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第1章 崩壊の予兆

2011年6月19日加筆改編しました。

『ぎゃぁぁぁぁぁぁ~!!』

『た、助けてぇっ!!』

『や、止め、ああぁあぁぁぁっ!?』

 何か騒がしい。しかも、尋常ではない声が聞こえる。

「……はっ!?」

 何事かと男は目を覚ました。寝ぼけた頭で耳を済ますが、特に変な声は聞こえない。

「……夢か?」

 頭を掻きながら起き上がり、ベッド脇にある携帯電話に手を伸ばす。開いて時間を確認しようとしたが、画面は真っ暗なままだった。

「……?」

 男は再び頭を掻きつつ、眉をひそめる。

 電源が切れているのかと思い、電源ボタンを長押しする。だが、携帯電話はうんともすんとも言わなかった。

「マジかよ、壊れた? 昨日電池はフルあったから電池切れなわけないしな……」

 ため息を吐き、洗面所に向かう、ふと、違和感を感じて部屋を見回した。

 散乱したビールの空き缶、積み上げられた洋服、やたらでかいテレビ。見慣れた部屋とはなにもかもが違っていた。

(そうか、昨日はあいつん家に泊まったのか……)

 男―――藤堂厚志は、昨日の事を思い出しながら洗面所を探した。

 昨日はたまたま非番だったため、友人と夜通し語り合ったのだ。そのため、厚志の住む寮ではなく、友人宅に泊まってしまっていた。

 友人の部屋はワンルームなので、すぐに見付かった。ユニットバスに併設された洗面所で顔を洗い目を覚ます。

 鏡の中には、二十代半ばながら幼さを残しつつも端正な顔立ちの青年が映っていた。茶の瞳に黒髪、自衛隊に勤務しているため、身体は引き締まっている。服装は黒のTシャツにジーンズというラフなものである。

 寝ぼけた頭を完全に覚まし、厚志はバスルームを出る。友人は薄情にも既に出勤したらしく、慌てて出て行ったのか洗濯された服が散乱していた。

「ったく、起こしてけよ―――なぁっ!?」

 厚志は、部屋を横切ろうとして、視界に入った目覚まし時計を見て素っ頓狂な声を上げる。

「じゅ、十一時半!?」

 明らかに遅刻だった。出勤時間よりもむしろ昼休みの方が近いくらいの時間だ。

「やばい、今日は合同訓練の日だった!!」

 いつもなら駐屯地に近い寮ではあったが、遅刻すると後が怖いので余裕をもってアラームを鳴らしていた。しかし、今携帯電話は沈黙を保ったままだった。

「……あいつに貰った物だから使ってたが、もう限界かな……」

 彼女から貰った、今は動かない携帯電話を見つめる。

「っと、思い出に浸ってる場合じゃなかった!!」

 厚志は、慌ててハンガーにかけていたYシャツを羽織ると部屋を出た。鍵は掛かっていなかった上、何処にも見当たらない。焦っている厚志は悪いとは思いつつも鍵を閉めずに部屋を出た。

(後で謝るしかないな)

 そんな事を思いながら、アパートの階段を下りる。

 友人の家は、古い木造二階建てのアパートだった。部屋は角部屋の南向き。意外と条件は良いが、木造で古いため防音等無く、隣の声が丸聞こえだったりする。

(ま、月三万じゃ仕方ないか……)

 苦笑を浮かべ、厚志は最短ルートを思い浮かべる。アパートは意外と寮から近く、走れば十分程度で辿り着ける距離である。

 厚志は走りながら、妙に静かな住宅地に違和感を覚え、立ち止まった。

 辺りを見回す。左手は、個人経営らしいやたら高いフェンスに覆われた駐車場なので仕方がないが、右手には普通の民家が並んでいる。周囲には人っ子一人見当たらない。まして今日は休日である。特に駐車場には車が無いため、子供達には格好の遊び場になるはずだ。だが、子供はおろか、よく散歩している老人達すらいなかった

(何だ、この静けさ……)

 よくよく観察してみると、不自然な部分が多い。開け放たれた玄関。発進しかけで停まっている車。転がっている錆びた金属バット。一つ一つは田舎なのであってもおかしくないが、全ての家がそうである――または、それに近い形である――事に違和感を覚えた。

(一体何があった……?)

