第15章 守るべき場所
「とりあえず銃を扱えるやつはいるか?」
バリケードを作った翌日、厚志達は再び食堂に集まっていた。目的は多田が言った通り、銃を扱える者がいるか確認するためである。
食堂には厚志や美樹を含めて六人いた。内手を挙げたのはただ一人、大森だけだった。
「なんだ、大森は銃が扱えるのか?」
「はい、昔から父に連れられて猪狩りをしていましたし、最近ではクレー射撃を週一で行っていました」
「ほう、んじゃ後で試射してもらうか」
「分かりました」
大森が頼もしいのは見た目や性格だけでない事が証明された。隣に座っていた香奈がにこやかに微笑んでいた。そんな香奈に大森は照れたような笑みを浮かべていた。
「そんじゃ、本題だ。美樹ちゃんや香奈ちゃん、それに大介の三人に俺は銃を持たせようと思う」
それこそが皆の前に厚志ではなく、多田が立っている理由だった。厚志は反対したが、多田が意見だけでも聞きたいと言ったので発言させた。
実際、少しでも戦力が欲しいのも確かだった。だが、同時にそれは危険を増やす結果になる。下手に前に出られてヘマをすれば、ただ守るだけよりも助ける方にも危険度が増してしまうからだ。
「俺はさっきも言ったが反対だ。訓練してない者が扱えば暴発の可能性もある上に、戦えるようになるという事はそれだけ噛まれる危険性も増す。だから、俺達が守れば良いだけだろう?」
「はいはい、『美樹、君は俺が絶対守るよ!』、『厚志さん!!』とか乳繰合ってる場合じゃないだろう」
多田が急にキリッとした顔で言ったかと思うと、すぐに位置を変え、キラキラした目で先程までいた場所に顔を向けて気持ちの悪い甲高い声で返事をした。さすがに厚志も頭がおかしくなったのかと心配してしまう光景だった。
「…………何だそれは」
「お前らの真似、こんな感じだったからな」
「…………」
「え? マジでこんな事言ったの? 冗談だったんだが……」
ほぼ同じやり取りをした覚えのある厚志は押し黙ってしまう。そんな反応に多田が困惑した様子で苦笑していた。
「ち、違うわよ! 私だけじゃなくて香奈も守るって言ったんだから!」
美樹が耐え切れなくなったのか、フォローにならない事を発言した。
「な、何ぃ!? 厚志……二股はいかんぜ」
「何でそうなるんだよ! 俺は香奈ちゃんの母親と約束したから!!」
「お、親公認なのか……!!」
「違う!! 何でそっち方向にしか考えられないんだよ!?」
多田が一々曲解するため厚志は頭を抱えて叫ぶ。美樹は自分の発言が引き金になった事に気付いたのか、苦笑いを浮かべて頭を掻いていた。
「違いますよ。藤堂さんは私達をお母さんの代わりに守るって約束してくれただけです」
「……ま、そうなるわな」
香奈が立ち上がって言うと、多田は肩を竦めながらすぐに理解した。
「お前、からかうなよ!」
「気にすんなって……んで話を戻すが、どうする?」
厚志はまだ言い足りなかったが場の雰囲気が再び引き締まったため、それ以上何も言えなくなる。美樹が宥めるように背中を撫でてくる。だが、元はといえば美樹の一言が原因だったので、厚志は少し泣きたくなった。
「私は賛成します。ちゃんと理解して扱えばこれ以上の武器はありませんから」
大森が律義に挙手してから発言する。
「そうだな、んじゃ銃扱える組の賛成二、反対一で、美樹ちゃん達に銃を持たせる事に決定! 異義は藤堂以外からなら受け付けるぞ」
「おい! 何で反対の俺がいきなり除外されてるんだよ!」
「まぁ、確実に反対するからな」
「…………はぁ、別に異義なんてないよ」
肩を竦めながら厚志は深々と椅子に座り直した。元々なし崩しに決まらないように危険性を提示しただけで、厚志自身戦力が増える事に異義は無い。
「へぇ、意外だな。最初は反対したのに」
「俺自身人手が必要なのは理解できてるからな。少しでも防衛能力が上がるのには反対はしないさ」
「ふーん」
(いざとなれば、何があっても俺が守れば良いだけだからな)
心の中でそう付け足しながら、厚志は気を引き締めた。美樹が隣で心配そうに見ている事にも気付かずに。
「んじゃ、あんまり時間は無いから、さっさと始めるぞ。大介達、銃扱えない組は俺に着いてくるんだ」
「え? 厚志さんが教えてくれるんじゃないの?」
美樹がまるでそれが当たり前かのように聞く。
確かに厚志は今まで常に前に立っていたのだからそう考えるのも仕方が無い。しかし、今回は多田に任せなければならない。それには理由があった。
「多田の方が俺より銃の扱いや体術の成績は上なんだ。それに教えるのも上手いしな」
