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第11章 二度目の届かぬ手

「美樹ーーーーーー!!」

厚志は声の続く限り呼んだ。

声に反応して感染者が寄ってくる事など関係なかった。ただ、返事の無いという事実を認めたくなくて、無我夢中で名前を呼ぶ。

今の厚志の心を支配しているのは、また失うのか、という恐怖だった。

手が届いたと思ったのに、ようやく守るという約束を果たせたと思ったのに。

約束した相手はいない。

もう、いないのだ。

「美樹ーーーーーー!!」

もう一度呼ぶ。

「俺は辺りの安全を確保してくるよ……あいつも放っておけないしな」

隆一郎は見ていられなくなったのか、部屋から出て行った。『あいつ』とは康太の事なのだろう。確かに康太も仲間を無くして意気消沈していた。誰かが見ていないと危ないだろう。

だが、そんな風に人を気遣う余裕は、今の厚志には無かった。

「クソッ!!」

壁を殴り付ける。

頭のどこかで諦めようとする考えが浮かぶ。もう美樹は死んだのだと、この死体の中に埋もれているのだと。そんな考えを振り払うように壁を殴る。

答える者も、音に反応する者もいない。

血だまりの中、呆然と立つ。

揺るぎようの無い現実。反らしたくとも反らせない視線。

あの時と同じ赤。

あの時と同じ―――

『…………るの?』

声が聞こえた気がした。

守ると誓ったあの子の声が。だが、厚志は気のせいだと思った。

この部屋以外に部屋は無い。あるのは死体と崩れたロッカーだけ。

『……誰か!』

「……っ!?」

また、聞こえた。

遠くから聞こえるような、壁か何かを挟んでいるような声。

(…………壁?)

