば安全で篭城に向いているように見えるが、それはあくまでも周りを囲む高い塀があり感染者が敷地内に侵入していない場合である。
今や塀は破壊され、感染者は敷地内に相当数入り込んでいる。寮の窓やドア等はリミッターの無くなった彼等の力を持ってすればすぐに破られてしまうだろう。
もちろん早々にシェルターに逃げ込めば大丈夫だろうが、いかんせんシェルターのドアは閉まるまで時間がかかってしまう。しかも、シェルタは地下にあるため必ず感染者達の傍を通らなければならない。
いくら向こうに二名の自衛官と人数で割って分けた武器があるとは言っても、相手は頭を潰さない限り動き続ける感染者達だ。犠牲が出ないわけがなかった。
だからこそ厚志は身を危険に曝しながら状況を伝えに行ったのだ。
だが、赤石達は頑として寮は安全だ、と言い厚志の言葉には耳を貸さなかった。三階の窓から顔を出していたため塀が破壊されて、感染者達が大量に敷地内に入って来ているのは見えていたはずだ。
(くそ、俺はただ人を助けたいだけなのに……何でこうなるんだ!)
厚志は胸中で悪態を吐きながら、殿りを勤める。
まず多田が塀の向こうの安全確認を行い、合図を受け取った美樹と香奈、大森が続く。大森は現在非難して来た者達の唯一の生き残り、奈々子を抱いているため戦う事が出来ない。そのため、美樹と香奈に守られる幼女を抱いている熊のような大男というシュールな光景になっていた。
そんな四人の後ろに拳銃を持って辺りを忙しく警戒する大輔。そして、殿に厚志が迫る感染者達を警戒していた。
「藤堂、もう大丈夫だ!」
「…………」
厚志は多田の声が耳に入っていなかった。警戒事態は訓練によって身体が覚えていたためある程度無意識でも出来ていたが、声までは無意識で認識する事が出来なかった。無論普段なら無意識でも聞く事が出来ただろうが、今厚志は赤石達の事に気を取られていたため気付く事が出来なかった。
その時、A棟から銃声と共に悲鳴が聞こえてきた。咄嗟に厚志は走り出そうとする。
「っ!? 藤堂さん危ない!」
「…………えっ?」
ぐいっと身体を引かれ、たたらを踏む。何とかこける事を阻止した厚志の耳に、銃声が聞こえてきた。かなり至近距離だったため少し耳が痛む。
「何してるんですか! 死にたいんですか!?」
声の主は大介だった。彼を挟んだ向こう側には感染者が一体倒れていた。
拳銃をを構えたまま大介は険しい表情で厚志を見た。
「早くしてください、もうあの人達は置いていくんでしょう!!」
「だ、だが……っ」
「今ぐずぐずしてたらあんたの仲間が死ぬかもしれないんだよ! もう目の前で知り合いが死ぬのは嫌なんだよ!!」
厚志の煮え切らない態度に苛立ちがピークに達したのか、大介が胸倉を掴んで怒鳴った。もはや敬語などなく、ただ思いをぶつけられる。
今さらながら厚志は自分の行動で今まさに美樹達が危険に曝されている事に気付いた。
赤石達を救うために美樹達を危険に曝す。本末転倒とはまさにこの事だった。
今厚志が助けに云った所で何が出来るわけではない。赤石達は自ら残る事を選択し、その選択故に戦っている。自業自得である以上、仕方がない事だった。だが、心のどこかで納得できないのも確かだった。
「藤堂さん、早く!!」
「あ、ああ……すまない……」
まだ納得しきれない厚志の足は必然的に遅くなる。業を煮やしたのか、先に歩き出していた大介が戻って来た。
「藤堂さん、何してるんですか!?」
「…………すま―――っ!? 危ないっ!!」
大介の真後ろに今まさに襲いかからんとする感染者が見えた。厚志は咄嗟に大介を横に押し飛ばし、感染者の頭に八九式の銃底を叩き込んだ。鈍い音と嫌な感触が手に伝わる。
他に近付いている感染者がいないか確認しておく。とりあえずすぐには襲われるような距離に感染者がいない事を確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。
「ぐぅっ!? は、離せ!!」
大介の緊迫した声に反応して、彼がいるはずの方向に顔を向けた。
