第14章 束の間の平和
「ふう、こんなものかな……」
力仕事で身体が火照っているため、溢れる汗を袖で拭う。
厚志の目の前には各部屋から持ち出した棚や机などを積み重ねた簡易のバリケードが出来ていた。もちろん裏口には机などから剥いだ木材を使い、突貫ながらも開かないように釘で留めていた。
窓も言わずもがな、ついさっきまで裏口を手伝っていた他のメンバーが塞いでいるはずである。一番で入りされる所なので、美樹達女性を除くメンバーでバリケード作製に当たっていたのだ。それも厚志一人いれば出来る所まで終わったため、他のメンバーには窓の補強に向かってもらったのである。
これで出入りできるのは正面の玄関のみになった。
「お疲れ様、厚志さん」
「ん、サンキュー」
美樹がタオルと水を持って来てくれた。水を一気に飲み干し、タオルで汗を拭う。
美樹は汚れた服を着替え、今は短パンにTシャツというラフな恰好だった。
「もう終わり?」
「ああ、とりあえずこれで裏口は大丈夫なはずだ」
厚志は廊下に座り込んだ。すかさず美樹が隣に座る。そのまま、まるでそれが当たり前かのように厚志の左肩に頭を乗せる。
「……暗くなってきたね」
「そうだな……」
時刻は午後六時。すでに日は傾き、西の空を茜色に染めている。反対側を見れば日の光が届かなくなっているため、暗くなっていた。
今の所電気が止まる気配は無い。しかし、いつ止まるか分からないため、馬鹿みたいに使うわけにもいかない。
ガスはすでに止まっていた。水道はまだ生きているがこちらもいつ止まるか分からない。そのため、こちら側にある共同風呂に並々と水を溜めておいた。
共同風呂は一度に十数人が入れる大きなもので、腐る事を考慮に入れても数日は使える水が溜まっている。
「さて、後は来るのを待つだけだ」
肩をすくめ、厚志は美樹の頭を撫でた。何となく不安から誰かの体温を直に感じたかった。
美樹はくすぐったそうに身体をよじりながらも受け入れてくれる。
いつの間にか傍にいるのが自然になっていた。出会ってから二日も経っていないにも関わらず、厚志は美樹がいなくてはならない存在になっているのを感じていた。美樹もそうなのだろう。事あるごとに厚志の傍に寄ってきている。
もちろんあくまでも『だろう』の域を出ない。だが、少なくとも信頼されているのは美樹の態度から感じられた。
今も安心しきっているのか、うとうとし始めている。
「美樹、寝るなら部屋に行こう」
「ん~、大丈夫まだ眠くないから~」
「いや、明らかに眠そうだから、ほら、立って」
厚志は美樹が倒れないように真っすぐ座らせてから立ち上がった。
「寝るならここでもいいじゃん~」
「…………ここはさすがに駄目だろう」
「んん~動きたくない~」
美樹は駄々をこねる子供のように手足をばたつかせてむくれる。
「はぁ、分かった、俺が運ぶから選んでくれ」
「選ぶ?」
「おんぶか抱っこか」
「お、おん、だ、だっこぉ!?」
美樹がわたわたと手を振り、大袈裟に慌てる。厚志としてはとにかくここで寝かせたくなかったため特に考えもせずに出た言葉だった。
よくよく考えれば年頃の女の子には恥ずかしい事だろう。
「いや、すまない。よく考えたら嫌だよな」
「い、いえ! だ、おんぶでお願いします!!」
「へ? あ、ああ……分かった」
何故か立ち上がって敬礼する美樹。たじろぎながらも厚志は彼女の前にしゃがみ込んだ。
「い、いきます」
「おう」
数度の深呼吸が聞こえた後、柔らかな感触が背中を包み込む。下着は数が限られているためか、高校生にしては肉付きのいい美樹の胸の感触が背中に直に伝わってくる。
ギュッと首に回された手に力が入る。緊張しているのか、少し息と鼓動が荒かった。
(と言っても俺も鼓動が速くなってるんだがな……)
女子高生相手に緊張している事に少し自嘲気味に笑う。
肩に頭が乗るくらいならともかく、今は完全に密着している。耳に当たる髪や吐息、背中に伝わる鼓動や感触がやはりいつもと肩に当たるくらいのものとは違うのを感じる。
「厚志さん?」
「ん? あ、すまない。それじゃあ行こうか」