厚志は恐る恐るロッカーがある奥の壁に耳を当てる。試しに壁をノックしてみた。

するとコンコンとノックが返ってきた。

まさか、と思いつつも今度はコンココンコンと変則を加えてノックする。厚志がした通りに返ってくるノック。

「…………美樹?」

厚志は恐る恐る呟くように声をかける。小さ過ぎて届くはずの無い言葉。だが、それに答えるように声が返ってきた。

『厚志さん!!』

「…………美樹! そこにいるのか!!」

『うん……うん、いるよ……いるよ……!』

美樹の声は倒れたロッカーの後ろから聞こえていた。よくよく見ればロッカーの後ろに人一人がギリギリ通れるくらいのドアがあった。

「今開けるからドアから離れていてくれ」

『うんっ』

美樹の返事を聞くと、先程までの無力感など忘れてしまったかのように、厚志の身体は動いた。ロッカーを何とか離し、ドアが開くようにする。

ドアを開けると、目の前に大粒の涙を浮かべながらも見慣れた笑顔を浮かべる美樹が立っていた。

「厚志さん!!」

「っと、よかった……美樹が無事で」

飛び付いてきた美樹を抱きしめ、その柔らかさを、温かさを、鼓動を感じる。それだけで厚志は胸が一杯になり、さらにギュッと抱きしめる力を強めた。

もう離さないと、絶対守ると誓うように厚志は美樹を抱きしめた。

「絶対来るって……信じてた……私、厚志さんを信じてたよ……っ」

「ああ……遅くなってすまない」

安心したのか鳴咽を漏らす美樹の背中を優しく撫でる。

気付けば厚志も涙を流していた。

守れたという安堵から、生きているのだという実感から感情が留まらない。ただ溢れるのに任せて涙を流した。

「…………おい、何やってんだお前は……」

「…………うわ」

二人の時間を邪魔するような、冷ややかな声が聞こえた。厚志がそちらに顔を向けるとじと目の隆一郎と目を丸くした康太が立っていた。

「…………うわっ!?」

隆一郎達の登場に驚き、慌てて美樹から離れる。美樹が名残惜しそうな表情をしていたが、厚志は気付かなかった。

「せ、生存者を見つけた……そっちはどうだ?」

「いや、他にはいなかった。一応入口に簡易のバリケードを作ったが、いつまでもつか分からないから長居は出来ないぞ」

「……ああ、分かった。美樹、他の生存者もそこにいるのか?」

厚志が振り向き、美樹が出てきたドアを指差す。

美樹は何故か苦虫を噛み締めたような表情で頷いた。

「うん、いるにはいるけ―――」

「奈穂は? 奈穂は無事ですよね!?」

「…………っ、奈穂さんも……います」

康太は美樹の表情の暗さに気付いていないのか、奥の部屋に駆けていく。

「…………俺は入口で奴らが入ってこないよう見張ってるわ」

「……ああ」

何かに感づいたのか、隆一郎は苦い顔をして部屋を出て行った。厚志も嫌な予感しかしないが、生存者を確認しないといけないため、奥の部屋に足を向ける。

美樹が近付いてきてギュッと厚志の腕にしがみついた。

「……美樹?」

厚志は首を傾げて、美樹を見る。だが、美樹は小さく奮えながら俯いていた。

美樹の態度から、明らかに何かがあった事が伺える。それが何なのか分からないが、あまりいい事には思えなかった。

もしかしたら、信二と沙苗が感染者になっていた事に関係があるのかもしれない。だが、何故か厚志にはそれだけではないように思えた。

「美樹、何があ―――」

「私に近付かないで!!」

厚志が今まさに何があったか聞こうとした時、部屋の奥から声が上がった。

鬼気迫るような声に慌ててロッカーに隔たれた奥のスペースに向かう。手前のスペースに三人の人間がいたが、今は奥のスペースで起きている事を優先した。

奥のスペースには、布団の上で上体だけ起こした奈穂と狼狽した様子の康太がいた。

「な、奈穂……何言ってるんだ?」

「近付かないでって言ってるの! せっかく助けに来てくれたのにごめんね。私は一緒に行けない……」

「じょ、冗談はよしてくれよ……」

さらに狼狽した康太が何とか近付こうとする。だが、奈穂に睨み付けられ歩みを止める。

「何があったんだ?」

「そ、それが奈穂が寮に行きたくないって……」

厚志は訝しみ、奈穂を見る。

上体だけ起こし、両手で掛け布団を引き寄せている。まるで何か見られたくないものが布団の下にあるかのように。

「……まさか…………」

「……多分藤堂さんが考えている通りだと思います」

そう言うと、奈穂は諦めたのか、掛け布団から手を離した。その下から現れた腕には包帯が巻かれていた。それも赤黒く変色し、明らかに傷を負っている事が分かる。

「噛まれちゃいました」

そう言い、奈穂はどう笑っていいか分からない子供のような笑みを浮かべた。

美樹の体が強張るのを感じる。恐らく奈穂が噛まれた事に彼女が関係しているのだろう。

厚志は聞けばどうなるか理解し、また黙っておこうとしている奈穂の意志を汲み取って黙っていた。

だが、幼なじみであり、誰よりも奈穂を大切に思っているであろう康太は違った。

「何でだよ!? 何で奈穂が噛まれたんだよ!!」

事実を受け入れきれない子供のように頭を振り、康太が叫ぶ。奈穂はただ困ったように笑っていた。

「…………ごめんなさい」その言葉に辺りがしんと静まり返った。

言葉を発したのは美樹。

美樹はそのまま何度も謝り続ける。

「美樹ちゃん、謝る事なんてないわ」

「でも、私のせいで…………」

「……どういう事だ?」

康太がまるで仇でも見るような目で美樹を睨む。俯いたままの美樹はそんな視線には気付かず、続ける。

「奈穂さんは―――」

「美樹ちゃん、駄目、言っちゃ駄目」

「…………っ、奈穂さんは私を庇ったせいで噛まれたんです」

美樹は奈穂の忠告に一瞬迷ったのか言葉を詰まらせたが、そのまま続けた。

「…………っ!!」

怒りとも絶望とも取れる表情を浮かべ、康太が美樹に近付こうとした。美樹は何をされても仕方がないという、ある種の諦めを孕んだ表情で近付いてくる康太を見ていた。

「…………どいてください」

気付けば、厚志は二人の間に割り込むようにして立っていた。康太が敵でも見るような視線を向けてくる。

二人の意志はあまり褒められるものではないが概ね合致していたはずだ。だが、それではいそうですかと美樹を殴らせるわけにはいかなかった。

「それは出来ない」

「~~~っ、何故ですか!? その子のせいで奈穂は……奈穂は!!」

「それでも……出来ない」

涙を流す康太に胸倉を掴まれるが、厚志はそれでも首を振った。背後で美樹が震えているのが分かる。

美樹を守ると誓ったから守る。それは厚志の曲げられない誓いだった。

それでも、守りたい人を守れなかった康太の気持ちも理解できるから、厚志はただ立っている事しか出来ない。

「アンタが退かないなら!!」

「…………銃っ!?」

胸倉を掴まれてもびくともしない厚志に業を煮やしたのか、康太が拳銃を抜いた。美樹が身体を固くする気配を感じた。

厚志は額に向けられた銃口を静かに見詰めた。銃口はカタカタと奮え、いつ引き金が引かれるか分からない。

緊迫した空気が辺りを支配する。厚志達以外の生存者も固唾を飲んで見守っていた。

「康太……もう止めて」

空気を壊したのは奈穂だった。

噛まれてから数時間経っているためかかなり辛そうだが、それでも立ち上がり、康太の銃に手を添えた。

「っ! 奈穂……」

康太が銃口を奈穂に押されるままに下ろす。

厚志はどっと汗が吹き出るのを感じた。いくら普段から銃に触れる機会が多いとはいえ、銃口を向けられる事は無い。扱っているからこそどれだけの威力があるのか分かっている。

