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第10章 初めての攻勢と救出

「だから生き残っている人達がスーパーにいるから、助けに行くために武器を出してくださいって言ってるんです!!」

机を叩く音と厚志の声が部屋に響く。

今厚志がいるのは寮の中、幹部自衛官用の部屋の中だった。

一時間前、スコップを足がかりに飛び立とうとし失敗した後、もうここで終わりかと絶望しかけた厚志を救ったのは、同期の自衛官―――多田隆一郎だった。

隆一郎は自動小銃を手に塀の上から狙撃し、ある程度安全が確保された段階で厚志を塀の上に引き上げた。その後、何とか寮に逃げ込み、すぐに美樹たちを助けに行こうとした。しかし、上官が拒否したため、厚志が怒り、今に至っていた。

「藤堂、落ち着くんだ」

「うるさい! 多田は黙ってろ!!」

厚志は宥めてきた同期の隆一郎に怒鳴る。

今この部屋には三人の人間がいた。厚志と隆一郎、そして上官である。

厚志と同じくらいの身長ながら自衛官が着る服の上からでも分かるほどがたいがよく、髪をざっくばらんに切った隆一郎。彼とは対照的に、上司は禿げ上がり、動くのにかなり邪魔そうな出っ張った腹をした典型的な中年だった。

「赤石二佐! 早く助けに行かないと民間人が感染者に襲われてしまうんですよ!?」

「だから、さっきから言っておるだろう。これ以上弾薬を消費するのはまずいと、上からの連絡もないのだ。動こうにも動けんよ」

「そんなこと言っている場合ですか!? そもそも、もはや政府はあってないようなものでしょう!! 特に弾薬は地下シェルターに大量にあるでしょうが!!」

「あーうるさいな……そんなに言うなら勝手に行動すればいい。後で命令違反で処罰されても文句は言うなよ」

上官は厚志をハエでも払うかのように手を振る。

「…………っ、分かりました。勝手にやらせてもらいます」

「…………失礼します」

厚志は沸き上がった怒りを何とか押さえ込み、拳を握り締め、部屋を後にした。隆一郎も律儀に敬礼し、厚志に着いて部屋を出る。

この部屋は上官―――赤石学の職権乱用で作られた部屋であり、基本が八畳一間の厚志たちの部屋に対し、最上階を全て一部屋にして、2LDKの部屋にしてしまっている。

そのため、今いる寝室から一度出て、さらにリビングを抜けないと外に出られない。

下手に文句を言われて後々自由に行動できなくなってはいけないためとりあえず廊下まで出た。

「~~~っ、くそっ!!」

手が痺れるほど強い力で壁を殴る。もちろんこの階だけ学が改造して防音処理しているため、かなりの硬さがあった。

「助けに行く前に怪我してどうするんだ」

「多田、お前は悔しくないのか? 救えるはずの人がすぐ近くにいるのにあんな奴のせいで無駄死にするかもしれないんだぞ」

「分かってる、だから俺も連れてけ、どうせあと二人非番だった自衛官はいるんだから俺が抜けても大丈夫だろうからな」

少しおどけた感じで言う隆一郎。厚志は呆気にとられてしまった。

隆一郎とは同期であり、親友でもある。それ故に多田隆一郎という人間が命令違反をしてまで何かをするという事が信じられなかった。規律を重んじ、命令には絶対服従。良くも悪くも真面目という言葉が良く似合う青年だったはずである。