 厚志は眉をひそめ、とりあえず落ちている金属バットを拾った。

「……っ!? 何だこのバット!?」

 バットに付いていた錆のようなものはただの汚れでは無かった。一見すれば赤錆に見えるが、それは赤黒く変色した血であった。

「うわぁぁぁあぁぁ、た、助けてくれぇっ!!」

突然、厚志の視線の先にあるT字路に男が叫びながら走ってきた。男の慌てぶりは尋常ではなかった。

「すいません! 何かありましたか!!」

「ひ、人? 助かった」

 声に反応した男が立ち止まり、安堵の笑みを浮かべた。そのままこちらに走ってきた。

「た、助けてくれ! 人が、人が襲ってくるん―――ひっ!?」

「え? あ、これはそこに落ちてたんです」

 厚志は慌てて持っていた血の付いたバットが自分の物ではないと説明する。だが、男は信じなかったらしく、後退りし始める。

「信じてください、違うんです!」

「止めろ、近寄るな!!」

 男は明らかに怯えていた。

 何があったのか分からないが、服は乱れ、所々無理矢理引き裂かれたように裂けている。その表情は正常な判断を無くしたように様々な感情が渦巻いているようであった。

「待ってくださ―――え?」

 駐車場のフェンスの影から傷だらけの女が現れたかと思うと、次の瞬間、男に噛み付いた。

「い、ぎゃああああああああっ!?」

 男の悲鳴と共に、血が噴き出る。首に噛み付かれた男は暫く暴れ、何とか引き剥がそうともがいていた。それも意味を成さず、女は喰らい付いて離さない。

 やがて、男は抵抗しなくなり、ぴくぴくと痙攣するだけになった。

 厚志は見ている事しか出来なかった。目の前で突然起きた事象に理解が追い付かず、呆然として立っていた。

 ようやく頭が理解した頃、厚志は行動した。

「な、何をしている! その人を離せ!」

 厚志が強めの声を出して近寄るが、女は気にした様子も無く男に噛み付き続ける。

「聞こえないのか、話せといっているんだ!」

 すると、女がようやく厚志の声に反応し顔を向ける。

「……うっ!?」

 女の顔に吐き気を覚え、後退る。

 血がよだれのように滴り、元は綺麗だったはずの白いワンピースを赤く染めていた。

 女はまるで何かを求めるように両手を突き出して厚志に向かってくる。その足取りは拙く、酔っ払いのようですらあった。

「や、止め―――」

 厚志は異常な女の行動に混乱し、抵抗できなかった。

 肩を掴まれ、押されるままに背中から倒れ込む。

(か、噛まれる!)