厚志は笑い、邪念を振り払うと美樹の腰を掴み、立ち上がり歩き始める。
部屋に向かってしばらく歩いていると美樹が身体をよじり始めた。
「どうかしたのか?」
「……やっぱり抱っこの方がよかったかも」
「んじゃ変えるか? あんまり変わらないと思うぞ」
「いや、だってお姫様抱っこでしょ? かなり違うよ」
「へ? ああ、抱っこってそっちなのか」
厚志はようやく美樹が言いたい事が理解できた。
厚志自身が考えていた『抱っこ』とは、いわゆる子供を正面から抱き抱えるタイプのものである。しかし、美樹が言っている『抱っこ』は、結婚式などで男性が女性の首と膝を抱えて持ち上げるほうだったのだ。
「…………あ、厚志さんのえっち」
「いや、他意はなかったんだぞ、何となくそう思ってただけで」
「へー、じゃあ厚志さんはどっちがよかったの?」
「は!? どっちって何だよ」
「私と真正面から抱き合いたかったのか、それとも今みたいに背中から抱き着かれたかったのか」
「…………」
厚志は美樹にうりうりと頬を人差し指で突かれながら考えた。
答えは出ない。元々本当に他意が無かったのだ。どっちがいいかと言われても答えは出なかった。
「んー抱っこ……かな」
今考えるとどちらがよかったかと言えば、抱っこだろう。もちろんおんぶでも良いのだが、やはり相手の姿が完全見える方が良いと厚志は考えた。その方が安心するからだ。決して邪まな気持ちががあるわけではない。
「だ、抱っこ!? あ、厚志さんは私を正面から抱き抱えたかったの!?」
「はい?」
「し、仕方ないなぁ! そんなに言うんじゃ、わ、私は恥ずかしいから嫌だけど抱っこされてあげてもいいよ!!」
「いや、美樹? どちらかと言うとってだけで別に今更変えたいとかは思わないぞ?」
いきなり早口になり、まくし立て始めた美樹に苦笑しながら答える。すると両頬を掴まれ、引っ張られた。
「な、なによそれ!? 私を抱っこするのが嫌だって言うの!?」
「いひゃ、ひょうひゅうひみひゃなくへ」
「じゃあどういう意味よ! ま、まさか……よ、幼女じゃないと駄目とか!?」
「なんへひょうなるんだ! ひひゃう、ほうへやのひゃえはんだ!」
「へ? あ、ほんとだ……」
ようやく引っ張りから解放され、厚志は左手で美樹を支えながら空いた手で頬を摩る。
厚志はなるべく早足で移動していたため二階の部屋にはすぐに着いた。何故早足で移動していたかは隆一郎に見付かればからかわれるのが目に見えていたからだ。
とりあえず早く部屋に入ろうとノブに手をかけた。その時、誰かの視線を感じた。
「…………」
「…………」
視線の方に顔をゆっくりと向ける。そこにいたのは、驚いた顔で固まっている大森と苦笑している香奈だった。
どうやら二人も厚志と美樹のように、作業の終わった大森に香奈が飲み物やタオルを届け、部屋に戻る途中だったようだ。
「……あー、えっと」
大森がどう反応していいのか分からない様子で頬を掻きながら何か言葉を探そうとしている。そんな彼の隣で香奈が全てを理解したように微笑んだ。
厚志には香奈の微笑みが天使の微笑みに見えた。
「藤堂さん、避妊はしなくちゃいけませんよ。後、今日は勇兄さんの所で寝ますからどうぞお楽しみください」
「へ? あ、ちょっと香奈ちゃん!?」
「大丈夫です。私子供じゃないので分かってますから、そういうのも大事ですよね。それではごゆっくり」
厚志に弁解する余地も与えず香奈は大森の手を引いて去って行った。後には虚しく手を差し出した厚志と、何故か「ポッ」と言っている美樹が残った。
厚志は忘れていた。香奈が以前にもこの手の方向性の間違った理解を示した事を。
その時、ポンッと肩に手が置かれた。
「多田……」
振り返ると隆一郎が笑って立っていた。
「……厚志」
「多田……お前なら分かって―――」
「女子高生に手を出すのは犯罪だ~~~っ!!」
そう叫ぶとぶわっと涙を溢れさせた。
「羨ましくなんかない、羨ましくなんかないぞ~~~!!」
涙を流したまま隆一郎は踵を返して走り去った。
「…………これで公認だね……ポッ」
「誰か俺の話を聞いてくれよ~~~っ!!」
厚志の叫びは虚しく寮に響き渡った。