厚志が呆然としていると、隆一郎が肩に手を回して笑った。

「はあ……もう、金のために働く意味なんてないんだからな、俺には守るものもないしな、今までの偽った性格は止めたんだ」

「……お前、俺を騙してたのか」

ジト目になりながら隆一郎を睨む。

隆一郎はバシバシ肩を叩き、今まで浮かべた事の無い意地悪な笑みを浮かべた。

「んだよ、いじけんなって、本当はもうすぐ辞める予定だったんだ、辞めたら明かそうとは思ってんだがな、すまん」

「辞めるって……何でだよ」

「ま、今は時間無いんだろ? 準備しながらでも話せるからとにかく装備を取りに行こうぜ」

「あ、ああ……」

エレベータに乗り、地下に向かう。

チン、と軽い音がして、ドアが開く。降りるとすぐ目の前に大口を開けたシェルターが現れた。銀行の金庫にありそうな数十センチの厚さのあるドアが備え付けられている。

厚志は開けっ放しになっている入り口をくぐり、中に入っていく。

「なぁ、何で自衛隊の寮の地下にシェルターがあるんだろうな」

「赤石が秘密裏に作ったらしいぞ。このドアも銀行で使ってるのと同じ核にも耐えられるってやつらしいぜ」

「…………」

「何だよ、どうしたんだ?」

黙りこくってしまった厚志に首をかしげる隆一郎。

「…………いや、なんかお前に違和感がありすぎてな……」

「うっさいな、気にすんなって!」

「いって!」

厚志以上に鍛えている腕で頭を叩かれこけかける。

「おい、鍛え方が足りないんじゃないか~?」

「お前と比べられたら誰でも足りないと思うぞ……」

「そうか~?」

軽いノリで会話しながら中を進んでいく。シェルターはかなり広く、寮の敷地全体に満遍なく広がっているらしい。

小さな会社のビルくらいの大きさの寮が二棟と、運動用にと広めの庭が用意された寮はかなり広い。かなりの金持ちが立てた庭付きの一戸建て以上の敷地があったりする。

それもこれも、全て赤石が自分が住み易いようにと金策した結果だったのだが、それが逆に功を奏し 、こうして避難場所になっていたりするのだからあまり馬鹿には出来な

い。

「お、こっちみたいだぜ」

二つほど角を曲がった頃、ようやく目的の武器が収められている倉庫に辿り着いた。

「おい、鍵がかかってないんだが……」

「…………マジかよ」

厚志と隆一郎は飽きれかえりながらももう一度鍵を取りに戻る面倒さを考えると今は文句も言ってられなかった。

「多田、時間が無い、急ごう」

「おうさ!」

「…………やっぱり慣れないな」

「なんか言ったか?」

「……別に」

銃器が収められている箱を開けながら聞いてきた隆一郎に答える。聞こえないように厚志は小さくため息を吐いた。

「お、ミニミじゃん! あいつこんなのも用意してたのかよ! しかも、スコープのおまけ付きだぜ!」

隆一郎が嬉々とした様子でゴツイ機関銃、ミニミを取り出す。

五.五六ミリ機関銃MINIMI―――通称、ミニミは軽機関銃に分類される分隊支援火器である。弾倉を付けた状態で八キロはあるが、機関銃としてはかなり軽量化がなされており、個人での持ち運びも行えるため、戦力になる事は間違いなかった。弾も別の箱に大量に入っており、既に装填済みの二百発入り箱形マガジンも数個用意されていた。

「…………全く、鍵もかけず、ここにある装備使ってテロ起こされたらどうなるか赤石二佐は分かってないのか?」

「ま、あいつの私利私欲もたまには役に立つってことだ」

ミニミにスコープを取り付けながら隆一郎が答える。

厚志は呆れてものも言えず、ため息を吐きながら別の八九と書かれた箱を開けた。

そこに入っていたのはスリムな形をした小銃が無造作に数丁納められていた。

八九式五.五六ミリ小銃―――通称ハチキュウ(公募愛称はバディー)は自衛隊が制式化した自動小銃である。九十年代以降、陸上自衛隊の主力小銃であり、諸外国のアサルトライフルに相当する。高い制動性を有し、また取り外し可能な二脚があり、接地することで安定した射撃ができる。銃床は固定式だけでなく、コンパクトに折りたためる折曲銃床式があるのだが、収められているのは固定式のみだった。