 何とか女の腹に足を当て、そのまま倒れ込む力を使い、巴投げを行った。日頃鍛えている筋力と技を使い投げる事が出来た。

 背後でゴッと鈍い音が聞こえた。

 慌てて立ち上がり振り返ると、受け身すら取れなかったらしい女が仰向けに寝ていた。

「ま、マジかよ。嘘だろ……し、死んだ?」

 女の尋常でない様子に咄嗟に投げたとは言え、まさか受け身も取らず落ちるとは思わなかった。

 近寄ろうとすると女がまるで胸倉を引っ張られて起き上がるようにして、起き上がる。だが、立ち上がろうとして俯せに倒れた。

 見ればどうやら投げられた時に辺り所が悪かったのか、足が有り得ない方向に曲がっていた。

「な、何だこれ……」

 女は立ち上がる事を諦めたのか、はいずって厚志に近付いてこようとする。

「ち、近……寄るな……」

 厚志は混乱し、異常な女の行動に半ば恐慌状態に陥りかけていた。

「く、来るなあああぁぁぁ!!」

 混乱したままがむしゃらにバットを振り下ろす。肩、腕とバットが当たるが女は少し怯むだけで全く痛みを感じた様子は無い。

「何だよこれ、何なんだよ!!」

 もう一度振り下ろした。たまたま頭に当たり、スイカを叩き割るような感触が腕に伝わる。

「…………え?」

 気付くと女が動きを止めていた。

「……こ、殺した? 俺が?」

 自らの行いに恐怖し、厚志は震えた。

 ふと、女の持ち物らしいパスケースが落ちていた。恐る恐る拾うと、二人の幸せそうな男女が写った写真があった。裏返すと、『青木文恵』と書かれた免許証が入っていた。

「……くそっ!」

 目の前に横たわる無惨な死体と、写真に写った女がどう考えても同一人物には思えなかった。血色の悪い肌にボロボロの髪や服。身体中血だらけで、自衛官である厚志ですらこんな状態の人間は見た事がなかった。

 警察に自首しようかと考えていると、背後から何かを引きずるような音が聞こえてきた。

 慌てて振り返ると、そこには先程女に噛み付かれた男が立っていた。

「だ、大丈夫だったんです……か」

 男が生きていた事に驚きつつも、喜びながら近寄ろうとする。だが、厚志は一歩踏み出して止まった。

 男は首から血を流し、白濁した目と突き出した手を厚志に向け、つたない足取りで厚志に向かってくる。

 その姿は、まるで先程殺した女と同じであった。さらに、男がやってきた道からも同じような姿と歩き方でやってくる人影が見えた。

「な、何なんだこれ!!」

 ただ、逃げた。いくら有事のために日頃訓練をしている自衛官でも、実際に人の死に直面する事は少ない。ましてや、映画でしか見た事の無い、残虐な死を目の前で見せられた上、さらに自らの手で人を殺した。それだけで許容量を超えているにも関わらず、死んだはずの男が起き上がり、同じような奴らが現れたのだ、逃げたくもなる。

(何だあれ、意味が分からない!)

 事実に思考が追い付かず、厚志はただ混乱していた。

(あれじゃあ、まるでヤスに見せられたB級映画じゃないか!!)

 友人に見せられた映画に似たようなシーンがあるのを思い出す。

 それは、まさに今見た状況そのままのシーンがある映画だった。

 映画の内容はこうだ。理由は分からないが死体が生き返り、生者を喰らい始める。喰われた生者は生ける死体―――ゾンビとなって生者を喰らい始める。という一般的なゾンビ映画だった。

(……ん? 映画でしか見た事がない?)

 立ち止まり、思案する。よくよく思い出すと、襲い掛かった女は血だらけだった。そう、まるで女も襲われた男と同じように噛み付かれたようだった。泥酔したような歩き方もまさに、ゾンビそのものだった。

 今更ながら辺りを見回すと、火事を起こしたのか煙が上がっている。映画通りの状況なら町中で先程のような事が起こっているのだろう。

 俄かには信じ難い状況だった。

 自衛官である厚志がまずしなければならない判断は、一斉暴動である。人が人を襲うのなら、暴動と考えるのが合理的である。人を喰うなどという状況を見て、常識で考えるなら麻薬などによる錯乱である。でなければ、そういう事を説法している新興宗教だ。

(普通ならそう考える……でも、俺は実際に見た)