「おいおい、そんなに褒めんなよ~。藤堂は全体を、俺は個人を見る事に長けてたからな。自然とそういう役割になったってわけだ」
「そういう事」
「ま、最近は個人を見過ぎて全体が疎かになってる気もするがな~、全く女子―――いや、何でもない」
厚志が殺気混じりの視線を向けると多田は口にチャックをした。
多田の言う事も確かだった。以前の厚志ならば全体を見て、全体に利益が出るように動いていた。だが、今は美樹や香奈の事を一番に考えてしまっている時が多々あった。それ故に多田達を危険に曝してしまっている。
(ったく、まさか昨日今日合った相手にここまでいれ込むとはね……)
厚志はそんな事を思いながら自嘲気味に笑った。自分に呆れてはいてもそれが間違っているとは思わなかった。むしろ、美樹達の笑顔を見ると胸が満たされていた。
「そういうわけだから、銃を扱えない組は着いてこい~」
多田が上げた手を振りながら出入口に向かっていく。
「厚志さん、行ってくるね」
「おう、頑張ってこい」
「うん!」
笑顔で去っていく美樹を苦笑しながら見送る。一度食堂を出たはずの美樹がまた戻ってきて出入口付近で手を振っていた。半ば呆れながら早く行けと手で払うような仕種をする。
今度こそ完全に多田に着いて行ったのを確認すると、厚志は大森に向き直った。
「それじゃあ、俺達も行くか」
「え? どちらに行くのでしょうか?」
「大森がいくら銃を扱えるといってもどれほどのものかは見てみないと分からないからな、少し試射して実力を見たいんだよ」
「ああ、そういう事ですか。分かりました、よろしくお願いします」
あくまで堅すぎるほどの礼儀正しさを見せる大森に苦笑しつつ、厚志達は食堂を出た。
「ところで、不粋な質問で申し訳ないのですが、藤堂さんは美樹さんと仲がかなりよろしいですね。元々お知り合いだったんですか?」
「あー、そういえば話してなかったっけ……」
厚志は頬を掻きながら美樹達と同行する事になったいきさつを話した。もちろん香奈の母親が死んだ事も包み隠さず。
「……だから、必ず行くと約束していた俺はスーパーに現れた、というわけさ」
「…………そう、だったんですか」
大森は力無さ気に答えた。やはり、香奈の家族とも繋がりがあったため、母親の香織が死んだ事はショックだったのだろう。肩が落ち、大きな身体が少し小さくなっていた。
「香織さんの事はすまない……俺がもっと気を付けていれば…………」
「いえ! 藤堂さんが謝る事なんてありません、貴方は香織さんとの約束を守り、香奈ちゃん達を守っているじゃないですか…………むしろ、私の方が香奈ちゃんや藤堂さんに謝らなくてはなりません。香奈ちゃんの事など忘れ、ただ安全な場所に隠れていたのですから……」
「それこそ仕方がないだろう、俺は日頃から訓練している自衛官だが、大森はただの一般人だろう、いざという時に動けなくなるのは仕方がない」
「でも、私はそれでも自分が動けなかった事を許せません」
ギュッと手を握り締め、悔しさに震える大森。
大森が本当にいいやつなのだと厚志は思った。この状況で、これほどまでに『救えなかった』事に対して真摯に向き合える人間はそうはいない。厚志や多田はまだ訓練しているため、ある程度は自制できるが、大森は本当に一般人だ。いくら知り合いとはいえ、自分の命を投げ打ってまで助けようとは思えない。だが、彼はそんな風に思い、自分を許すことができないのだろう。
「なら、今から守ればいい」
「……はい」
大森は静かに、だが力強く頷いた。
「よし、それじゃあ試射に向かうぞ。まずは守るための力を確認しないとな!」
「はい!」
厚志は、後ろから突いてくる大森を信頼し始めていた。今までの漠然とした感覚ではなく、確かな思いとしての信頼を。
明らかに厚志より多きにもかかわらず、どこか忠犬のような雰囲気を醸し出している大森を連れて、射撃場に向かった。
◆ ◆ ◆
「よし、これで終わりにすんぞ!」
『ありがとうございました!』
美樹達は多田の言葉で、即席の銃器取り扱い講座を終了した。やった事といえば簡単な扱い方の説明と注意事項を教えてもらった後はひたすら銃を撃っていただけだった。といっても、弾に限りがあるため、数種類の銃を弾倉一個分撃っただけである。
多田は手元の紙を見ながら少し眉を寄せていた。あの紙には美樹達の暫定的な射撃能力が書いてあるらしい。的に何発当たっただとか、取り扱いに不備は無いかなど、簡単に書いているようだ。
(これで厚志さんの役に立てるかが決まるんだ……)
美樹は手を握りながら結果を待った。