「お! ハチキュウもあるのかよ!」

ミニミの準備をし終えた隆一郎が厚志が開けた箱を覗き込む。その目は爛々と輝いており、まるでおもちゃを与えられた子供のような雰囲気があった。

「多田、大丈夫なんだろうな?」

「は? 何がだよ」

「……いや、なんか今のお前の目は危ない奴にしか見えないからな」

「何だそりゃ、大丈夫だって……ちゃんと正常だよ。自暴自棄にもなっていない」

初めは笑っていたが、次第に真剣な表情を見せた。いつもの表情に安心しながらも、どこか悲しげな雰囲気を厚志は感じ取っていた。

「そういや、まだ話してなかったな」

「…………ああ」

隆一郎はハチキュウにスコープや弾倉を取り付けながら語り始めた。

「俺には妹がいるって話しただろう?」

「ああ、聞いてる」

「その妹な…………今年に入ってすぐに死んでしまったんだ……」

「な!? 妹さんって確かまだ中学生だろ?」

「……ああ、そうだ」

突然告げられた事実に目を見開く。

隆一郎の妹は去年中学生になったばかりだった。厚志自身何度か会った事もある。

とても明るい笑みを浮かべる、病気とは無縁そうな元気な少女だったはずだ。いつも真面目過ぎる兄を気遣う優しい一面もあった。

そんな子が―――死んだというのだ。

「何であの子が死ぬんだよ!? あんなに元気だったじゃないか!!」

「胸が痛いって言い始めたんで検査をしたんだ……だろそうしたら心臓に腫瘍が見つかってな、直すには移植するしかなかったんだ」

「そんな……」

隆一郎の両親は妹が生まれた数年後に交通事故で帰らぬ人ととなった。以来遺産とアルバイトをしながら貯めた金で、妹を育てて来た。親戚は子供を二人も養うだけの余裕がある者がおらず、引き取ってはくれなからったらしい。

高校卒業してすぐに確実に働ける自衛隊に入隊し、以来自衛官として今日までやってきたのだ。

辛い日々だったはずである。友人とも遊べず、勉強も怠れない。自衛官になってからは訓練の日々である。それもこれも妹という存在があったからこそ続けられたのだ。

「ま、そう都合よくドナーが現れるわけもなく……あいつは逝っちまったよ…………はは、あいつは俺の人生そのものだったんだがな…………」

「多田…………」

いつしか隆一郎の手は止まっていた。少し鼻声混じりの言葉に厚志は何を言っていいか分からず、ただ見つめる事しか出来ない。

そんな自分が不甲斐なく、唇を噛み締めた。

厚志と隆一郎が初めて出会ったのは強化合宿だった。たまたま同じ教官の元で学ぶ事になった二人は厚志も両親を亡くしている事もあり、すぐに意気投合した。バディを組み、訓練を熟した。

合宿が終わり、厚志が配属された駐屯地に隆一郎はいた。まさに縁があったとしか言いようがない偶然だった。以来、親友として二人は訓練を熟して来たのだ。

だからこそ、やっと知らされた事実に驚き、また親友に何も出来ない自分が厚志は悔しかった。

「ま、辛気臭い話はここまでだ。何だよその顔は!」

「いてぇ!?」

厚志の顔を見て多田は背中を叩いてきた。あまりの痛みに今まで沈んでいた気持ちが怒りに変わってしまった。

「だから、痛いって言ってるだろうが!!」

「こっちだって男の泣き顔なんか見たくないんだよ、女なら別だがな!」

「…………はぁ」

笑いながら親指を立てる隆一郎を見てため息が漏れた。だが、その目が赤くなっているのを見て、厚志はとりあえず空元気に付き合う事にした。

「っていうか急がないといけないんじゃなかったのか?」

「そうだった! 武器の準備は!?」

「準備できたのはハチキュウは二丁に弾倉はたんまり、ミニミは一丁に二百発弾倉が三つだ。拳銃は銃も弾倉もたんまりあるぜ。後はスタングレネードと手榴弾がこれまたたんまりだ」

「銃は俺達の分だけ持っていこう下手に狂った奴がいたら厄介だ。あと打撃武器があるといいんだが……」

他の箱を開けてみるが、せいぜい銃剣しか見つけられなかった。

「これで妥協するしかないのか……」

「おい、何でかいつものスリングやら服があったぜ、あとこれも」

「……ライオットシールド?」

隆一郎が持ってきたのは中世の騎士が持っていたような大きな盾である。複合樹脂を強固に固めて作られたライオットシールドは持つ部位以外透明で、見た目無骨な感じはしない。ただ、あまり駐屯地では見ない武装に厚志は首を傾げた。