 散々友人にゾンビ映画を見せられたため、むしろすんなりと受け入れられた。厚志はいやに、冷静になった自分に戸惑いつつも、これからどうするか考えようとする。

「いやああああああっ!!」

「っ!?」

 厚志の思案を断ち切るように悲鳴が轟いた。すぐ近くである。

 バットを握り直し走り出す。がむしゃらに逃げたためどこにいるのか分からなかったが、声のした方向にとりあえず走る。

 市街地の入り組んだ道を数回曲がると―――いた。

「来ないで、来ないでよおっ!」

 行き止まりに追い詰められ、へたり込んでいる制服姿の少女がいた。その目の前には、傷だらけの身体を血に染め、少女を求め両手を前に突き出した男。

「おいあんた何してるんだ!」

 いくら先程ゾンビではないか、と自ら考えたとしてもいきなり頭を叩き割ったりは出来ない。一応声をかけてみた。

「何してんのよ! どう見たって話聞くようには見えないでしょ!?」

「ああもう、分かったよ!」

 少女の切羽詰まった声に背中を押され、急いで男に駆け寄りバットを振り下ろす。厚志はセオリー通り頭を狙ったつもりだったが、微妙に外れ、肩にめり込む。

 やはり人型をしているため躊躇してしまったのだ。しかも、ゾンビというのはまだ仮説の域を出ない。あくまで、同じような場面を映画で見た、というだけなのだ。厚志の人道的な部分がどうしても躊躇いを生む。

 それが命取りだった。

 気付いた瞬間には既に遅く、バットを掴まれ引き寄せられる。慌てて身体を捻るが、男に馬乗りになられる形で倒れ込んでしまう。

(やばいっ!?)

 血に濡れた口を大きく開け、噛み付こうとしていた男の顔を両手で押さえる。ギリギリの所で噛まれる事は防いだが、予想以上の力で厚志に噛み付かんと口を動かしてくる。

(何だこの力!?)

 先程の女―――青木文恵の時はすぐに巴投げを認め分からなかったが、明らかに鍛えている自衛官以上の力があった。

 徐々に男の顔が近付いてくる。吐き気を催す程の濃厚な腐臭と血の臭いに厚志は顔をしかめる。同時に人ではないのだと認識する。

 人はこんな臭いを放つ事はない。もし放つとすれば死体だけだ。

「くっそっ!!」

 もう腕が限界だった。もう後数センチで厚志の首は噛み切られてしまう。

 いくら日頃から鍛練している自衛官であっても、死してリミッターの外れた力で襲ってくる死体相手に何時までも耐えられるほどは鍛えてはいない。そもそもそんな事態を想定していないのだ。

 ふと、視界を先ほど助けた少女の方に向ける。少女はすでにおらず、襲い掛かられた時に落としたバットも見当たらなかった。恐らく少女が持って行ったのだろう。

(逃げた……か、まあ仕方ないか)

 そんな事を考えながら、厚志は――少なくともこの瞬間には――救えた事に安堵した。

(俺もここまでか……)

 諦めかけたその時、突然男が目を見開き、掴んでいた衝撃に揺れた。そのまま力が抜けたようにぴくりとも動かなくなる。

「…………何が起きたんだ?」

「私が……っ、助けたから……に、決まってるじゃない!」

 厚志の呟きに荒い息遣いと共に声が答える。

 動かなくなった男の死体――元から死体だったようだが――を退けながら立ち上がる。

 声の主はバットを杖代わりに立つ少女だった。少女は、涙を流し、幼さの残る可愛らしい顔も少しウェーブのかかった茶の髪もぐしゃぐしゃにして、それでも気丈に振る舞うためか表情を引き締めていた。

 見ればあちこち汚れている。制服らしいブレザーやスカートは血や砂で、膝にはこけたのか擦り剥いた跡があった。今は厚志から見ても分かるくらいに震えてていた。

「すまない、助かった」

「おあいこよ……私も一度逃げたもん」

「……そうか、まあ最終的には助けてくれたんだ、気にするな」

 頭一つほど違う少女の頭に手を乗せ、撫でる。厚志は、何故か分からないが、そうしなければならないような気がした。

「…………っ、ふぅっ、うわああああああ!!」

 優しくされた事によるものか、今まで張り詰めていた緊張のせいか分からないが、少女が厚志に抱き着き、泣き出した。かなり大きな声だったのでまずいかと思ったが、もっと大きな音が市内の方で聞こえているためか、ゾンビは現れなかった。

「…………」

 厚志はただ、少女が泣き止むまで背中を摩る事しか出来なかった。

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