もし奈穂があと数秒遅ければ厚志は死んでいたかもしれない。気付かれないレベルでホッと息を吐いた。

「康太、これ以上私の想いを壊さないで」

「……想い?」

「美樹ちゃんを救いたい、この身に変えても救いたいって想いよ」

「な、何だよそれ……!」

康太が歯を食いしばり奈穂を見る。彼女は静かに、荒い息を吐きながらも凛として康太を見詰めていた。

「お願い」

「…………っ、くそ、くそ! やっと、やっと決心が付いたのに、何だよこれ!!」

もう一度「くそ」と言うと、康太は力の限り壁を殴った。そのまま壁に背を預け、ズルズルと座り込んだ。奈穂はそんな康太の頭にそっと手を置いた。

「……すいません、康太は昔から私の事となると見境がなくなるみたいで」

申し訳なさそうでありながら、嬉しそうに奈穂に厚志は何も返せない。

押し黙ったまま、何を話していいのか迷っていると騒がしい足音が聞こえてきた。

「藤堂! まずい、奴らが大群できたぜ!!」

「本当か!? 多田、生存者を早くトラックに!!」

「ああ、こっちだ! 早く!!」

厚志達を除いた生存者が隆一郎に誘導されていく。

「……康太を連れて行ってください。私は……行けませんから」

厚志は何か手は無いのかと頭で考えたが、答えは出なかった。未だ原因の分からない、ウイルスなのかさえ分からないこの病をただの自衛官である厚志が考えた所で答えが出るはずがなかった。

それでも何か、康太だけでなく奈穂も救える手立てはないかと思案する。

「……俺は残る」

「康太!?」

見れば康太がいつの間にか立ち上がり、こちらを見ていた。その瞳は絶望や諦めの色では無く、決心した男の熱い色だけが宿っていた。

「駄目、駄目よ! ここにいたら康太まで死んじゃうじゃない!!」

「構わない、俺は最後までお前の傍にいる」

「…………なっ!?」

瞬間、奈穂の頬が真っ赤に染まる。

「な、何言ってるのよ! 私が死んだら外の奴らみたいになるのよ!?」

「そうだな」

「そうだな、って意味分かってるの!? 私が康太を襲うって事なのよ!!」

奈穂が叫ぶが、康太は絶対に譲る気は無いのか、じっと聞いているだけだった。

厚志達も何を言っていいのか分からず、黙っている事しか出来ない。

「私はそんなの嫌! 康太を私が殺すなんて!!」

「大丈夫だ、奈穂は俺が…………殺す」

「っ!! …………はぁ」

康太の言葉で、奈穂もまた揺らぎ無い決心に気付いたのか、肩を落しため息を吐いた。

「……分かった、もう何も言わないわ……ったく、昔から頑固な所は変わってないんだから……」

「当たり前だ、奈穂のお節介もな」

そう言うと、二人は笑った。死しか無い状況で、二人は笑い合ったのだ。

「そういうわけです。俺達を置いていってください」

「…………分かった」

厚志に二人の中を引き裂く事は出来なかった。二人とも寮に連れ帰れば、確実に奈穂によって危険にさらされる。それだけは避けたい。だが、同時に救える命を放置していく事も厚志にはしたくない事だった。

それでも、二人が笑い合っているのを見てしまった。もう絶対に離れないのだと、繋いだ手を今まさに見ている。

「すみません、我が儘を言って」

「いい、ちゃんと伝えろよ」

「はい」

康太は短く返事をし、頭を下げた。

「美樹ちゃん、後悔しないようにね」

「……………………はい」

奈穂の言葉に、美樹は無理矢理搾り出したように答える。そんな美樹を見て、奈穂は柔らかい笑みを浮かべた。まるで、自分達が行けなかった未来を託すように。

「おい! 早くしろ!! もうそこまで来ている!!」

入口の方から切羽詰まった隆一郎の声が聞こえてくる。

「…………それじゃあ、俺達は行きます」

「はい、御達者で……」

笑顔で手を振る康太達を残し、厚志は美樹の手を引いて入口に向けて走り出した。振り返るわけにはいかなかった。振り返れば、未練が出来てしまう。すでに募っている未練をこれ以上募らせれば、厚志はあの二人を連れて行こうとしてしまう。それが分かっていたからこそ、厚志は振り返れなかった。

トラックにたどり着き、荷台に美樹を乗せ、自らも乗り込む。運転席と荷台を隔てる幌に取り付けられた簡易窓を開け、隆一郎に声をかける。

「……発車してくれ」

「……了解」

隆一郎の返事と同時に、トラックは発進した。次の瞬間、何かにぶつかったのか、軽い振動が身体に伝わる。

感染者を潰したのだろう。あまりいい事では無いが、そうせざるしかないほど近付いていたという事だ。

荷台の一番後ろに座っていた美樹の隣に座る。するとすぐに縋るように抱き着いてきた。

厚志は宥めるために美樹の背中を摩る。

(また……救えなかった…………)

ギリッと歯が軋むほど噛み締める。鳴咽を漏らす美樹の背中を摩りながら、遠ざかっていくスーパーを見た。

もうほとんど見えなくなったスーパーには二人がいる。厚志がもう少し早くたどり着けていれば救えたかもしれない二人が。

荷台から見えなくなった頃、乾いた銃声が二つ響いた。

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