そこには、先程呆けていた厚志を助けた際に倒したはずの感染者に腕を噛まれている大介の姿があった。
恐らく位置が悪かったのだろう。額に穴は空いているものの、後頭部に損害は見られない。
ごく稀にだが、頭蓋骨で銃弾が止められる事がある。もちろん例え拳銃用の口径の小さい弾とは言え、至近距離から撃たれた場合そんな事になる確率は限りなく低い。しかし、今回は最悪な方向で奇跡的に頭蓋骨が弾を止めたらしい。
「う、うぁぁぁぁぁぁ!!」
厚志は頭が真っ白になり、ただ大介から感染者を引き剥がすために銃底を頭に叩き込む。噛まれたままだったため大介が痛みに呻くが、厚志はただ引き剥がす事しか考えていなかった。
数度銃底を叩き込むと、感染者は動かなくなった。同時に顎から力が抜けたため生々しい音と共に感染者が腕から外れた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
「…………藤堂さん、ありがとうございます」
「…………っ」
大介の落ち着き払った声に厚志の頭は一気に冷静さを取り戻した。次の瞬間、大介が噛まれたという事実を再認識して、愕然とした。
「あ、ああ……俺……俺のせいで…………っ」
「……違います。俺が倒し切れてなかったのが悪いんです。藤堂さんは悪くありません」
「でも、俺が君を飛ばしたせいで!!」
厚志は感染者が寄ってくる事など構わず叫んだ。
さらに叫ぼうとした厚志を大介は静かに手で制した。
「厚志さん、今はそんな事言っている場合ではないです。早く多田さん達の所へ行ってください」
「君を置いていけない!」
「俺は既に噛まれています。噛まれた者がどうなるかは何度も見てきたんですから知っているでしょう?」
厚志は大介の言葉に黙り込んだ。
今も厚志達の背後には感染者達が迫って来ている。それも数体や数十体ではなく、百を超える感染者が迫っていた。
感染者に噛まれれば、待っているのは彼等に仲間入りして知り合いや友人に襲い掛かる道しかない。治療薬などという縋り付ける物はなく、ただ感染者になるのを待っているか、頭を破壊して死ぬしかない。
もしくは―――
「厚志さん、手榴弾をありったけ下さい」
「……駄目だ」
「俺を連れて行ってどうするんですか? いずれあいつらと同じになって藤堂さんを襲いますよ」
迫り来る感染者を指差して自嘲しながら言う大介を前に厚志は黙り込む事しか出来なかった。
ここで駄々をこねたところで事態が好転する事はないのは理解している。だが、それでも厚志には譲れないものがあった。
「やっぱり駄目だ。何とか助かる方法を探そう……もう目の前で人が死ぬのは嫌なんだ」
「そうですか、分かりました……」
大介の言葉に、厚志は俯いていた顔を上げる。次の瞬間、首筋に衝撃が走った。
視界がグラつき、意識が保っていられなくなる。
「……ありがとうございます、嫌な役を押し付けてしまいました」
「いや、どうせこのまま話していてもラチがあかないからな……仕方ないさ」
大介の言葉に答える声に聞き覚えがあった。
それは、親友であり同期である多田だ。
多田が自分を殴った事よりも、大介を見捨てる選択をした事に厚志は驚愕していた。多田は最後の最後では誰かを助けられる人間だと思っていたからだ。
「な……ぜ……」
明滅する意識の中、何とか声を出そうとする。だが、まともな言葉にはならず、単語のみしか発せなかった。
「すまんな……今……しを……なうわけには……ないんだ……」
「あなたには……だ、帰りを……ている人が……るでしょう?」
もはや途切れ途切れにしか大介達の言葉は届かない。それでも何が言いたいのかは理解できた。
(大介君にだって待っている人はいる!)
叫ぼうとした言葉は声になる事は無く、ただ頭の中で響くだけだった。
「さ……やく……堂さんを……」
「ああ……がとう……」
二人が別れの会話をする。
一時的なものでは無く、永遠な別れの会話。
(やめろ……やめてくれ……!)
落ち行く意識の中、必死に声を出そうとする厚志を嘲笑うかのように、遠くで何かが爆発する音が聞こえた。