もちろんずぶの素人に銃などいきなり扱えるわけが無い。それでも今のメンバーと状況では美樹達もせめて身を守るくらいの力は必要だった。
多田に移動中に説明された美樹は勇んで射撃を行った。美樹自身は中々当たったと思うが、結果はどうかは分からない。だから、半ば祈るような気持ちで多田の言葉を待っていた。
「結果を発表する」
ゴクリ、と唾を飲み込む。気付けば隣に立っていた香奈が手を握っていた。
香奈も怖いのだろう。
香奈は戦いには向いていない。美樹はそう考える。香奈はこの世界で生きるには優し過ぎるのだ。そこが良い所ではあるのだが、今の世界ではかなり危うくなる。
今助けた人間がやがて感染者になるかもしれない。助けた際に噛まれてしまうかもしれない。
噛まれれば即座に死を免れないこの世界で、誰でも助けようとするわけにはいかない。そんな時、優し過ぎる香奈には見捨てられないだろう。そして、見捨てたとしても罪悪感を感じるはずだ。
それは、危険な事だ。助けられない人間を助けようとすれば自分だけではなく、仲間にも危険が及ぶ。さらに罪悪感を抱けば、以後の活動の際咄嗟に動けなくなる可能性がある。
この世界は優しくては生きていけないのだ。だが、美樹は香奈に変わってほしくはなかった。優しい香奈だからこそ、人を労れる香奈だからこそ美樹は好きになったのだ。だからこそ、香奈には戦ってほしくなかった。戦えば戦うほど、香奈が変わってしまうのではないかと考えるからだ。
そして、多田が口を開いた。
「銃を扱わせられるのは美樹ちゃんと大介だけだな……香奈ちゃんは今のままでは危ないから、救護要員になってくれ」
「っ! はい!」
美樹は思わず笑みを漏らしかけた。だが、香奈はどこか寂しそうに頷いていた。
「よし、そんじゃ、大介……これがお前の銃だ。俺が言った注意事項をちゃんと守れよ」
「……はい」
大介は多田に渡された拳銃をしばらく眺めるとギュッと掴み、部屋に戻っていった。
「美樹ちゃんも、ちゃんと守れよ」
「はい!」
「んじゃ、俺は先に戻っとくわ~」
多田はそう言うと、どこか寂し気な香奈の頭を一撫でして部屋に戻っていってしまう。銃が保管された場所に美樹達だけを残していくのは危ない気がしたが、彼なりの信頼の現れなのだ。
「……私も戦いたかったな」
「香奈……私は香奈には戦ってほしくない」
「なんで? 私が弱いから?」
香奈は少し問い詰めるように美樹に問い掛ける。
「違う……私は、香奈が戦う事で変わっちゃうんじゃないかって思うと怖いの」
「…………でも、私は守られるだけなんて、嫌」
「うん、だから多田さんは香奈を救護要員に任命したんだと思うよ」
「……分かってる…………それはそれで重要なんだって分かってる」
美樹の言葉に、香奈はギュッとシャツの裾を握り締める。香奈自身も頭では必要な役だと理解しているのだろうが、今まで守られるだけで誰も助けられなかった事を悔いているのだろう。
だからこそ、美樹は香奈に戦ってほしくなかった。
美樹は香奈の正面に立ち、真っ直ぐその瞳を見詰めた。
「香奈、誰かを助けたり守ったりするのも大事だと思う……でも、帰って来れる場所って大事だと思う」
「帰って来れる場所……?」
「うん、あそこに帰れば安心できる。あそこが帰る場所なんだ。そういう場所って大事なの……そして、そんな帰る場所を『守る』事が香奈の役目なんじゃないかな?」
「帰る場所を…………守る」
香奈が視線を伏せ、言葉を反芻するように呟く。
一度伏せられた視線が上げられた時、その瞳には強い火が灯っていた。
「うん、美樹ちゃんありがとう……私の役目に気付かせてくれて」
「い、いや……厚志さんならこう言うんじゃないかなぁ、と思って言っただけなんだけど……」
美樹は照れて頭を掻きながら、視線を泳がせる。そんな美樹を見て、香奈は少し意地悪な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、厚志さんの隣に居続けるのが美樹ちゃんの役目だね」
「へぁっ!? いや、そんな一生隣に居続けるなんて?!」
「そこまでは言ってないよ……」
香奈の苦笑に気付かず、美樹はパニックになりわたわたと腕を振っている。
「美樹、香奈ちゃん! 救助者は明日着くらしいから早く休めよ~!!」
「へ、ひゃ、ひゃい!!」
突然掛かった厚志の声に顔を真っ赤にして慌てる美樹。
「分かりました」
香奈はしっかりと答え、恥ずかしさからか隅に隠れてしまった美樹を見て苦笑した。
その苦笑は呆れを含みながらも、どこか吹っ切れたような柔らかな雰囲気の苦笑だった。