「うちにないわけじゃないが、これって基本は警察にあるものじゃないのか?」

「赤石がコネとかで集めたんじゃねえのかな?」

ライオットシールドをしげしげと眺めながら隆一郎が言う。厚志はもうため息すら出ず、肩を竦めただけだった。

厚志達は着替えている時間すら惜しかったため、とりあえず複数のポーチの付いたジャケットを羽織り、ハチキュウの弾倉を詰めていく。腰にもポーチとスリングを付け、拳銃と弾倉を詰める。

「藤堂、ちなみにどうやっていくつもりだ?」

「もちろん徒歩だが?」

「…………はぁぁぁ」

あっけらかんと言う厚志に隆一郎は呆れ果てたと言わんばかりに大きく長いため息を吐いた。

「何だ?」

「……お前、それじゃ絶対に辿り着けねえぞ? 俺も今寮にいる奴らを助けた時に戦ったが外の奴らは普通じゃないだろうが、そんな奴ら相手に銃だけじゃ心許なくないか?」

「関係無い、必ず迎えに行くって言ったんだ。何としてでも行く」

「…………おい、これ見ろ」

ハチキュウを肩に担ぎつつ、決して引かないという瞳を向ける厚志。隆一郎は少し肩を竦め、ポケットから何かの鍵を取り出した。

「……鍵?」

「ああ、しかもただの鍵じゃない……寮の裏に停めてある七三式トラックのキーだ」

「…………パクったのか?」

「失敬な、借りたと言え」

隆一郎は鍵をまとめているリングに指を通しクルクル回しながら悪戯小僧のような笑みを浮かべていた。真面目だった頃の隆一郎を思い返し、厚志は涙が出そうになった。

「さ、行くぞ。時間が無いんだろ」

「あ、ああ……」

ライオットシールドを左手に持ち、加えて厚志と同じようにハチキュウを肩に担ぎ、さらにミニミや弾倉を詰めたバックパックを背負い飄々と歩いていく隆一郎。総重量は二十キロは下らないはずだが、その足取りは普段と全く変わり無い。

(……はぁ、あの頃の多田が懐かしい…………)

そんな事を考えながら化け物みたいな筋力で歩いていく隆一郎に着いていく。

一階までエレベーターで上がり、裏口に向かおうとすると、その人物達はいた。

康太と佳子、それに香奈である。

何かを決意したような康太と、その後ろで彼の袖を掴みオロオロとしている佳子。香奈だけは厚志の行動を分かっているのか、特に何をするわけでもなく立っていた。

「奈穂達の所に行くんですよね?」

「……ああ」

「俺も連れていってください」

「駄目だ」

厚志は即答した。素人を連れていくわけにはいかない。自衛隊がいくら実戦経験はほとんど無いとは言ってもやはり一般人とは鍛え方が違う。

いざという時に行動できなければすぐに感染者に喰われてしまう。そんな事になっては助けた意味が無い上に、他の人間の迷惑にもなる。

「もう……もうあいつと離れたくないんです! こんな所で待ってるのはもう嫌だ……俺は俺の手で奈穂を守る!!」

「……っ!?」

康太の言葉に目を見開く。

それはかつて厚志が発した事のある言葉。そして、それをどんな気持ちで言ったのかも分かってしまう。

そして、それは同時に佳子にも分かったらしい。悲しそうな瞳で頭を振り、康太の顔を見ると、そっと袖を掴んでいた手を離した。そのまま背を向け、二階に駆け上がっていく。

そんな佳子に気付きながらも、俯いた厚志に隆一郎は何か声を掛けようとして止めていた。伸ばしかけた手を下ろし、彼は厚志の言葉を待った。

沈黙が辺りを支配する。

香奈や言葉を発した康太すら俯いたまま固まってしまった厚志を心配そうに見ていた。

(今度は大丈夫だよな……未果……)

厚志は俯いたまま拳を握り締めた。

顔を上げ、康太を見る。彼は在りし日の自分であり、また、現在の自分でもあった。

大切な誰かを守りたい、その思いを伝えようとするかのように、康太は真っ直ぐな瞳で厚志を見ていた。ついさっき、上司に食ってかかった厚志もまた同じ瞳のはずだった。

「分かった、ただし無茶な事をするなよ。あと、俺達の指示に従う事」

「はい!」

厚志の言葉に康太はキレのいい返事をした。

隆一郎はやっぱりな、と言わんばかりに肩を竦めながら、康太にライオットシールドと拳銃を渡した。隆一郎が軽々持っていたため、軽いと思ったのかライオットシールドを受け取った康太がよろめく。

「っとと……これ、銃じゃないですか」

「ああ、九ミリ拳銃……正式名称はPニニ○。九発しか撃てないが、外人が使うような太いグリップじゃないから持ちやすいはずだぜ」

「は、はあ……」

いきなり説明し始めた隆一郎にたじろぎながら、康太は渡された拳銃をしげしげと眺めていた。

「ただ、やっぱり俺に言わせりゃ拳銃は―――」

「とりあえず銃は護身程度だ、なるべく使わないでくれ。君は基本そのシールドで俺達を守ってくれればいい」

拳銃の説明から語り始めようとした隆一郎に割り込み、厚志は銃を渡した意図を説明する。まだ話し足りなそうな隆一郎を無視して、話を進める。

「安全装置は付けたままで、あっちに行ってから外すんだ。このレバーを下げればいい」

「は、はい!」

康太に拳銃の扱い片を簡単にレクチャーしていく。付け焼き刃でしかないのは分かっているが、それでも知っているのと知らないのではかなりの違いが出る。下手に漫画やアニメにある、安全装置がかかっていて撃てない、などという状況になってしまえば共倒れしてしまうからだ。

「……そこは俺に説明させろよな、全く。よし、んじゃ行くとするか……どうせ他の連中は行かないだろうしな」

「……そうだな」

釈然としない気持ちを持ちながらも厚志は隆一郎の言葉に頷いた。

「と、藤堂さん……!」

「……? 香奈ちゃん?」

香奈が厚志を呼び止める。

香奈には寮に入った時にすでに美紀を助けに行く事は話していた。着いてこようとする彼女を何とか説得して、寮で待っている事にも納得したはずだった。

厚志は訝しみながら香奈に歩み寄る。

何かを察したのか、隆一郎が康太の背中を押して裏口に向かって行った。

「どうかした?」

「…………美樹を……美樹をよろしくお願いします」

「……ああ」

今にも涙が零れんばかりに目を潤ませ、香奈が懇願してきた。厚志は他になにも言わず、ただ頷いた。

「……藤堂さんも、ちゃんと帰ってきてくださいね?」

「……っ!? ああ、分かった」

厚志が無謀な作戦に行く事は説明していた。だが、玉砕覚悟で行く事までは話していなかった。

ただでさえ、一度でも噛まれれば終わりの世界である。安全な場所から出るという事は玉砕も覚悟しなければならない。もちろん死ぬつもりは厚志にも無い。それでも心のどこかで美樹さえ救えればいいと思っていたのも確かだった。

そんな考えを見抜かれ、厚志は本当に香奈には敵わないと再確認した。

「んじゃ、行ってく―――」

「お! 若い娘がおるではないか!!」

厚志の言葉を遮るように下卑た声が聞こえてきた。声の方を向くと、チョコレートを片手に持ち、丸々とした腹を揺らしながら歩く赤石がいた。

「おい、娘! 後で私の部屋に来い、来たら食糧を優先してやるぞ?」

「ひっ!?」

短い悲鳴を上げ、香奈が厚志の背中に隠れる。そんな態度も赤石を興奮させるのか、下卑た笑みを浮かべた。

「二佐、そのチョコレートは何ですか? この非常事態に決められた以外の食事をする余裕は無いはずですが?」

厚志は香奈を庇いながら赤石に言う。

「ふん、私が何を食べようと私の勝手だ。貴様はその娘を置いてさっさと外に行け」

「お断りします。非常事態に常識を欠いた行動をするあなたに彼女は預けられません」

「な、何だと貴様! 先程といい上司ヘの態度がなっていないのではないか!?」

厚志の言葉に憤慨した赤石が顔を真っ赤にして指を突き付けてくる。

「だったらもう少し上司らしい態度を取ってはいかがですか? 少なくとも売春を促すような言葉を発する方を上司とは思えません」

「~~~っ!! もういい、貴様など外で奴らに食われてしまえ!!」

赤石は身体をぶるぶる震わせてそう言うと、踵を返してエレベーターに乗った。

「はぁ……子供か」

「あ、ありがとうございました」

「いや、気にしないで、香奈ちゃんもあの人には気をつけてね」

「……はい」

不安そうな香奈の頭を撫で、何とか宥める。

赤石の態度はこんな世界になる前からあまり良いものではなかった。女性隊員にはセクハラをする上、自分の地位や名誉が何よりも大事。さらに先程の香奈を見る目。

香奈をこのまま寮に残して大丈夫かと不安になる。

「そうだ、これを持っておいて」

「これ……銃……ですか」

香奈に自分の拳銃を渡した。彼女は受け取った拳銃をおっかなびっくり持っている。

「ああ、殺せ……とは言えない。あの人も『人間』だから……でも、そのまま襲われろとも俺には言えない……だから」

「はい、分かってます。藤堂さんはそういう人ですもんね」

「すまない……」

厚志は香奈に謝る。

明確に何かあったら殺せと言えない自分の不甲斐無さを感じながらも、香奈に拳銃の扱い方を説明する。

「あと、持ってるのは見付からないようにな……何をされるか分からないから」

「分かりました」

そう言ってスカートの中にホルスターを着けていく香奈。

「あと、あの大学生と同じ部屋で鍵を閉めて待っててくれ」

そんな香奈から目を反らしつつ、厚志は付け足した。「はい」

「んじゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

笑顔で手を振る香奈に手を振り替えし、厚志は裏口を出た。

裏口から出ると目の前に大型トラックが停まっていた。

深緑をベースにした配色の七三式大型トラック。荷台を窓付きの布製の幌が覆い、雨風を凌げるようになっている。最大二十二人まで搭乗が可能で、人員輸送車としても使われている。

「遅え」

「すまん」

荷台に武器を詰め込んでいた隆一郎がようやく来た厚志に文句を言う。

厚志は謝りつつ運転席に乗り込む。運転席は二人までしか乗れないため、必然的に康太は荷台に乗っている。

「そんで、とりあえず入口の奴らをミニミである程度倒して出ようと思っている」

隆一郎が助手席に乗り込みながらプランを言う。その手にはミニミと弾倉があった。

「ま、それしかないだろうな。というか門はどうするんだ?」

「それは、これで解決だ」

隆一郎はまたも悪戯っ子のような笑みを浮かべ、キーホルダーのような物を取り出した。

「何だそれ」

「門を開けるキー」

「…………はあ、まあもう何も言わない」

厚志はため息を吐くと、隆一郎からトラックのキーを受け取り、エンジンをかける。

重い音が響き、トラックが振動し始める。

「行くぞ!」

「ああ!」

トラックを運転し、門近くまで移動する。

「俺がある程度掃討したら門を開ける。門を出たらしばらく門の前に停まってくれ!」

「分かった!」

隆一郎が助手席から降り、厚志に指示を飛ばす。返事をしながら、門が開けばすぐに出られる位置にトラックを動かす。

「何で一回停まるんですか?」

運転席と荷台を隔てていた布がめくられ、康太が現れる。康太は塀に上る隆一郎の背中を見ながら首を傾げている。

「あの門はすぐ開かないし、すぐ閉まらない。中にいる香奈達を危険にさせるわけにいかないから、門が閉まるまで防衛しなきゃならないんだ」

「……っ!? は、は~」

突然鳴り響き始めた銃声に身をすくませながら康太が感心したような声を上げる。

「ま、君はそこにいればいい―――よし、動くぞ」

門が開き始めたのを見て、厚志はブレーキから足を離し、アクセルを踏んだ。

ゆるゆると開く門とゆるゆると進むトラック。

厚志の操るトラックは、開く門が調度トラックが通れるほど開いた辺りで通り抜けた。

門の外は血だまりになっていた。二百発もの銃弾を受けた感染者達は頭を撃ち抜かれ、そうでない者も銃弾に巻き込まれて様々な箇所を欠損していた。それでもその数は、門の前だけが減っているだけで、まだまだいる。

「閉めるぞ!」

隆一郎がトラックの尻が通り抜ける絶妙なタイミングでキーを操作して門が閉じていく。

隆一郎は塀から下り、荷台に乗り込む。そのままトラックの荷台から門を越えようとする感染者を撃っていく。

トラックの荷台はあまり高くなく、いくら事前に隆一郎が倒しているとは言え、周りにはまだまだ感染者がいて、いつ乗り込まれるか分からない。しかも荷台を覆っているのは頑丈な物とは言え、布である。感染者の力で引っ張られれば剥がされる可能性もある。

厚志は祈るような気持ちで門が早く閉まるよう願った。

「厚志行け!」

「っ! おう!」

待ってましたとばかりに厚志はアクセルを踏む。だが、あまり強くは踏めない。

下は血だまりである。いつスリップするか分からない上、感染者もいるためなかなかスピードが出せない。

しばらく感染者の壁を押すように進んでいたトラックが、ようやくスピードを得始めた。

感染者の壁を抜けたのだ。

後はただ突っ走るだけである。

(待ってろ美樹! 今行くから!)

逸る気持ちを何とか押さえ込みながら厚志はアクセルを踏み込む。

その時、目の前に厚志と美樹を離れ離れにした事故車が現れた。だが、厚志はさらにアクセルを踏んだ。

「捕まってろ!」

厚志はそれだけ叫ぶと事故車に突っ込んだ。トラックの勢いに負けた普通車が弾け飛ぶ。

もちろんトラックも無事ではない。バンパーがひしゃげていたが、今の厚志には関係なかった。

「ばっかやろう! 何やってんだ!?」

「見えた!」

「おい! 人の話し聞けよ!?」

隆一郎の言葉を無視して、厚志はスーパーの駐車場にトラックを乗り入れ、入口まで走らせる。

「おい、嘘だろう?」

そこには破壊されたバリケードらしき物を残し、ぽっかりと口を開けた入口があった。

「美樹!!」

「待て厚志! 武器を持って行くんだ!! まだ中で篭城してるだけかもしれないだろうが!」

「~~~っ、分かった!」

厚志は急いでハチキュウを隆一郎から受け取ると、初弾が装填されている事を確認する。

「……よし、行くぞ」

「おい」

「はい」

二人の返事を聞き、スーパーの中に入る。

入口付近に感染者はおらず、奥の方から呻き声が聞こえてくるのみだった。

厚志は隆一郎にアイコンタクトすると、奥に向けて歩き出した。

隆一郎がその厚志の背中をカバーするように左右を康太が後方を確認しながら着いてくる。

奥には十数体の感染者がある部屋に向けて殺到していた。

(あそこに美樹がいる!)

厚志は次の瞬間ハチキュウを構えていた。

軽い音が響き、一体の感染者が倒れる。続いて二回三回と銃声が響き、感染者がどんどん倒れていく。

「す、すごい……」

「あいつの射撃の腕はピカ一だからな」

あと二体を残すという所で厚志の手が止まった。

「あ……そんな…………信二? 沙苗ちゃん?」

「……っ」

背後から康太の絶望したような声が聞こえてきた。厚志もスコープを覗き込みながら唇を噛み締める。

そこにいる感染者は、康太達のサークル仲間で、美樹や奈穂と一緒にスーパーに逃げたはずの信二と沙苗だった。

見覚えのある顔が感染者となる。厚志は指が震えた。思わず構えていた銃口を下げてしまう。

蘇るのは救えなかった女性。自らが止めを刺した香奈の母親の顔。

「…………っ!!」

もう一度構えるが、その指はどうしても動かなかった。

目の前に二人が迫る。もう後一歩で噛み付かれてしまう距離。

次の瞬間、二人の頭が弾けた。

振り向くと苦い顔をした隆一郎が銃を構えていた。

「何やってるんだお前! 死ぬ気かよ!?」

「…………すまん」

「いい、とりあえず中を見よう」

「あ、ああ……」

隆一郎に急かされ、感染者が殺到していた部屋に入る。康太は信二と沙苗の死体の傍にいたため、二人だけで入っていく。

ドアは半分取れ、中は凄惨な光景だった。

血が飛び散り、感染者のものなのか、人間のものなのか分からない死体が転がっていた。

そして、これだけは言えた。

そこに生きた人間はいない。

「…………そん……な」

「藤堂……」

隆一郎が渋い顔をする。何か言葉を選んでいるような顔で厚志を見る。だが、動転している厚志にはそんな事は関係がなかった。

「美樹! 返事してくれよ!! 美樹ーーーーーー!!」

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